世田谷散策記 せたがや百景のバーナー

せたがや百景 No.25

駒沢給水所の給水塔

せたがや地域風景資産 No.1-2

双子の給水塔の聳え立つ風景

大正末期にできたこの給水塔の姿は、付近の人に長い間親しまれてきた。木造の平屋や2階建ての家々ばかりだったころは、現在よりもさらに目立っていたことだろう。ランドマーク(土地の目印)として一対の給水塔は今も健在だ。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 弦巻2-41-5(水道局の敷地)
・地域風景資産の関連団体 : 駒沢給水塔風景資産保存会
・備考 : 敷地内部は非公開。都民の日に一般公開(要予約)

*** 駒沢給水所の給水塔の写真 ***

駒沢給水場の入り口の写真
駒沢給水場の入り口

残念ながら敷地内には入れません。

給水塔の写真
水道道路から

砧下浄水場から続く水道管が埋められている道です。

給水塔の写真
給水塔上部のアップ

クラウン(王冠)と呼ばれるのも納得の形です。

給水塔の写真
給水塔

塔の老朽化や補修跡が目に付きます。

* 見学会の様子 *

見学会の様子を写した写真
見学の日の給水場

事前に予約が必要です。

見学会の様子を写した写真
記念碑と方円池での見学の様子

施設以外の記念碑なども結構凝っています。

見学会の様子を写した写真
ポンプ室

古く趣のある建物です。

見学会の様子を写した写真
ポンプ室内

古いポンプが並んでいます。

見学会の様子を写した写真
量水室

小さな建物でも味のある造りをしています。

見学会で近くから見た給水塔の写真
給水塔に掲げられている文字

内務大臣だった水野錬太郎氏の筆です。

見学会で近くから見た給水塔の写真
給水塔

目前で見ると大きく、存在感があります。

見学会で近くから見た給水塔の写真
トランス橋の下から

見学会に参加しないと見ることのできない構図です。

* その他 *

桜祭りでの写真
桜祭りでの保存会の幟

桜新町で活動しています。

弦巻区民センターで展示されている照明の写真
弦巻区民センターの展示

実際に使用されていた電球が展示されています。

ライトアップの様子を写した写真
ライトアップの様子1

遠くからだと目立ちません。

ライトアップの様子を写した写真
ライトアップの様子2

近くからでもやっぱり目立ちません。

* 駒沢給水所の給水塔について *

駒沢に給水場?そんなのあったけな。私の中でこの給水場とすぐ近くにある駒沢緑泉公園は意外な存在でした。というのも、この付近の旧246号(桜新町駅前の通り)を通って自転車やバイクで何年間も通学したり、通勤していたのに全く気がつかなかったからです。こんなに特徴のある建物なのにどういうこっちゃ。そんな思いを抱きつつ実際に訪れてみると、給水場は通りに案内板もなければ、通りからもその姿は見えませんでした。これならしょうがない。緑泉公園の方は小さな案内板が大通りに設置してありました。そういえばこんな看板はあったような・・・といった感じでした。

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駒沢給水場ですが、桜新町駅前を通る旧246号の東電世田谷前の交差点から細い道を入って行くか、桜神宮横の水道道路を進んでいくと、いきなり目の前が開けて、給水場の敷地と晴れていればきれいな青空が広がります。正門は硬く閉ざされていて、残念ながら普段は敷地内に入ることはできませんが、奥に特徴のある形をした給水塔を見ることができます。

敷地を回ってみると、場所によっては二つ並んでいる給水塔を同時に見ることができますが、周囲に家が立ち並んでいるので全体的に見えにくく、ここが絶好のポジションだといった場所が見つけられませんでした。長年その存在を知らなかったのも納得。住宅街に埋まっているといった感じなのです。

例えは悪いのですが、廻沢のガスタンクだと爆発したら・・・といった感じで近くに家を建てるのは万が一を考えると怖いのですが、給水塔の場合はそういう心配が少ないので付近に住宅が密集しているのかもしれません。むしろ非常時には給水をいち早く受けられるし、敷地に面していれば自分の庭が広く感じることができていいかも。最初に訪れたときはそう感じていたのですが、後日給水場内を見学した際、敷地内に蚊が異常に多かったのには閉口。必ずしもいいことばかりではなさそうな感じです。

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本題の給水塔について書くと、大正6年に渋谷町により多摩川沿いの鎌田にある砧下浄水所とともに計画され、4年後の大正10年に工事が始まり、大正13年3月に完成しました。この二つの施設は大正初期に人口が増え続けた渋谷町に水を送るために造られたもので、多摩川からくみ上げた水を砧下浄水所で濾過し、ポンプで駒沢給水塔に送り、ここから渋谷までは自然の重力を利用して送られました。

この世田谷を縦断する大掛かりな水道施設により、渋谷地域の井戸水の衛生上の不安が解消し、防火用水の確保もでき、町の更なる発展につながりました。設計者は中島鋭治水氏で、多摩川の川底に管を入れて水を取る伏流水方式やそれを加圧して塔に運ぶポンプ方式は、当時の技術としては斬新なものだったようです。また建物自体も堅牢に設計されていたようで、建設中に関東大震災が起こったり、戦時中の空襲からも難を逃れてきました。

もちろんこういった経緯や技術的なことも大事なのでしょうが、やはり興味がいってしまうのはそのデザイン。お城みたいというか、城にある展望砦の一部というか、チェスの駒みたいというか、とてもメルヘンチックな印象受けるあのデザインはどうして生まれたのだろう。何か意味があるのだろうか。そして特別なエピソードなんてものがあるのだろうか。そういったことの方に興味がいってしまいます。

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で、色々記述を探してみるものの、特に面白いエピソードは見つけられませんでした。ただ塔の形をしているのは、先に書いたように重力を利用して自然に渋谷まで水を流すため、ある程度高さのいる建物が必要だったことからこうなったようです。外観に関してはヨーロッパ古典主義的な趣向を取り入れただけだとか。大正から昭和の初め頃の大型の建造物で時折こういったヨーロッパ古典様式を取り入れたものを見かけることを考えると、おそらく当時建築者の間で流行っていたのではないのいかなと想像するのですが、どうでしょう。

といったわけで、給水塔の壁についた柱っぽいものなどの多くは単なる装飾に過ぎなく、塔全体は鉄筋コンクリートで出来ているようです。ちゃんと調べられなかっただけかもしれませんが、あまり面白い話がなくてちょっとがっかりです。

でも普通だとコンクリートだけで作られた建造物というのは色彩的にも味気なく感じてしまうものですが、横の壁に12本のピラスター(付け柱)を付けたり、頂上部に直径53㎝の薄紫色のグローブ(竣工当時はガラス製、現在はポリカーボネート製)や欧風のドーム状にふき上げたパーゴラを設置するだけで、なんとも心和む姿に変身してしまうものですね。一時期は「丘上のクラウン」とハイカラに呼ばれていたとかいうのも納得です。

今でこそ癒し系のデザインとか、風景にあったトータルコーディネートとか、デザインの重要性が認識されていますが、大正時代にコンクリートだけでこのような給水塔をデザインするとは・・・、う~ん、脱帽です。

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この給水塔は二つの塔が仲良く並んでいるので双子の給水塔と呼ばれていたりします。間はトランス橋でつながれているので、あたかも一心同体というか、お互いあっての存在といった印象を受けます。実際に機能面でもお互いに給水量を融通できるとか。でも資料を読むと、三つ並ぶ計画もあったようです。そのための奥の方に敷地も確保してあったのですが、計画が見直されて廃案となってしまったとか。奥の方に無駄に林となっている部分がその場所です。

現在の双子の給水塔の状況を書くと、約3000トンの水をこの双子の給水塔と配水池に少しずつ貯留し、3日間で順次一定量の入れ替え操作をしているそうです。その操作は無人で管理され、和田掘給水場の職員が点検を行っています。給水所としての機能は震災時などに飲料水を供給する応急施設としてのみ使用されているそうです。第一線は退きましたが、今なお目立たない部分で我々の生活の為に頑張っていたりします。

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なぜこの給水塔はここに造られたのでしょう。なぜ弦巻なのか。これは知らなかったのですが、この場所は世田谷区内でも標高が高い部類に入るようで、標高が46mあるようです。ちなみに区内でもっとも高い場所は大蔵給水所のある砧2、4丁目辺りになり、詳しくはどの場所が最高地点になるのかわかりませんが、最高地点の標高は52.5mになるようです。

これが高いか低いかと感じるのは人それぞれかと思いますが、考えてみれば世田谷には山がないですね。だから標高が高くないのは分かりますが、感覚的に自転車などで走っていると小さな坂がたくさんあり、そんなに距離がなくても苦労することがあります。標高がない割には起伏に富んだ地形をしているのは確かかと思います。

とまあ、弦巻が渋谷方面に送水するにあたって標高や利便性を考慮して選ばれたわけです。ちなみに弦巻の地名の由来には幾つかの説がありますが、その中でも「つる」という言葉は水源地、湧水地、湿地などを表すことが多く、水流が渦巻くという意味でこう呼ばれるようになったとか言われている説は妙に説得力を感じてしまいました。実際に蛇崩川の源流は弦巻で、湧水が出る水源がいくつかあります。名前からもふさわしい場所だったのではないでしょうか。

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* せたがや地域風景資産 *

私がすぐ近くを何年も通勤通学で通りながら気がつかなかったように、現在この給水塔は住宅街に埋まっています。キャロットタワーの展望台から見ればそのことはよく分かり、水道道路の道筋を辿りながら見つけるつもりで探さなければまず見つからないでしょう。

しかしながら、かつて辺りが低い建物ばかりだった頃はかなり目立っていました。そしてその事は桜新町の象徴というか、周辺住民の誇りでもあったようです。そういったわけでこの付近で暮らしていた方々には並々ならない思い入りがあるようで、「駒沢給水塔風景資産保存会」という団体が有志によって設立され、そのPRや保存活動等を行っています。そして彼らの熱心な活動やその特異な風景から百景だけではなくせたがや地域風景資産にも選定されています。

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その活動は桜新町のさくら祭りなどのイベントでPR活動を行ったり、駅前でパネル展などを開いて給水塔に地元の人が興味を持ってもらえるようにしたりと色々ありますが、やはり一番は年一回行われている水道局と協力しての施設内の公開でしょうか。これは本当にありがたいことです。

私自身でいうなら、桜新町の桜祭りを訪れたときに「駒沢給水塔風景資産保存会」のブースで給水塔がある事を知り、その日にライトアップされている事を教えてもらいました。そして実際に訪れてみて、まだ世田谷には知らない場所がたくさんあるんだと気がつき、そしてせたがや百景を回ってみようかと思いついたきっかけでもありました。そういう意味では百景の中でも思い出深い項目の一つです。

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そういった思い入れで言うのではないのですが、この給水塔はもっと地域で関心を高めていけば文化遺産として今後の活躍に期待が持てるようなに思えます。なぜなら大正時代の給水塔の文化遺産というのも珍しいし、現存している給水塔の中でもこれだけ古いものはほとんど残っていないし、この魅力的な姿なら観光客というと大袈裟ですが、町歩きやウォーキングのついでに訪れてみようといった気になるはずです。

もし中を定期的に一般公開できるようにでもなれば、新たな町興しとなるかもしれませんね。その可能性を感じさせてくれる歴史的建造物だと感じます。とはいうものの、まだ生きている・・・って変な表現ですが、緊急用とはいえ現役の水道施設なので、なかなかそういったことは難しいようです。

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ちなみに京王線代田橋駅のすぐ南西側、ちょうど羽根木神社の北側に和田堀給水所があります。ここには給水塔とはちょっと違いますが、円形劇場というか、十字軍の城のような形をした配水池があります。これもまた駒沢給水塔に負けないぐらいなかなか立派な建造物で、一見の価値はあるかと思います。ここは桜とツツジの名所で、その季節になると内部を一般公開してくれます。手軽に給水所を見学でき、花も観賞できるという素晴らしい趣向です。しかも花の開花状況がずれれば柔軟に期間を延長してくれるという気配りもあったりします。

こちらの場合は常に管理者がいるのでそういったことがやりやすいのかもしれません。駒沢給水所も期間を決めて行うなどすればいいのでは・・・などと無責任に思ったりするのですが、やはり難しいものなのでしょうか。

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また、駒沢給水塔は年に三回ライトアップされます。桜新町の桜祭りの日(4月中旬の日曜)、水道週間(6月の第一週)、そして一般見学会が行われる都民の日(10/1)です。ライトアップに関しては、大正ロマンを語る風物詩というキャッチフレーズが付いていますが、あまり期待しないで訪れる方が賢明です。

近年のライトアップといえばクリスマスイルミネーションを代表として、ピカピカときらびやかなものばかりですが、ここのは塔の上の赤いランプが静かに点灯しているだけです。高層建築物が普段航空機にその存在を分かりやすくする為に赤いランプをつけているのとあまり変わりません。だから期待して訪れると、「えっ!真っ暗じゃん!ライトアップしてないよ・・・」といった感想になってしまうかと・・・。

いや、大正時代は辺りが暗かったからこれでも丘上のクラウンだったのです。赤いランプに灯されて闇に浮かぶ姿はハイカラだったのです。一説によると渋谷の道玄坂からも見えたとかなんとか言われています。昭和初期の風景をイメージしながら線香花火的に楽しみましょう。でもちゃんと見れる場所がないのが残念なところでしょうか。せめて眺めのいい場所でもあればいいのですが・・・、それ故に知名度が上がらない気もします。

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取り付けられているライト(外側のカバー)に関しては、現在の装飾電球は平成15年に改修された際に新しく取り付けたものです。それ以前は大正12年の建設時に取り付けられていたものがずっと使われていて、改修の時に取り外された12個の電球の内で壊れていないものの一つが弦巻区民センターのロビーに展示されています。ライトアップの写真を撮りに行くついでに訪れてみましたが、係の人も「へぇ~今日はライトアップされているんだ」といった無関心ぶりでした・・・。普段も興味を持って見に見に来る人もほとんどいないようです。

この電球はガラスケースに入れられていて、頼むと点灯してくれます。直径が53cmでガラスの厚さはたった2mmというもの。よく大正時代から壊れなかったものですね。ある意味奇跡的なことではないでしょうか。

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* 駒沢給水所構内見学会 *

毎年10月1日の都民の日に駒沢給水場の一般公開が行われます。これは先に書いたように「駒沢給水塔風景資産保存会」の努力と、水道局の好意で行われています。申し込みは「駒沢給水塔風景資産保存会」のHPから行うことができ、だいたい一ヶ月ぐらい前に専用ページが設置され、そこで申し込みを行うことができます。見学会は一日2回行われ、定員数は各100名。早い回のほうが先に満員になるようです。

また当日、資料代として500円必要になります。そして当日何より重要なのは虫除け対策をして訪れることです。長袖長ズボンは必須です。とにかく虫が多い場所なのです。小さいお子さんを連れて行く場合には特に気をつけましょう。ベビーカーでの見学も可能ですが、蚊の襲撃にあう子供の事を思うとやめた方がいいと思います。見学どころではなくなってしまいます。

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見学会について書くと、まず受付で名前を確認して、お金を払います。そして全員が集まり「駒沢給水塔風景資産保存会」の役員の方や水道局の人のお話を聞いた後、見学者100名を三班に分けてぞろぞろと見学に向かいます。案内をしてくれるのは「駒沢給水塔風景資産保存会」の方で、背広姿の水道局の方も我々と一緒に説明を聞いているというのが変わっているかもしれません。

敷地内で実際に内部を見学できるのは第一配水ポンプ室ぐらいです。古めかしい建物の中に入ると、内部には近代的なポンプの機械が並んでいるといった光景は面白いかもしれません。このポンプ室は昭和7年に建造されたもので、その趣のある建物は昭和初期の名建築物と言われています。

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それ以外は説明を聞きながら敷地内を回るといった感じです。見所としてはそれぞれの給水塔に掲げられている額字、「清冽如鑑(セイレツカガミノゴトシ)」(1号塔)と「滾々不盡(コンコントシテツキズ)」(2号塔)の銘文は実際に中に入らないと見る事ができないものなので貴重かもしれません。これは内務大臣水野錬太郎氏の筆によるこの渋谷まで送水するといった壮大なプロジェクトに対しての政府の関心の高さをうかがわせてくれます。

そのほかでは渋谷村と書かれた鉄のふたなども当時のままなので珍しいそうですが、これは見て面白いかといわれると微妙かもしれません。全体的に敷地内には西欧風のデザインをした記念碑ながあり、古い欧風のポンプ室があり、そして西欧のお城っぽい給水塔がありとヨーロッパ調にまとめられていて異国情調というと変ですが、変った雰囲気を味わえるかと思います。

敷地内もきれいに整備されているので水道施設に興味がなくても見学は楽しめると思います。たぶん見学した多くの人は満足して敷地を後にしたことでしょう。一つのことを除いて・・・。いかんせん水を扱っているので蚊が多いこと。これだけは閉口してしまいました。

<せたがや百景 No.25 駒沢給水所の給水塔 2009年3月初稿 - 2015年10月改訂>
( せたがや地域風景資産 No.1-2、双子の給水塔の聳え立つ風景 )