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せたがや地域風景資産 No.1-4

心なごむ桜丘の原風景

桜丘は今なお土の香りがする原風景が残り、畑や農作物の直売所をいたるところで目にすることができる。

・場所 : 桜丘4丁目2-22、5-21,23、5-26など
・登録団体など : ぐるうぷ街
・備考 : ーーー

*** 心なごむ桜丘の原風景の写真 ***

桜丘の農地のある風景の写真
農地のある風景

見る角度によっては地方のような風景に

桜丘の農地のある風景の写真
ファミリー農園

幾つかこういった農園があるようです。

桜丘の農地のある風景の写真
神社近くのファミリー農園

休みの日には畑で精を出す人の姿も

桜丘の農地のある風景の写真
直売所と宇山の森

地元で育った野菜はどうでしょう。

桜丘の農地のある風景の写真
古くからある直売所

ゴールデンウィークには筍が売られていました

桜丘の原風景の写真
桜丘宇山緑地

遊水池で谷沢川の水源の一つ

桜丘の原風景の写真
巨木の屋敷林が並ぶ路地

大きなお屋敷でしたが地主さんでしょうか。

桜丘の原風景の写真
住宅地

住宅地にも緑が多い場所もあります。

宇山稲荷神社の写真
桜丘にある宇山稲荷神社

ここはこんもりと木が茂っています。

宇山稲荷神社の写真
宇山稲荷神社の神輿渡御

氏子の家を回ってもみます

すみれば庭園の写真
すみれば庭園

さりげなく環八沿いに存在する公園です。

すみれば庭園の写真
すみれば庭園の桜

庭園中央に立派な桜の木があります。

すみれば庭園の写真
すみれば庭園内の木々

テーマは武蔵野の原風景との事です

すみれば庭園の写真
すすきのある風景

ススキのある風景は懐かしさを感じます。

* 心なごむ桜丘の原風景について *

世田谷区桜丘という町域は、農大から環八や小田急線の千歳船橋駅にかけての一帯で、住所表示では1~5丁目まであります。名前からすると桜の多く植わっている丘といった感じで少しロマンチックな印象を受けますが、地名の由来は一つ前の玉石垣のある風景で書いたように、この地にあった桜や桜に関する事柄に由来しているわけではなく、昭和41年に住所変更の際にこの地にあった桜丘小学校にちなんで付けられたものです。

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もともとこの桜丘地域は世田谷村の西のはずれに位置していて、世田谷区が成立したときには世田谷5丁目として区画されていました。また古くから桜丘が一つの町域としてまとまっていたわけではなく、歴史的には横根地区と宇山地区(うざん)に分かれていました。

今では表面的にはあまり違いは感じることはありませんが、歴史的事柄、特に地域の文化として根付いている神社の氏子地域などでは文化圏というものを意識することがあります。

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この桜丘地域には横根地区に稲荷森稲荷神社、宇山地区に宇山稲荷神社と二つの神社があり、今でも別々に祭事を執り行っています。祭りの様子は商店街を大きな太鼓を鳴らして賑やかに練り歩く稲荷森稲荷神社と個々のお宅を小規模で練り歩いて回る宇山神社とでは全く別物で、明らかに文化の違いを感じる事柄の一つです。

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この項目に登場する代表的な場所は桜丘4丁目となり、だいたい宇山地区と一致します。宇山地区というのは、古くは宇奈根山谷(うなねさんや)と呼ばれた地域で、後に短縮して宇山となったそうです。そういった経緯が大事にされているのか、宇山の読み方は「うざん」になります。

名前から想像が付くかもしれませんが、宇山は多摩川沿いの宇奈根の人々が洪水などを機に移り住んだ土地と言われています。宇山稲荷神社前にある久成院の初代住職の墓に元和6年(1615年)とあるので、一村一社一寺が推奨された時代だと考えると、天文19年(1550年)、或いは天正18年(1590年)の多摩川大洪水で移り住んだのかもしれません。

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そんな桜丘は駅や商店街を中心に住宅地があるといった世田谷によくある都会近郊型地域となるのですが、一方で今なお土の香りが豊富に残っている地域でもあり、そういった風景が地域風景資産に選ばれています。とりわけ桜丘4丁目付近は都市開発の波に負けず、かなり遅い時期まで原風景が残っていた地域でした。

かつては陸稲や野菜の生産が盛んに行われていて、今でも所々に農園や農地としてその名残が残っています。歩いていると無人販売所も多くあり、春・夏野菜ではトマト、きゅうり、枝豆、トウモロコシ、キャベツ、いんげん、ジャガイモ、なす、ブロッコリーなどが育てられ、秋・冬野菜では大根、ねぎ、小松菜、ニンジン、キャベツ、白菜、ホウレンソウ、カブ、ブロッコリーなどが育てられ、販売所で売られています。

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ただ、近年では農地の宅地化が進んで野菜農園もどんどん減っています。桜丘だけではなく区内全体にいえる事ですが、平成18年の道交法の改正で駐車禁止の取締りが厳しくなり、一気に駐車場の需要が高まり、使っていない土地が駐車場になってしまいました。秋祭りなどで年配の方々が話しているのを聞くと、駐車場にしたらいくら儲かるからお宅も土地を遊ばしておいたらもったいないとかなんとか・・・。

そういったわけで一気に農地や開いている土地が駐車場に変わっていき、更には老人施設や介護施設の需要も高まった事もあって、ここ何年かで一気に農地の宅地化や駐車場化が進んでいった感じです。とりわけ広大な畑が手放されると大きなマンションや介護施設などになってしまう事が多く、そうなると一気に周辺の風景が変わってしまいます。

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世田谷通りを挟んだ上用賀側は玉川地区となり、玉川全円耕地整理事業によりきれいな碁盤の目状に区画が整理されていますが、桜丘は世田谷地域に属するので昔のままの区画で細い道が多くあります。そういった路地を歩いていると所々で、タイトルにあるような心なごむ桜丘の原風景に出会うことがあります。

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それは畑のある光景だけではなく、木を避けて道が作られていたり、大きなお屋敷を回りこむように道が何度も曲がっていたりといったような昔の農村だった頃を想像できるような風景です。

そういう意味では区画整理しないのも趣があっていいかもしれませんが、三軒茶屋や経堂などの駅周辺地域がぐちゃぐちゃな住宅地になっている事を考えると、今はまだこれでもいいけど、これ以上の宅地化がこの地域で進んでいくと、逆に煩雑で不快な風景に変わってしまう事も考えられます。

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この桜丘で原風景を残しているような特徴的な場所が三箇所あります。まずは風景資産の住所に記載されている場所で、ここには大きな敷地を持つ地主さんや大農家のお宅が並んでいて、かつての農村だった名残りを強く感じる一帯となっています。

敷地には背の高い立派な屋敷林があり、その前に広い畑があるのでうまく風景を切り取ると背景に住宅が沢山入る風景ではなく、田舎っぽい風景となります。もともとこの付近が集落の中心だったようで、西に坂を上っていくと宇山稲荷神社や久成院があり、東側には遊水地があります。

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次に宇山の鎮守である宇山稲荷神社です。宇山稲荷神社は小さな神社ですが、境内には大きな木が多くあり、隣にも久成院というお寺があり、この一帯がこんもりとした森になっています。そういった様子は農村の鎮守様といった雰囲気満点に感じます。

それにここの秋祭りの神輿渡御は小規模ながら興味深いものです。氏子や奉納を受けた家などを一軒一軒回ってもむといったもので、これはあくまでも私の印象ですが、ここの神輿渡御は地方の農村地帯に今でも残っている「ふせぎ」的な感じがするものです。世田谷でもこういった神輿渡御は珍しく、このような風習が残っているのもこの地域に原風景が残っているのと無関係ではないはずです。

また祭りのときに境内に設置される奉納演芸用の舞台もかつて農村地域で盛んに行われた農村歌舞伎を行うような大がかりなもので、出し物はさすがに農村歌舞伎とはいきませんが、それに近い雰囲気のものが行われ、地域の人々が楽しんでいます。

同じように夏の盆踊りの時にも大規模な櫓が組み立てられ、こういった共同作業で行う舞台の設置作業、祭りの運営からは地域の強いつながりや農村の名残りを感じます。

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最後にすみれば自然庭園は区立公園で、環八沿いという比較的目立つ場所にあるのですが、あまり知っている人はいないのではないでしょうか。実は私も知りませんでした・・・。この庭園は昭和9年にこの地に移り住んだ故植村傳助氏が、一面の畑だったところに武蔵野の面影を再現した庭園を造ったことに由来します。

庭園を造るに際して戸塚琢磨氏、小形研三氏といった著名な造園家に設計を依頼するなど、妥協を許さない本格的なものでした。その後植村氏が他界した後も植村家の人々によって守り育ててきましたが、相続に当たって手放すことになってしまい、それを区が買い取り、公園として整備しました。

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区立公園とするにあたっては地元住民の参加による「緑地づくり」に取り組み、さらには生態系の専門家を交えて、すみればのコンセプトや全体計画、運営のあり方決めました。その結果、「育てる」「見守る」「調べる」という基本方針の元で、地元のボランティアの方々の努力で様々な生態系などが再現され、子供たちの体験学習の役に立っているようです。

それは地元の人から見れば自分たちが幼かった頃に桜丘で見た風景や体験を再現すればいいのですから慣れっこですよね。というか、大きな箱庭といった感じかもしれませんね。作業している年配の方々の目が輝いている表情からそんな感じを受けました。このすみれば自然庭園はこの項の原風景とは少し趣旨が違うかもしれませんが、かつてのこの付近の様子が再現され、地域活動の拠点にもなっています。

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あまり書くことがないような項目に思えて、書いてみると結構長くなってしまいました。これは私事ですが、なぜかこの桜丘や世田谷通りをはさんだ上用賀6丁目に住む友人が多く、昔からよくこの地域に来ていたので桜丘を身近に感じる部分があるのかもしれません。

といっても古くからこの地に住んでいる人ではなく、地方から出てきた大学の友人ばかりです。というのもこの地域は駅から遠く、周りが畑ばかりといった土地なので家賃が比較的安かったのです。でも家賃が安いといった理由を一番に言うものの、何だかんだいって駅前に比べて騒々しくないというのがもう一つの理由のようでした。

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これはあくまでも私の友人での話ですが、都市の出身者や都会にあこがれる人は三軒茶屋などにアパートを借り、田舎の出身者やマイペース型の人間は桜丘や上用賀の方が駅から離れても落ち着くようです。

そして4年間居心地よく暮らし、さらには社会人になっても同じ場所に暮らしていたりする人もいます。便利さ、いわゆる駅まで徒歩何分といったような尺度で表せない魅力が桜丘あるに違いありません。それが心和む桜丘の原風景に関係しているかはわかりませんが・・・。

<せたがや地域風景資産 No.1-4、心なごむ桜丘の原風景 2011年5月初稿 - 2015年10月改訂>