世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.68

大蔵の永安寺

大蔵6-4-1

山門を入ると樹齢数百年といわれる大イチョウがある。永安寺は室町時代鎌倉の大蔵谷に建てられたものが、地形も地名も似たここに再建されたと伝えられている。本堂右側には江戸幕府のころ書物奉行を務めていた石井一族の墓がある。六代目兼重(かねしげ)は、世田谷地域での図書館の始まりとなった「玉川文庫」を創ったので知られている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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1、大蔵の永安寺について

大蔵永安寺 山門と門前の桜
山門と門前の桜

立派な桜があります。電線がないとすっきりしていいのですが・・・。

大蔵永安寺 山門前に並ぶ石仏
山門前に並ぶ石仏

山門の前にずらっと石仏などが並んでいます。

次の項に出てくる仙川に架かる水神橋から北(成城・喜多見方面)に向かって進むと、いきなり2車線道路が1車線になってしまいます。もっとも、南に進んでもすぐに1車線になってしまうので、根本的にこの道が中途半端なのですが、そのちょうど1車線になっている角に立派な門構えの永安寺があります。

山門の前の短い参道の両脇には、仏像や馬頭観音などがずらっと並べてあり、古刹めいた雰囲気を醸し出しています。周囲が木々に覆われていたなら、さぞ雰囲気がいいことでしょう。

その後ろのほうには立派な桜の木が植えられているので、桜や紅葉の時期は山門付近が少しやわらかい雰囲気になります。ただ・・・、門前には電線が多く横切っているので、写真的にはちょっと微妙かもしれません。

大蔵永安寺 百景の案内板と解説板
百景の案内板と解説板

境内には解説版が多く設置されていました。

この永安寺はかなり古い歴史を持っています。境内の案内板によると、「 龍華山・長寿院・永安寺(天台宗) 本山の開山は清仙上人といい、本尊は千手観音で、恵心僧都の作と伝えられる。この寺は鎌倉大蔵谷にあった鎌倉公方足利氏満開基の永安寺にちなんで延徳二年(1490年)この地に建てられたという。」と書かれています。

少し調べてみると、永安寺は室町幕府を開いた足利一族に所縁のある寺となります。足利氏は栃木の出身。京都に幕府を開いたことで、基盤である関東の支配が疎かになってはいけないと、鎌倉公方(鎌倉府)を設立しました。

その初代を務めたのが、足利尊氏の子、足利基氏。世田谷を支配していた吉良氏とも深い縁があり、陸奥管領を務めていた吉良氏が奥州での戦で敗れた後、関東に呼び寄せ、世田谷領を与えたとされています。

大蔵永安寺 本堂と香炉
本堂と香炉

江戸時代中期に建てられた堂宇です。

鎌倉公家方の二代目を務めたのが、基氏の子、氏満。この氏満が亡くなった時、菩提寺として建てられたのが、永安寺になります。氏満の法号は「永安寺殿壁山道全大居士」。ここから永安寺の名が付きました。

寺が建てられたのは、応永5年(1398年)。鎌倉建長寺の曇芳大和尚が開祖となり、鎌倉の二階堂大蔵谷に建立されました。当初は臨済宗に属していたようです。

大蔵永安寺 龍華樹と本堂
龍華樹と本堂

山号の名の由来になった八重桜です。

少し時を進め、四代目鎌倉公家方、持氏の時代。室町幕府と鎌倉公家方で対立が起き、永享の乱という大きな戦になりました。

結果として、永享11年(1439年)、室町幕府が勝利し、鎌倉公家方は滅亡します。その戦禍の中、持氏公は永安寺で多くの家臣とともに自害し、そのまま寺に葬られたとされています。反幕府の烙印を押された人物が眠る寺がうまく維持できるわけもなく、そのまま衰退していくことになります。

持氏公が切腹の際、重臣であった二階堂信濃守盛秀に永安寺の再建を遺命したとかなんとか。これは少し違和感を感じる話ですが、それからおよそ50年後の1490年(延徳2年)、信濃守盛秀の子(末孫?)である清仙上人(二階堂信濃守秀高)が、鎌倉大蔵ヶ谷と同じ地名で、同じような風景の世田谷の大蔵に永安寺を再建したというのが、寺の由緒になるようです。

大蔵永安寺 開山堂長春殿
開山堂長春殿

山門の横にある新しい建物です。法事などに使われているようです。

いい話のように思えますが、いくら地名が同じでも、そうそう寺を簡単に移設したり、再建することができたりはしません。冷静に考えると、突拍子もない話になります。

ただ、永享の乱の際、この地に多くの郎党が落ち延びていたというなら話は違ってきます。この界隈は、鎌倉時代の前後で落ち武者が土着したという話が多く残っているので、そういった可能性はそれなりにありえそうです。

また、再建にあたり、鎌倉公家方と血のつながりがあり、恩のあった世田谷吉良氏が尽力したということも考えられるかもしれません。とはいえ、50年の月日は短くないので、これはあまり可能性が高くないでしょうか。

再建された永安寺は、龍華山長春院永安寺と名乗りました。山号の龍華山というのは、鎌倉に寺があったときに本堂前に立派な龍華樹(桜)があったことに因んでいます。

院号の「長春院」は、寺で自害した四代鎌倉公方、持氏公の戒名「長春院殿」に因んでいましたが、後に天台宗に改められた時に「長寿院」に代わったと伝えられています。現在では、山門横の建物、法事などのときに使われる開山堂長春殿にその名が使われています。

大蔵永安寺 花の季節の境内
花の季節の境内

イチョウの木の根元が花壇になっていました。

山門から境内に入ると、一対(二本)の大きなイチョウが目の前に聳えています。なかなか立派なイチョウで、少し右側の方が小さいです。案内板によると、樹齢は数百年とか。二本の大銀杏といえば代沢の森厳寺を思い出します。あちらは樹齢四百年なので、ちょっと大きさや貫禄ではかなわないといったところでしょうか。

そのイチョウに守られるように本堂があります。建物自体は1742年(寛保二年)、江戸時代中期に建てられたもので、昭和35年に大改修が行われ、平成12年にも再び修復が行われているので、建築様式や雰囲気は歴史を感じるものの、外観は新しく感じる建物となっています。

大蔵永安寺 石灯籠と本堂
石灯籠と本堂

古く大きな石灯籠が本堂前にあります。本堂の方は平成12年に大改修が行われました。

本堂は天台宗本堂としての特徴がよく表れた建物となっています。とりわけ天台宗総本山から正式に許可された延暦寺紋(菊輪宝)が軒先の瓦に使われているのが、天台宗のお寺としては自慢になるようです。

本堂前の隅っこには、過去に使われていた鬼瓦が造営記念として据えられています。これは昭和35年の大改修時に設置され、平成12年の改修時に屋根から下ろされたものです。

本堂内は正月にチラッと見ただで、実際に中に入ったことがないので詳しくわかりませんが、案内板を読むと、内部にもこだわって建てられているようです。

安置されている本尊は、千手千眼観世音菩薩。秘仏として石薬師如来、その他には、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来、地蔵菩薩、聖観音、不空羂索観音、弁財天、弁財天十五童子など、多くの仏像が安置されています。

大蔵永安寺 石井家の家紋が入った賽銭箱
石井家の家紋が入った賽銭箱

百景の紹介文に登場する石井家の家紋とのこと。

本堂前には賽銭箱が置かれているのですが、変わった形の紋章がつけられています。最初は分からなくてどういったものだろうと書いていたのですが、檀家さんからメールをいただき、丸に並び鷹の羽は石井家の家紋で、恐らく賽銭箱を奉納したのではないかとの事です。

石井家というのは、百景の紹介文にある石井家です。寺の門前に本家があり、六代目兼重は世田谷地域での図書館の始まりとなった「玉川文庫」を創った事でも知られ、大蔵では安藤家と並ぶ名家です。

大蔵永安寺 不動堂
不動堂

元旦などに開帳されます。堂内には不動明王様が安置されています。

その他、境内には本堂の斜め前に不動堂があります。昭和35年に建立されたもので、不動明王が祀られています。正月にはここで護摩が焚かれます。

この不動堂の前に山号の龍華山の由良になった龍華樹が植えられています。龍華樹といってもピンときませんが、八重桜の一種です。当時の村人が鎌倉まで出向いてその木を移植したとか伝えられています。

このことから考えると、世田谷の大蔵と、鎌倉の大蔵では、何かしらの人のつながりがあり、寺が移転してきたと考えるのが、自然な感じがします。

ただ、残念ながら現在の木は当時のものではなく、何度か植え替えられたもので、今のものは平成12年の大改修の際に植えられたものになるようです。

大蔵永安寺 六地蔵
六地蔵

墓地の入り口に祀られています。

大蔵永安寺 三界万霊供養塔
三界万霊供養塔

無縁仏が丁寧に並べられていました。

本堂の左横、墓地の入り口には六地蔵が祀られています。屋根付きで、花も備えてあり、お地蔵様も居心地がいいのか、表情を伺うとご機嫌な様子です。

その横を通って進むと、本堂横に無縁仏となってしまった墓石が大量に置かれています。三界万霊供養塔として一番奥に聖観世音菩薩が祀られ、その前にずらっと墓石が置かれているのですが、数が多いので、なかなかの迫力です。初めて見たときは、ビックリしてしまいました。

どこの寺でも歴史を積み重ねていくと、無縁仏の墓石の扱いに頭を悩ませることになります。過去に縁のあった人たちの墓になるので、無下にするわけにもいかず、多くの寺では場所の関係もあるでしょうが、ピラミッドのように積み重ねられていることが多いです。

その積まれ方にお寺のセンスを感じたりするものですが、ここは全部平積みなので、えっ!って感じです。なかなかこういうお寺はありません。この寺の檀家さんや地域の先祖の霊への思いやりとか、優しさの表れなのではないでしょうか。

大蔵永安寺 七宝塔早雲
七宝塔早雲

納骨堂および、永代供養墓です。墓地の入り口付近にあります。

この三界万霊供養塔の少し上には七宝塔早雲があります。これは納骨堂および、永代供養墓です。

その先に墓地があり、墓地には百景の案内文にあるように石井家の墓地があるはずです。実は少し墓地を回ってみたものの、石井家の墓があまりにも多すぎて、どれがそうなのか分かりませんでした・・・。

石井家について書くと、6代兼重は江戸幕府に仕え、元禄3年(1690)、永安寺前に玉川文庫を設立し、喜多見氏の和漢の蔵書を現在の図書館のように閲覧することができるようにしました。

その子の至穀は、目覚しい出世をし、江戸幕府の書物奉行にまで上り詰めた人物です。寺のまん前にある石井家(現存)の出身だとか。きっと当時は大蔵の誇りとなっていたことでしょう。

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2、永安寺の大イチョウ

大蔵永安寺の大イチョウ 新緑の季節の大イチョウ
新緑の季節の大イチョウ

本堂前にそびえています。右のほうがかなり若いです。

永安寺といえば、本堂前にある大きな一対の大イチョウがシンボル的な存在になっています。とても立派なイチョウで、境内に設置されている案内板によると、樹齢は数百年になるとか。大きいほうの木は数百年という月日を生き抜いてきた貫録を感じます。

ただ、一対の木は同じ大きさではなく、向かって右側の方が二回りぐらい小さいです。人間でいうなら親子・・・よりも、祖父母と孫というような差を感じます。枯れるか何かで、大正とか、昭和期に新たに植えられたのでしょうか。

大蔵永安寺の大イチョウ 紅葉するイチョウ
紅葉するイチョウ

あっという間に左側の木の紅葉が終わってしまいました。

秋になって、そろそろ紅葉の時期だしと11月の終わり頃に訪れてみると、まだ葉が青々していて、ここのイチョウの紅葉は他よりも遅いんだな・・・と通り過ぎました。

その次、12月になってから訪れてみてビックリ。なんと片方の木の葉がすっかりなくなっていました。もう片方はこれから紅葉の盛りといった感じなので、隣に並んでいながら紅葉の時期が随分と違うようです。

大蔵永安寺の大イチョウ 葉付くイチョウ
葉付くイチョウ

左側の木の方が早く葉付き、早く紅葉します。

ちなみに春の桜の時期に訪れてみると、面白いことに紅葉と同じように片方の木だけが緑になっていました。ここの木は性格で微妙に時期がずれるのですね。同じ場所にあれば日当たり等が一緒なので、ほぼ同時期に紅葉するものだと思っていたので、新しい発見でした。

もし同じ時期に紅葉したなら・・・と思うと、ちょっと残念に感じたりもしますが、この微妙にずれるところが永安寺の特徴というか、味というか、面白さになっていたりもします。

大蔵永安寺の大イチョウ イチョウの葉が落ちた境内
イチョウの葉が落ちた境内

水の流れのように人が通るところだけ掃かれていました。

気ままに散策している人間にとっては、2本並んだイチョウの木が同時に紅葉しようが、少しずれようが、それは単なる興味の対象でしかありませんが、お寺の人にとっては切実な問題となっています。

それは落ち葉。これだけ立派な木なので、発生する落ち葉の量も半端ではありません。その掃除に頭を悩ませることになります。

厄介なのが、二本並んでいる木の落葉がずれること。落ち葉が降ってくる期間が長くなるし、なにより、一本が終わっても次があると思うと、掃除への意欲も湧いてこないでしょう。私なら、一度に落ちてくれたほうが・・・といった感じです。

大蔵永安寺の大イチョウ イチョウの葉だらけの境内
イチョウの葉だらけの境内

結構かさばるので、袋などにまとめるのも大変です。

しかも、ここのイチョウは葉が色づいてから落ちるまでが、他よりも早いような気がします。そのせいか境内はイチョウの葉で凄いことになっていることが多いです。

掃除するにもそれなりに労力が必要となり、近所の檀家さんが手伝いに来てくれる時とか、人手があるときにまとめて掃除し、それ以外は通り道を作る程度に掃くだけとなってしまうのが、家族経営をしている小規模なお寺の現実です。

一般の人にとっては紅葉の時期の散策は心躍る楽しいものですが、お寺を維持している方にとっては、憂鬱な時期になっていることも多いです。実際に訪れ、大量の落ち葉が境内に溜まっている様子を見ると、その大変さが痛くわかります。

大蔵永安寺の大イチョウ イチョウの葉が降り積もった境内
イチョウの葉が降り積もった境内

イチョウの葉が降り積もるというのはこのようなことを言うのですね。

大蔵永安寺の大イチョウ イチョウの葉の絨毯
イチョウの葉の絨毯

イチョウの絨毯を歩く気分を味わえました。

ある時訪れると、境内が一面イチョウの葉で埋め尽くされていました。イチョウの葉が降り積もるというのはこういう事いうのですね。びっくりしました。絵的には雰囲気があってよかったのですが、この光景を見てしまうと、お寺を維持するというのは本当に大変なことなんだな・・・と、切に感じてしまいます。

ましてこれが毎年続くと思うと、イチョウの大木が境内にあるというのは貫録があっていいけど、維持する労力を考えると辛いよな・・・とも感じます。

そして、参拝客として、せめてこれ以上境内で問題を起こさないようにしなければ・・・。そう心に誓うのでした。

3、感想など

大蔵永安寺の大イチョウ イチョウの葉が降り積もった境内
イチョウの葉と永安寺

色々な意味でイチョウのお寺です。

永安寺といえば、やはり一対のイチョウの木が面白い存在です。紅葉の時期になると、どのくらい紅葉しているのだろうか、どのくらい葉が落ちているのだろうかと気になります。

実際に訪れてみると、まだだったり、逆に予想よりも早く紅葉が始まっていたり、あるいは境内がイチョウの絨毯状態でビックリしたりと、訪れてみないとわからないところが、散策の醍醐味というか、楽しい部分です。

イチョウの木も印象的でしたが、紅葉したイチョウの木の写真を撮っている時に檀家の人に話しかけられたり、メールでこのお寺についての情報をいただいたりと、檀家の人に愛されているお寺なんだなというのが、百景のページを作っていて思ったことでした。

それはやはり整然と並べられた無縁仏の扱いとか、古くから気前のいい大蔵の気質とかなのかな・・・と勝手に想像しているのですが、どうなのでしょう。

せたがや百景 No.68
大蔵の永安寺
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・住所大蔵6丁目4
・アクセス最寄り駅は田園都市線二子玉川駅など。駅から離れています。
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