世田谷散策記 せたがや百景のバーナー
せたがや百景の案内板の写真

せたがや百景 No.21

招き猫の豪徳寺

せたがや地域風景資産 No.3-6

豪徳寺参道の松並木

井伊家の菩提寺。幕末の大老井伊直弼の墓もここにある。区内有数の名刹で、広い境内には江戸開府のころ「オイデオイデ」の手招きで井伊直孝を危険から救ったという招き猫の伝説の招福堂や鐘楼、本堂が立っている。福を呼ぶ招き猫が門前で売られている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 豪徳寺2-24-7
・地域風景資産の関連団体 : 世田谷城阯公園管理ボランティア
・備考 : 国指定史跡(彦根藩主井伊家墓所)、都指定史跡(井伊直弼の墓)、世田谷区指定有形文化財(仏殿、仏殿像5体、梵鐘)

*** 豪徳寺と参道の写真 ***

* 参道 *

豪徳寺参道の様子を写した写真
参道の入り口にある石標

かなり年季が入っています。

豪徳寺参道の様子を写した写真
参道

城山通りに参道の入り口があります。

豪徳寺参道の松並木の様子を写した写真
参道の松並木

立派な並木で地域風景資産に選定されています。

豪徳寺参道のいた猫を写した写真
参道の招き猫?

招き猫のポーズをお願いしてみたのですが・・・

* 境内 *

豪徳寺の山門を写した写真
山門

かなり背の高い門です。昭和初期に再建されたもの。

豪徳寺の山門横の山崎商店を写した写真
山門横にあった山崎商店

ここでも招き猫を売っていましたが、なくなってしまいました

豪徳寺の鐘楼を写した写真
紅葉時の鐘楼

紅葉時には雰囲気満点です。

豪徳寺の梵鐘を写した写真
豪徳寺の梵鐘

区指定有形文化財。区内で一番由緒がある鐘です。

豪徳寺の香炉を写した写真
狛犬とでっかい香炉

さりげなく小さな力持ちが支えています

豪徳寺の仏殿前の石灯籠を写した写真
仏殿前の石灯籠

仏殿と同じく古いものです。

豪徳寺の仏殿を写した写真
正月の仏殿

世田谷区指定有形文化財です。

豪徳寺の仏殿内を写した写真
仏殿内

世田谷区文化財の木造仏像が5体安置されています。

豪徳寺の三重の塔を写した写真
三重の塔

まだ新築っぽさが残る塔です

豪徳寺の三重の塔の招き猫を写した写真
三重の塔の招き猫

よく見ると三重の塔には猫が沢山います

豪徳寺の灯籠と本堂を写した写真
灯籠と本堂

立派な灯籠です。

豪徳寺の開壇堂を写した写真
本堂裏の開壇堂

たぶん特別の時にしか入れません。

豪徳寺の社務所を写した写真
社務所の玄関

佐倉藩堀田家の大名屋敷の玄関を移築したもの

豪徳寺の社務所で売られている招き猫を写した写真
社務所で売られている招き猫

小さなお守りサイズから大きいものまで揃っています。

* 招福堂と招き猫 *

豪徳寺の招福堂を写した写真
招福堂(奥)

仏殿の横にあります。

豪徳寺の招福堂の中を写した写真
招福堂の中

中にも招き猫がいます。

豪徳寺の奉納された招き猫の大群を写した写真
招き猫の大群

多きときと少ないときがあります。

招き猫達を写した写真
招き猫達

うじゃうじゃいるとちょっと不気味です。

豪徳寺の絵馬かけを写した写真
絵馬かけ

お寺では珍しいですが、招福堂の前にあります。

招福堂前の石像を写した写真
招福堂前の石像

招福堂の周りはこけが美しいです。

* 井伊家の墓所 *

井伊家の墓所を写した写真
井伊家の墓所の入り口

国の史跡になって案内図が設置されました。

六地蔵を写した写真
六地蔵

墓所を守っています。

井伊家の墓所の様子を写した写真
井伊家の墓所

藩主や正室のお墓が並びます。

井伊家の墓所の様子を写した写真
墓所の隅っこ

藩士や家族の小さな墓石も並んでいます。

井伊家の墓所の様子を写した写真
二代目井伊直孝の墓

この方から井伊家の世田谷統治が始まります。

井伊家の墓所の様子を写した写真
大老井伊直弼の墓

都の史跡になっています。

*境内の花など*

井伊家の墓所の様子を写した写真
桜の散った後

境内がピンクの絨毯を敷いたようになります。

豪徳寺境内にあるしだれ桜を写した写真
紅枝垂れ

仏殿の横、駐車場の方にあります。

豪徳寺境内にあるボタンを写した写真
ボタンの花

豪徳寺と言えばボタンというぐらい有名でした。

豪徳寺境内にある藤棚を写した写真
藤棚

休憩所の前にあります。

豪徳寺がライトアップされた様子を写した写真
ライトアップされた境内

特別にライトアップされた年があります。

豪徳寺がライトアップされた様子を写した写真
ライトアップの様子

とてもモミジがきれいで幻想的でした。

* 豪徳寺と招き猫について *

全国的な世田谷の印象と言えば「高級住宅街」が筆頭かと思いますが、それは東京以外で暮らす人の印象であって、都内、あるいは区内で暮らす人は成城みたいな高級住宅ばかりではない事を知っているので、あまりそういった印象はありません。高級住宅地もあるけど、都営住宅や公務員宿舎のような団地も多いよといった感じです。むしろ世田谷区で思い浮かべるものとして冬の風物詩であるボロ市を上げる人も多いはずです。

その他には招き猫という返答がたまに返ってきます。招き猫があるのは豪徳寺で、猫好きを筆頭に招き猫の寺として全国的に有名となっていたりします。近年では平成20年に墓所内にある井伊家の墓所が国指定史跡に指定されたり、大ヒットしたNHKの大河ドラマ「篤姫」の番組の最中に紹介されたりと、世田谷区では全国的に知名度のある少ない観光地となりつつあるように感じます。

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豪徳寺は世田谷城址公園と世田谷八幡宮の間にあります。次項の世田谷城址にもでてきますが、この広大な豪徳寺の敷地は世田谷城の本郭部分にあたるのではと言われています。寺伝よれば今から500年前に世田谷城内の「弘徳院」と呼ばれていた小庵が豪徳寺の原型となるそうです。

これは文明十二年(1480年)に吉良政忠が伯母の供養ために建てたもので、その法号「弘徳院殿久栄理椿大姉」に因んでいます。その後天正十二年(1584年)に門菴宋関住職が中興開山し、臨済宗から曹洞宗に改宗したようです。この門菴宋関住職は忠臣蔵で有名な高輪泉岳寺を開山した人でもあり、豪徳寺は泉岳寺の末寺という関係にもなっているようです。

江戸時代に入ると劇的に寺の状況が変ります。寛永十年(1633年)に彦根藩世田谷領が成立した後、彦根藩主井伊家の菩提寺として取り立てられました。中興開基を行った二代目藩主井伊直孝の没後に、彼の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」から豪徳寺と寺号が改められ、仏殿の建立など寺の伽藍が整えられていきます。そして以後江戸で亡くなった彦根藩主や身内だけではなく、藩士もここに葬られました。

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豪徳寺の参道は城山通りから始まります。この辺りは近年整備されたようで古刹独特の情緒はありませんが、一応松並木道になっているので落ち着いた感じがします。並木道の横にマンションが建てられる計画もあったそうですが、寺や檀家さんなどの力でその用地を買収して景観を保ったとか聞きました。

寺の敷地を維持するのは何とかなるとしても、参道までとなるとなかなか難しいものがあります。区内のお寺や神社で立派な参道があまりないのはそのせいです。中途半端だったり、みすぼらしい状態で残すのならなくしてしまった方が・・・といった考えになってしまうのは都会ではしょうがない事です。そういった努力や美しい景観が評価されてこの参道は第三回せたがや地域風景資産に選定されています。

以前訪れた時に観光客の集客に力を入れて大型バスが停められる駐車場を造りたいとか言っていましたが、どうなったのでしょう。確かに2008年は篤姫ブームで縁のある豪徳寺も賑わったようですが、大河ドラマのブームが去った後の観光地は燦々たる光景になっているところが多いものです。今後も参拝客で賑わうといいですね。ちなみに参道の横はにはさりげなくかつての世田谷城址の土塁跡が残っています。

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参道を歩くと大きな山門が見えてきます。なかなか背の高い建物なので写真に収めるのも大変ですが、この山門は昭和初期に再建されたものです。残念ながら2009年に取り壊されてしまいましたが、この山門の横に招き猫の立て看板がおいてある山崎商店がありました。一応花屋がメインのようですが、ここでも招き猫を買うことが出来ました。

一説によると百景の文章にあるように元祖はこちらで、後から社務所でも売るようになったとか。その辺の詳しい事情は知りませんが、とりあえず現在社務所で売られている招き猫のサイズは7種類あって、価格は300円~5000円とお財布に優しい設定になっています。また豪徳寺の商店街でも豪徳寺純正の白の招き猫だけではなく、色々なタイプのものを売っている店もあります。

単に招き猫といっても、毛の色によって御利益が違ったり、右手を挙げているか、左手を挙げているかで、金を呼び込むのか、人を呼び込むのかといった違いがあるそうです。招き猫を扱った専門のサイトとかもあって、色々と読んでみると招き猫も奥が深いんだなと感心してしまいます。

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で、話を戻して山門から境内に入ると、右手に鐘楼、左手に三重の塔、正面に仏殿が配置されています。まず鐘楼の梵鐘ですが、延宝七年(1679年)に製造されてからずっと豪徳寺に伝えられてきた由緒ある鐘です。区内に伝わる鐘としては一番古いとされ、その形は細身で均整が取れていて、工芸品としてもなかなかのものだそうです。制作者が当時江戸で名のある鋳物師だったというから納得です。また世田谷代官の大場氏が幹事となって製作をしているのも興味深いところです。

ちなみに世田谷観音寺には他の寺から譲り受けた1605年の銘が入った梵鐘があります。戦後に各地の骨董品や文化財を集めて造られた寺なので、「世田谷に伝わる」といった意味合いでは対象外という事のようです。

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次に仏殿ですが、井伊直孝の娘(掃雲院)が藩主真澄の菩提を弔うために延宝四年(1676年)に建設を初め、翌年に完成したものです。建設には工匠の星野市左衛門氏らが関わり、当時流行していた黄檗様式が随所に見られ、また絵様肘木などという特異な様式も使われていて、建築史学上価値の高いものとなっています。

仏殿内にある仏像5体はいずれも木造で、同じく掃雲院が造らせたものです。胎内銘札によると、こちらは父直孝の菩提を弔うためだとか。製造者は洛陽仏工師祥雲。目黒不動近くにある五百羅漢寺の像を彫った人としても有名です。普段は窓越しにしか見ることが出来ませんが、正月訪れたときは扉が開けられていて見やすくなっていました。と言っても中は暗い上に広いので気持ち程度しか見えなかったりします。

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三重の塔は平成18年(2006年)5月14日に落慶したものです。まだ木の新しさが残り、境内の中ではちょっと浮いた感じの存在です。詳しい建築様式や建立の経緯は以前ボランティアの人の説明を聞いたのですが、忘れてしまいました。この塔の特徴としては一階部の屋根の下あたりに、一面に三個づつ、十二支の彫り物が飾られている事です。

真北を向いた面の真ん中のところから、時計回りに鼠、牛、寅、兎・・・・と。そして塔の何カ所かに猫の彫り物がさりげなく施されているのが愛嬌というか、ユーモアというか、豪徳寺らしいところです。是非探してみてください。ただ写真に収めようとするなら望遠レンズが必要です。

ちなみに三重の塔とか、五重の塔はどういった意味を持つ建物か知っていますか。ちょっとうんちくを書くと、それはお釈迦様のお墓になります。といっても塔自体はそこまで意味もなく、一番てっぺんの棒部分がお墓の部分で、残りは簡単に書くなら飾りとなります。そのため一番下の階のみ御霊が降りてくる場所として祭壇が設けられていますが、残りの階は部屋とかはなく、骨組みだけの空洞となっているのが一般的です。

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三重の塔の北側、仏殿の西側に小さなお堂の招福堂があります。この中には、「招福観音」が祀られていて、「家内安全」「商売繁盛」「心願成就」というご利益があるそうです。ここが招き猫で名が知れる豪徳寺の由縁となる場所で、堂の前にある絵馬掛けにかけられているのは、絵馬ならぬ絵猫。そして堂の横の奉納所には多数の招き猫が返納されています。

招き猫に願をかけ、それが幸いにも成就した場合には招き猫を招福堂の横に返納すると、更にご利益があるんだとか。これは訪れる時期によって数が多かったり、少なかったりします。基本的には達磨などと同じ縁起物なので、地元の人は正月に返納して新しいのを買って帰るパターンが基本となるので正月頃が一番奉納所が賑わっているはずです。

先に挙げたように招き猫には色々な種類があります。ここでは禅寺らしく真っ白でシンプルな招き猫が売られているので、白い招き猫がほとんどなのですが、よく見ると変わった招き猫がさりげなく混ざっています。たまにキティーちゃんのぬいぐるみとかもあったりして思わず笑みがもれてしまうことも・・・。一度、電池式の首を振っている招き猫が混じっていて、爆笑してしまいました。こういった変わった招き猫が置いてあるときは少し得をした気分になるのは私だけでしょうか・・・。

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さてこの招き猫なのですが、なぜ招き猫なのか?招き猫と豪徳寺の関係は?といった疑問がわいてくるかと思います。これはこの寺に伝わる招き猫伝説によるものです。色々な説があるようですが、簡単に書くと、世田谷吉良氏の滅亡後、世田谷城が廃城となり、城内にあった豪徳寺(当時は弘徳院)もどんどんと廃れ、貧乏寺になってしまいました。

その一方、世の中はすぐに江戸時代となり、東京は日本の中心地としてどんどんと整備されていきました。そんな中、時の住職が、ある日我が子のように可愛がっていた猫に「私の恩がわかるならば、何か果報を将来せよ。」と無茶な注文を言いました。その数ヶ月後の夏、鷹狩の帰りの武士達が寺の前を通りかかると、山門の前で「おいで、おいで」と手招きする猫がいるではありませんか。なんだろうと不審に思った武士は休憩がてら寄ってみました。

そして住職が渋茶をもてなしながら説法なんぞ説いていると、急に空が曇りだし激しい雷雨が降ってきました。もし寺に寄っていなければ大変な事になっていたところだ。これも猫が招き入れてくれたおかげだ。と武士はこの幸運を喜び、福を招く猫のいる寺として、この寺を大事にすることを決めました。

この武士が彦根藩の二代目藩主井伊直孝公であり、後に東京における井伊家の菩提寺とすることに決めるのでした。その後豪徳寺は井伊家の菩提寺として栄えていくことになり、住職はこの猫の墓を建て、後世にこの猫の姿を招福猫児(まねぎねこ)と称えて崇め奉るようになりました。・・・といった話です。

そういえば、「猫が顔を洗うと雨になる」という迷信がありますが、その仕草も招き猫のような感じですね。迷信通りなら降るべくして雨が降ったという事なのでしょうか。案外「招き猫」と「猫が顔を洗うと雨になる」という迷信は同じ根源かもしれませんね。

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五重塔、招福堂を通り過ぎると墓所があります。その手前にはなんだか脳裏に焼き付いてしまいそうな碑が建っています。これは無名戦士慰霊記念碑のようですが・・・、強烈なデザインです。おまけに碑から木が生えているのが一段とインパクトを与えています。それはさておき、六地蔵の所からの一角、・・・いや広大な一角が彦根藩主井伊家の墓所になります。

都内の大名家の墓所をよく知っている人が見ると、あれっと感じるかもしれません。まず第一に墓石が質素だという事です。多くの大名の墓石は巨大な五輪塔となっていて、さらにはここの墓石に門や鳥居が付いていたりと圧倒的な存在感があり、さすがは庶民とは違うなといった感じがします。しかしここは普通の人よりもちょっと大きいぐらいではないかといった感じです。

そしてもう一つ、都内にある大名墓地でこれだけスカスカな配置なのも珍しいのではないでしょうか。将軍家の墓所は別として、だいたい狭い場所に存在感のある墓石が並んでいるから仰々しく感じるのですが、ここでは墓石が小さい上にスペースが広いのでなんか大名家の墓所らしからぬ感じです。といっても都内という事を考えればかなり贅沢な造りとなるのでしょうが・・・。

これは2代目の直孝が唐破風笠付位牌型で墓石を造ったので、後世の人がそれを真似て建造したからです。ここに眠っているのは2代目直孝、6代目直恒、9代目直禔、10代目直幸、そして都史跡になっている13代目井伊直弼、14代目直憲(明治35年没)と6人の藩主となり、その他の藩主は清涼寺(滋賀県彦根市)、永源寺(滋賀県東近江市)に眠っていて、この三カ所の墓所を一括して国指定史跡として登録されました。

ここの墓所には小さな墓石を含めると300基もの墓石があるそうです。これは井伊家の人間だけではなく、藩士とその家族のものも含まれているそうです。それにしても安政の大獄を行った井伊直弼(彦根藩)と安政の大獄で処刑された吉田松陰(長州藩)が同じ世田谷、しかもそんなに離れていない場所に埋葬されているのも不思議な感じです。ただ近年の発掘調査では井伊直弼の墓の下は空っぽだったそうです。きっと復讐に燃える藩士などに掘り返されたりしては大変だと別の場所に埋めたのでしょう。

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その他敷地内には仏殿の北側に法堂があります。豪徳寺の敷地内の建物は禅宗伽藍配置の基本通りに、手前から山門、仏殿、法堂と一直線上に建てられています。木製で古い山門や仏殿に対して法堂は、昭和42年に鉄筋コンクリート造りに改築したので、観光客にはあまり面白味のないものとなっています。

また一般に公開されていませんが、井伊家から忠臣遠城謙道謙道に贈られた直弼遺愛の茶屋「種月庵」も移築されているようです。現在のものは再建されたものですが、東京3大茶屋の一つに数えられるとか。社務所の裏にあるようなのですが、これは実際にちゃんと確認していないので何処にあるのかわかりません。

ちなみに社務所の正式な入り口付近はとっても立派な造りをしています。これは千葉の佐倉藩藩主堀田家で使われていた大名屋敷の玄関を移築したものです。堀田家は順天堂大学の創始者であり、医学の分野で多大な貢献をしたという家柄です。現在も佐倉では町の誇りのようで、旧堀田家の家屋は一般に公開され、時代祭りのパレードなどはここの庭から出発します。

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吉良氏、世田谷城、曹洞宗とくれば近くにある勝光院や実相院と同じ系統の寺かと思っていたのですが、ちょっと違うようですね。というより元は同じだったかもしれませんが、やはり江戸時代に彦根藩井伊家の菩提寺になったのが大きかったのかなと思えます。そう考えると伝説通りなら招き猫によってこんなに差が付いてしまったという例かもしれません。招き猫の福を呼び込むパワー恐るべしといったところでしょうか。でも曹洞宗というのは今でも同じなので曹洞宗三部作といったところでしょうか。

ちなみに区内にはまだ曹洞宗で有名なものがあります。それは駒澤大学です。駒澤大学は他所から移転してきたので直接的には関係ありませんが、同じ宗派からか仏教学部に通う生徒が寄宿しているとか聞きました。休日に若い僧が社務室で招き猫を売っている姿を見るとそうかなと思ってしまうのですが、どうなのでしょう。まだまだ禅の心が生きているような感じですね。

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私のとっての豪徳寺といえば、招き猫や井伊直弼公の墓よりも紅葉だったりします。区内の紅葉の中で一番好きなのが豪徳寺の紅葉で、私の中では世田谷区で一番の紅葉の名勝となっています。もちろん人ぞれぞれ好みがあるでしょうが、ここの紅葉はお勧めできます。

2008年には11月の中旬と下旬の週末だったと思いますが、初の試みとして週末に紅葉のライトアップが行われました。闇に浮かぶ三重の塔と紅葉の様子はなかなかのものです。部分的な切り絵としては六義園にも負けないのではと思ったりもするのですが・・・、ちょっと大袈裟かもしれません。このライトアップのイベントは観光ボランティアの人たちが豪徳寺に協力をお願いして行われたもので、あくまでも有志の方と豪徳寺の善意によって行われたものです。

その後行われていないところをみると、訪れた人があまりマナーがよくなかったのでしょうか。ぜひまた行ってもらいたいのですが、問題が山積みな状態ならしょうがないですね。ボランティアの人に面倒を押し付けてもしょうがないですし。

*** 写真での紹介(たまにゃん編) ***

社務室前のたまにゃんの写真
社務室前のたまにゃん・・・たち?

社務室においでおいで・・・といったとこでしょうか

ひこにゃんの写真
ひこにゃん(彦根城のマスコット)

さりげなく社務室に奉納されていました

豪徳寺たまにゃん祭りの様子を写した写真
豪徳寺たまにゃん祭り1

ほのぼのとしたお祭りです

豪徳寺たまにゃん祭りの様子を写した写真
豪徳寺たまにゃん祭り2

たまにゃんらしく猫の無料相談所なるものが・・・

萩にゃんの写真
萩にゃん

松陰神社の幕末維新祭に登場していました。

* たまにゃんについて *

豪徳寺の社務室の前には白い招き猫が描かれているプレートが設置されています。招き猫の豪徳寺らしいオブジェなのですが、そういえば・・・、あまり意識していなかったのですがいつの間にか置かれていました。さりげなく馴染んでいて、時々観光客が写真を撮っていたりしています。

最近知ったのですが、この白い猫の名前は「たまにゃん」だそうです。どうして「たまにゃん」なの?といった感じなのですが、サザエさんの飼い猫も「たま」だし、多摩川、玉電とたまと付く名が世田谷には多いので、まあ理由はともあれその名前にも納得でしょうか。でも豪徳寺の名を取って「ごうにゃん」とした方が芸術的で良かったかも・・・?

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さて、招き猫伝説は元々彦根藩主井伊家に伝わるもの。本城である彦根城にも同じように猫のキャラクターがいて、その名を・・・、有名になりすぎて改めて紹介することもないでしょうが「ひこにゃん」と言います。こちらも白い猫なのですが、どうやら豪徳寺の招き猫をモデルにしたという話です。

こちらは招き猫スタイルではなく、赤い兜をかぶっているのが特徴でしょうか。赤い兜というのは「井伊の赤備え」といわれるぐらい井伊家の象徴となります。なかなかいい話かなって思っていたのですが、よく見比べてみると白い事以外はあまり関係ないような気が・・・。建前ってやつなのかな・・・。などと書きながら思ってしまったのですが、どうなのでしょう。社務室の棚に奉納されたものが飾ってあるのでぜひ見比べてみてください。

この「ひこにゃん」は彦根城のお祭りなどではかぶり物のマスコットが大活躍して、「ひこにゃん」グッズなども販売されているようです。またある時新聞を読んでいたらハワイへ遠征したとか。インターナショナルに活躍しているようです。さすがに大きな観光地だとそういったマスコットも活躍の場が多いのですが、豪徳寺レベルでは・・・って一応世田谷区の中でも観光地なのですが、なかなか厳しいものがあります。

ちなみに松陰神社で行われていた幕末維新祭りを訪れると萩にゃんなるものを発見。世田谷つながりと言うことでしょうか。いい話だと一瞬思ったものの、よく考えると萩は吉田松陰の故郷。彦根は吉田松陰を処刑した井伊家の故郷。これって松陰は喜ぶのだろうか・・・。ちょっと微妙かな~と思ってしまいました。

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ある時、豪徳寺商店街を通ると、「豪徳寺たまにゃん祭り」のポスターが貼ってあってビックリしました。そんな祭りをやっていたんだ・・・、全然知らなかった。というのが正直なところでした。インターネットなどで調べてもほとんど情報がないお祭りなのですが、もともと牡丹祭りとして開催されていたのを2008年から地域や商店街の活性化のために「たまにゃん祭り」と名称を改めたようです。

開催日は5月の第二日曜日。実際に訪れてみると、フリーマーケットや出店を中心とした小さなお祭りでした。一応華やかなよさこいなどの演技も祭りの初めに行われます。また特徴的なのは「たまにゃん」にちなんで猫の無料相談所があるところでしょうか。私が通ったときには相談希望の猫がいませんでしたが、どのくらい猫が相談に訪れたのでしょうか。ちょっと気になるところです。

それから、豪徳寺境内においてもイベントがあり、夕方から08年には寄席、09年には能が行われました。と言っても、境内は境内なのですが、実際は本堂下の会議室みたいな場所で行われました。個人的には、秋の豪徳寺のライトアップに訪れているので、きっと境内をライトアップしつつ、その中の舞台で・・・と勝手に壮大な場面を描いて訪れたものだから、ちょっとがっかり。でも帰りに記念品として招き猫のお守りをもらったので、とても満足して帰りました。

<せたがや百景 No.21 招き猫の豪徳寺 2009年3月初稿 - 2015年10月改訂>
( せたがや地域風景資産 No.3-6 豪徳寺参道の松並木 )