世田谷散策記

 ~せたがや地域風景資産~

せたがや地域風景資産 No.1-8

桜上水の野菜畑

桜上水は今尚多くの畑が残る地域であり、住宅街に埋もれつつある現在でも畑を残す努力がなされています。

・場所 :桜上水2丁目12
・関連団体:不明
・備考 :ーーー

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* 桜上水の野菜畑について *

桜上水の野菜畑の写真
桜上水の野菜畑

場所によっては今もなお農村っぽい風景があります。

桜上水・・・、って聞くと、どことなくお洒落というか、いい響きに感じるのは私だけでしょうか。

桜上水の地名は古くからあったものではなく、昭和41年の新住居表示の際に上北沢の東半分が新しく「桜上水」となったものです。

地名の由来はこの辺りを流れる玉川上水・・・といっても杉並区なのですが、その土手に続く桜並木の様子を地元の人が桜上水と呼んでいました。

言葉の響きの良さから人づてに広まり、人々の間で定着していったようです。

それが昭和12年に開通した京王線の駅名となり、更には住所にも使われるようになりました。

だからこそ新しい地名にも関わらず馴染んでいるというか、雰囲気があるというか、魅力ある地名となっているのですね。

ちなみにお隣の赤堤は室町時代頃に赤土の防塁とか、堤があったからそう名付けられたと言われています。桜上水が桜堤にならなかったのは時代によるセンスの違いなのかもしれません。そう考えるとちょっと面白く感じてしまいます。

桜上水 苗が育ちつつある畑の写真
苗が育ちつつある畑

収穫まで無事の育つかどうか生産者の腕次第です。

その桜上水には日本大学を始め、桜上水団地、都営団地、赤堤通り団地などといった大規模な建造物が多く、またその他にも大きな社宅やマンションが多い地域となっています。

こういった広い土地を要する建物が建てられるにはまとまった土地が必要になってくるわけですが、そういった土地の前身は広い畑であったり、地主の所有する雑木林であったりといったことが多いのが桜上水だけではなく、世田谷区内全体に言える事です。

この桜上水地域というか、かつての上北沢地域は比較的高台にありながら湧き水が多く、その湧き水が集まり、北沢川となって上北沢村を流れていました。

江戸時代になると甲州街道の北側に玉川用水が造られ、後に北沢川に北沢用水として水を流せるようになり、飛躍的に田畑の面積が広がり、収穫も上がりました。

街道に近く、水に恵まれ、野菜などを作るのに適していたので純農村地帯として村は発展していきました。

明治9年の地目割合が、田:18.5%、畑:73.0%、山林:6.7%、宅地:2.0%というデータをみても農業が盛んだったことがよく分かります。

四谷軒牧場跡の牛魂碑の写真
四谷軒牧場跡の牛魂碑

赤堤にあった老舗の牧場です。

農業地域だった上北沢地域では関東大震災以降に宅地化が進み、どんどんと人口が増えて賑やかになっていく半面、田畑が徐々に少なくなっていきます。

それとともに都市化により河川の枯渇、土地の高騰、後継者不足、相続問題、地域開発等々と様々な問題が起こってきます。

そして相続などの機会に土地を手放す人も多く、この地域の象徴でもあった広大な畑や雑木林などが開拓され、広い土地では団地などが作られ、小さな土地は住宅地として分譲されていきました。

面白い話では、現在ある桜上水団地は三井財閥の三井牧場の跡地だったそうです。

なんでも大正3年に茶畑だったこの付近の土地を三井財閥が購入し、三井一族100人ほどの牛乳を搾るために英国より購入した乳牛10頭を放牧したのが始まりで、やがて拡張していき10万㎡(東京ドーム2倍強)に及ぶ広大な牧場になったとか。さすが財閥がやることは半端ないですね。

戦後、昭和23年にはこの牧場の牛乳が市販されるようになるものの、品質の良さから「特別牛乳」と呼ばれるものだったようです。

昭和37年牧場は閉鎖され、東京オリンピック開催と前後して、日本住宅公団が、敷地を住宅団地として開発し、桜上水団地になっていったというわけです。

すぐお隣の赤堤にも牛乳として老舗の四谷軒牧場がありました。名前の通り四谷から移転してきた牧場で、こちらは驚くことに閉鎖したのは1985年と昭和の終わりです。

移転してきた当時は周囲には畑や雑木林しかなかったのが、急速な宅地開発により、畑が消え、林が消え、どんどんと家が建ち並んでしまうと、臭気、鳴き声などの苦情も多くなり、存続が難しくなってしまったそうです。

桜上水 土と農の交流園の美しい垣根の写真
土と農の交流園の美しい垣根

昔はそれぞれの家が広々としていて、垣根も美しかったことでしょう。

桜上水には今も農地が多く残っています。とは言うものの、区内の他の地域に比べて多いかと言われると、そうでもないような印象を受けましたが、実際のところはどうなのでしょう。

ただ教育施設の大きな敷地なども含めて考えると、広々とした田園的な雰囲気を感じる風景もあったりします。

また農地のある近辺の場所では、住宅のデザインを都市的なものでなく、田園的なものにしたり、敷地境界を塀でなく生垣にするなどといった工夫をしている地域もあるそうです。

生垣で囲えるほど広い土地なら見映えもするのでしょうが、小さな敷地だと生垣分庭が狭くなってしまうし、隣接する家々が同じ垣根ならまだしも、小さな家がそれぞれ思い思いに生垣やフェンスを設置すれば統一感がなくなってしまい、あまり美しい風景とは言えなくなってしまいます。

何より生垣は手入れが大変なので、若い人でわざわざやりたい人も少ないはずです。生垣を推奨している成城でもうまくいっていないのですから・・・。

桜上水 野菜畑のある区画の写真
野菜畑のある区画

周辺道路もきれいに整備されてました。

地域風景資産に選ばれているというか、その代表として住所登録されている場所は桜上水2-12の畑です。

訪れるとこの区画全体が広々とした畑となっていました。でもなんていうか、住宅地の真ん中にぽっかりと日当たりのいい土地があるといった感じでしょうか。空が広く感じます。

でも風景的にはちょっと不自然な感じです。なんていうか畑と周りの風景がマッチしていなく、公園的な畑というのが適切でしょうか。

桜上水 畑のある区画と家々の写真
畑のある区画と家々

周辺には戸建ての家が立ち並んでいます。

原風景というのはありのままの風景ということで、正直言ってきれいなものばかりではないし、見た目以外でも臭いなどもします。

例えるなら東南アジアなどの市場に行くとその場で鳥などが殺されて解体されている様子を見かけることがあります。血なまぐさい匂いもします。それが本来あるべき姿です。

そういった暗い部分を不自然に取り除いてきれいに見せているのが、今の日本の社会であり、都会の住宅地にある畑かなと思ってしまいます。

とは言うものの住宅密集している地域に強烈な臭いを放つ家畜小屋をおけるはずもなく、堆肥もあまり臭いのしないものを選んだり、腐った野菜なども放置して肥料にしたいところですが、臭いだけではなく鳥や虫も集まってきてしまいます。

周辺住民のためにあれこれと気配りをしないといけないのが都市の畑の実情です。そのため公園的な畑になってしまうのはしょうがないことかもしれません。

なぜ都会で畑が消えていくのか。土地がない、土地が高いといった問題もありますが、土地があってもやっぱり周辺の環境を考えると大規模にはやりにくいのです。

桜上水 土と農の交流園の写真
土と農の交流園

畑に隣接してあります。里桜とはなみずきがきれいでした

この野菜畑の隣には世田谷区立土と農の交流園があります。この施設は野菜作り等を通して高齢者が土に親しめ、地域交流を活性化するために造られたもので、建物の裏手に畑と果樹園があります。

人と人とのつながりはさまざまな趣味や地域コミュニティーによって結ばれていきますが、土と農をテーマにして人のつながり、また地域社会の活性化を図るというのは、かつて多くの畑があり、そういった風景や文化を失わせたくないといった桜上水、上北沢地域に暮らす人々の思いでしょうか。

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* 感想など *

桜上水 畑のネギ坊主の写真
畑のネギ坊主

昔はあちこちでよく見かけた光景です。

桜上水はかつては農業がとても盛んな地域でしたが、「桜上水」という響きがよく、おしゃれな住所になってから一層宅地化が進んだのではないでしょうか。

現在桜上水では勝利八幡神社で収穫を祝う秋祭り自体は行っていますが、祭りの華である神輿が担がれなくなってしまいました。

景観だけではなく様々な部分で普通のありふれた住宅地になりつつあるのかなと感じてしまいます。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所桜上水2丁目12(畑)、2-11(土と農の交流園)
・アクセス最寄り駅は京王線桜上水駅、もしくは小田急線経堂駅。

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