世田谷散策記 せたがや百景のバーナー
せたがや百景のロゴ

せたがや百景 No.23

ボロ市と代官屋敷

せたがや地域風景資産 No.2-18

せたがやボロ市が開催される大山道

ボロ市通りには毎年12月と1月の中旬にボロ市が立つ。北条氏の楽市を起源に持つこのボロ市は、四百年の伝統を持ち、今も賑わいを見せている。通りの中ほどには茅葺の武家屋敷門の代官屋敷がある。これは江戸時代の中ごろ、初代の代官に任ぜられて以来、代官を勤めた大場家の屋敷が残されたものだ。敷地内には世田谷区立郷土資料館もある。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 世田谷1-29-18(代官屋敷と郷土資料館)、ボロ市は代官屋敷前のボロ市通りとその周辺の路地
・地域風景資産の関連団体 : 世田谷風景じゅく
・備考 : ボロ市の開催は毎年12月15、16日と1月15、16日、東京都指定無形民俗文化財、世田谷代官屋敷は国の重要文化財

*** 代官屋敷と郷土資料館の写真 ***

代官屋敷の門の写真
代官屋敷の門

普段は閉まっているので、駐車場の方から出入りします。

代官屋敷の写真
代官屋敷(正面)

古民家とあまり変らないたたずまいです。

代官屋敷の土間の写真
代官屋敷の土間

土間まで入れます。

代官屋敷の写真
桜の時期の代官屋敷

季節の趣を探すのも散策の醍醐味です。

世田谷区郷土資料館の写真
世田谷区郷土資料館

入場無料なのでお気軽にどうぞ。

資料館前の石碑群の写真
資料館前の石碑群

庚申塔やら道標やら色々並んでいます。

* 代官屋敷と郷土資料館について *

世田谷線の上町駅や世田谷駅から世田谷通りを越えた付近にボロ市通りという通りがあります。世田谷通りから一本入った通りなので交通量は多くありませんが、かつては世田谷の中心だった場所で、現在でも住所だけは名誉ある世田谷1丁目だったりします。この通り沿いには飲食店やら銀行やらが並んでいて、桜栄会という商店街になっています。通りの名前から想像できるように、この通り沿いが世田谷ボロ市のメイン会場となります。

line

通りの中程にはとても古めかしい門がドカッとあり、一際目立っています。これは世田谷代官屋敷の門で、この敷地内では世田谷代官屋敷が一般に公開されていて、それに付随するような形で世田谷区郷土資料館があります。

まず世田谷代官屋敷について書くと、江戸時代に入って三代目将軍家光は2代目彦根藩主井伊直孝に江戸屋敷の賄料として世田谷領の一部と下野国佐野領を与えました。世田谷領に関しては、最初は15ヵ村、後に20ヵ村となり、およそ二千三百石ほどの生産があったそうです。

line

領主は彦根藩の井伊家でしたが、実際に統治を行う代官職に命じられ、代々世襲したのが大場家でした。大場家は桓武平氏の末流である大庭景親の子孫と伝えられています。影親は一度は源頼朝に戦で勝ったものの、後に頼朝に滅ぼされてしまいます。その後、子孫は三河に逃れ、そこで吉良氏に仕え、吉良氏が東進した際に一緒に世田谷に定住したと言われています。

天正十八年(1590年)の吉良氏没落後は世田谷にとどまって帰農し、寛永十年(1633年)に彦根藩主井伊氏が世田谷領を賜ったときに、代官に命じられ、それ以後230年もの間代官職を勤め続けました。途中、元文~天明年間を用賀の飯田氏が、天明~文政年間を宇奈根の荒井氏が大場氏と共に政治を行ったようですが、一時的なものだったようです。

line

代官職というのは領内の年貢の取り立てが一番の職務で、その他領内の治安維持などを行います。時代劇にでてくるお代官様は地元の商人とつるんで、「そちも悪だの~」などと言いながら町民から悪どく年貢を取り立てたり、「お代官様~お許し下さい」と言いすがる善良な町民に濡れ衣を着せて投獄したり、美人の娘をあの手この手で自分の妾にするような悪役が多く、そこへ水戸黄門様が更に大きな権力で「ひかえ~、ひかえ~、この紋所が・・・」といった印象が強いのですが、実際はそこまでの悪代官はいなかったようです。少しでも悪い評判が立つと罷免させられるからです。

テレビのドラマ設定では悪役が必要だし、勧善懲悪や判官贔屓のストーリーの方が受けがいいので代官がそういう設定として定着してしまったようです。今で言うなら完全に名誉毀損ですね。もちろん大場氏もまっとうな代官だったからこそ世襲し続ける事ができたのです。・・・たぶんですが。

line

この世田谷代官屋敷は大場家の邸宅兼代官所だったようで、地元では大場代官屋敷とも呼ばれていたようです。屋敷自体は代官の陣屋として建てられたのではなく、この地の名主であった大場家の住宅を役所として改造したものなので、代官所としての特徴も見られますが、江戸時代の豪農の邸宅としての特徴の方がよく現れています。

大名領の代官屋敷としては都内唯一のもので、江戸時代中期の上層民家の旧態をよく残した貴重な建造物であることから、昭和27年(1952年)に都史跡に指定され、昭和53年には住宅建造物として国の重要文化財の指定を受けました。でも、路上に設置されている昭和44年製の案内板や石碑が都史跡となっているのが微妙なところ。もちろん重要文化財といった案内文が書かれた石碑も設置されていますが、あまり目立っていなかったりします。

line

主屋と表門は記録によると元文二年(1737年)と宝暦三年(1753年)に建てられたり、改築されたものと考えられていて、昭和42年の修繕の際に、この当時の資料を基に大改修が行われ、当時の状態に復元されました。表門は質素な茅葺き門です。代官所といえば武家風の門で少なからず武装してといった印象があったのですが、小さな小窓が取り付けられていることぐらいしか武家風といった趣はありませんでした。所詮田舎だった世田谷村の代官所はこんな程度なのでしょうか。これを見てしまうと、西澄寺にある武家門がなんと立派に見えてしまいます。

母屋の方は内部を公開されていますが、入れるのは土間までです。実際に中に上がることができないので何ともいえませんが、大きな家といった感じで正直、次大堀公園民家園の建物とあまり変わらないような・・・といった感想でした。一応詳細を書いておくと、茅葺きの寄棟造の建物で、建築面積は約230㎡。内部は役所、代官の居間、名主の詰め所、切腹の間などがあります。そして庭にある白州跡というのは罪人を取り調べた場所です。

line

代官屋敷の奥には世田谷区立郷土資料館があります。区政30周年の記念事業の一環として、また「世田谷区史」編纂を契機として、区内資料の収集・保存と公開を目的として昭和39年(1964年)に開館したものです。二千数百点の古文書があり、うち1366点は代官職を勤めた大場家の書簡等です。この大場家文書は都の有形文化財に指定されているほど貴重な資料となっています。

展示としては場所柄、ボロ市関係が充実していました。その他は野毛町公園の野毛大塚古墳に関する展示もなかなか充実していました。というより、縄文時代から古墳時代までの展示が充実していて、資料から世田谷は意外に古墳や貝塚が多いというのが新たな発見でした。昔から住みやすい地域だったのですね。

もちろん吉良氏に関する事や近代では玉電に関することなども展示してあります。せたがや百景を回ろうとしているなら寄っていって損はない場所です。代官屋敷共々入場料は無料なので、是非訪れてみてください。ちなみに代官屋敷の門は通常開いていません。隣の駐車場から入るようになっています。私のように門が閉まっているから休館日なんだと間違えないように・・・。

*** ボロ市の写真 ***

ボロ市の様子を写した写真
ボロ市のマスコット?

2008年から登場していました

ボロ市の様子を写した写真
ボロ市の様子1

多くの人が訪れ、賑わいます。

ボロ市の様子を写した写真
ボロ市の様子2
ボロ市の様子を写した写真
ボロ市の様子3
ボロ市の様子を写した写真
ボロ市の様子4

ここの店主は毎年雰囲気のある展示をしています。

ボロ市の様子を写した写真
ボロ市の様子5
ボロ市の様子を写した写真
ボロ市の様子6

ボロ市保存会による展示です

ボロ市通りにある商店のシャッターの写真
店のシャッターに描かれた代官行列

風景資産に選定されているものです。

ボロ市の代官行列の様子を写した写真
ボロ市の代官行列

何年かに一回、特別なときに行われます。

ボロ市の代官行列の様子を写した写真
代官行列の様子

鉄砲隊から農民まで様々です

* 世田谷ボロ市について *

ボロ市に関してですが、近年では東京の山の手の冬の風物詩としてニュースで取り上げられることも多くなりました。地方に住む友人からもボロ市っていうのがやっているんだってねと連絡がきたので、全国的に知名度も上がっているんじゃないかなといった印象です。

暮れのアメ横には負けるとしても、近年では週末と重なったときの混み具合はなかなかのもの。毎年開催期間中には700近くの露店が軒を連ね、一日20~30万人の人で賑わうとか。普段は特に人が多く訪れるような場所ではないので、期間中には世田谷線の最寄り駅世田谷駅、上町駅は大混雑し、世田谷線も臨時ダイヤで運行されます。

市が開かれるのは年に四日間で、毎年12月15、16日と1月15、16日の固定日に開かれています。開催時間は午前9時から午後9時まで。といっても朝早くから営業している店もあれば、骨董品店などは暗くなったら商品を片付けている店も多いです。どちらかというと昼間は観光客が多く、夕方前ぐらいから地元の人が多くなるといった感じでしょうか。まあ地元の人はそうそう骨董品なんて買わないので、そういう店は早々にたたんでしまうのも納得です。

line

ボロ市について書くと、市の起源は北条氏政が世田谷新宿で天正六年(1578年)に楽市(市場税を免除した特別な市)として認めた六斎市が始まりだと言われています。六齋市は1と6が付く日に行われる市のことで、月に6回市が立てられていました。しかし北条氏が滅び、世田谷城が廃城となると廃れていきました。

江戸時代になってからというもの、江戸を中心に街道が整備され東海道と甲州街道の狭間となってしまったこの地域は廃れていき、六斎市も年1回だけ12月15日に行われる歳市(としのいち)となってしまいました。歳の市と名が付きながらも農業が盛んな世田谷地域だったので、正月を迎える為の市というよりは年に一度の農耕具や古着を売買する貴重な市となっていたようです。

明治になって太陽暦が用いられると、新しく正月に当たる1月にも市が開かれるようになり、年2回の開催となりました。そのうち翌16日も開催されるようになり、現在のスタイルである年4日の開催となりました。

line

なぜボロ市というのでしょうか。それは江戸時代に行われていた歳の市では、農家の作業着のつくろいや、わらじになえこむボロが安く売られるようになって、いつとなしにボロ市の名が生まれたようです。とりわけ草鞋(わらじ)をボロと一緒になう(編み込む)と何倍も丈夫になるというので、民は争って買ったようです。

明治中頃までの市の最盛期には、ボロ専門の店が十数件も出て、午前中にはほとんど売切れになったほどの盛況ぶりだったとか。この時期にボロ市の名前が世間一般的に確立したようです。なぜ世田谷でボロなのか。それは大部分の農家にとって農閑期の夜なべのわらじ作りは、大切な現金収入の副業だったからです。

line

関東大震災以降は世田谷は急激に発達し、都市化、住宅地化されていきました。そのため農家や農地が減りはじめ、昭和十二、三年頃には、市にボロを売る店がほとんどなくなってしまったそうです。しかし人が増えたことで逆に市の活気は増し、出店数は多いときは二千店にもおよんだようです。どちらかというと市というよりも縁日的な娯楽の対象となっていき、見世物小屋や芝居小屋まで建てられる年もありました。

残念ながら近年では出店数も六、七百店に減り、交通整理などの事情などにより場所もせばめられました。そして売られているものもボロ市的な特徴あるものはほとんどなくなり、食料品、玩具、装身具等が多くなりました。って、ボロ市と名乗りながら正直これではボロ市ではないと思うのですが、これはしょうがないといったところでしょう。今の時代にボロを売っても買う人がいないのですから・・・と思っていたら、保存会の方が製作したボロを並べていました。本部付近にあるので是非ご覧になってください。

line

最近のボロ市は何でもありといった雰囲気です。なんていうかフリーマーケットと歳の市が混じったような感じでしょうか。売られているものも骨董品からアジアン雑貨まで多種多様です。特に近年はアジア雑貨を売る店が増えたなといった感じを受けます。またペット関係の店も多くなりました。ある意味ボロ市は時代の流行や流れを反映しているのでしょう。

それと12月と1月に開催されていますが、12月の市では正月用品が多く売られ、1月の市では縁起物などが多く売られていて微妙に雰囲気が違います。でも全体から見ると風情を感じるような店は少数なので、たいして違いは感じないかもしれません。

出店で一番多いのはやはり食品関係の店だと思います。また行列ができているのも食品関係の出店ばかりです。とりわけ代官餅はボロ市名物とも呼べる商品になりつつあるようで、毎回大行列ができています。「きなこ、あんこ、からみ」の三種類が各600円で売られていて、その場で蒸して造っているので温かく、またボリュームもある事から人気となっているようです。私自身昼間は混んでいるし、夜市の雰囲気が好きなので夕方以降に訪れることが多いのですが、必ず売り切れていて、私の中では幻の代官餅となっています。

line

何周年記念とかいった記念年の15日には代官行列が行われます。これは当時の代官による見回りを再現したもので、当時を模した衣装を身につけてボロ市を練り歩きます。行列の先頭を努めるのは地元の小学校と中学校の音楽隊でその後から大人の行列が続きます。高張り提灯に露払い、代官様にその従者、鉄砲隊やら農民と思っていた以上に統一感のない行列でした。おまけに混雑した通りを練り歩くものだから周囲は大混雑。特に代官屋敷の前のあたりは身動きがとれなくなるほどです。私が訪れたときは代官様役は代官の直系である大場家の人が行っていました。

line

また、「せたがやボロ市が開催される大山道」としてせたがや地域風景資産にも指定されています。管理団体の活動の一環として、通りの商店のシャッ ターに昔の街道風景を描いた絵を「シャッター絵巻」として貼付けていて、ボロ市が開催されていないときに訪れてもボロ市の雰囲気を・・・とまではいかないにしても、ボロ市通りを通っているんだなと感じてもらえるような活動を行っています。

このほか、夏にはこの通りでホタル祭りとサギ草市が開かれます。天祖神社前の広場には出店が出て、盆踊りが行われ、代官屋敷ではホタルが公開されます。これも子供達には大盛況で、時間によってはかなり混みあいます。また、ボロ市に対抗してなのか、世田谷駅周辺では秋に楽市・楽座といったボロ市に似たようなストリートマーケットも行われていますし、芦花公園駅付近の旧甲州街道沿いでは芦花祭りといって通りを歩行者天国にして大規模なフリーマーケットが行われます。こちらの方が現代版ボロ市といった感じがするかもしれません。

<せたがや百景 No.23 ボロ市と代官屋敷 2009年4月初稿 - 2015年10月改訂>
( せたがや地域風景資産 No.2-18、せたがやボロ市が開催される大山道 )