世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.63

大蔵団地と桜

大蔵3丁目の世田谷通り沿いと大蔵三丁目公園

今を盛りと咲き誇る桜。いちばん盛んな樹齢に達した桜が団地と世田谷通りを飾る。シックな団地の壁面と見事なコントラストを作りあげる。住民の皆さんの自慢の春の眺め。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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1、大蔵団地付近の桜並木

大蔵団地付近の地図(国土地理院)

国土地理院地図を書き込んで使用

世田谷通りは、かつての登戸道を整備した通りです。三軒茶屋から国道246号(玉川通り)と枝分かれして、世田谷、桜、上用賀、大蔵、成城、喜多見と世田谷を横切っていき、狛江市で多摩川に至ります。

現在だと、多摩川にかかる橋を使えば簡単に対岸の登戸に渡ることができますが、かつては登戸の渡しがあり、船で渡っていました。登戸から先も街道は続いていて、相模原の津久井へ道が伸びていたことから、登戸道は津久井往還とも呼ばれています。

現在の世田谷通りを通行してみると、道沿いには病院やら大学やらスーパーが多くあり、また区役所の近くも通っていたりと、車をスムーズに移動させる為の幹線通りである玉川通りと違って、生活に密着した道路といった印象を受けます。

近年では有名なラーメン屋が多くでき、ラーメン激戦区としてテレビによく登場していたりもするので、世田谷通りからラーメン屋を連想する食いしん坊な人もそれなりにいるかもしれません。

世田谷通り 大蔵団地の坂
世田谷通り 大蔵団地の坂

切り通しを造って設置された人工的な坂道です。

その世田谷通りの大蔵から成城にかけて、ちょうど大蔵団地のある付近には、緩やかで長い坂道があります。ひたすらまっすぐの長い坂なので、自転車や徒歩で登ると気分的にげんなりするといった感じの坂です。

この坂は世田谷通りが整備されたときに新たに設置されたもので、急な坂にならないように切り通しが造られました。なんとか普通の自転車でも座ったまま坂を登り切れるかな・・・といった感じの勾配に抑えられています。

この坂ができるまでの登戸道は、この坂の北側、日大商学部の正門前を通っている細い坂道で、坂を下ると昔はウルトラマンの円谷プロがあり、そこで大きく曲がり、仙川を越えてサミットストアーの横を通り、砧小学校交差点へ向かっていました。

この旧道沿いはケヤキ並木になっていて、けっこう立派な木が並んでいることから、とても雰囲気がよく感じます。ただ、サミットストアができてから車の通行量が増えてしまったので、散策する際にはご注意を。

世田谷通り 大蔵団地の坂
切り通しになっている世田谷通り

坂の上部で切り通しが見られます。

この切り通しが設けられている坂道には、道路の両脇に桜が植えられています。といっても、よくあるように歩道に街路樹として植えられているのではなく、歩道の更に外側、大蔵団地の敷地だったり、切り通しの斜面に植えられています。

なので、道路から見ると、切通の上、かなり高い位置に桜があることになります。これがここの特徴になっていて、桜が咲いている時期にはスケールの大きな桜のトンネルとなります。

世田谷通り 大蔵団地の坂 弥生橋から見下ろす
弥生橋から見下ろす

切り通しの部分に弥生橋が架けられていて、絶好の桜スポットになっています。

桜(ソメイヨシノ)というのは、根張りが強く、枝が横に延びることや、園芸種なので耐久性に難があるということで、交通量が多い道路の街路樹には向かないとされています。

世田谷通りのような交通量が多い幹線道路には植えてはいけない木となるのでしょうが、ここの場合は道路から少し離れて植えられているおかげで、街路樹に向かないとされる桜でも問題なく育っています。これだけ交通量が多い道にある桜並木も全国的に少ないのではないでしょうか。

ただ、高い位置にあるので枝の剪定とか、木の検査とか、大変でしょうね。老木になった時に、頭上から枝が落ちてきて、大事故になった・・・ということが起きないといいのですが。

世田谷通り 大蔵団地の坂 桜の花びらが積もる歩道
桜の花びらが積もる歩道

歩道がピンクの絨毯のようになり、風が強い日は車道にも多くの桜が舞い落ちます。

世田谷通りの両側に大蔵団地が広がっています。切り通しの両側に大きな建物があることで、切り通しの規模が更に大きくなり、世田谷通りが風の通り道となっています。

その結果どうなるかと言うと、桜が散るころに花散らしの強風が吹くと、桜吹雪が凄いことになります。おまけに交通量がそれなりに多い通りなので、道路に落ちた花びらが車が通ると再び舞い上がります。バスなどの後ろを走ると、目の前で桜が渦を巻いていることもあります。

車だったら「わぁー、きれい」で終わることも、バイクだと「わぁ~、前が見えない!」と危険を感じることも・・・。目的地に到着してバイクから降りると、襟元などに桜の花びらが数枚挟まっていることはよくある話です。

私自身バイクで時々この道を通っていたので、この凄まじい桜吹雪がとても印象に残っていて、大蔵団地の桜といえば、桜吹雪といったイメージになっています。

世田谷通り 大蔵団地の坂 弥生橋
弥生橋

大蔵団地の切り通しにかけられている橋です。撮影スポットになっています。

坂の上の方、切り通しとなっている部分に弥生橋が架けられていて、世田谷通りの上を渡ることができます。この弥生橋の上から見る桜並木の様子は素敵で、桜の開花時期には多くの人がここで写真を撮っています。

面白いことに、実際にその場で見ていると、坂の様子がよくわかるのに、後で写真を見返してみると、どっちが坂の上だか、下だか、よくわからない図になります。遠近法というやつでしょうか。

世田谷通り 大蔵団地の坂 秋の様子
秋の様子

秋は光の通り道となり、秋らしい澄んだ感じの雰囲気になります。

桜の咲く時期以外は普通の並木道になってしまいますが、秋には紅葉し、少し雰囲気がよくなります。

坂道なので、太陽の光がよく降り注ぐといった感じで、桜の紅葉でもきれいに見えます。桜の時期とは違った趣となり、紅葉している時期の夕方もお勧めです。

世田谷通り 大蔵団地の坂
遠近法の妙

さてこの道は上っているでしょうか、下っているでしょうか、平坦でしょうか。
遠近法の妙ってやつです。

この坂を下ると仙川があり、そこには大仏がそびえています。この大仏様はなんと回転するといった面白・・・、いや、凄い大仏です。360度、ぐるっと向きが変わります。この大仏のある寺は妙法寺で、ここの境内には立派な枝垂れ桜があり、期間中にはライトアップされます。(風景3-13)

再び坂を上ると、成城に別れる交差点があります。それを左に入ると砧小学校があり、ここにはせたがや百景のひとつ前の項目で選ばれている100年桜があります。(百景62 普段は非公開)

成城東宝スタジオ脇の仙川沿いの桜並木 ゴジラと桜並木の写真
ゴジラのレリーフと桜並木

東宝スタジオ横の仙川沿いは遊歩道になっています。

逆に成城方面に曲がっていくと、東宝スタジオがあり、そこにはゴジラの壁画があったり、像が設置されています。ゴジラは東宝映画のシンボルといったところでしょうか。

そのゴジラの像を過ぎると仙川沿いに桜並木が現れます。ここも有名な桜スポットで、期間限定で東宝の道具係さんが桜のライトアップを行ってくれます。(風景2-27)

大蔵団地の桜へは、鉄道の駅から遠いので訪れるのが億劫に感じるかもしれませんが、この界隈には桜で有名な場所が多いです。成城から砧公園まで歩いてみるとか、思い切った散策をしてみてはどうでしょう。きっと春の散策はあまり苦にならないはずです。

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2、大蔵団地と大蔵三丁目公園

大蔵団地と桜の木
大蔵団地と桜の木

比較的空間にゆとりがある団地です。建物の老朽化により近々建て替えられます。

大蔵団地 崖地と団地
崖地と団地

敷地内の至るところに桜が植えられています。

大蔵団地について書くと、東京都住宅供給公社が所有していて、正式名は大蔵住宅になります。建設が始まったのが、昭和35年。11haの敷地には30棟が建ち並び、総住宅戸数は1264戸もあります。建設された当時としては、日本有数の大きな団地だったはずです。

大蔵団地の最寄り駅の一つが、小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅。この駅の北側には、大きな祖師ヶ谷団地があります。

ここは大蔵住宅の先輩的な存在で、昭和30年~31年にかけて建設されました。敷地面積は約7.8ha。全36棟。総戸数が1,020戸と、ここもまた巨大な団地で、大蔵団地同様に桜が多く植えられています。

ついでに少しうんちくを書くと、昭和47年に建てられた船橋の旧烏山川沿いにある日本住宅公団の希望ヶ丘団地は、国内初の8階建て壁式構造住宅で、総戸数は1826戸もあります。区内で昭和時代に建てられた団地では、ここが一番戸数が多いはずです。

区外へ目を向けると、板橋区にある高島平団地は敷地面積36.5ha。総戸数は10170戸(賃貸8287戸・分譲1883戸)と、昭和47年の建設当時は「東洋一のマンモス団地」と呼ばれていました。

大蔵団地 団地内の公園
団地内の公園

昭和から変わらない団地らしい団地の風景があります。

戦後の住宅難から大規模な団地建設が始まり、昭和の中ごろから後半にかけては、大都市を中心に各地で巨大な団地が建てられました。そういった建物も建てられてから60年以上が経ち、老朽化が進んでいます。なにより耐震基準を満たさないことが問題で、現在、あちこちの団地で建て替えの工事が行われています。

大蔵団地も例外ではなく、現在建て替えが行われています。建て替えにあたって、建て替え費用を賄うために現在よりも建物を大型化させ、戸数がかなり増えることになります。人口が増えるということで、子供たちの受け入れ先となる砧小学校も同時に建て替えが行われています。

高度成長期を経験した人にとっては、あの頃の活気が再び・・・。といった感じですが、これ以上区内の人口が増え続けていくのも、色々と問題が起きそうです。

とはいえ、今後どのような団地に生まれ変わるのか。世田谷通りの風景を含めて、大蔵団地周辺の景観がどのように変わるのか。とても楽しみでもあります。

大蔵団地 大蔵遺跡の解説板
大蔵遺跡の解説板

解説板が立っているだけで遺構は残っていません。

この大蔵団地が建てられている場所には、かつて縄文人が住んでいました。昭和34年の発掘調査では、竪穴住居11戸と配石址の遺構が発掘され、多くの縄文土器も出土しました。

一応、坂の上のところに大蔵遺跡の案内板が建てられていますが、遺構は残されてはいなく、出土品などは郷土資料館に保管されています。

素人的には、さっさと取りつぶされているから、残す価値のない小さな遺跡があったんだろうな・・・といった感じなのですが、研究者目線だと、世田谷区内においては大規模で、とても価値のある遺跡となるようです。

大蔵三丁目公園 湧水のある風景
湧水のある風景

ザリガニとか沢山いそうな雰囲気です。

崖下には湧水が豊富に出ているし、安全な高台だし、仙川も流れていて水の便も悪くないことから、生活がしやすく、それなりの規模で人の営みがあったのでしょうね。

現在の基準では、鉄道の駅から離れているので、暮らしやすいとは言えないかもしれませんが、世田谷通り沿いだし、大きな公園の傍だし、緑も多いしと、暮らしてみるとそんなに悪くはないと感じるのではないでしょうか。

それにしても・・・、縄文人も、遙か未来にこんな大掛かりな集合住宅が自分たちの暮らしていた場所に出来るとは思ってもみなかったでしょう。というか、この場所は縄文集落から始まり、近代的集落へ順調に進化したという事になるでしょうか。そう考えると妙に納得できてしまったりします。

大蔵三丁目公園
団地の中にある大蔵三丁目公園

丸子川の源泉となっている湧水のある公園です。

団地の崖下では、今でも湧水が出ていて、それが溜められた池と、水の全部が湧水なのかわかりませんが、せせらぎの流れがあります。

この湧水は丸子川の源泉となっていて、仙川に沿うようにして水神橋の方へ流れていきます。途中、大蔵運動公園(総合運動場)の所では親水園となっていて、東名高速の下や自動車教習所付近では暗渠となり、水神橋のところで丸子川親水公園のせせらぎに流れています。

かつては大蔵遺跡の住民も使っていただろうと推測される湧水。そう考えるとちょっとロマンを感じてしまったりします。訪れた際にはこちらの方にも立ち寄ってみてください。

大蔵団地 石井神社の跡地
石井神社跡地の碑

旧登戸道付近にあります。

現世田谷通りの北側。旧登戸道側にある団地の建物と建物の間に石井神社跡地の石碑が置かれています。

明治の合祀令で移動させられたのでしょうか。古い写真を見ると、この場所には何かあるように見えますが、解説版や由緒碑などが置かれていないのでよくわかりません。

1940年代後半の喜多見の航空写真(国土地理院)
1940年頃の大蔵・喜多見

国土地理院地図を書き込んで使用

少し古い話をすると、この付近の成城側は、大正期までは皇室の御料林が中心だった地域で、戦時中には駐屯地が設けられたりと、本当に何もなかった地域のようです。

大正の終わりから昭和の頭にかけて開発が始まり、成城の住宅地が出来たり、東宝撮影所が出来たりしました。それでも戦前の写真を見ると、ほとんど何もない地域だということが分かります。

例えば、東宝といえば昭和29年に公開された七人の侍が有名ですが、その撮影の一部は、現在の大蔵団地があった仙川沿いでロケが行われたそうです。

もちろん本セットは別のところに設置されましたが、少々の場面では問題なく山村の雰囲気が出せてしまうぐらい自然豊かな地域だったようです。

1940年代後半の喜多見の航空写真(国土地理院)
1960年代の大蔵住宅周辺

国土地理院地図を書き込んで使用

昭和35年頃から、仙川の治水工事や世田谷通りの整備、大蔵団地の建設が行われていき、この地域が一気に様変わりします。そして、現在のように賑やかになっていきます。

上の写真はちょうど団地が建設中のものです。団地とともに周囲が変わったように見えますが、一番大事なのは仙川の治水工事。この工事があったからこそ、川の傍に団地を建てられるようになったわけで、仙川の治水工事から団地が立ち、世田谷通りが整備されていったという流れになるのでしょう。

1940年代後半の喜多見の航空写真(国土地理院)
2017年の大蔵住宅周辺

国土地理院地図を書き込んで使用

最後は2017年。団地の建て替え工事が行われる直前の写真になります。戦前の写真と見比べると、住宅が一面に建ち並ぶ様子に驚きます。それとともに、大蔵団地内にある崖地の緑の存在感にも驚きます。意外と憩いの場になっているのですね。

さて、建て替えとともにどういった様子に変わるのでしょうか。それとも大して変わらないのでしょうか。十年後の写真がどのように変化しているのか、とても楽しみです。

3、感想など

世田谷通り 大蔵団地の坂
桜を見上げる

入学式の帰りでしょうか。上を見上げる子供には明るい未来が待っていそうです。

個人的には、世田谷区内にある桜並木で一番楽しい桜並木だと思っています。その理由は、坂道であること。その坂が真っすぐで写真映えすること。切り通しとなっていることから桜並木のスケールが大きいこと。車などの往来が多いこと。そういった様子を眺められる弥生橋があること。また、風の悪戯によって桜吹雪が起こること。などです。

もちろん、雰囲気や歩きやすさなどでは川沿いや緑道にある桜並木の方が素晴らしいとなるのでしょうが、建物や道路などの人工物の多い世田谷らしさを考えると、こういった風景の方が現代の世田谷らしくて私は好きです。

バイクなどで車道を通っていても楽しいし、坂の歩道を歩きながら見上げるようにして眺めるのも壮観ですし、切り通しに設置された弥生橋の上から眺めても素晴らしいと、とてもお勧めできます。

でも、あまり頭上の桜にばかり気をとられていると、前方不注意で人や物にぶつかったり、自転車が下り坂を勢いよく下ってくることもあるのでご注意を。

せたがや百景 No.63
大蔵団地と桜
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所大蔵3丁目の世田谷通り沿いと大蔵三丁目公園
・アクセス最寄り駅は小田急線祖師ヶ谷大蔵駅、成城学園前駅。駅から少し離れています。
・関連リンクーーー
・備考週末に自治会によって花見会が開かれます。(例年は4月上旬)
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