緑丘中学校・校庭の大ケヤキ
桜上水3-19-12校庭の中央に校舎より高い2本のケヤキ(名木百選)がそびえる、特徴的な風景であり、在校生、卒業生にとっても愛着のある風景である。江戸時代から旧上北沢村の庄屋だった鈴木左内邸跡地であり、敷地一帯にはかつて「甲子夜話」に出る牡丹園が広がっていた。(公式紹介文)
1、緑丘中学校の大ケヤキについて
*国土地理院地図を書き込んで使用
前項目の「江戸城御囲い松の兄弟松」で紹介したように、上北沢は鈴木家を中心に栄えてきました。その鈴木家の邸宅があったのが、現在の「緑丘中学校」や「早苗幼稚園」の敷地になります。
具体的には、早苗幼稚園のあたりに池があり、その敷地の生け垣のように植えられていたのが、前項目の「江戸城御囲い松の兄弟松」です。
また、その池のほとりの築山に植えられていた松が、緑丘中学校の南側フェンス沿いにある立派な松だったのですが……現在では枯れかかっていました。校門のところにある立派な松も当時のものでしょうか。
*国土地理院地図を書き込んで使用
敷地へのアプローチは、早苗幼稚園の西側にある道となり、ちょうど緑丘中学校のフェンス付近に大きな茅葺きの長屋門がありました。残念ながらこれは、昭和23年に中学校建設に先立って取り壊されています。
ちょうど中学校の校庭部分に母屋がありましたが、昭和20年5月25日の空襲で焼失したそうです。その建物の裏にあったのが、現在校庭にそびえている大ケヤキです。
そして、この大ケヤキから後ろ、現在の校舎がある付近から勝利八幡神社にかけては、杉林と竹林に覆われていたようです。
校門の横に立派な松があり、真っ正面に大ケヤキが見えます。
*国土地理院地図を書き込んで使用
現在の大ケヤキは緑丘中学校の校庭の真ん中というわけではないのですが、トラックの内側、つまり中央付近に位置しています。
あちこちの学校を見て回ったわけではありませんが、校庭の真ん中にこうした障害物があるのは珍しいのではないでしょうか。
邪魔といえば邪魔ですし、木陰ができて休むのにちょうどいい場所にあるといえばそうかもしれません。ただ、陸上競技などはよいとしても、校庭の一面全体を使用する競技の場合は不便しそうです。
*国土地理院地図を書き込んで使用
なぜこうなってしまったのか。戦後、開校間もない頃の写真を見ると、この当時は校舎が小さく、ケヤキは校庭の隅に位置しています。
校庭には他にも木が何本もあり、このケヤキが特別に大きいわけではなく、特別扱いされている風でもありません。
*国土地理院地図を書き込んで使用
1960年代、東京オリンピック開催前頃の写真では、大きな校舎が建てられているのが分かります。その校舎が南側にあり、多くあった木は切られ、ケヤキの木だけが残っています。この時もまだ校庭の隅にあり、邪魔な存在にはなっていません。
*国土地理院地図を書き込んで使用
1970年代後半の写真を見ると、またも校舎を改築が行われていて、ちょうど工事の最中が写っていました。ケヤキの木は残すことが前提といった感じで、工事が進められている様子が分かります。
この時に思い切って切っていればよかったのでしょうが、愛着が湧いてしまったのでしょうね。それと同時に環境破壊などの文字がテレビを賑わわせ始めた時期でもありましたから。
*国土地理院地図を書き込んで使用
そして、その工事が終わった1980年代には、今と同じ俯瞰になっています。
この流れを見ると、最初は校庭の隅になんとなく残していたのが、人口の爆発で校舎の建て増しが続き、校舎の配置の都合、校庭の真ん中に木が配置されているような形になってしまったという流れです。
通りがかったら野球大会が行われていました。
ちょうどセンターが木の横で守っていました。
通りがかった際、ちょうど少年野球大会が開催されていました。「これはちょうどいい機会だ」と中に入らせてもらいました。
木自体は遠くから見ても近くから見ても変わりありませんが、面白かったのはセンターを守っている子どものすぐ横に木があることです。
「何も考えずにフライを追いかけると木に激突してしまうのでは……」「木の前で打球を処理しないと当たって大変なことに……」など、センターの守備にはかなり頭を使うことになりそうです。
野球の場合はなんとか成り立っていましたが、サッカーの時はどうしているのでしょう。コートの中に木がある状態で行うのでしょうか。ちょっと木に、いや「気に」なってしまいました。
*国土地理院地図を書き込んで使用
なぜ「上北沢中学校」とか「桜上水中学校」ではなく、「緑丘中学校」という名称なのでしょうか。面白い話があったので付け加えておきます。
同校は、昭和22年に上北沢小学校内で「上北沢中学校」として開校したのが始まりです。その2年後、現在の場所に移転した際に「緑丘中学校」と改称しました。
当時、学区の再編があり、経堂地域の生徒にも来てもらえるよう、あえて「上北沢」の地名を外すことにしたそうです。
実際、戦後、そして開校間もないころの航空写真を見てみると、周囲は畑ばかりで人が暮らしていないのが分かります。現在の破裂しそうなほど人であふれかえっている時代しか知らないと理解しにくいですが、生徒確保が切実な悩みだったのです。
しかし、その判断は結果的に良かったのか悪かったのか分かりませんが、10年も経つと何もない土地だからこそ多くの集合住宅が建ち、校舎を建て替えなければならないほど生徒であふれかえることになります。
で、肝心の「緑丘」ですが、当時の校長やPTA会長がいくつか候補を挙げ、校歌の作詞者である佐々木信綱氏に提示したところ、「緑丘がいいのではないか」という回答があり、緑丘中学校に決まったそうです。
2、感想など
よく見ると2本の幹からなっています。
よく、切るに切れない木で住民がもめている様子をワイドショーなどで見ます。この木も本来はあるべきではない場所にある木となるので(事故や落雷などの懸念から)、見方によってはそういった困った木ともいえます。
とはいえ、営利的な環境ではないので、こういったものと割り切ればそこまで気にならなく、むしろ生徒から邪魔だからこそ愛すべき存在となっているかもしれませんね。
こういうことは実際にその立場になってみないとわからないので何とも言えませんが、卒業生は「自分の通っていた中学校は校庭の真ん中に大きな木があったんだよ」と、いい思い出になっていそうな気がします。
せたがや地域風景資産 #3-8緑丘中学校・校庭の大ケヤキ 2026年8月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
| ・住所 | 桜上水3丁目19−12 |
|---|---|
| ・アクセス | 最寄り駅は京王線桜上水駅。徒歩10分程度。 |
| ・関連リンク | ーーー |
| ・備考 | 敷地内立ち入り不可(イベント時等を除く) |