世田谷散策記

 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.2

大山道と池尻稲荷

せたがや地域風景資産 No.1-1

池尻稲荷神社を中心とする旧大山道

大山道の面影を訪ねることができる。街道沿いにあった池尻稲荷には「涸れずの井戸」がいまもこんこんと湧いている。江戸市中を発った旅人は道筋ここまで飲み水がなく、この井戸で喉を潤したという。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 :池尻2-34-15(池尻稲荷神社)
・関連団体:せたがや道楽会、大山みちの会
・備考 :例大祭は9月第3週の週末、その他行事は公式サイトで確認できます。
せたがや百景の案内板

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* 大山道について *

池尻稲荷神社から見る国道246号
池尻稲荷神社から見る国道246号

頭上には首都高、地下には田園都市線が通るという交通の大動脈となっています。

世田谷区を通る幹線道路の一つに国道246号、通称玉川通りがあります。世田谷区の東端の池尻から西端の二子玉川までを貫くだけではなく、東京と神奈川を結ぶ首都圏交通の大動脈にもなっています。

この玉川通りは二子玉川から多摩川を渡って神奈川県に入ると、通称が厚木大山街道に変わります。この名前の通り国道246号は江戸時代の旧街道大山道になぞって整備されたもので、古くからの歴史的な道となります。

現在では多くの部分でバイパス化されたために道筋がかなり変わってしまいましたが、基本的な大山道は赤坂見附から始まり、青山通り~渋谷~三軒茶屋~ボロ市通り~二子玉川~溝口~厚木、そして山岳信仰の聖地である大山阿夫利神社へと続いていました。

大山阿夫利神社の門前町
大山阿夫利神社の門前町(神奈川県伊勢原市)

宿坊や講碑が並ぶ旧参道は今もなお昔ながらの雰囲気が残っています。

大山阿夫利神社は雨乞いの神様として名を馳せていて、江戸から多くの人が訪れていました。農村であった世田谷からも村をあげての雨乞いの講が多く出ていたようです。

もっとも農業にあまり関係のない江戸の中心部に住む江戸っ子には伊勢や富士山は遠いから比較的手軽な大山でといった感じで人気があったようですが・・・、そもそも伊勢参りにしても大山参りにしても江戸時代の人には旅に出る口実というのが本音で、かなり娯楽色の強かった道中というのが実際だったようです。

弦巻にある大山詣の旅人の像
弦巻にある大山詣の旅人の像

池尻稲荷神社の像とセットで設置された感じです。

ただ・・・、現代人の発想では、途中に娯楽があってもそんな距離を神社に向かうためだけに何日もかけて歩くなんて・・・、と考えるだけで苦痛ですね。

「旅とは辿り着くことよりも旅の経過を楽しむことにあり」というのが昔の旅のスタイルだったのですが、現在では移動が簡単になってしまったものだから、移動に関しては極力短時間で済ませ、目的地でいかに楽しむかというのが標準的発想になってしまいました。

だから旅の移動に醍醐味を感じることができず、面倒な移動が苦痛に感じてしまうのも無理のないことです。それに時間的制約の多い世の中ですから、興味を感じてもそういった旅をすること自体が難しいかもしれません。

池尻稲荷神社付近の旧大山道
池尻稲荷神社付近の旧大山道

ゆったりとカーブしているぐらいで普通の道です。

池尻大橋駅の南口付近、国道246号の南側から斜めに枝分かれしていく細い道があります。この道は緩やかに湾曲した道で、道なりに進んで行くと再び三宿の交差点付近で国道246号に合流します。

これがかつて大山道だった道で、明治40年に玉電の軌道を施設する際に大山道が真っ直ぐになり旧道となりました。

バイパス化などによって取り残された旧街道は昔の面影を色濃く残している事が多いのですが、残念ながらここではゆったりと道が旧道らしくカーブしていることぐらいしか昔の面影を感じることはありません。

そもそも池尻稲荷神社を中心とした池尻地域は江戸時代には農家が数十軒あるほどの農村地域で、普通の人が旧街道といって真っ先に想像するような宿場町ではありませんでした。

それは目黒川の北部には幕府の狩猟地も薬園地などがあった事も一因のようで、今では想像もできないような寂れた地域だったようです。

そんな寂れた地域が変わったのは、明治24年に騎兵第一大隊の兵舎が現在の池尻4丁目に造られてからです。明治30年には現在の池尻1丁目と2丁目の一部に駒沢練兵場が造られ、何もない農村だった地域が急に軍事地域となってしまいました。それと共に地域が活性化していき商店や旅館が街道沿いに並び、人口が増大していきました。

大正時代になると鉄道の開通と共に世田谷自体の人口が増えていき、関東大震災後は爆発的に人口が流入していきます。

昭和になり、太平洋戦争が勃発すると、軍事基地のある池尻が空襲の標的にならないはずはなく、多くの家々が焼けることとなります。

戦後になると練兵場などは世田谷公園や小中学校、都営住宅へと変わっていき、池尻の地は都心から近い地の利もあって多くの家やアパートが建てられていき、賑やかな町へと変わっていきました。

といったわけで旧大山道といっても、江戸時代は何もない農村だったし、明治になって賑やかになってもそれは兵隊相手の町として開けたものだし、明治30年頃には現在の246号の場所に新道が作られて旧道となっているし、更には戦災にも遭っているので、昭和初期まで盛んに行われていた大山詣を彷彿させるような面影はほとんど残っていません。

唯一面影を求めるなら戦災を免れた池尻の鎮守である池尻稲荷神社と境内にある涸れずの井戸という事になります。

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* 池尻稲荷神社について *

池尻稲荷神社の旧道側の入り口
旧道側の入り口

鳥居前に旧大山道の石碑とかごめかごめの像があります。

池尻稲荷神社は世田谷区の一番東側にある大山道関連の名残りとなります。神社は現在の幹線道路である国道246号にも大山道の名残りである旧道にも面しています。

旧道側の入り口付近には枯れずの井戸の碑と遊ぶ子供の像が設置されています。これは奉公に出された少女が赤ん坊を背負いながら幼い子どもと「かごめかごめ」の歌いながら遊んでいる光景をイメージして製作されたものだそうです。きっと昔の境内ではこういった光景が当たり前のように繰り広げられていたのでしょう。

池尻稲荷神社の国道246号側の入り口
国道246号側の入り口

提灯が灯るといい雰囲気になります。

もう一方の入り口、国道246側は国道ができるときに敷地が削られたので新しく作られた入り口となります。こちらには多くの提灯が並べられていて、大通りにあることからも少し華やかな感じの入り口です。

ただ、ここは大都会の幹線道路。普通に考えると、赤い提灯がずらっと並んでいればかなり目立つはずなのですが、周りはビルだらけだし、ネオンも華やかに灯っています。なにより頭上には首都高速が走っているので、246号を車で走っていてもあんまり存在感がなかったりします。

池尻稲荷神社の境内
ビルに囲まれた境内と社殿

ビルの谷間に神社があるといった都会的な感じの境内です。

創建は由緒書きによると明暦年間(1655~57)で、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を祀っています。江戸時代は池尻村、池沢村の鎮守であり、「火伏せの稲荷、子育て稲荷」として地域の村民の信仰を集めていたようです。

それなりに歴史がある神社のようですが、境内はあまり広くなく、また社殿のすぐ横には社務所の入った大きなビルが建ち、背後には首都高速が走っているといった実に都会的な神社で、古刹といった雰囲気は感じられません。

なんというか都会に多いビルの谷間にある神社ってな感じです。それぞれの事情や時代の流れがあるので神社や寺が都市化してしまうのはしょうがない事です。

横にビルが建てられる前の写真を見ると、うっそうとした感じで木が茂り、首都高なども木々が隠していてそれなりの雰囲気が感じられていましたし、その前の国道246号の道幅拡張で土地を売却する前はこの神社もそれなりに広く、230坪余りあったそうです。

池尻稲荷神社の手水舎
手水舎

涸れずの井戸から水が引かれています。いろいろとご利益があるようです。

池尻稲荷に関して色んな記述を読むと、江戸時代は神社というよりも「涸れずの井戸」と呼ばれる井戸が有名だったようです。なんでも日照りが続いても涸れる事がなかったからそう呼ばれたとかで、かつては街道を行きかう人々が喉を潤したそうです。

特に雨乞いで大山に出かけるときは必ず寄っていたそうです。縁起担ぎみたいなものでしょうか。それとも当時の「大山参り完全攻略」とか、「大山街道の歩き方」というようなガイドブックに書かれていたのでしょうか・・・笑。

とまあ、そういったこともあったかもしれませんが、実際問題として赤坂からここまでの間に飲用水がなく、みなここの井戸の水を頼りにしていたとも言われています。街道沿いに全く人が住んでいなかったわけでもないので、きっと誰でも彼でも気軽に休める道の駅的な存在だったのかもしれません。ちょうど渋谷の坂を上って、下った場所にあるのですから。

ちなみに池尻の地名は池の端という意味からつけられたそうです。すぐそばを目黒川が流れ、そして隣の三宿は三軒の宿の意味ではなく、「水が宿る」という意味からなまって三宿になったことを考えれば、元々この辺りは池が多く、水の豊かな土地だったようです。今では住宅街やら高速道やらとアスファルトとコンクリートだらけで、水はわいていてもそんなイメージは全くわきませんね。

現在でも井戸(水脈)は涸れていなく、手水舎の水はその井戸からポンプで汲み上げています。手水舎の後ろには案内板(神社によるもの)が設置されていて、それによると「薬水の井戸」というのが正式名称のようです。

なんでもかんでも伏見稲荷のありがたい謂れがあり、「神の道を信じ勤めその病気の平癒を心に三度念じ、神の薬として飲みほせば薬力明神の力により、病気たちどころに快癒する」との事で、なんとなんと信仰心があれば病気が治ってしまうとか。

池尻稲荷神社の清姫稲荷神社
清姫稲荷神社

狐が逃げないように檻に入れられています・・・笑。

本殿に向かって左側にある小さなお社は清姫稲荷神社です。御神体が白蛇ではないかと伝えられているそうです。清姫様が叶わぬ恋のために池に身を投げて白蛇の化身になったのでしょうか。特に由緒が書かれていませんでしたので勝手な推測で書いたのですが、きっと当たらずとも遠からずといった感じではないでしょうか。

また、手水舎の前にある社は水神社です。こちらもまた「水の神様=ヘビ」として祀られています。そう考えると、境内にはお稲荷様の狐だけではなく、実は蛇も沢山祀られている神社だったりします。「ヘビ」は智恵の象徴なので、よくお参りすると「学業成就」がかなうかもしれません。

また空襲で近隣が焼けたときでも境内にある二本の大ケヤキによって風向きが変えられ神社の消失が免れたという逸話も残っています。

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* 地域風景資産について *

高津の区民祭での大山講行列
高津の区民祭での大山講行列(川崎市高津区)

池尻からも参加したそうですが、ただ歩いているだけでした・・・。

地域風景資産の活動についてですが、平成20年11月の時点で「せたがや道楽会」「大山みちの会」という二つの団体がこの項目に携わっています。

といってもさすがにかつての街道の面影を取り戻すような活動をしているわけではなく、写真展を行ったり、瓦版を制作したり、大山詣がデザインされた手ぬぐいを製作、販売したり、池尻稲荷神社で寄席を行ったり、大山道が通じている区外の地域との交流や町歩きを行ったりしているようです。

要は大山道を利用して地域のコミュニケーションを活性化させ、また他の街道沿いの地域とも交流することによってお互いに刺激しあって活動の幅を広げようといった活動のようです。かつては人や物を運ぶ街道でしたが、今では人の絆を運んでいるのですね。人があるところに道があり!ってなところでしょうか。

ちなみに秋祭りの時にいただいた社報に寄席の案内が載っていたので抜粋すると、正式には「大山街道 池尻稲荷寄席」と名付けられていて、「秋の」と書いてあるから年に数回行っている感じです。主催は池尻稲荷神社で、協力が大山みちの会。出演は地元池尻の芸人とのことで、古典落語からものまね、マジックと6人の演者が演じてくれるようです。入場料は無料なので、興味があれば訪れてみるとよいでしょう。

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* 池尻五町会連合納涼盆踊り大会 *

池尻稲荷神社 池尻五町会連合納涼盆踊り大会
夏の池尻五町会連合納涼盆踊り大会

子供たちが太鼓をたたき、ご婦人方が踊るといった感じです。

池尻稲荷神社には宮司さんが常駐しています。受付時間内ならいつでも祈祷を受けることができ、神前結婚式も行うことができます。神社として組織がしっかりしているので、秋祭り以外にも歳旦祭や節分祭、勧学祭などといった一般的な神事も行われます。神事の日程などは神社のサイトで確認できます。

神事以外では地域の行事が行われ、大きなものでは夏に池尻五町会連合納涼盆踊り大会が行われます。池尻地域の町会で協力して行われ、出店も出るので、時間帯によってはそこそこ賑わいます。

盆踊りは境内に櫓が組まれ、櫓では各町の揃いの浴衣を着た婦人会の方々が見本となる踊りをし、櫓の周囲で一般の人などが踊るといった感じです。櫓の前で子供たちが順番に太鼓を楽しそうに叩いているのが印象的でした。

池尻五町会連合納涼盆踊り大会 5町会の代表のあいさつ
5町会の代表のあいさつ

浴衣の色によって町会が分かれているようです。

「池尻五町会」と名がついていますが、これは池沢村が合併して池尻村になった時の小字が「北町」「東町」「西町」「中町」「南町」の五つだったことに由来します。

一番北の旧池沢村だった4丁目の池尻四丁目会、3丁目の東側部分の池尻北自治会、同じく3丁目の西側部分の池尻西町会、2丁目の神社より東と南側の池尻東親会、同じく2丁目の神社を含めた西側と1丁目の池尻南睦会が現在の町会名で、秋祭りでの町会神輿も同じく5基あります。

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* 池尻稲荷神社の秋祭り *

池尻稲荷神社 雨の日の秋祭りの写真
雨の日の秋祭り

池尻の祭りには雨が似合う・・・のかもしれません。

池尻稲荷神社の秋祭り(例大祭)が行われるのは9月の第三日曜日とその前日です。かつては9月20、21日の固定日に行われていましたが、平日だと人が集まらないという事情もあり、週末に変更されました。

お祭りに関して面白い逸話が残っていて、かつては例祭日には必ず雨が降ったそうです。それは境内の大ケヤキに主として住み着いていた白蛇をある祭りの時に蛇屋が持って行ってしまったとか。それ以降は祭りの日になると白蛇の祟りで雨が・・・といった感じのようです。

ちょうどこの時期は周辺の地域でも秋祭りが行われるのですが、祭礼日の近い神社でも同じように毎年雨に祟られたといった記録が残っていることから、本当に雨が多かったようです。野沢稲荷などは雨が多いので8月に祭礼を変えているほどです。そう考えるとすさまじい蛇の怨念となり、他の地域にとっては傍迷惑な話かもしれません。

でも・・・、まあこの時期は雨が多い時期でもあるので、池尻のせいにするのも酷な話しですね。そういった経緯を踏まえても祭日が変更になったのは良かったのかもしれません。

池尻稲荷神社 秋祭りの時の境内の写真
秋祭りの時の境内

露店も少なめで、あまり人も多くありません。

池尻の祭りは隔年で宮神輿が運行され、宮神輿の年と町会神輿のみの年と一年ごとに違った形態で行われます。もちろん華やかな宮神輿が運行される年の方が多く人が集まり賑やかになります。

とはいえ、物凄く人が集まる祭りではなく、宮神輿の年でも露店は境内のみで、だいたい10店弱ほどです。訪れる人も時間帯にもよるのでしょうが、まばらといった感じです。

池尻稲荷神社例大祭 宵宮の奉納演芸の写真
宵宮の奉納演芸

上品な感じの奉納演芸でした。

神楽殿では宵宮の日の昼間に煎茶会が行われ、夜には奉納芸能が行われます。

茶会は池尻稲荷神社の社務所のビル内にある茶室で活動する静中庵流煎茶道によるもので、この時は神楽殿が茶室に変ります。舞台の上で茶会というのも風流というか、なんかいいかもしれません。おまけにフルートの演奏も目の前で行ってくれ、一席500円というのはお安いのではないでしょうか。七夕などにも七夕茶会チャリティーコンサート等を行っています。

奉納演芸はそれぞれの町会の婦人会が演奏等の演目を行うといったものです。たまたま見た演目がそうだったのか分かりませんが、これがまた結構凝っていて、さすが都心に近いだけあって文化的というか、ハイソなご婦人方が多く暮らす地域なのかも・・・なんて勝手に納得してしまいました。

本祭の昼間から夜にかけて断続的に岡田民五郎社中による神楽が奉納されます。訪れたときは天気が悪かったのもあったのですが、見学者がほとんどいなく、ちょっと寂しい感じの舞となっていました。

池尻稲荷神社例大祭 神輿の神事の写真
神輿の神事

神輿の運行する前に修祓や神様を神輿に移す神事、挨拶等が行われます。

池尻稲荷神社の例大祭では隔年で宮神輿が運行されます。西暦で言うなら奇数年が運行年になります。きっと毎年出せればいいのでしょうが、担ぎ手を集めたり、巡幸させるための資金とか色々と事情があるようです。でもこれはこれで、宮神輿の運行が貴重というか、有り難味があり、祭りにも本祭年、陰祭年といったメリハリができていいように感じます。

宮神輿は延軒屋根、勾欄造りで、大きさは台座が3尺3寸で、製作者は浅草の難波になります。建造は昭和4年で、町の人々の寄付によって造られたそうです。

特徴はなんといっても台座や屋根などに施された打ち出し模様の美しさで、東京でも少し有名で、新聞にも載った事もあるそうです。その美しさや調和の取れたすらっとした細身の姿から別名貴婦人とも呼ばれているとか。って、SLの山口号みたいですね。

池尻稲荷神社例大祭 国道246号の渡御の写真
国道246号の渡御

こういった人通りの多い場所では担ぎ手のテンションが上がります。

池尻自慢の神輿なので、かつては池尻の各地域で決まった職人や鳶の人しか担ぐことができなかったそうです。現在では担ぎ手不足といったこともあるのですが、そういった事はなくなり、一般人、女性でも担げるようになりました。

いい神輿を担ぎたい。美しい神輿を見たいと思うのは祭り好きだけかもしれませんが、宮神輿が運行される年には神輿好きな担ぎ手や見学者が多く訪れます。

池尻稲荷神社例大祭 神輿の宮入の写真
神輿の宮入

神輿の宮入の際は境内が熱気であふれかえります。

宮神輿は日曜日に運行され、10時か10時半に大祭式。12時半に神幸祭。12時50分に宮出。そして町域を巡って17時半から18時ぐらいの間に宮入します。

旧道などが主なルートになりますが、途中国道246号の大通りを通ったり、渡ったりしなければならなく、その時は担ぎ手のテンションが上がります。車で通行の人も何事かといった感じで興味津々で眺めていました。

見所となる神社からの宮出と神社へ入る宮入はそれなりに人が集まってきて、最後に境内で揉むときは境内全体が熱気に包まれます。

池尻稲荷神社例大祭 町会神輿の渡御の写真
町会神輿の渡御

旧道を神社に向かって楽しそうに進んでいました。

宮神輿が運行されない年は五町の町会神輿が担がれます。詳しい運行形態を知りませんが、昔訪れたときは夕方に2つのお神輿がちょうど宮入りしていました。

町会神輿というと威勢がよかったり、ワイワイと賑やかなイメージがありますが、ここでは担ぎ手が多くないのもあって、のんびりと楽しく、マイペースといった感じでした。

本来なら旧道を進む神輿は絵になるものですが、ここではちょっと周りの風景が近代的過ぎて、特別な情緒といった部分は感じられませんでした。でも見物人を含めた渡御の様子はとても雰囲気のいいものでした。

池尻稲荷神社例大祭 神輿の飾りつけの写真
神輿の飾りつけ

神輿の運行前に装飾や飾り紐、台座には担ぎ棒を取り付けていきます。

秋祭りを見学していて感じたのが、ここのお祭りは世田谷の中でも少し雰囲気が違うなということでした。なんというか、凛としているというか、毅然としているといった印象を受けました。

その時は世田谷の中でも一番都会(都心)に近い地域だからかなと思ったのですが、色々と知った後で改めて思い直してみると、それは池尻が兵隊相手に商いをしてきた兵隊の町だった名残なのかなと思えてきました。

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* 感想など *

かごめかごめの像と秋祭り
かごめかごめの像と秋祭り

まだ暑い時期なので夏祭りといった感じですが、落ち着いた雰囲気の祭りでした。

池尻は日本を代表する繁華街渋谷と世田谷を代表する繁華街三軒茶屋の間に立地しています。無機質な都会といった見方をしてしまえばそれ以上の価値観を町並みから見出すのは難しいでしょう。

でも大山道の歴史を知り、兵隊村だった歴史を知ってから散策すると、町並みからどことなく懐かしさなど違った価値観が見えてくるものです。それはきっと地域の中心として存在し続けた池尻稲荷神社の存在があったからに違いありません。

世田谷区内を横断する大山道の東端の地、池尻。そう書くと、何か面白いものがあるのではと魅力的に感じてしまうのは旅人気質の人間だけかもしれませんが、ぜひ足を運び、目まぐるしく変わっていく都会の中で、人々に守られ、残り続けてきたものの存在を感じてみてください。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所池尻2-34-15
・アクセス田園都市線池尻大橋駅から徒歩10分以内

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<せたがや百景 No.2 大山道と池尻稲荷 2008年6月初稿 - 2018年5月改訂>
( せたがや地域風景資産 No.1-1 池尻稲荷神社を中心とする旧大山道 )

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