世田谷散策記

 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.93

玉川野毛町公園

公園内に直径66メートル、高さ9メートルの野毛大塚古墳がある。小高い丘とも見えるこの円墳は現在都の史跡に指定されている。プール、野球場、テニスコート、遊び場などが設けられ、スポーツと憩いの場となっている公園だ。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 :野毛1-25
・備考 :野毛大塚古墳は東京都指定史跡。園内入場自由。古墳に関する資料は郷土資料館内に展示されています。古墳まつりは10月の週末。
せたがや百景の案内板の写真

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* 玉川野毛町公園について *

玉川野毛町公園 公園案内図の写真
公園の案内図

昭和といった感じの案内図がまだ使われていました。

環八沿いにある第三京浜の入り口近くに玉川野毛町公園があります。野球場あり、テニスコートあり、子供の遊び場があり、屋外プールやデイキャンプコーナーまでもあるといった総合公園なのですが、世田谷区にある大きな公園の中ではあまり知名度がないような気がします。

しかしながら、ここには他の公園にないような凄い特徴があります。それは百景の文章にもあるように大きな野毛大塚古墳が公園内にドカってあるのです。しかも全国的に・・・、といっても考古学の世界ですが、有名な古墳だったりします。

古墳の周りには埴輪なども並べてあって、古代の雰囲気も満点。すぐ近くに等々力渓谷もあることから、幼稚園や小学生の遠足コースにもなっています。

玉川野毛町公園 児童遊園側の入り口の写真
児童遊園側の入り口

環八ができる前はこちらの入り口の方がにぎわっていたのでしょう。

この野毛町公園はすぐ横を環八が通り、第三京浜の入り口もすぐそば、そして周りは集合住宅だらけで、等々力渓谷も歩いてすぐの距離といった変わった場所に立地しています。

元々この場所は等々力渓谷の延長で自然豊かな場所でした。この地が変わっていったのは昭和6年のこと。等々力渓谷の入り口にあるゴルフ橋に名残があるように、鳩山氏、五島氏といった政財界の大物によってゴルフ場としてこの付近一帯が切り開かれました。

等々力駅から第三京浜の入り口の辺りまで等々力ゴルフ場のコースとなり、この野毛大塚古墳は無事に残されるには残されたのですが、ゴルフ場のコースの中に埋もれてしまいました。

地元の人をそこで働かせるという条件だったので、この開発は地元にとっては決して悪い条件ではなかったようです。

玉川野毛町公園 古墳の上からの眺めの写真
古墳の上からの眺め

結構眺めが良いです。周囲は集合住宅が多く、園内は木々が多く、芝生の広場もありといった環境です。

昭和14年にゴルフ場は廃止され、内務省がその跡地を買収しました。

その後戦争になると高射砲の基地となり、敵機が飛んできたら迎撃するはずだったのですが・・・、結局訓練場としてしか使われなく、敵機を打ち落とすどころか爆撃を喰らってしまい、その時にゴルフ場の施設などは壊れてしまったそうです。

戦後になると都の公園課、さらに住宅課の所有となり、古墳周辺は公園や集合住宅団地に変わっていき、昭和40年に第三京浜道路が開通し、環八が整備されていきました。

実際に古墳に上がってみると、周りには集合住宅が多いです。地図を見ると、都営住宅に国土交通省住宅になるようです。

玉川野毛町公園 環八側の入り口に咲く源平桃の写真
環八側の入り口に咲く源平桃

赤と薄いピンクの混じった花が特徴的です。

野毛町公園は野球場を中心とした比較的コンパクトな公園です。環八側に駐車場や管理棟があります。敷地の大きな公園ではないので駐車場は20台しか停められないのが難点で、休日などには満車になっていることが多いようです。

この駐車場側の入り口には紅白入り混じった桜が咲いています。赤色の花、ピンク色の花、赤白まだらな花と面白い色をしていて、結構きれいです。こんな種類あったけ?と調べてみると、源平桃という桃になるようです。桃は同じバラ科サクラ属なので桜と似ているはずです。

そしてこの付近にはどうにも意味不明な像が二体設置されています。題名は「雲」と「翼を持った女」となるようですが・・・。

玉川野毛町公園 野球場と隣り合わせの野毛大塚古墳の写真
野球場と隣り合わせの古墳

この付近も古墳の一部なのですがしょうがないですね。

駐車場から入り、管理棟を過ぎると、右手に野球場、左にテニスコートや古墳とあり、その間の狭い通路を進んでいくことになります。

特に野球場と古墳はすぐそばです。狭いスペースに色々と詰め込んだといった感じです。

野球場は一面のみです。区内の多くが細長い大きなスペースに2面とっているので、ここはとても贅沢な仕様となっています。

玉川野毛町公園 児童遊園の遊具の写真
児童遊園の遊具

古墳や古代に因んだ遊具があれば面白いですね。

古墳の前は広々とした広場になっていて、子供が駆け回っています。古墳の空堀や祭壇部分の出っ張りがあるので、広場といえどもアップダウンがあり、また埴輪が置かれているのがいい障害物となっていて、それがかけっこするのにいいようです。

児童遊園として遊具も置いてあり、放課後や休みの日には子供たちが一生懸命遊んでいます。遊具はジャングルジムのようなものだったり、ライオンやパンダの置物だったりと、普通です。

ライオンの代わりにスフィンクスだったら・・・、ラクダの代わりに埴輪の馬だったら・・・、などとなにか古墳や古代にちなんだものがあれば面白いのにと通りすがりの散策人は思ってしまいました。

玉川野毛町公園 プール横の児童遊園の様子の写真
プール横の児童遊園の様子

子供の遊ぶスペースが結構あり、夕方はいつも賑わっている感じです。

児童遊園はプールの前の方にもあり、ブランコや滑り台、砂場なども設置されています。周辺が団地ばかりなので子供達が庭代わりに使っている感じで、夕方訪れるといつもにぎわっている感じです。

夏期(7月1日~9月10日)のみ開いているプールは一般用と幼児用があり、有料となっています。競泳用の広いプールではありませんので、水泳を楽しむといった感じになるのでしょうか。

玉川野毛町公園 桜のある広場の写真
桜のある広場

少ないながらも桜が植えられています。

園内には桜が植えられています。桜スポットとしては有名ではありませんが、結構立派な桜の木もあります。

遊具もそろっているし、古墳もあるし、家族で弁当を持ってくるのにはちょうどいいかもしれません。そこまで多くの人が訪れないのでのんびりと花見できそうな感じです。

玉川野毛町公園 野毛大塚古墳 はげ山状態の古墳の写真
はげ山状態の古墳

昔の斜面に入れるときの写真です。

公園にある古墳・・・。しかも結構高かさがある。となると、子供が登らないわけがありません。

砧公園にある小さな砧大塚でさえも見つけたら子供が駆け上がっていきます。何が楽しくて一目散に楽しそうに登ってしまうのか。きっと子供の本能なのでしょう。

この野毛古墳も高さにすると三階建ての建物と同じぐらいの高さなので、ちょっとした丘と例えるのがふさわしいぐらいです。

昔は斜面も自由に登ったりできたので、斜面を利用してダンボールなどでソリ遊びをしている子供たちもいました。雪の日なんていうのはさぞ楽しかったことでしょう。

玉川野毛町公園 野毛大塚古墳 修復中の写真
修復中の古墳

禿山状態になってしまったので養生していました。

さすがに禿げ山状態になってしまい、これはまずいと修復する事となり、それ以降階段を使って古墳の上部に行く事はできますが、斜面などへの立ち入りはできなくなりました。

といっても、鬼ごっこをして遊ぶ子供達には関係ない事でしょうか・・・笑。腕白に遊ぶ子供を見るとうれしくなってしまいます。

さて古墳は登ったりしていいものでしょうか。日本国内でも登れる古墳と登れない古墳とあります。まして○○天皇稜となると登るどころか厳重にフェンスが張り巡らされていて、「立ち入り禁止 宮内庁管轄」といった仰々しい看板が立っていたりします。

例えば近くにある大田区の亀甲山古墳は入れないようになっていましたし、日本全国的に見ても様々です。

結局のところ管理者の方針次第のようです。しかしながら近年では登れなくしているところが多くなった感じです。とりわけ崩壊や事故を防ぐため、「文化財保護」「安全性」という意見が主流になってしまったようです。

全ての人間が土に帰っていくのが自然の理なら、古墳も自然のままで存在し、風化したり、子供達が遊んで壊れていくのならそれはそれでしょうがないような気もしますが、税金できれいに直したものが壊れていくとなると、また別の問題となってきます。それに公園にある古墳・・・、役所の管轄も複雑そうです。

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  • ・せたがや百景
  1. せたがや百景とは?
  2. 世田谷公園
  3. 大山道と池尻稲荷
  4. 世田谷観音とその一帯
  5. 世田谷線(玉電)が走る
  6. 太子堂下ノ谷界わい
  7. 太子堂円泉寺とけやき並木
  8. 北沢川緑道桜並木と代沢の桜祭り
  9. 代沢の住宅街
  10. 代沢阿川家の門
  11. 北沢八幡の秋祭り
  12. 淡島の灸の森巌寺
  13. 若者と下北沢のまち
  14. 下北沢北口の市場
  15. 天狗まつりと真竜寺
  16. 下北沢の阿波おどり
  17. 羽根木神社の参道
  18. 梅と桜の羽根木公園
  19. 松陰神社と若林公園
  20. 上馬の駒留八幡神社
  21. さぎ草ゆかりの常盤塚
  22. 招き猫の豪徳寺
  23. 世田谷城址公園
  24. ボロ市と代官屋敷
  25. 蛇崩川緑道
  26. 駒沢給水所の給水塔
  27. 弦巻實相院界わい
  28. 宮ノ坂勝光院と竹林
  29. 収穫祭と東京農大
  30. 経堂の阿波おどりと万燈みこし
  31. 奉納相撲の世田谷八幡
  32. 北沢川緑道ユリの木公園
  33. 松原のミニいちょう並木
  34. 松原の菅原神社
  35. 下高井戸の阿波おどり
  36. 日大文理学部の桜
  37. 上北沢の桜並木
  38. 船橋の希望丘公園
  39. 廻沢のガスタンク
  40. 芦花公園と粕谷八幡一帯
  41. 粕谷の竹林
  42. 烏山西沢つつじ園
  43. 烏山寺町
  44. 烏山の鴨池
  45. 北烏山の田園風景
  46. 旧甲州街道の道筋
  47. 給田小学校の民俗館
  48. 祖師谷つりがね池
  49. 上祖師谷の六郷田無道
  50. 武家屋敷風の安穏寺
  51. 上祖師谷神明社
  52. 成城学園前のいちょう並木
  53. 成城の桜並木
  54. 成城学園の池
  55. 成城住宅街の生け垣
  56. 成城の富士見橋と不動橋
  57. 成城3丁目桜ともみじの並木
  58. 成城3・4丁目の崖線
  59. 野川と小田急ロマンスカー
  60. 喜多見氷川神社と梼善寺跡
  61. 喜多見慶元寺界わい
  62. 宇奈根氷川神社
  63. 砧小学校の桜
  64. 大蔵団地と桜
  65. 大蔵の五尺藤
  66. 大蔵の総合運動場
  67. 砧ファミリーパーク
  68. 東名高速の橋
  69. 大蔵の永安寺
  70. 岡本玉川幼稚園と水神橋
  71. 岡本三丁目の坂道
  72. 岡本もみじが丘
  73. 岡本民家園とその一帯
  74. 岡本静嘉堂文庫
  75. 多摩川灯ろう流し
  76. 多摩川の緑と水
  77. 新二子橋からの眺め
  78. 兵庫島
  79. 多摩川沿いの松林
  80. 多摩川土手の桜
  81. はなみずき並木の二子玉川界わい
  82. 瀬田の行善寺と行善寺坂
  83. 環八アメリカ村
  84. 玉川台自然観察の森
  85. 用賀観音の無量寺
  86. 馬事公苑界わい
  87. サマー世田谷ふるさと区民まつり
  88. 駒沢緑泉公園
  89. 駒沢オリンピック公園
  90. 桜並木の呑川と緑道
  91. 谷沢川桜と柳の堤
  92. 上野毛五島美術館一帯
  93. 上野毛自然公園
  94. 玉川野毛町公園
  95. 野毛の善養寺と六所神社
  96. 等々力渓谷と等々力不動
  97. 等々力の満願寺
  98. 等々力の玉川神社とその周辺
  99. お面かぶりの九品仏と参道
  100. 田園調布のいちょう並木
  101. 奥沢駅前の広場

* 野毛大塚古墳や周辺の古墳などに関して *

玉川野毛町公園 野毛大塚古墳 桜と古墳に登る階段の写真
桜と古墳に登る階段

野球場側に古墳上部に登る階段が設置されています。

野毛大塚古墳は、5世紀初め、古墳時代中期に造られたものとされています。

この古墳が考古学者の間で注目されているのは全国でも最大級の帆立貝式前方後円墳であり、また多くの鉄製の副葬品や武具が埋葬されていた事です。

そのことからかなりの権力者(恐らく南武蔵地域の大首長)が埋葬されていたと推測されています。

大きな古墳である事と、多くの副葬品から古代の関東地域の権力図などが少しずつ解き明かされています。ただ古代の様子というのはハッキリ分かっていないことが多いので、どうしても様々な説がでてきてしまいます。ここで書いていることはその一例といった感じです。

玉川野毛町公園 野毛大塚古墳 古墳の模型(1/150)の写真
古墳の模型(1/150)

古墳全体が葺石で覆われていたのとホタテ貝のような形をしているのが特徴です。

墳丘の全長は約82mで、前方後円墳といいながら後円墳部分が大きく、前方墳部分が極端に小さいのが特徴です。ですから普通の前方後円墳と区別してホタテ貝式といわれています。

後円墳部分は直径66m、高さ約10mの大きさで、実際は三段に分かれていて、全面が葺石で覆われ、円周の通路には埴輪が並べられていました。

また、前方部のすぐ脇には長さ、幅とも約10m、高さ約1mの造出部といわれる小さな方形部分が付設されています。これは一周忌などの祭事に祭壇として利用されたもので、この下から祭事に使われたと思われる供え物を置く土器片などが出土しています。

古墳の周囲は最大幅約13m、深さ約2mの空濠で馬蹄形に囲まれていました。前方墳の辺りはそれとなく実際よりも浅い堀で再現してありますが、それ以外の部分は野球場や道路の下とかになってしまっています。実際のものを復元したなら古墳の全長は104mもの大きさになるそうです。

これは近年の発掘で分かったことなのでしょうがありません。修復以前はゴルフ場のコースとなっていたり、戦時中や戦後の混乱期は斜面が芋畑になっていたので、現状は良い方だといえるかもしれません。

玉川野毛町公園 野毛大塚古墳 葺石と埴輪が並べられている様子の写真
葺石と埴輪が並べられている様子

方墳部分には葺石がなされ、埴輪が並べられています。

またこれも現状では一部しか再現されていませんが、古墳の表面に多摩川の川原から持ってきた丸石で覆われているのも特徴です。その数100万個だとかいうから結構な数です。

そして古墳の周囲から出土した円筒埴輪などの埴輪列(レプリカ)が当時の様子を模して置かれています。かなり壊れていましたが・・・。

古墳自体は整備の際に保護目的で少し土が盛られていて、実物は少し小さいようです。

玉川野毛町公園 野毛大塚古墳 古墳の上の写真
古墳の上

長いのが第1主体部(埋葬施設)です。全部で4つの主体部があります。

埋葬品などに関してですが、古墳の上に登るとタイルで石棺の位置や副葬品が描かれているので、どういった状態で埋葬されていたのかわかるようになっています。

この古墳には4基の埋葬施設(主体部)があり、真ん中の一番長いものが最初に造られ、後に追葬で左の第3主体部、右側の第2主体部、一番左端の第4主体部の順に埋葬されました。

中央部の第1主体部に埋葬されている人物がこの古墳の主という事で、棺も長さ8mの割竹型木棺と大きく、埋葬品も多く出土しています。特に鉄製の甲冑、刀剣などは権威の象徴であり、古墳の大きさと共にこの主がどれほどの権力を持っていたのかが分かります。

その他にも銅鏡、石製模造品、玉類などの装身具も出土されています。人骨に関しては完全に土に溶けてしまっていて残っていませんが、装身具などの位置からだいたい160cmぐらいの身長だったと推測されています。

第3主体部は長さ4mの箱形木棺で、ここからは32本の鉄製の刀剣類と大量の矢じりなどが出土されています。結構な量の埋蔵品なので、王を軍事的に補佐した人物が埋葬されていたのでは・・・、いや次の代の王ではないか・・・といった感じの説がありますが、そもそも甲冑、装身具などは出てきていないので人が埋葬されていたのだろうかといった疑問もあるわけで、結構謎の多い主体部でもあります。

第2主体部は唯一石棺が埋葬されていました。この石棺は東京湾産岸の砂岩を加工した8枚の板石を組み合わせた箱形石棺で、長さは2.7m程です。中からは甲冑、刀剣、玉類などの装身具が出土しています。

明らかに世代や様式が違うので、古墳にしては珍しい二世帯住宅方式になっているのでは・・・といった感じでしょうか。ただ埋葬者に関しては王になれなかった王子なのか、世襲した王子なのかは議論の余地が大いにあります。

第4主体部は一番左端に設けられたもので、第1主体部から50年ほど後に造られたのでは推測されています。長さ約3.2mの組合せ式箱形木棺で、埋葬品は刀剣2本と水晶の丸玉が2個と少なく、恐らく埋葬者は女性ではないだろうかと推測されています。

その他、古墳の周りから円筒形の埴輪が多数、そして造出部からは柵形埴輪や家や鳥などの器財埴輪が出土しています。

玉川野毛町公園 野毛大塚古墳 土器型の埴輪が並ぶ様子の写真
土器型の埴輪が並ぶ様子

壊れているものが多いです。尖っているとちょっと危ないかも。

古墳といえば昔の貴族のお墓です。この付近に古墳があるのが不思議に思う人もいるかと思いますが、多摩川沿いには多くの古墳が残っています。

それも時代ごとに古墳群を形成していて、少し南の田園調布の多摩川台公園にある亀甲山古墳を中心とした田園調布古墳群、そしてこの野毛古墳群、更に多摩川を北上して狛江、喜多見古墳群といった感じです。

古墳群はそのまま勢力を表してて、まず一番大きな亀甲山古墳を持つ田園調布の勢力がこの付近を支配します。亀甲山古墳は全長107メートルもある前方後円墳で、4世紀後半、古墳時代前期に造られたものだとされています。その頃の野毛などの古墳は小さな円墳が主体でした。

その後5世紀になると畿内王権の変動があり、河内や和泉を中心に新たな政権が誕生しています。その事により新たに身分、階級の秩序が生まれたようで、例えば地方酋長の古墳の大きさや形状の制限などが行われたとされ、この時期には日本各地の古墳の形状に変化が見られます。

その時に新しく生まれたのが野毛大塚古墳のような前方後円墳もどきのホタテ貝式前方後円墳です。その文化がいち早く表れたのが野毛で、田園調布古墳群と比べて野毛の古墳は畿内文化が強いと言えます。

それは副葬品にも表れていて、当時畿内にしかなかったような鉄製の甲冑や大量の刀剣など副葬品として埋葬されており、野毛の勢力は新たな政権といち早く手を結んだ事によって田園調布の勢力との力関係が逆転したのではと推測できます。

野毛では大塚古墳をピークに徐々に古墳が小さくなっていきます。野毛の勢力が衰退したのと、時代の流れ的に古墳自体の意義が薄くなったのではということです。その後は狛江や喜多見で古墳が充実していることから、今度は野毛からそっちへ権力が移ったようです。

玉川野毛町公園 桜と野毛大塚古墳の写真
桜と野毛大塚古墳

桜の時期の古墳もいいものです。

そもそもなぜ野毛がいきなり権力を持ったのか。なぜこの地がそんなに重要だったのかという事を考えると、それはまず第一に馬の産地としていい放牧地だった事です。畿内の王は関東の質の良い馬を確保するためにこの地を確保しておく必要があったのです。

第二に北関東には毛野(地域首長連合)という大きな勢力があり、その監視(攻略)の要としての役割がありました。そういったわけで畿内の勢力は野毛の勢力と手を結んだようです。ただ野毛の勢力があまりにも急に畿内色が強く表れています。おそらく畿内の人もこっちへ移住してきたから畿内の文化が強まったと考えられます。

その畿内の人々が移住して集落を造ったのが狛江や喜多見の付近で、野毛が勢力をふるっているうちに徐々に力を蓄え、そのうち野毛の勢力は用済みだと判断して自分たちでこの付近の実権を握ったのではないかともいわれています。

玉川野毛町公園 野毛大塚古墳 紅葉する園内と古墳の写真
紅葉する園内と古墳

秋の古墳もいいです。秋には古墳まつりも行われます。

野毛古墳群は造られた順に上野毛稲荷塚古墳、野毛大塚古墳、天慶塚古墳、御岳山古墳、八幡塚古墳、狐塚古墳、その他小さな古墳群で構成されています。

多摩川沿いの一つの丘に一つの古墳があるといった感じで、この地域を王家の丘として整備しようではないかといった案もあったりします。

実際にそうなれば面白いかもしれませんが、一般の人に面白いような施設や展示になるのかと考えるとちょっと微妙な感じです。

ただ個人の所有地にあった古墳などを区が買い取ったりしているようなので、もしかしたらそれに近いようなことをやろうとしているのかもしれません。

今のところ古墳の埋葬品など詳しいことに関しては代官屋敷のところにある郷土資料館に展示してあります(レプリカが多いですが)。興味あればそちらもご覧になるといいと思います。

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* 野毛古墳まつり *

玉川野毛町公園 野毛古墳まつり ミニ土器製作の写真
ミニ土器製作

子供達が悪戦苦闘しながら頑張って製作していました。

毎年10月中~下旬の日曜日にここ野毛町公園を会場に野毛古墳まつりが行われます。

このイベントは2008年から古墳をより多くの方に知ってもらい、保存の大切さを伝えることを目的として行われるようになりました。そう多くの人が訪れるイベントではありませんが、古墳や古代に興味のある人たちを中心に集まり、遠方からの来訪者もあります。

玉川野毛町公園 野毛古墳まつり 教授による古墳の解説の写真
教授による古墳の解説

興味のある人しか来ないので、熱心に耳を傾けている人ばかりでした。

当日は世田谷区の学芸員、あるいは昭和女子大の教授によってによって古墳や歴史の解説が行われます。

午前の部は野毛大塚古墳に上がって発掘で分かった事を中心に古墳に眠っている人や副葬品から推測できること、そしてその時代の背景などを解説してくれます。

午後の部はちょっとスケールが大きくなり、野毛大塚古墳の周辺の古墳群を巡るコースで、約2時間ほどかけて学芸員の人と歩き回ります。

玉川野毛町公園 野毛古墳まつり 古代クッキーを焼く様子の写真
古代クッキーを焼く様子

昭和女子大の学生がお手伝いをしていました。

玉川野毛町公園 野毛古墳まつり 試食用の古代食の写真
試食用の古代食

まあ・・・想像通りの味でした。でも貴重な味覚体験でした。

その他には火おこし体験やミニ土器制作体験といった古代体験ができます。おいしい体験もでき、古代食や古代クッキーを無料で試食することができます。味の方はまあこんなものかなといった感じですが、こういったものを食べる機会はめったにないのでお勧めです。

この他、出土品の展示や地元の野毛町会による綿菓子などのお菓子屋軽食、スーパーボールすくいなどの屋台も出ます。

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* 感想など *

玉川野毛町公園 緑に埋まる古墳の写真
緑に埋まる古墳

夏に立ち寄ったら雑草の緑に埋まり、遺跡っぽくなっていました。

野毛町公園は、園内に大きな古墳があり、秋には古墳祭りも開かれるといった古代ロマンあふれる公園です。

以前は古墳自体が公園内にある遊具の一つとなっていて、古墳としての存在感がないというか、親近感のあるお山的な存在でしたが、今ではきちんと整備され古墳らしい古墳になっています。

子供の遊び場のままでもいいのに・・・などと無責任に思っていましたが、きれいに整備されてみると、古墳を訪れたという満足感が上がっていいものですね。とたんにこの古墳の価値が上がった気がします。

そういったこともあってか近年、副葬品が国の重要文化財に指定されました。これで全国的に有名な古墳に・・・とはなりそうな感じは全くしませんが、遠足で小学生などが等々力渓谷から野毛大塚古墳を回るように、散策でも等々力渓谷を訪れるならぜひこちらの古墳も一緒に訪れてほしいです。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所野毛1丁目25
・アクセス最寄り駅は大井町線等々力駅。

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<せたがや百景 No.93 玉川野毛町公園 2008年7月初稿 - 2018年4月改訂>

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