せたがや百景 No.61-70の紹介
昭和59年に世田谷区と区民によって選定された「せたがや百景」のNo.61-70の紹介です。詳細は個別のページをご覧ください。
No.61 宇奈根氷川神社

農村風景をそこかしこにとどめる宇奈根。氷川神社の境内には子ども達の遊ぶ姿を見かけることも多い。村の鎮守様は健在だ。都市化の波でつぎつぎに失われていった村の鎮守の原像を見る思いがする。秋祭りには地区の人総出で大いに賑わう。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:宇奈根2-13-19 備考:ーーー


多摩川と野川に挟まれた中洲のような場所に宇奈根の町があります。水の便が良く、古くから農業が盛んな土地である半面、洪水に悩まされた土地です。
鉄道駅から遠いのもあり、昭和後半まで多くの田畑が地域にありましたが、宅地化の波は宇奈根にまで押し寄せ、今では農村風景はめっきり少なくなってきました。
宇奈根の氏神は氷川神社で、昔と変わらない広々とした境内は、説明文にあるように子供たちが追いかけっこをしている様子がよく似合います。

説明文にある秋祭りは、例年、体育の日に行われています。地区の人々が総出で・・・というのは過去の話で、今は昭和の頃の賑わいはありません。
それでも多くの人が集まり、神輿を担いで地域を周っていきます。畑の多い町域を神輿が練り歩く様子は、世田谷らしくなくて面白味があったのですが、近年では宅地が増えてしまい、あまり他の地域と変わらなくなりつつあるようです。
夏には境内で盛大に盆踊り大会が行われます。こちらは町域の多くの人が集まり、とても活気があります。秋祭りよりも盆踊りの方が地区の人が総出で賑わう様子を感じることができるでしょう。
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- ・宇奈根氷川神社(百景61)
No.62 砧小学校の桜

小学校の校庭に咲く春の桜は誰にとっても懐かしい思い出のあるものだ。砧小学校の桜の老木には地区の子ども達の入学と卒業を何十年にもわたって見守りつづけてきた。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:喜多見6-9-1 備考:ーーー


世田谷通りから東宝スタジオや成城駅の方へ道が分かれている交差点の名は、砧小学校交差点。その交差点の南側の高台に世田谷区立砧小学校があります。
タイトルの通り桜が有名ですが、それよりもまず、敷地の外側に設置されている玉石垣の美しさに目がいってしまいます。なんでも小学校が建てられた時に住民が積み上げて造ったとか。美しさの秘訣は、地域の愛情となるようです。ただ、今後の小学校の建て替えで、姿を消してしまうかもしれません。

桜の方は校庭にあり、残念ながら外からは見ることができません。許可を得るか、校庭解放日に訪れるしかありません。
砧小学校がこの地に建てられたのが、明治40年(1907年)。その時に合併する朝陽学校からこの桜が移植されました。かれこれ百年以上経っている事になり、生徒たちからは百年桜と呼ばれ、親しまれているとか。
百年以上地域の子供たちを見守っている桜。どれだけ多くの子供達が桜が咲くころに小学校を巣立っていったことでしょう。これからも地域で大切にしてほしいものです。
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- ・砧小学校の桜(百景62)
No.63 大蔵団地と桜

今を盛りと咲き誇る桜。いちばん盛んな樹齢に達した桜が団地と世田谷通りを飾る。シックな団地の壁面と見事なコントラストを作りあげる。住民の皆さんの自慢の春の眺め。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:大蔵3丁目 備考:ーーー


世田谷通りの大蔵から成城にかけて、ちょうど大蔵団地のある付近には、緩やかで長い坂道があります。世田谷通りが整備されたときに設置されたもので、急な坂にならないように切り通しが造られています。
この坂道の両側には桜が植えられていて、桜の時期になると桜のトンネルとなります。といっても、よくあるように歩道に街路樹として植えられているのではなく、歩道の更に外側、大蔵団地の敷地だったり、切り通しの斜面に植えられているので、普通よりもスケールが大きな桜並木となっています。

桜は世田谷通り沿いだけではなく、大蔵団地の至る所に植えられているので、春には団地内が桜爛漫といった状態になります。
この桜が多く植えられている大蔵団地は、東京都住宅供給公社の建物で、正式名は大蔵住宅。昭和35年に建設が始まり、11haに30棟が建てられました。総住宅戸数は1264戸。巨大な団地です。現在は老朽化のため、建て替えが進められています。
団地といえば人工的な場所といったイメージがありますが、ここの場合、団地の間にある崖地には緑が多く残り、崖下では丸子川の源泉となっている湧水も出ているなど、自然が多く残っています。かつては縄文人もこの地で暮らしていたようで、団地の敷地内では比較的規模の大きな大蔵遺跡も発掘されました。
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- ・大蔵団地と桜(百景63)
No.64 大蔵の五尺藤

大蔵の和田さん宅にある藤は、その名どおり房の長さは1メートルを越え、房の数は6千以上にもなる。5月の初旬、紫の花が満開になるころは見物に訪れる人も多く、まちの名所の一つになっている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:大蔵1-9-3 備考:ーーー


都立砧公園の北側に造園業を営んでいる和田さん宅があり、庭には地域の人から五尺藤と呼ばれ、親しまれている藤があります。
とても立派な藤ですが、個人宅なので、気軽に見学とはいかないのが難点です。せたがや百景が選ばれたのは昭和の時代。当時は色々とおおらかな世の中だったので、このような個人宅の藤も選ばれたのでしょう。
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- ・大蔵の五尺藤(百景64)
No.65 大蔵の総合運動場

都立砧公園と道を挟んで作られた運動公園で、門を入ると正面に近代的な体育館と噴水が目に入る。他に野球場、陸上競技場、テニスコート、洋弓場、プールなどのスポーツ施設が完備され、さわやかな汗を流すスポーツ・ゾーンとなっている。フィールド・アスレチックコースは子どもたちに人気が高い。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:大蔵4-6-1 備考:ーーー


昭和39年に第18回夏季オリンピック東京大会が行われ、世田谷区内でも駒沢公園や馬事公苑が会場となりました。オリンピック後、区民の運動に対する気運の高まりから造られたのが、大蔵運動公園になります。
開園は昭和41年。体育館、野球場、陸上競技場、テニスコート、子供の遊び場などが造られました。なかでもピラミッド型の屋根を持つ体育館は、当時としては斬新かつ、未来的な建物で、今でもなお大蔵運動公園の象徴的な存在となっています。
2010年には、隣接していた東京厚生年金スポーツセンター(ウェルサンピア東京)を区が買い取り、大蔵第二運動場として整備し、ゴルフ練習場や屋外プールが増えました。
運動施設に目がいきがちですが、園内には子供の遊び場が多くあったり、庭園のような花壇があったり、紅葉が素敵だったりと、公園としても魅力的な存在です。

運動公園ということで、平時は区民に比較的安価な料金で施設を貸し出していて、校庭の狭い学校の運動会の会場に使われたりもしています。
また、秋には区民スポーツ大会が行われたり、砧地域の緑化まつりといったイベント会場としても使われています。
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- ・大蔵の総合運動場(百景65)
No.66 砧ファミリーパーク

日比谷公園の約2倍の園内には一面緑の芝生が敷きつめられている。ゆるやかな起伏と木々が公園の景観にほどよい変化を与えている。家族連れやグループでのんびり一日楽しむには絶好の場所で、遠近各地から訪れる人々が多い。園内にオープンした区立世田谷美術館も人気を呼んでいる。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:砧公園1−1 備考:ーーー


環八にある東名高速入り口付近に都立砧公園があります。園内の敷地面積は約391,000㎡と広大で、広々とした芝生エリアのあるファミリーパークが特徴になっています。
実は、公園として整備される前はゴルフ場でした。ゴルフコースをそのままくつろげる空間にしたので、広々とした芝生広場が一面に広がっているといったわけです。
しかも、ここには桜が多く植えられているので、芝生でくつろぎながら花見をすることができます。芝生が広いので、大勢での花見にも最適です。見ごろの週末になると、広い芝生が埋め尽くされるほど多くの人が押し寄せます。

桜とファミリーパークが有名な砧公園ですが、広い園内には野球場やサッカー場、バラ園や梅林、子供用のアスレチック広場、サイクリングコース、バードサンクチュアリなどもあり、色々な楽しみ方をすることができます。
開園時に植えられた様々な種類の木が、月日とともに成長したので、園内には立派な木が多いです。木々に囲まれた空間がとても気持ちよく、桜の季節以外、新緑や紅葉の時期の散策もお勧めです。

公園の一画には、世田谷区立の世田谷美術館があります。砧公園が開園してから20年後の昭和61年(1986年)に開館しました。
収蔵品コレクションは・・・、よくわからないので案内通りに書くと、H・ルソー、F・ボテロ、Aボージャンなどの素朴派と呼ばれる画家たちや、世田谷区ゆかりの作家のものなど3200点あるそうです。
毎年、年に数回、期間を決めて企画展が行われます。景気のいい時代には、ゴッホやシャガールなどといった超有名な画家の作品が展示され、多くの人が訪れました。
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- ・砧ファミリーパーク(百景66-1)
- ・世田谷美術館(百景66-2)
No.67 東名高速の橋

大蔵総合運動場と砧公園の脇を東名高速が走っている。高速道路を跨ぐ公園橋から見た疾走する自動車群は圧巻だ。夕闇が訪れればヘッドライトの光の奔流が走る。日夜鼓動する日本の大動脈の一端を見る思いがする。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:砧公園と大蔵総合運動公園の間の通り 備考:ーーー


昭和40年代半ばに開通した東名高速道路。日本の交通や物流の大動脈で、世田谷の環八(用賀)を起点に名古屋まで続いています。
用賀から多摩川にかけて、高低差のある国分寺崖線があります。この崖地を通過させるにあたって、崖を掘り下げて切り通しが造られました。
その切り通しには橋が架けられました。一つは、砧公園と大蔵運動場との間を通る大蔵通りに架けられている公園橋。もう一つは、大蔵運動場の崖付近に架けられているグラウンド橋です。

橋の上からはひっきりなしに通過していく車の流れを見ることができます。その様子を見ていると、世の中が目まぐるしく動いていることを感じたりする人もいるでしょう。
また、グラウンド橋は崖に位置していることから、富士山の眺望が素敵です。昔から変わらずどっしりと佇む富士山と、せわしく移動する車の群れ。不変的な自然と、儚い人工物。そういった対比が心をくすぐります。
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- ・東名高速の橋(百景67)
No.68 大蔵の永安寺

山門を入ると樹齢数百年といわれる大イチョウがある。永安寺は室町時代鎌倉の大蔵谷に建てられたものが、地形も地名も似たここに再建されたと伝えられている。本堂右側には江戸幕府のころ書物奉行を務めていた石井一族の墓がある。六代目兼重(かねしげ)は、世田谷地域での図書館の始まりとなった「玉川文庫」を創ったので知られている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:大蔵6-4-1 備考:ーーー


大蔵にある永安寺は、世田谷を治めていた吉良氏と同様に足利家に所縁のあるお寺になります。2代目鎌倉公家方、足利氏満の菩提寺として鎌倉の大蔵谷に建てられたのが始まりで、後に幕府と対立し、反乱を起こして敗れた4代目の足利持氏も葬られました。
その後、寺は衰退しますが、足利持氏の重臣であった二階堂信濃守盛秀の子(孫?)清仙上人が、50年後に鎌倉から地名が同じ世田谷の大蔵に引っ越してきて、寺を再興しました。

現在の永安寺は天台宗のお寺となっていて、江戸時代に建てられた堂宇の中には多くの仏像が安置されています。
本堂の前には、お寺のシンボル的な存在となっている一対のイチョウの木が聳えています。樹齢は数百年ほど。とても存在感があり、紅葉時には美しい光景となりますが、左右で紅葉の時期が少しずれるのが、ちょっと微妙なところ。大きさも違うことから、片方は後年植えられたものでしょうか。
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- ・大蔵の永安寺(百景68)
No.69 岡本玉川幼稚園と水神橋

*せたがや百景の冊子 世田谷区企画部都市デザイン室制作から引用
岡本幼稚園の建物は二・二六事件で暗殺された蔵相高橋是清の別邸だったもので、山荘風の構えがよく幼稚園にマッチしている。風光明媚な国分寺崖線には戦前多くの高官や財界人の別荘別邸が立てられ、現在の良好な住宅街に引き継がれてきた。水神橋あたりには当時別荘から眺められた田園風景の面影がそこはかとなく残っている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:岡本3-35-10(玉川幼稚園) 備考:高橋是清の別邸は取り壊されました


大正から昭和初期にかけ首相、蔵相を務めたのが、高橋是清です。功績を挙げればきりがないのですが、1936年に起きた二・二六事件で、陸軍の青年将校の凶弾に倒れ、83歳でこの世を去りました。
高橋是清の別邸が岡本にありました。彼が亡くなった後、どういった経緯なのかはわかりませんが、幼稚園の建物として使われました。山荘風の建物は幼稚園によく似合っていたようですが、建物が古くなったのもあり、取り壊され、現存していません。
高橋是清の別邸があったすぐそばを仙川が流れ、そこには水神橋がかかっています。近くにある水神様の祠にちなんで名がつけられたものだと推測されます。
水神橋は高橋是清の時代よりもずっと後、1960年代の仙川の治水工事で架けられたものです。その当時はこの付近には一面田畑が広がっていました。しかし、この界隈にも宅地化の波が押し寄せ、今では住宅の方が多くなりました。
- <詳細ページ>
- ・岡本玉川幼稚園と水神橋(百景69)
No.70 岡本三丁目の坂道

国分寺崖線には多摩川沿いに下る坂道が何本も通っている。岡本3丁目の坂道はなかでも勾配が強く、急な坂をたどるとき国分寺崖線の斜面を実感する。坂上からは丹沢の山々も眺望できる。(せたがや百景公式紹介文の引用)
場所:岡本3-33付近 備考:ーーー


岡本の国分寺崖線に「岡本三丁目の坂道」と呼ばれる急坂があります。ただの急坂ではなく、一直線の急坂なので、とてもインパクトがあります。
そのインパクトさゆえに、ドラマなどで使われたり、バラエティー番組で紹介されたりしていて、世田谷区外の人にも名が知られています。
勾配の表示がないので、正確にはわかりませんが、恐らく20~21%(11.5度)ぐらいだと推測できます。かなり急になるので、自転車や車などで下ると、ジェットコースターのような感覚になります。

この坂が有名になっているのは、坂の正面付近に富士山が見えることでもあり、国土交通省の富士見100景にも選ばれています。
ただ、この坂道には電線が多いし、朝の時間帯は坂が影になるしと、感動するような風景かというと、そうでもないような気がします・・・。
- <詳細ページ>
- ・岡本三丁目の坂道(百景70)