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せたがや地域風景資産 No.2-19

大正ロマンをのこす砧下浄水場ポンプ室

砧下浄水場には、東京都水道局以前に存在した渋谷町営水道の歴史的遺産が数多く残っています。特にポンプ室等の施設は日本の近代化を語る上で重要な資産となっています。(紹介文の引用)

・場所 : 鎌田2丁目4-1
・登録団体など : 砧下浄水場風景資産保存会
・備考 : 内部見学はできません

*** 大正ロマンをのこす砧下浄水場ポンプ室の写真 ***

砧下浄水場の写真
砧下浄水場の正面入り口

内部の見学はできません。

砧下浄水場の写真
砧下浄水場の看板

古めかしい看板です。

砧下浄水場の写真
駒大の校舎方面から

高い柵で囲まれています。

砧下浄水場の写真
フェンス越しに眺めるポンプ室など

青い屋根の建物がポンプ室です。

砧下浄水場の写真
多摩川沿いの土手から

*関連水道施設 *

土手にある水の取り込み施設の写真
土手にある水の取り込み施設

晴れた日には富士山と絵になっていたりします。

土手にある水の取り込み施設の写真
土手の下から

個人的に好きな風景です。

野川水道橋の写真
現在の野川水道橋

現在は車も通れる橋になりました。

野川水道橋の写真
かつての野川水道橋を描いたレリーフ

現在の橋に取り付けられています。

岡本隧道の写真
民家園にある岡本隧道

古民家の裏手の崖にあります。

岡本隧道の写真
入り口のアップ

岡本随道と書かれています。

* 大正ロマンをのこす砧下浄水場ポンプ室について *

世田谷区の多摩川沿いには二つの浄水場があります。一つは喜多見にある大規模な砧浄水場。昭和3年に荒玉水道町村組合(荒川と玉川の省略)がつくり、昭和7年に東京市が引き継いだものです。現在ではおいしい水の施策により平成19年より機械による膜ろ過方式での処理が行われていて、もう一つの砧下浄水場とあわせて日量8万立方メートルの浄水能力があります。

砧下浄水場(きぬたしも)は鎌田にある小規模な施設で、ここちらは大正12年に渋谷町営水道がつくり、昭和7年に東京市が引き継いだものです。こちらも機械による膜ろ過方式によって浄水が行われていますが、機械のオートメーション化によって専門の職員が常駐する必要はなく、近くの砧浄水場の職員によって遠隔操作されたり、緊急時の対応が行われています。

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渋谷町営水道といえば弦巻にある駒沢給水塔が有名ですが、この砧下浄水場も駒沢給水塔と同様に大正初期に人口が増え続けた渋谷町へ水を送るための施設として建設されたものです。この渋谷町に水を送るぞ!プロジェクトは大正時代に多摩川の水を水道管を使って世田谷区を横断させて渋谷に運ぶといった大掛かりなもので、政府の関心も高いものでした。

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まず多摩川から水を取り込むのですが、当時としては斬新な川底に管を入れて水を取る伏流水方式が用いられました。取り込まれた伏流水は3つあるろ過池で浄化され、ポンプ室から駒沢給水塔に向けて送り出されました。タイトルの「大正ロマンをのこす砧下浄水場ポンプ室」となっているポンプがこのポンプのことです。

ポンプ室には二種類のポンプが設置されていて、一つは川底から伏流水を吸い上げるポンプで、もう一つは駒沢給水塔へ向けて水を送る強力な高圧ポンプです。そしてポンプ室の外環の建物も素晴らしく、大正12年に建造された洋館風の建物で、青い洋瓦の上に突き出た塔状の飾り窓が特徴となっています。現在は中央管理室として使われていますが、この浄水場の初期からあった一番古い建物となっています。

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その他の施設では、ポンプ室と同じく大正12年の初期からあるのが洗砂室で、ろ過池を使って浄水していた頃にろ材として使用された砂を洗っていた施設です。あまり特徴のない建物ですが、鉄筋コンクリート製で外壁にはスクラッチタイルが使用されています。

次に古いのが事務所の建物です。この建物は大正13年に完成した木造建築で、マンサード形式の切妻屋根、外壁は立板漆喰壁(ハーフテュンバー)という見るからに古風な建物で、ポンプ室とともに大正ロマンを感じさせてくれます。昭和7年には浄水場の拡張工事が行われ、取水ポンプ所、発電棟(現、薬品注入設備棟)などが増設されました。これらの建物も建築美意識のこだわりが強く、建築的にも素晴らしい建物となっています。後は昭和14年に造られた第二送水ポンプ所(現、送水ポンプ所)は洋瓦を使った比較的シンプルな建物となっています。

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浄水場のポンプ室から送り出された水は、すぐに第一関門として野川を渡らなければなりません。設置された当時は水道本管を野川の川底に埋設していましたが、昭和35年に野川が改修された際に水道本管が地上に出され、川の上を渡ることとなりました。そのときに鉄管を支える目的で歩行者専用の「野川水道橋」が架けられました。

平成18年には再び治水対策として野川の改修工事が行われ、水道管は再び川底に埋められることになりました。ただ橋のあった場所に橋がなくなるのは不便なので、車が通る普通の橋に架け替えられました。そして「水道管のある歩道橋」として地域の方々に親しまれていたこともあって往年の姿が描かれたレリーフが橋の真ん中に取り付けられ、野川水道橋の名前もそのままつけられています。

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野川を渡った水道管は現在の岡本民家園に入り、ここで第二関門として国分寺崖線が待ち構えています。ただここで崖を登ってもすぐに谷戸川の部分で崖下に下って、再び岡本の急な坂を登らなければなりません。そのため岡本八幡や静嘉堂文庫のある丘の部分は岡本随道(トンネル)が造られました。

これは現在でも残っていて、民家園の脇に石垣囲いの蒲鉾型の扉があります。このトンネルは高さ2m、幅2.5m、長さが120mあり、そのトンネル内に直径80cmの水道管が通っていたそうです。岡本トンネルを越えると一旦谷戸川をくぐるために下って、再び斜面を登って駒沢給水塔まで水が運ばれました。駒沢給水塔から渋谷までは塔の高さと地形の高低さを利用して自然の重力で水が送られていたそうです。

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このような世田谷を横断する大掛かりな水道施設により、渋谷地域の井戸水の衛生上の不安が解消し、防火用水の確保もでき、町の更なる発展につながりました。今の渋谷の賑わいはこの世田谷を横切る水道システムのおかげかもしれないなと思うと、少々感慨深いものがあるかもしれません。そして江戸時代にも玉川上水から品川に水を送っていた品川用水が世田谷を縦断していた事を考えると、いつの時代でも世田谷は水の通り道といえるかもしれません。

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こういった貴重な施設を何時でも見学できればいいのでしょうが、実際に稼動している施設なのでなかなか難しいものがあります。駒沢給水塔に関しては保存会の方々の努力によって年に一度内部の一般公開を行っていますが、砧下浄水所のほうは定期的な見学会は行われていません。

ただ2008年、2009の水道週間中に一日ほど公開されました。2008年は土曜日だったけどその存在を知らず、2009年は平日で予定が付かず、来年こそはと思っていたのですが、それ以降公開が行われていない状態です。ぜひ再び見学会を開催して欲しいです。

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ちなみに砧浄水場は毎年6月第一週の水道週間に見学会が行われていて、現在の浄水システムである高度浄水システムを見学でき、またいわゆる普段蛇口から出てくる水、災害時の緊急配水などについても色々と知ることができます。さらには見学後に東京のおいしい水や花や浄水場でできた園芸用土、水道グッズなどをお土産にもらえるので、一度は参加してみるといいかと思います。

<せたがや地域風景資産 No.2-19、大正ロマンをのこす砧下浄水場ポンプ室 2011年7月初稿 - 2015年10月改訂>