世田谷散策記 せたがや風景資産のバーナー
旧品川用水の案内板の写真

せたがや地域風景資産 No.1-3

玉石垣のある風景

桜丘の千歳通りには、旧品川用水の名残である玉石垣が続いています。春には道沿いに植えられた美しい桜並木と相成って特徴ある風景を作り出します。

・場所 : 桜丘2~3丁目の千歳通り沿い
・登録団体など : ぐるうぷ街
・備考 : 桜の時期が一番の見ごろ

*** 玉石垣のある風景の写真 ***

玉石垣のある風景の写真
桜丘中交差点

この付近から玉石垣が見られます。

玉石垣のある風景の写真
マンション地帯

マンションにもさりげなく玉石垣が使われています。

玉石垣のある風景の写真
品川用水の木橋跡の交差点

 

玉石垣のある風景の写真
玉石垣のアップ

よじ登るのにちょうどよさそうな大きさの石です。

玉石垣のある風景の写真
桜のトンネル

なかなかいい風景です

玉石垣のある風景の写真
玉石垣と桜

この辺りは両脇に玉石垣があります。

玉石垣のある風景の写真
笹原小東交差点から

桜並木はここまでです。

玉石垣のある風景の写真
交差点付近を上から

この付近の桜は道路脇と斜面の二段構成です。

玉石垣と品川用水の解説板の写真
玉石垣と品川用水の解説板

当時の様子が書かれています。

* 関連写真 *

千歳通りの桜並木の写真
千歳通り世田谷通り付近

ちょうど農大の横で、ここから桜並木が始まります。

千歳通りの桜並木の写真
千歳通り桜丘中学校付近

この付近は道が緩やかに曲がっていて美しいです。

* 玉石垣のある風景について *

世田谷通りの馬事公苑前辺りの交差点から千歳通りが始まります。千歳通りは農大の横を通り、千歳船橋駅の横を通り、そして環八を越え、滝坂街道や六郷田無道につながっている道です。

とりわけ世田谷通りから笹原小東交差点までは桜並木が続いていて春の開花時期には素晴らしい景観になります。この辺りの地名も桜丘と桜が入っていて、まさにその名にふさわしいものとなっています。

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しかしながらこの桜丘という地名は比較的最近付けられたものだったりします。かつてこの地域は世田谷村の一部で横根などといった地名(小字)でした。昭和7年に世田谷区が成立の際には隣の桜が世田谷四丁目、桜丘が世田谷五丁目といった住所表記となります。後の昭和41年に大規模な住所変更が行われ、この地域は世田谷から分離され、初めて桜丘と名付けられました。

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桜丘の名の由来はこの地域に桜の丘、或いは桜があったからというわけではなく、もともとあった桜木という世田ヶ谷村の小字に由来します。この桜木という名は百景にもある吉良家の墓所勝光院の裏手にある桜木中学校にその名をとどめるだけとなってしまいましたが、世田谷城内にあった「御所桜」という桜にちなんだものだそうです。

そしてこの桜木の地にできた最初の小学校が桜小学校で、その後現在の桜丘付近に開校したのが第二桜小学校(現在の桜丘小学校)でした。その後、桜丘国民学校と改名され、小学校の名がそのまま現在の「桜」と「桜丘」の地名になったようです。だから地名に桜が入っていても全くこの地にあった桜とは関係ないのです。

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それにしても・・・、多くの「丘」という文字が含まれる地名では、「○○ヶ丘」といった感じで「ヶ」が入るのですが、ここでは「桜丘」とにごらないまま。これがなかなか言い難く、ついつい「桜ヶ丘」と言ってしまう事も。まあ慣れなのでしょうが、ある意味、言い難い地名だなと私は感じていますが、みなさんはどうでしょう。

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玉石垣については桜丘中交差点から笹原小東交差点の間で顕著に見ることができます。特に春になると桜並木と玉石垣のコラボレーションが見られ、とっても素晴らしい風景になります。それにしても一体なぜ玉石垣がここに・・・?といった疑問がもたげてくるのですが、これはかつて千歳通りが旧品川用水の水路だったからで、玉石垣はその旧品川用水だった頃の名残りとなるようです。

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品川用水とは名前の通り品川に生活用水を送る為の水路のことで、江戸時代に玉川上水から世田谷をまたいで品川領まで引かれているといった大規模な水路でした。昭和の初め頃まで多くの水が流れ、品川の人の生活用水として使われましたが、品川方面に田んぼがなくなってしまったのと、水道の発達とともにどんどん利用価値が低くなり、昭和7年に長年管理してきた品川用水組合は解散し、水が止まってしまいました。

その後放置されてきましたが、昭和22年に船橋、廻沢、下祖師谷の三農事実行組合が中心となって築堤部分を崩し、用水跡を埋め、架けられていた橋を取り壊したそうです。

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その際に残ったのがこの玉石垣となります。あまり詳しい説明がないのでよくわかりませんが、この地域は標高が少し高いため、深く用水を掘り、土砂が用水に流れ込まないように丘の斜面に多摩川から採取した玉石を固めたそうなので、その名残となるようです。江戸時代の大規模な土木事業の遺産となるので、品川用水の解説板が設置されていたり、木橋がかかっていた場所にはプレートが設置されています。

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おそらく最初のうちはなんとなくというか、生活上の必然などから玉石垣が残されたり、利用されたりしていたに違いませんが、今でもそれが使われ、普通に風景に溶け込んでいるのには驚いてしまいます。

いつからこういった玉石垣がこの地域の風景として定着したのかは分かりませんが、行政や法律の強制力がない中、古くから残っている玉石垣を新しく建築されたマンションの建築主が自主的にデザインとして取り入れたり、行政も小学校やその前面の道路に玉石垣を施したりと、この桜丘地区に「玉石垣」というテーマが感じられるのがここのよさに思えます。

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ちなみに玉石垣といえば、砧小学校の玉石垣もなかなか立派です。これは地元の人が旧街道である登戸道に切り通しを作った際に川原から石を運んで積み上げたものです。ここでも同じことですが、やはりそういった慣れ親しんだ風景というのはそのまま残しておきたいと思うのが人情なのでしょうか。特に苦労して積み上げた石垣などは見た目以上に美しく感じてしまうものですし・・・。

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地域風景資産の活動についてですが、平成20年11月の時点で「ぐるうぷ町」という団体がこの項目に携わっています。桜並木といえば、春の花びらと秋の落ち葉と二度大変な思いをしなければなりません。そういった清掃活動をこの団体が行っているのか、別の団体が行っているのか、あるいは普通に行政が行っているのか分かりませんが、玉石垣のある桜並木の風景というのはいいものなので、これからも地域で守って維持し続けてほしいものです。

<せたがや地域風景資産 No.1-3、玉石垣のある風景 2011年5月初稿 - 2015年10月改訂>