世田谷散策記 せたがや百景のバーナー
せたがや百景の案内板

せたがや百景 No.2

大山道と池尻稲荷

せたがや地域風景資産 No.1-1

池尻稲荷神社を中心とする旧大山道

大山道の面影を訪ねることができる。街道沿いにあった池尻稲荷には「涸れずの井戸」がいまもこんこんと湧いている。江戸市中を発った旅人は道筋ここまで飲み水がなく、この井戸で喉を潤したという。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 池尻2-34-15(池尻稲荷神社)
・地域風景資産の関連団体 : せたがや道楽会、大山みちの会
・備考 : 例大祭は9月第3週の週末、その他行事は公式サイトで確認できます。

*** 旧大山道と池尻稲荷神社の写真 ***

旧大山道側の池尻稲荷神社の入り口 旧大山道の碑とかごめかごめの像が鳥居前に設置されている
旧道側の入り口

鳥居前に石碑や像などがあります。

かごめかごめの像 目隠しして座る男の子の周りを赤子を背負った女の子が回っている
かごめかごめの像

昔のありふれた光景といった感じでしょうか。

池尻稲荷神社の境内の写真 社殿の背後にビルがたくさんそびえている
ビルに囲まれた境内

かなり都会的な雰囲気の神社です。

池尻稲荷神社の境内の写真 社殿横にあるイチョウの木の紅葉が美しい
秋の境内

葉が色づくと少し柔らかい雰囲気になります。

池尻稲荷神社の社殿 夕刻で提灯に明かりがともりやわらかい雰囲気となっている
夕暮れのお稲荷さん

提灯に明かりが灯ると雰囲気が神社らしくなります。

境内にある清姫稲荷神社の社の写真
清姫稲荷神社

狐が逃げないように檻に入れられている・・・みたい。

国道側の入り口 交通量が多い幹線道路が目の前です
神社から国道246号を眺める

こちら側は大通り&首都高です。

境内にある手水舎の写真 見た目はありふれた手水舎です
手水舎

涸れずの井戸から水が引かれています。

国道側の入り口にたくさん並べられている提灯がともっている様子
国道246側の入り口、提灯が灯る様子

鳥居付近の提灯が灯ると賑やかな感じになります。

境内で行われた盆踊りのようす 多くの人が櫓を囲んでおどっています
夏の盆踊り

結構賑わうときもあります。

秋祭りで神輿が旧道を渡御する様子
宮神輿の旧大山街道渡御

神職が先頭に町内を練り歩きます。

神輿が宮入りしてきて境内が人であふれかえる様子
宮入してきた宮神輿で賑わう境内

自慢の宮神輿だけあってとても活気がありました。

*** 関連写真 ***

大きく大山道と彫られた石碑
三軒茶屋の道標

三軒茶屋の三叉路、追分にある有名な石碑

座って一服している江戸時代の旅人の像
弦巻にある大山詣の旅人の像

ボロ市通りから用賀に抜ける旧道沿いにあります。

背中に大山と書かれた白い服を着て歩く人々
高津の区民祭での大山講行列

ただ歩いているだけでした・・・

大山の宿坊が並ぶ通り 昔ながらの情緒ある雰囲気がある
大山の宿坊や講碑が並ぶ旧参道

今もなお昔ながらの雰囲気が残っている場所もあります。

* 旧大山道と池尻稲荷神社について *

世田谷区を代表する道路の一つに国道246号、通称玉川通りがあげられます。世田谷区の東端の池尻から西端の二子玉川までを貫くだけではなく、東京と神奈川を結ぶまさに首都圏交通の大動脈です。この玉川通りは二子玉川から多摩川を越えて神奈川県に入ると、同じ国道246号でも通称が厚木大山街道に変わります。この名前の通り国道246号は江戸時代の旧街道大山道になぞって作られました。

現在ではバイパスが多く作られ、道筋がかなり変わってしまいましたが、基本的な大山道は赤坂見附から始まり、青山通り~渋谷~三軒茶屋~ボロ市通り~二子玉川~溝口~厚木、そして山岳信仰の聖地、大山阿夫利神社へと続いていました。

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大山阿夫利神社は雨乞いの神様として名を馳せていて、江戸から多くの人が訪れていました。農村であった世田谷からも村をあげての雨乞いの講が多く出ていたようです。もっとも農業にあまり関係のない江戸の中心部に住む江戸っ子には伊勢や富士山は遠いから比較的手軽な大山でといった感じで人気があったようですが・・・、そもそも伊勢参りにしても大山参りにしても江戸時代の人には旅に出る口実というのが本音で、かなり娯楽色の強かった道中というのが実際だったようです。

ただ現代人的な発想では、途中に娯楽があってもそんな距離を神社に向かうためだけに歩くなんて・・・と考えるだけで苦痛ですね。「旅とは辿り着くことよりも旅の経過を楽しむことにあり」というのが昔の旅のスタイルだったのですが、現在では移動が簡単になってしまったものだから、移動に関しては極力短時間で済ませ、目的地でいかに楽しむかというのが標準的発想になってしまいました。だからそういった旅に対して興味が持てないのもしょうがないですね。

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話がそれてしまいましたが、この池尻稲荷神社は世田谷区の一番東側にある大山道関連の名残りとなります。創建は由緒書きによると明暦年間(1655~57)で、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を祀っています。江戸時代は池尻村、池沢村の鎮守であり、「火伏せの稲荷、子育て稲荷」として地域の村民の信仰を集めていたようです。

それなりに歴史がある神社のようですが、境内はあまり広くなく、また社殿のすぐ横にはビルが建ち、背後には首都高速が走っているといった実に都会的な神社で、古刹といった雰囲気は全く感じません。なんというか都会によくあるビルの谷間にある神社ってな感じです。でも横にビルが建てられる前の写真を見ると、うっそうとした感じで木が茂り、首都高なども木々が隠していてそれなりの雰囲気が感じられたようです。

それぞれの事情や時代の流れがあるので神社や寺が都市化して雰囲気が悪くなってしまうのはしょうがない事です。それに昔はこの神社もそれなりに広く、230坪余りあったそうですが、昭和39年にすぐ背後を通る国道246号の道幅を拡張する際に境内の一部が削られてしまったという経緯もあります。

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池尻稲荷に関して色んな記述を読むと、江戸時代は神社よりも「涸れずの井戸」と呼ばれる井戸が有名だったような感じです。なんでも日照りが続いても涸れる事がなかったからそう呼ばれたとかで、かつては街道を行きかう人々が喉を潤したそうです。特に雨乞いで大山に出かけるときは必ず寄っていたそうです。縁起担ぎみたいなものでしょうか。それとも当時の大山参り完全攻略といったガイドブックに書かれていたのでしょうか・・・笑。現在でもその井戸(水脈)は涸れていなく、手水舎の水はその井戸からポンプで汲み上げています。

ちなみに手水舎の案内板(神社によるもの)によると、薬水の井戸というのが正式名称のようです。なんでもかんでも伏見稲荷のありがたい謂れがあり、「神の道を信じ勤めその病気の平癒を心に三度念じ、神の薬として飲みほせば薬力明神の力により、病気たちどころに快癒する」との事で、なんとなんと信仰心があれば病気が治ってしまうとか。

もう一つ、赤坂からここまでの間に飲用水がなく、みなここの井戸の水を頼りにしていたとも言われているそうです。といっても街道沿いに住んでいる人がいたわけなので、水が全くないということはありえないから、きっと誰でも彼でも気軽に休める道の駅みたいな意味合いでの事でしょうか。池尻の地名自体も池の端という意味。すぐそばを目黒川が流れ、そして隣の三宿は三軒の宿の意味ではなく、「水が宿る」という意味からなまって三宿になったことを考えれば、元々この辺りは池が多く、水の豊かな土地だったようです。今では住宅街やら高速道やらとアスファルトとコンクリートだらけで、水はわいていてもそんなイメージは全くわきませんね。笑

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その他には本殿に向かって左側にある小さなお社は清姫稲荷神社です。御神体が白蛇ではないかと伝えられているそうです。清姫様が叶わぬ恋のために池に身を投げて白蛇の化身になったのでしょうか。特に由緒が書かれていませんでしたので勝手な推測で書いたのですが、きっと当たらずとも遠からずといった感じではないでしょうか。

また、手水舎の前にある社は水神社です。こちらもまた「水の神様=ヘビ」として祀られています。そう考えると、境内にはお稲荷様の狐だけではなく、実は蛇も沢山祀られている神社だったりします。「ヘビ」は智恵の象徴なので、よくお参りすると「学業成就」がかなうかもしれません。

ただ、お祭りに関して面白い逸話が残っていて、かつては例祭日には必ず雨が降ったそうです。それは境内の大ケヤキに主として住み着いていた白蛇を蛇屋がある祭りの時に持って行ってしまったとか。それ以降は祭りの日になると白蛇の祟りで・・・といった感じのようです。だとしたら現在は御利益がないかも・・・しれません。また空襲で近隣が焼けたときでも境内にある二本の大ケヤキによって風向きが変えられ神社の消失が免れたという逸話も残っています。

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池尻稲荷は現在の幹線道路である国道246号にも大山道の名残りである旧道にも面しています。旧道側の入り口付近には枯れずの井戸の碑と遊ぶ子供の像が設置されています。これは奉公に出された少女が赤ん坊を背負いながら幼い子どもと「かごめかごめ」の歌いながら遊んでいる光景だとか。昔の境内ではこういった光景が当たり前のように繰り広げられていたのでしょう。

また多くの子ども達も水くみに使わされたのに一緒に輪の中に入っていってしまうといった様子などもイメージを膨らませることができます。そしてこの後、何で水汲みに行ってこんなに遅いの!と怒られ、夕飯を食べさせてもらえなかったのでは・・・などと考えるのは現在の日本人的な考え。現在でも水の不自由な海外での水汲みはこんな感じでほのぼのとしています。トムソーヤの冒険でも朝の水汲みが奴隷黒人達のコミュニケーションの場だったとあるのも同じことです。

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もう一方の入り口、国道246側は先に書いたように国道ができるときに敷地が削られ、新しく作られた入り口となります。こちらには多くの提灯が並べられています。普通に考えると、赤い提灯がずらっと並んでいればかなり目立つはずなのですが、ここは大都会の幹線道路。周りはビルだらけだし、ネオンも華やかに灯っています。なにより頭上には首都高速が走っているので、246号を車で走っていてもあんまり存在感がなかったりします。ただ夜になり、赤々と提灯に灯がともると、おっ神社だ!と少しは目立った存在になります。とはいってもやはり目の前の交差点で信号待ちしているときにぐらいにしか気にかからない存在かもしれません。

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*秋祭り*

毎年秋になると例大祭が行われます。一応9月の第3週となっていますが、氏子や神社などの都合によって多少前後する事もあるみたいです。池尻稲荷の例大祭で有名なのは二年に一度渡御される宮神輿です。なんでも東京にある神輿の中でも台座の装飾が美しいと知られる神輿で、新聞で紹介された事もあるとか。実際に神輿が渡御される様子を写真に撮っていると、近所のおばさんなどが「知ってる?この御神輿、新聞に載ったのよ」などと自慢げに話しかけられる事もありました。これも池尻の人の自慢の一つになるのでしょうか。

ただ、縁日などに関しては思いのほか小規模なものでした。秋祭りを見学していて感じたのが、ここのお祭りは世田谷の中でもなんというか、凛としているというか、毅然としているといった印象を受けた事でした。その時は世田谷の中でも一番都会(都心)に近い地域だからかなと思ったのですが、色々と知った後で改めて思い直してみると、それは池尻が兵隊相手に商いをしてきた兵隊の町だった名残なのかなと思った次第です。詳しくは秋祭りのページに載せています。

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*大山道や世田谷地域風景資産*

池尻大橋駅の南口付近から国道246号から斜めに枝分かれしていく細い道があります。この道は緩やかに湾曲した道で、道なりに進んで行くと再び三宿の交差点付近で国道246号に合流します。これがかつて大山道だった道で、明治40年に玉電の軌道を施設する際に大山道が真っ直ぐに引かれた事により旧道となりました。バイパス化などにより取り残された旧街道は昔の面影を色濃く残している事が多いのですが、残念ながらここでは昔の面影らしい風景はほとんどありません。

そもそも池尻稲荷神社を中心とした池尻地域は江戸時代には農家が数十軒あるほどの農村地域で、普通の人が旧街道といって真っ先に想像するような宿場町といった類ではないのです。それは目黒川の北部には幕府の狩猟地も薬園地などがあった事も一因のようで、今では想像もできないような寂れた地域でした。この地を劇的に換えたのは明治24年に騎兵第一大隊の兵舎が現在の池尻4丁目に造られてからです。

明治30年には現在の池尻1丁目と2丁目の一部に駒沢練兵場が造られ、何もない農村だった地域が急に軍事地域となってしまいました。それと共に地域が活性化していき商店や旅館が街道沿いに並び、人口が増大していきました。大正時代になると鉄道の開通と共に世田谷自体の人口が増えていき、関東大震災後は爆発的に人口が流入していきます。昭和になり、太平洋戦争が勃発すると、軍事基地だらけの池尻が空襲の標的にならないはずはなく、多くの家々が焼けることとなります。戦後になると練兵場などは世田谷公園や小中学校、都営住宅へと変わっていき、池尻の地は都心から近い地の利もあって多くの家やアパートが建てられていき、賑やかな町へと変わっていきました。

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といったわけで旧大山道といっても、江戸時代は何もない農村だったし、明治になって町が賑やかになってもそれは兵隊相手の町として開けたものだし、明治30年頃には現在の246号の場所に新道が作られて旧道となり、更には戦災にも遭っているので昭和初期まで盛んに行われていた大山詣を彷彿させるような面影はほとんど残っていません。唯一面影を求めるなら戦災を免れた池尻の鎮守である池尻稲荷神社と涸れずの井戸という事になります。

池尻以外に目をやると、ここより東側、目黒区になりますが、池尻駅の向こう側に氷川神社があり、そこには大山道の道標が立っています。そして逆の西側には所々小さな庚申塚やお堂があり、三軒茶屋の交差点に大きな大山道の道標があります。ここから大山道は旧道(世田谷通り)、新道(国道246号)方面の二つに分かれます。新道は駒沢、桜新町駅前と続き、用賀で旧道と合流します。こちらは鉄道が施設されてから急激に発展していきます。

旧道の方は代官屋敷のあるボロ市通りにつながる道で、登戸道、六郷田無道、旧鎌倉街道などの分岐があり、賑やかな道だったようです。街道沿いの弦巻の小さな公園では一休みしている旅人の像が設置されています。池尻稲荷の水くみの像と雰囲気が似ているので同じ作者が作ったのでしょうか。

街道は用賀付近で合流するものの、再び瀬田付近で行善寺坂(行善寺の項を参照)ルートと慈眼寺ルートに分かれ、二子玉川でまたすぐに合流します。そして多摩川に突き当たると二子の渡しによって川崎へ渡っていきます。渡った先の高津区には宿場町が設けられ、今でも街道を中心としたお祭りやイベントが行われています。こういった感じで区内でもほとんどその面影はありませんが、道のつながりは人のつながりでもあるといった感じで、街道に関わる活動をしている団体があり、その活動を含めて地域風景資産に指定されています。

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地域風景資産の活動についてですが、平成20年11月の時点で「せたがや道楽会」「大山みちの会」という二つの団体がこの項目に携わっています。といってもさすがにかつての街道の面影を取り戻すような活動をしているわけではなく、写真展を行ったり、瓦版を発行したり、大山詣がデザインされた手ぬぐいを製作、販売したり、池尻稲荷神社で寄席を行ったり、大山道が通じている区外の地域との交流や町歩きを行ったりしているようです。

要は大山道を利用して地域のコミュニケーションを活性化させ、また他の街道沿いの地域とも交流することによってお互いに刺激しあって活動の幅を広げようといった活動のようです。かつては人や物を運ぶ街道でしたが、今では人の絆を運んでいるのですね。人があるところに道があり!ってなところでしょうか。

ちなみに秋祭りの時にいただいた社報に寄席の案内が載っていたので抜粋すると、正式には「大山街道 池尻稲荷寄席」と名付けられていて、「秋の」と書いてあるから年に数回行っている感じです。主催は池尻稲荷神社で、協力が大山みちの会。出演は地元池尻の芸人とのことで、古典落語からものまね、マジックと6人の演者が演じてくれるようです。入場料は無料なので、興味があれば訪れてみるのもよいでしょう。池尻の人情が肌で分かる貴重な機会かもしれません。

<せたがや百景 No.2 大山道と池尻稲荷 2008年6月初稿 - 2015年10月改訂>
( せたがや地域風景資産 No.1-1 池尻稲荷神社を中心とする旧大山道 )