世田谷散策記

 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.27

宮ノ坂勝光院と竹林

世田谷城主吉良家の菩提寺。江戸期には家康から御朱印寺領30石を与えられた格式の高い寺で、境内には風格のある庭木も見られる。とくに美しいのは竹林で、竹垣とあいまって品のよい雰囲気をかもし出している。鐘楼の梵鐘は、戦争中応召されたが、鋳つぶされず、10年ほど前に元の姿で無事戻ってきた。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 :桜1-26-35
・備考 :吉良氏墓所(世田谷区指定史跡)、梵鐘(世田谷区指定有形文化財)
せたがや百景の案内板の写真

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* 世田谷吉良氏とは *

勝光院 吉良家の墓
吉良家の墓

歴史を感じるたたずまいです。

「世田谷に吉良家の墓所がある。」と言うと、必ず返ってくるのが「あの忠臣蔵の・・・」です。全国的には吉良と聞くと忠臣蔵に出てくる吉良氏ですが、世田谷では室町から戦国時代にかけて領内を治めていた吉良氏になります。といっても知らない人も多いかと思いますが・・・。

忠臣蔵に登場する吉良氏と世田谷吉良氏は同族で、清和源氏・足利氏の支族になり三河国吉良荘から起こりました。忠臣蔵の吉良氏はそのまま三河に留まった三河吉良氏で、世田谷吉良氏は室町時代初期に陸奥管領をつとめた奥州吉良氏の後裔となり、吉良治家のとき世田谷に本拠をかまえたと言われています。

世田谷吉良氏の歴史については不明な点が多く、戦国期の吉良氏は「太田道灌状」などに現れる程度です。しかしながらその家柄、格式は高く、道灌の書状で「せたがや殿」といわれるほどだったようです。文明年間(1469~87)に成高は太田道灌と結び数度の合戦に及んだようで、蒔田(横浜市南区)にも居館を構えました。

勝光院 山門
勝光院の山門

光のがよく通る山門です。

道灌亡き後は小田原の後北条氏に接近し、子の頼康は北条氏綱の娘さき姫(高源院)を夫人に迎えています。1560年頃には、頼康の家臣団のほとんどが北条氏直属となり、吉良氏は名門という地位があるだけの飾りの存在に成り下がってしまいました。

さらには頼康の跡を継いだ氏朝は高源院が前夫堀越(今川)貞基との間に設けた子であるので、実質的にはここで血が途絶えてしまったことになります。

そして天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅ぼされると、氏朝も世田谷に留まることはできず、下総国生実(現千葉市)に逃れました。

翌年、氏朝の子頼久が徳川家康に招かれ、上総国長柄郡寺崎村に1125石を与えられ旗本に列し、以後蒔田氏を名乗るようになり、幕末まで旗本として存続したそうです。

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  • ・せたがや百景
  1. せたがや百景とは?
  2. 世田谷公園
  3. 大山道と池尻稲荷
  4. 世田谷観音とその一帯
  5. 世田谷線(玉電)が走る
  6. 太子堂下ノ谷界わい
  7. 太子堂円泉寺とけやき並木
  8. 北沢川緑道桜並木と代沢の桜祭り
  9. 代沢の住宅街
  10. 代沢阿川家の門
  11. 北沢八幡の秋祭り
  12. 淡島の灸の森巌寺
  13. 若者と下北沢のまち
  14. 下北沢北口の市場
  15. 天狗まつりと真竜寺
  16. 下北沢の阿波おどり
  17. 羽根木神社の参道
  18. 梅と桜の羽根木公園
  19. 松陰神社と若林公園
  20. 上馬の駒留八幡神社
  21. さぎ草ゆかりの常盤塚
  22. 招き猫の豪徳寺
  23. 世田谷城址公園
  24. ボロ市と代官屋敷
  25. 蛇崩川緑道
  26. 駒沢給水所の給水塔
  27. 弦巻實相院界わい
  28. 宮ノ坂勝光院と竹林
  29. 収穫祭と東京農大
  30. 経堂の阿波おどりと万燈みこし
  31. 奉納相撲の世田谷八幡
  32. 北沢川緑道ユリの木公園
  33. 松原のミニいちょう並木
  34. 松原の菅原神社
  35. 下高井戸の阿波おどり
  36. 日大文理学部の桜
  37. 上北沢の桜並木
  38. 船橋の希望丘公園
  39. 廻沢のガスタンク
  40. 芦花公園と粕谷八幡一帯
  41. 粕谷の竹林
  42. 烏山西沢つつじ園
  43. 烏山寺町
  44. 烏山の鴨池
  45. 北烏山の田園風景
  46. 旧甲州街道の道筋
  47. 給田小学校の民俗館
  48. 祖師谷つりがね池
  49. 上祖師谷の六郷田無道
  50. 武家屋敷風の安穏寺
  51. 上祖師谷神明社
  52. 成城学園前のいちょう並木
  53. 成城の桜並木
  54. 成城学園の池
  55. 成城住宅街の生け垣
  56. 成城の富士見橋と不動橋
  57. 成城3丁目桜ともみじの並木
  58. 成城3・4丁目の崖線
  59. 野川と小田急ロマンスカー
  60. 喜多見氷川神社と梼善寺跡
  61. 喜多見慶元寺界わい
  62. 宇奈根氷川神社
  63. 砧小学校の桜
  64. 大蔵団地と桜
  65. 大蔵の五尺藤
  66. 大蔵の総合運動場
  67. 砧ファミリーパーク
  68. 東名高速の橋
  69. 大蔵の永安寺
  70. 岡本玉川幼稚園と水神橋
  71. 岡本三丁目の坂道
  72. 岡本もみじが丘
  73. 岡本民家園とその一帯
  74. 岡本静嘉堂文庫
  75. 多摩川灯ろう流し
  76. 多摩川の緑と水
  77. 新二子橋からの眺め
  78. 兵庫島
  79. 多摩川沿いの松林
  80. 多摩川土手の桜
  81. はなみずき並木の二子玉川界わい
  82. 瀬田の行善寺と行善寺坂
  83. 環八アメリカ村
  84. 玉川台自然観察の森
  85. 用賀観音の無量寺
  86. 馬事公苑界わい
  87. サマー世田谷ふるさと区民まつり
  88. 駒沢緑泉公園
  89. 駒沢オリンピック公園
  90. 桜並木の呑川と緑道
  91. 谷沢川桜と柳の堤
  92. 上野毛五島美術館一帯
  93. 上野毛自然公園
  94. 玉川野毛町公園
  95. 野毛の善養寺と六所神社
  96. 等々力渓谷と等々力不動
  97. 等々力の満願寺
  98. 等々力の玉川神社とその周辺
  99. お面かぶりの九品仏と参道
  100. 田園調布のいちょう並木
  101. 奥沢駅前の広場

* 勝光院について *

勝光院の参道
勝光院の参道

といっても普通の住宅街になっていました・・・

上町から世田谷八幡へ抜ける旧道に勝光院の参道があります。昔は150mほどの参道の両側にはソメイヨシノが植えられていて、ちょっとした桜並木になっていたそうですが、今ではそういった面影はありません。宅地化の波なのか、桜が枯れてしまったのかわかりませんが、参道は住宅街にある普通の道に近い感じになってしまっています。

その道を進んでいった奥まった丘にお寺があります。大通りに面していないし、住宅街の奥にあるので、落ち着いた雰囲気に満ちたていて、特に寺の右側に広がる竹林は新緑の時期に訪れるとすがすがしさを感じます。

勝光院 山門と竹林
山門と竹林

敷地の右側が竹林で左側が墓所になっています。

山門の前には竹林の背にして一体のお地蔵様が立っています。まるで竹林を守っていらっしゃるといった感じで、とても趣きを感じるお地蔵様です。

竹林に関してはよく手入れが行き届いていると思います。この竹林、というよりも勝光院自体は戦略的に世田谷城の防御砦の一部として配置されていました。

そして防御手段として竹林があちこちに配置されました。この竹林も恐らくそういった名残ではないかと思われています。竹林を配すことによって敵からの眺望をさえぎるだけではなく、いざというときにも敵の人馬が進めないような防御壁になるからです。

勝光院 境内
境内

大きな屋根の本堂と庫裡が並び、整然とした感じです。

この勝光院(しょうこういん)ですが、現在の宗派は曹洞宗、山号は延命山です。案内板によると、建武二年(1335年)に吉良治家氏(法名興善寺殿月山清光大居士)によって創建され、初めは臨済宗の金谿山龍鳳寺と名付けられていたようです。「新編武蔵風土記稿」によると、開山は吟峯公禅師となっています。

その後は衰退していったようで、天正元年(1573年)に吉良氏朝が天永琳達禅師を中興開山として、父頼康の院号(勝光院殿脱山浄森居士)により興善山勝光院と改称し、この時に臨済宗から曹洞宗に改宗しました。

天正十年には客殿(旧本堂)の建立を行い、その時に家臣の関加賀守が現在の本尊である虚空蔵菩薩像を寄進したようです。

勝光院 本堂
本堂

均一が取れた建物です。

天正十九年(1591年)には徳川家康から寺領三十石を与えられています。前年の1590年には小田原の役で北条氏とともに世田谷城も陥落。吉良氏もこの地から追われており、新たに赴任してきた家康が吉良氏に所縁の寺の寺領を約束することでこの地の安定化を計りました。

その後家康に寺領と家柄(蒔田姓に改変)を安泰されたことで、氏朝の子頼久(吉良から蒔田に改称)以降は勝光院が一族の墓所となりました。そして時が流れ、元文二年(1737年)に山号を延命山に改めたようです。

屋根の大きな本堂と庫裡が並んでいる境内は整然とした雰囲気で、植木などの手入れもよく行き届いています。品があるといった表現がふさわしいでしょうか。

表側から見えませんでしたが、本堂の裏手には書院があり、これは文政六年(1823年)に再建されたもので区の有形文化財に指定されています。

勝光院 鐘楼と竹林
鐘楼と竹林

竹林を背に鐘楼があります。

勝光院 梵鐘
勝光寺の梵鐘

世田谷区指定有形文化財、区内で2番目に古いとか

境内の隅、竹林を背に鐘楼が建っています。この鐘は、元禄十一年(1698年)に制作されたもので、区内で2番目に古い梵鐘となっています(1番は豪徳寺)。

制作者は八王子の加藤吉高氏。加藤鋳物師の一人で鐘は優美で均整が取れいて工芸品としても価値が高いとか。それに鐘の内部には勝光院の名の由来や家康から朱印領三十石を受けていた事などが記されているので、当時の資料としても価値があるそうです。

その上ちょっとした話があり、太平洋戦争時に軍事物資として供出に応じたものの、難を逃れ、葛飾区の金蓮寺に伝えられていたのが、昭和52年にめでたく無事に戻ってきたようです。その時に鐘楼も新しく再建されました。

その他では寺宝として「火蛇の爪」といった変わったものが伝えられているそうです。なんでも葬式の時に怪物が襲ってきて、それを数珠で追い払ったところ、爪を落として退散したとかなんとか。ゲゲゲの鬼太郎の世界ですね。ぜひ実物を見てみたいのですが、一般の参拝者にはなかなか難しそうです。

また常盤伝説に出てくる常盤愛用の短刀もかつて保存されていたという話ですが、現在はなくなってしまったそうです。

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* 吉良氏墓所 *

勝光院 吉良家の墓所
吉良家の墓所

墓石は大きくないもののこの一角は貴賓がありました

この勝光院は吉良氏の菩提寺となっていて、墓地内の一角に世田谷区指定史跡の吉良氏の墓所があります。

勝光院は天正元年(1573年)に氏朝が中興開基したもので、案内板によるとここの墓所には氏朝の孫・義祗以降の一族の墓があるそうです。

勝光院 墓石群
一番奥の古い墓石群

よく墓石を見ると結構バラバラです。

吉良氏の墓所は比較的広い一角で、墓石は案内板によると全二十八基と墓所内の隅に集積された墓塔が十数基が残っているそうです。

一番奥には立派な宝篋印塔が並び、いつ訪れても中央の祭壇に花が供えられています。墓地内はきれいに掃除してあり、とても素晴らしい空間となっています。背後には桜の木があるので、桜の時期には少しはな高な感じになります。

勝光院 墓石群
隅っこにまとめられた墓石

組み合わせがわからなく、隅っこにまとめられていました。

隅っこには行き場がないといった感じで墓石や塔がきれいに並べてあります。

実際のところ並べられている宝篋印塔も地震などで崩れてしまい正しい組み合わせが判らなくなってしまったとか。明らかに石質の異なる組み合わせで積まれているお墓もありますが、どれも似たような形なので組み合わせがわからないのもしょうがありません。

吉良氏以外にも幕臣の広戸備後正之の墓も勝光院墓地内にあります。

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* 感想など *

勝光院 お地蔵様と竹林
お地蔵様と竹林

雰囲気のいいお地蔵様です。

ちょっと昔のことですが、都内の大名墓地など古い時代の墓地に興味を持ち色々と歩き回ったことがあります。その時に世田谷でも豪徳寺の井伊家の墓地、松陰神社の吉田松陰氏の墓所、そしてこの勝光院を訪れたことがあるので、百景を回る前から知っていたお寺です。

でもその時は吉良氏って誰?忠臣蔵の悪役の一族?といった程度の知識しかなく、特に何もない寺だなと何となく写真を撮って後にしただけでした。改めて吉良氏というものを理解して訪れてみると、なんというか全く雰囲気が違って見えるものですね。そう考えると旅や散策には予備知識というスパイスが必要なんだなと思った次第です。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所桜1-26-35
・アクセス最寄り駅は世田谷線上町駅。

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<せたがや百景 No.27 宮ノ坂勝光院と竹林 2009年3月初稿 - 2017年8月改訂>

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