世田谷散策記 せたがや百景のバーナー
百景の案内板の写真

せたがや百景 No.3

世田谷観音とその一帯

せたがや地域風景資産 No.3-3

世田谷観音~地域コミュニケーション拠点

昭和新選江戸三十三観音礼所のうちの三十二番礼所にあたる。戦後建立の寺で、区内で最も新しい。京都の六角堂を模した不動堂には、運慶の孫の康円の作といわれる、国の重要文化財の不動明王と八大童子が納められている。また、太平洋戦争で散った特攻隊員を祀った特攻観音堂がある。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 下馬4丁目9ー4
・地域風景資産の関連団体 : 小田原表情隊
・備考 : 江戸札所32番。朝市は毎月第2土曜日6時から。その他ご開帳日時などは公式サイトを参照して下さい。

*** 世田谷観音の写真 ***

吉田茂書の門前の石柱
門前の石柱

さりげなく吉田茂書って書いてあるんですけど・・・

旧小田原代官屋敷の写真
仁王門前にある旧小田原代官屋敷

名前の通り小田原にあった代官屋敷です。

門前の狛犬の写真
門前の狛犬

清時代の鉄製という変わったもの
案内文によると皇帝に進献されたものだとか

仁王門の写真
仁王門

境内に入る前から怪しい雰囲気がしてきます・・・

仁王像の写真
仁王像

風化が激しい木像、精巧さはいまいち
でも平安時代の制作・・・

仁王門にかかる大きな提灯の写真
門の提灯

何のマークでしょう。よく分かりませんが、
門とのバランスを考えると、ちょっとでかすぎるような・・・。

正月の境内の様子を写した写真
正月の境内

テントが張られ、参拝客もやってきます。

桜の時期の境内を写した写真
桜の時期の境内

ここの境内は日の当たり加減が難しいかも

阿弥陀堂の写真
二条城から移築された阿弥陀堂

金閣寺を模したといわれる三階建ての建築物。
三階部の木版には韋駄天の文字が。

不動堂の写真
六角堂を模した不動堂

建物内には重要文化財である
鎌倉時代の不動明王と八大童子が鎮座されている。

特効平和観音堂の写真
特攻平和観音堂

普段は扉が閉められています。

神州不滅特別攻撃隊の碑の写真
神州不滅特別攻撃隊の碑

観音堂以外にも特攻関係の碑がありす。
こっちはちゃんと花が供えられていました。

本堂の写真
本堂を守る龍神様

レプリカですがなかなかの迫力です。

文殊菩薩の写真
文殊菩薩

よく松ぼっくりが供えられています。

鐘楼と鐘の写真
鐘楼と鐘

慶長10年の銘がある古いもの

夢違観音の写真
夢違観音と不動堂

法隆寺の夢違観音のレプリカです。

ああ特攻の像の写真
ああ特攻の像

門前にもさりげなく特攻の像が
よほど思い入れがあるのでしょうか・・・

達磨大師の写真
達磨大師様

境内には個性的な像が多くあります。

* 朝市など *

春の朝市の様子を写した写真
春の朝市の様子

野菜や漬け物など食品が多く並んでいました。

秋の朝市の様子を写した写真
秋の朝市の様子

実りの秋ともなると多くの農産物が並んで
かなり混雑していました。

手づくり市の様子を写した写真
手づくり市

訪れたときは閑散としていました。

旧小田原代官屋敷内を写した写真
旧小田原代官屋敷内

喫茶店として使用されていました。

* 世田谷観音について *

せたがや百景というよりも、旅のネタとして何か面白い目的地になるものはないかな?と日本の珍寺を紹介しているサイトを眺めていて、地元の世田谷にも世田谷観音寺というお寺に特攻平和観音って変わったものがあるんだと知りました。

他にも境内にはいろいろと変わったものも多いとか。怪しい密教的な寺大好き人間としてはこれは近いし行っておかなければと足を運ぶことにしました。その過程で世田谷観音寺を詳しくネット調べている時にせたがや百景というものを詳しく知ったので、思えばこの百景のページを作るきっかけの一つになった場所になるのかもしれません。

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世田谷観音寺があること自体はかなり昔から知っていました。目黒に住んでいた高校時代は下北沢などに行くときによくこの前を自転車で通っていたし、大学時代は三軒茶屋に下宿している友人が多かったのでよくこの辺りに来ていました。しかしその頃は好んで寺の中に入りたいとは思わなかったので、敷地中に入るのは今回が初めてでした。ですから珍寺な部分と、今まで前を通過していた=なんとなく知ってるぞといった部分でかなり楽しみな訪問となりました。

そしていざ門前に立つと、「んんんっ・・・やっぱりなんか変だ」と早速違和感を感じました。百景の文章にあるように戦後(昭和26年)の建立で区内で最も新しいはずなのですが、ここの雰囲気はちょっとした古刹といったもの。まるでSFのようにここの時間の流れだけが速く、一気に月日が経ってしまった感じなのです。山門にある仁王像にいたっては何百年前のものだろうといったぐらいボロボロ。わざとぼろぼろにしたのかと解説を見たら、平安時代後期の作品って・・・・・、絶句。

また鉄製の狛犬とは変わっているなと解説板を見ると、中国からの渡来品で、しかも清時代の狛犬って・・・、こりゃ一体何がどうなってるの!というのはかなり大袈裟な言い方ですが、もし予備知識なしで訪れていたならビックリすると思います。

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大きな提灯が下がった仁王門から入ると、境内には色々な変わった建物が並んでいました。戦後のお寺といえばコンクリート造りの物が多いのですが、ここは木造というか・・・、何時の時代の木造建築物?といった建物が並んでいます。

特に目立つのが池のほとりにある六角形のお堂です。その洗練されたデザインは明らかに只者ではないといった雰囲気を醸し出していました。一体何の建物だろうと近づいてみると、不動堂とのことで、六角の塔の全面に拝殿が付いた様式は京都の有名な六角堂を模して作られたようです。このお堂の内部には運慶の孫の康円の作といわれる不動明王と八大童子が安置されています。

それらはいずれも世田谷区でも数少ない国の重要文化財で、鎌倉時代の作であるとのこと。しかもかつては国宝にも指定されていたこともあるといったとんでもない代物だったりします。何でこんな新しいお寺にあるのといった疑問がもたげてくるのですが、奈良の廃寺から譲り受けたとかなんとか。

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六角堂の反対側にもまた変わった建物があります。まるで積み木のようにどんどん上に載せていった様な印象を受ける角ばった建物なのです。これがまた面白いことに金閣寺を模して造られたもので、なんと二条城から移築されたとか。1階部に阿弥陀如来が安置されていることから、阿弥陀堂と名付けられていました。三階部には韋駄天と書かれた木版が掲げられていましたが、どういう意味があるのでしょうか。なんとも怪しい雰囲気を醸し出している建物でした。

そして敷地の正面には迫力ある龍の彫刻が掲げられている観音堂(本堂)があります。この龍は福井城にあった龍神様を模して造ったとか。本堂という事なので本尊が安置されているのですが、本尊は聖観世音菩薩でかつては伊勢長島の興昭寺の本尊だったものとか。そして本堂の横には百景の文章に出てくる特攻平和観音があります。大平洋戦争で玉砕した4615名の特攻隊員の「精神と偉業を後世に伝え」つつ、御霊を奉るお堂とのことでした。

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百景の案内文では「特攻観音」となっているので、後から「平和」という文字を加えたのでしょうか。かなり仰々しいイメージのするお堂ですが、外観は普通のお堂で・・・、いや、これもかつては宮家の持念仏堂だったとかで、お堂の天井には菊の紋章があるそうです。一体特攻観音様はどんな姿をされているのだろうかと興味があったのですが、残念ながら中を覗くことはできませんでした。

毎月、お寺の決められた日に開帳されているようなので、興味があればそのときにあわせて訪れるといいかと思います。特攻観音堂の横には「神州不滅特別攻撃隊之碑」などの碑が幾つかあり、特攻隊に対する熱い想いを感じるものの、やはりなぜここにといった感じです。

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総合的に考えると、かなり個性的というか、新しい故になんのしがらみもなく住職の趣味で固められた寺だといえます。そもそも戦後に建てられた寺といえば、歴史がまるでないはずなのに重要文化財があったり、二条城の建物があったり、中国の古い狛犬があったりと、普通ではありえません。昭和新選江戸観音札所に選ばれていたりすることなどからも考えるに、骨董というか、無理矢理なにか謂われがあるようなものを寄せ集めてきて箔を付けた寺といった感じでしょうか。

いったいどうやって持ってきたのでしょう。それでいて特攻観音は何でここにあるの?というような疑問が次々とわいてきます。さらには門前の石柱の書は吉田茂って・・・、あの元内閣総理大臣のですか。実は政治的影響力ってやつで色々と集めてきたとか・・・。本当に色々と想像が尽きないのが楽しかったりします。統一感のない寄せ集めの寺って・・・色々と書いてあるサイトもありますが、ここはあくまでも「せたがや百景」というサイトなので、深い部分には立ち入らないことにします。まあ興味があればそういったサイトをご覧になると面白いかもしれません。

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また、公式サイトには特攻観音をお祀りしている理由や内部の写真、その他境内にある珍しいものなどの公式的な?謂われが書かれていたので、興味があればそちらをご覧になってください。個人的には珍寺、個性的で変わった寺が好きなのでなかなか気に入りました。写真を撮るのにもなかなかいい素材が揃っている感じですし。

でもこういうお寺はある意味扱いに困りますよね。世田谷区の公式見解では区内で最古の梵鐘は豪徳寺のものとありますが、ここにはもっと古いものがあります。もちろん他のお寺から譲り受けたものですが・・・。

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地元の人はどう思っているのでしょうか。名前は世田谷観音寺となっているけど・・・実は何か怪しい宗教ではないだろうかとでも思っているのでしょうか。さすがに出来たての頃は新興宗教かといった感じだったかもしれませんが、戦後の新しい寺といってもそれなりに月日が経っているわけで、もうすっかり下馬地域の風景に溶け込んでいるといった感じです。季節のいい時期などに訪れると、境内を散歩している地元の方も多いようでした。

また近年では月に一度、第二土曜日に開かれている朝市も口コミで広がり、地元ではちょっとした人気になりつつあります。売っているものは季節の農産物が中心で、パンなども人気になっています。またこのときは門前の旧小田原代官屋敷が開かれていて、中はちょっとした喫茶店になっています。これも結構人気があるようで混みあっていました。

昔は早朝からやっていましたが、朝早く訪れても品物が売り切れているといった苦情が多いために、今では朝6時から開始となっています。テレビでも紹介されていたようなので、今ではもっと混みあっているのかもしれません。

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それからお寺で一番大事な部分かもしれませんが、住職も寺に負けないぐらい個性的な方で、いつ訪れてもテンションが高かったりします。独特のオーラを持っている感じで、好き嫌いが分かれるキャラクターだと思いますが、境内に出ているときには参拝者一人一人にきちんと挨拶をしている姿勢は好感が持てます。やはり住職も寺にある独特のオブジェの一部なのでしょうね・・・笑。

朝市にしても、節分などの行事にしても、日常にしても、住職の地元に溶け込む努力を見ると、これからも頑張って個性的な寺であり続けてもらいたいと思います。

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また、平成26年にはせたがや地域風景資産にも選定されました。朝市や手づくり市などを境内で開いていることや、敷地内の旧小田原代官屋敷では百人一首を楽しむ会や木工のワークショップを開催している事が地域コミュニケーション拠点として評価されました。今ではマニアックなお寺と言うよりは地域に開かれた寺となっているというのが実情のようです。寄せ集めの文化財で箔を付けるよりももっと大切なものを長年かけて手に入れたといった感じでしょうか。

区内で一番新しいお寺でありながらちょっと変った雰囲気のお寺ですが、今ではすっかり地域に溶け込み、地域の人たちにとって欠かせない存在となっているようです。

<せたがや百景 No.3 世田谷観音とその一帯 2008年6月初稿 - 2015年10月改訂>
( せたがや地域風景資産 No.3-3 世田谷観音~地域コミュニケーション拠点 )