砧小学校の桜
喜多見6-9-1小学校の校庭に咲く春の桜は誰にとっても懐かしい思い出のあるものだ。砧小学校の桜の老木には地区の子ども達の入学と卒業を何十年にもわたって見守りつづけてきた。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、砧小学校の桜について

*国土地理院地図を書き込んで使用
世田谷通りから東宝スタジオや成城駅へ向かう道が分かれているのが、砧小学校交差点。その交差点の南側の高台に世田谷区立砧小学校があります。
明治35年に喜多見、朝陽の両校が合併して誕生したのが、砧小学校の前身、砧尋常高等小学校で、明治40年にこの地に新校舎が建てられ、引っ越してきました。

立派な石垣があり、独特の景観となっています。

それなりにきつい坂になっています。
世田谷通りは古くからの街道である登戸道を整備した道です。世田谷通りを砧小学校交差点から少し登戸方面に進むと、左側にそれて、すぐに世田谷道に戻る細い道があります。ちょうど砧小学校の下を通っている道ですが、これは昔ながらの登戸道、いわゆる旧道になります。
この旧道沿い、砧小学校がある法面(崖)に玉石垣が施してあります。この玉石垣の法面は付近の住民が学校に通う子供たちのために頑張って削って、付近の川原から玉石を集めてきて石垣を積み上げたという話です。
それなりに大がかりで、立派な石垣です。とても苦労したことでしょう。地域の愛情が詰まった石垣ともいえるのではないでしょうか。

昔の正門でしょうか。現在は全く使われている気配がありませんでした。
石垣の間には、現在では使用していなさそうなトンネル門と呼ばれる入り口もあり、ちょっと変わった景観をつくっています。かつてはここが正門だったのでしょうか。
昭和47年に再び喜多見の地に喜多見小学校ができるまでは、喜多見に暮らす生徒はまっすぐ伸びている水道道路を登って登校していたはずなので、ここに門があると便利だったはずです。
こういったワクワクするような校門を持つ小学校は、全国を探してもなかなかないのではないでしょうか。ただ、大蔵団地の建て替えとともに小学校の建て替えが予定されていて、安全の観点からこの石垣を現状のまま残すことは難しいそうです。
資料を読む限りでは、できる限り景観として残す方向で対処するということですが、一部保存とか、一部石垣を再利用するといった感じになりそうなので、おそらく大きく風景が変わってしまうことになるでしょう。

こういった碑は在学中には目に止まらないものですが、卒業してから眺めると懐かしいものです。
さて、本題は桜。砧小学校の校庭には、百年桜と呼ばれている桜の木があります。それがせたがや百景に選ばれているのですが、残念ながら外からは体育館が邪魔をしていて、その姿を見ることはできません。
近年では子供を狙った犯罪が増え、小学校などの警備が厳しくなりました。それはとてもいいことだし、時代の流れなのでしょうがないのですが、休みの日に小学校の校庭に咲いている桜を気軽に見れない世の中になってしまったのは、残念です。
桜の咲いていない時期に小学校の周りをカメラをもってうろちょろしていると、不審者に間違われそうなので、春休みの桜の時期を待って訪れてみることにしました。
閉まっている校門の横にはインターフォンがあり、「ご用の方は受付に連絡ください」とあり、押そうか・・・、結構勇気がいるな。桜を見せてください・・・って変に思われないだろうか。と悩んでいたところにちょうど部活を行っている先生が通りがかり、写真を撮らせてくれるよう頼むと、「いいですよ」とあっさりと許可がおりました。
子供のいない春休み中ならこんなものなのかな。それに私のように写真を撮ったり、桜を見学する人が多いのでしょうか。年によって違うかもしれませんが、近隣の一般の人に桜のために校庭を開放している日もあるようです。

1分咲といったところ。
校庭に入らせてもらうと、校庭の目立つところに大きな桜がありました。百景に選ばれ、また地域の人々から百年桜と親しまれているだけあって立派な桜です。しかも2本並んでいるので壮観です。
一回目訪れたときは残念ながら一分咲きといった感じで、少し寂しい感じでしたが、枝ぶりがよく観察できました。校舎の方から眺めると、二本の桜で扇を作っているような感じです。

後年改めて見学に行きました。
翌年、訪れたときには満開でした。校庭の隅にも何本か立派な桜や若い木があったので、桜の老木が見守る校庭といったところでしょうか。子供達にとっては木登りをしたりして遊ぶのにはちょうどいい大きさの木でしょうね。
砧小学校がこの地に建てられたのが、明治40年(1907年)。その時に砧学校から青桐が2本、朝陽学校から桜が2本移植されたそうです。2本仲良く並んでいたことから、昔は夫婦桜という呼ばれ方もしていたようです。かれこれ百年以上経っている事になり、今では100年桜という呼び方が一般的になっています。
一般的に・・・と言っても諸説紛々ですが、ソメイヨシノの寿命は60年とか、80年といわれているので、樹齢百年を超えているこの木は、とんでもなく老木だといえます。

木の治療について書いてありました。
ただ、近年では昔に比べると衰弱してしまったようです。木の所に案内板が添えてあり、樹木医の解説によると、一番の原因は土が堅くなって根が働かなくなったことだとか。
そのため、枝に支えの木を取り付けたり、根の付近に囲いを付けて人が入れないようにして、その部分の土を掘り返したりと、樹勢回復治療を行っているようです。
公園や街路樹となっている桜は、枝が伸びて邪魔になったり、少しでも空洞になっていたりすると、枝が伐採されてしまいます。風の強い日に枝が落ちてけがをしたら大変なことになるからです。
ここの場合は、枝の下には入れないようになっているし、警報が出るような強風の日や台風が来るような日に桜の木の下で遊ぶような子供もいないし、夜間に人はいないし、日当たりはすこぶるいいし、他よりも環境がいいです。
しっかりとした治療を受ければ、まだしばらくは枯れずに頑張れそうに感じます。ぜひともこの桜には今後とも頑張ってもらって、多くの子供達を見守り続けて欲しいと思います。
2、砧っ子まつり

妙法寺の角で通学する子供達を見守っています。
小学校のすぐ近くにある妙法寺の道沿いに砧っ子地蔵が置かれていて、通学する子供達を見守っています。
昔から砧小学校に通う子供達のことを砧っ子と言っているのか、お地蔵様に因んで名付けられたのか知りませんが、夏の初めには砧小学校の校庭を利用して砧っ子まつりが行われます。

小学校の小さなイベントか思っていたら、様々な催し物が行われていました。

このイベントは子供を対象にした縁日みたいなものかなと思って訪れたのですが、警視庁の白バイ隊や騎馬隊が訪れていて、乗馬体験や白バイにまたがれたり、地元の婦人会などによる出店も多く出ていて、この地域では大きな夏祭りとなっているようで、その規模に驚きました。

普通の木でした・・・。
桜の木を見に行ってみようかなと訪れてみたのですが、夏になると普通の木といった感じでした・・・。もっともその日は校庭には多くの出店が出ていたし、子供達も鮮やかな浴衣を着ていたので木そのものが目立っていませんでしたが・・・。
桜の開花時期以外は、きっとこのような感じで地味な存在なのでしょうが、さりげなくそこにあり、静かに砧っ子達を見守っているといった感じなのでしょう。ちょうど砧っ子地蔵のように。
3、感想など

春休みだったので遊びに来ている子供もちらほらといました。
いいものですね。校庭の目立つ場所に生涯の思い出に残るような立派な木があるというのは・・・。
今はどうか分かりませんが、昔は桜の開花時期に校庭を開放する日があったと聞いたのですが、それはやはり卒業生などへの配慮なのでしょうか。ふと懐かしくなって母校の思い出の桜を見たくなるってこともよくありそうな話です。特に桜の時期は色々と感傷的なことも多いですから・・・。
今後とも寿命を延ばし、多くの子供たちを見守り続け、卒業生の思い出の木であり続けてほしいものです。そして願わくば日本一長寿のソメイヨシノになり、まずは都の天然記念物に、ゆくゆくはソメイヨシノとして最初の国の天然記念物に・・・。などと思ってしまいます。
せたがや百景 No.62砧小学校の桜 2025年5月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 喜多見6丁目9−1 |
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・アクセス | 最寄り駅は小田急線成城学園前駅。駅から少し離れています。 |
・関連リンク | 砧小学校 |
・備考 | 小学校の敷地内にあるので見学は基本的に不可。 |