世田谷散策記 せたがや百景のバーナー
せたがや百景の案内板の写真

せたがや百景 No.94

野毛の善養寺と六所神社

善養寺の境内には、都の天然記念物に指定されている高さ22.6メートル、幹回り5.25メートル、樹齢六百年を越えるカヤの巨木が株を広げている。雄株で一年おきに実を結び、実のたわわな枝を手にとれる。巨木そのものが風景になっているといってよい。六所神社では夏の大祭に、みこしを多摩川の中にかつぎ入れ、水神祭りを繰りひろげる。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 野毛2-7-11(善養寺)、野毛2-14-2(六所神社)
・備考 : 六所神社の水神祭は7月の海の日(式典のみ)、秋の例大祭は9月第四日曜日と前日

*** 善養寺の写真 ***

善養寺境内を写した写真
丸子川にかかる大日橋

朱色でよく目立ちます。

善養寺境内を写した写真
山門付近

左は客殿で、この付近は色んなものが置いてあります。

善養寺境内を写した写真
山門

野毛で一番古い建造物になるようです。

善養寺境内を写した写真
本堂

御霊まつりの日です。

善養寺境内を写した写真
本堂前の石仏

石仏が多い寺です。

善養寺境内を写した写真
墓地入り口にある石仏群

墓地の守り神でしょうか

善養寺境内を写した写真
天然記念物のカヤの木

立派な大木です。

善養寺境内を写した写真
枝垂れ桜

開花時期は華やかです。

善養寺境内を写した写真
儒教的な石像と枝垂れ桜

 

善養寺境内を写した写真
亀王

亀の王様なので大きいです。

善養寺境内を写した写真
門番?ってなかんじの像

寺の守備隊長って感じでしょうか。

善養寺境内を写した写真
海駝

架空の獣が寺を守っています。

善養寺境内を写した写真
多摩川の精 たま坊
善養寺境内を写した写真
木曽路の碑と鐘楼
善養寺境内を写した写真
ガネーシャ

象の頭を持ったヒンドゥー教の有名な神です。

善養寺境内を写した写真
獅子吼

南インド舶来のようです。

* イベントなど *

善養寺境内を写した写真
除夜の鐘の様子

平成10年に中興400年慶讃記念として造られた鐘です。

善養寺境内を写した写真
大護摩御祈祷

元旦に行われる護摩です。

善養寺境内を写した写真
六所神社の神輿

休憩所になります。

* 善養寺について *

百景の中には複数の題材がまとまっている項目が幾つかあり、この項目も野毛にある善養寺とそのお隣にある六所神社が一括りになっています。すぐ隣にあるし、歴史的に全く関係ないというわけでもないし、項目が一つ稼げるから一括りにしてしまおうといった感じでこうなってしまったのでしょうか。一つ一つだと大して印象に残らないから合わせ技で一本って感じなのでしょうか。

でもやっぱり・・・、ちょっと横着というか、失敗ではないでしょうか。善養寺にある百景の案内板にも誤解を防ぐためか、「94、野毛の善養寺」としか書かれていなかったりします。実際に訪れたり、色々と調べてみるとどちらも個性的で一つのページにまとめるのは大変です。

という事でページが煩雑になる事を防ぐ意味でも、六所神社に関しての詳細は秋祭りのページの方で紹介しています。

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六郷用水の名残である丸子川に沿って細い道が続いています。この道は岡本では民家園の前を通り、二子玉川の辺りでは行善寺坂から下ってきた大山道と交差し、上野毛では自然公園の前を通り、野毛では第三京浜をくぐり、そして善養寺の前にやってきます。

ここには一際目立つ赤い橋が架けられていて、これが善養寺の参道となる大日橋です。この丸子川は仙川付近から始まり、途中に道路用の橋、民家へのアプローチの橋と何十もの橋や橋もどきが架かっていますが、その中でも一番目立つ橋はやはりこの朱色の大日橋です。

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ちなみにこの丸子川沿いの道はかつての「いかだ道」とかぶる部分が多い道です。いかだ道はかつて奥多摩で伐採した木をいかだのように組んで多摩川の下流に流していた時に、いかだに乗っていた筏師が歩いて奥多摩へ戻る際に使っていた道の事です。大蔵の永安寺から野川へ向かい、宇奈根、喜多見と続いていました。

かつてこの道沿いには筏師が宿泊した施設、筏宿などがありました。野毛は喜多見と同様にいかだ道の面影が少し残っている地域で、この善養寺の並びにも筏師がよく利用するそばや(いかだ宿)があったそうです。

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善養寺はあまり知名度のある寺ではありませんが、本当に楽しいお寺です。なんていうか、まるで石像のテーマパークといった感じでしょうか。百景に出てくる中では世田谷観音を個性的なお寺として紹介していますが、一発目のインパクトはこちらの方が上のように感じます。それは、これは凄いと言うより、なんじゃこれといった類のインパクトです。

ある意味世田谷で一番インパクトのある変わったお寺だと思います。二番目が世田谷観音で、三番目が地下霊場のある玉川大師か、大蔵の回る大仏かな・・・。もちろんこれは私の感覚での感想での話です。こういう感性的な部分は人それぞれなので、まあ好みに合うかは責任持てません(笑)。

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でもってこの楽しい?お寺の由緒について書くと、正式には影光山仏性院善養密寺で、真言宗智山派に属しています。ちょっと怪しい雰囲気は密教からのものです。真言宗智山派という事は京都の東山七条にある智積院が総本山で、智積院の末寺という事になります。これは等々力の満願寺と同じで、古い記録では満願寺の末寺と記載されているものもあります。本尊は大日如来坐像。開山は祐栄阿闍梨で慶安五年(1652年)に深沢から遷化(移転)したとか。

ただそれ以前の記録は残っていないので、どういう状況でここに移転してきたのか、どういった由緒があったのかは分かりません。一応、「新編武蔵風土寄稿」には、深沢村からここに移され、鎮守六所神社の神輿を入れる神輿堂閻魔堂があったことや「表門柱間九尺」と現在の赤い山門の事が記されています。

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境内について書くと・・・(正直ネタバレみたいになるのであまり書きたくないのですが)、丸子川に架かる大日橋を渡ると左右の高いところから対になっている煩悩の象徴とされる石羊がこちらを見下ろしていて、正面には正義や公正を象徴である祥獣の海駝がこちらを睨み付けているのに気がつきます。

この海駝は朝鮮半島に伝わるのもので本場の中国では牛や羊の姿をしているのですが、獅子の姿をしているのが特徴です。真贋を見極める能力があるとされる事から朝鮮では魔除けとして狛犬のように建物の前に置かれることが多いそうです。

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この異様な姿の海駝を見た時点でかなり強烈な印象を持つのですが、更に進んで行くと、木や石碑の影から石像が表れてきます。これが大きくて大陸的なので更に強烈な印象が上積みされます。

門番のような海駝に近づくと、横の方には大きな亀の石像があったり、小さな人型の石像が幾つもあるのに気がつきます。本当にこれでもかといった感じで驚きの連続です。ちなみにこの亀の置物の横に並ぶ木は枝垂れ桜で、春になるととてもきれいです。

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階段を上っていくと、赤い門があります。これが「新編武蔵風土寄稿」に出てくる古い門です。記録と同じサイズや格好である事から野毛で一番古い建造物とされています。

この門をくぐるとすぐ右手にドカッと大きく立派なカヤの木が聳えています。このカヤの木は古くから善養寺のシンボルであり、都の天然記念物に指定されています。樹齢は700~800年といわれ、高さ約23m、幹周りが5mちょっとあるようです。あまり木には詳しくないので当たり前の事なのか、変わっているのかよくわかりませんが、設置されている解説によるとこの木は雌株で、隔年で実を結ぶとの事です。

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カヤの木といえば同じく都の天然記念物に指定されている九品仏のカヤの木も有名です。寺の規模・・・は関係ないとしても、木の大きさは九品仏の方に軍配が上がりますが、立地の良さ、崖線上にあるので遠くから見える、目印(ランドマーク)になるといった大木の特長を生かしているのは善養寺のカヤの木の方ではないでしょうか。実際にかつては多摩川を行き来する船からよく見えて、目印になっていたそうです。

このカヤの木の前にはなんと多摩川の精、たま坊の像があります。その姿はなんとカッパで、愛らしいとは思うのですが、・・・どうなのでしょう。そういえばかつてはゴマアザラシのタマちゃんなんて言うのが世間を賑わせましたが、今思うと懐かしいですね。

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門を入って左側に社務所、奥に大きな本堂があります。この辺りにもまた多くの石像やら仏像やらと多くの置物が置いてあります。切りがないので個別には解説しませんが、ヒンドゥー教の神であるガーネーシャ(象の顔をした神)の大きな像が置いてあるのが異彩を放っている感じです。

本堂は奈良の唐招提寺金堂をモデルに造られたそうで、大きく立派な瓦ぶきの寄棟造りの屋根には一対の金色の鴟尾(しび)が誇らしげに輝いています。本堂の斜め前には新しめの梵鐘堂と鐘があります。これは平成10年に善養寺中興400年慶讃記念として造られたもので、梵鐘の長径は3尺(約90センチ)、重さが250貫(約1トン)といった立派なものです。

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この鐘は京都の太秦で鋳造されたもので、なんでも黄鐘調という稀な響きを出す平成の名鐘だとか。どんな音色なのか是非聞いてみたいと思い、除夜の鐘を聴きに訪れたのですが、私には普通の鐘との違いが分かりませんでした。

行事としては元旦に元旦紫燈大護摩御祈祷が行われ、7月1日にお施餓鬼大法会みたままつりが行われ、この両日は多くの檀家さんが集まります。また野毛六所神社の祭礼の時には神輿渡御の休憩所になるので、境内は多くの担ぎ手で溢れます。

*** 六所神社の写真 ***

六所神社の写真
六所神社の境内

緑が多く、赤い社殿が特徴です。

六所神社の写真
水神様の社

龍や船の置物が置かれています。

* 六所神社について *

善養寺の高台方向に面した形で六所神社があります。六所神社についても詳しく記載していたらページが長くなってしまうので秋祭りのページの方で詳しく載せる事にしました。ここでは簡単に紹介します。

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「野毛(ノゲ)」は崖を意味する言葉だとされています。多摩川沿いの崖地にあるのが野毛で、古くから多摩川と密接に暮らし、そして洪水に苦しめられてきました。あるとき、大洪水になり、村人が川を見守っているとお宮が浮き沈みしながら流れて来ました。これは大変だ。引き上げなければと村人が協力して宮を引き上げ、そして高台に安置すると洪水がたちまち収まったとかなんとか。

お宮の方は調べてみると府中六所神社のお宮だったことから六所明神とし、当時の上野毛と下野毛(現在の野毛)の鎮守として祀ったというのが、この六所神社の言い伝えになります。府中六所神社というのは現在の大國魂神社のことで、実際は本当に流れ着いたのか、大國魂神社から勧請したものかは定かではないようです。

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明治31年には村内にあった幾つかの神社を合祀し、下野毛の村社として現在の位置に遷宮しました。現在の境内にある赤い社殿などは昭和44年の秋に氏子崇敬者有志の方々の努力によって新しく造られたもので、境内には木々が多く、落ち着いた感じの雰囲気となっています。

また境内には百景の文書にある水神様が祀られています。川の恵みに感謝しつつ、水害を防ぐため、また川の安全と豊漁を願っての信仰によるものです。この水神様には一つエピソードがあって、水神様の石碑が多摩川沿いに祀られていたのですが、明治43年の大洪水で流出してしまったそうです。

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その後大正時代になってから多摩川では建築用の砂利採掘が盛んになりました。そして砂利の採掘中にその水神様の石碑が発見され、この六所神社の境内に安置されたという話です。百景の文章では「夏の大祭に、みこしを多摩川の中にかつぎ入れ、水神祭りを繰りひろげる。」とありますが、それは過去の話で、現在では行われていません。

<せたがや百景 No.94 野毛の善養寺と六所神社 2009年10月初稿 - 2015年10月改訂>