世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.73

岡本静嘉堂文庫

岡本2-23-1

門を入るとイチョウや杉など木々の間を縫って、ゆるい坂道が続く。モダンな造りの静嘉堂には旧三菱財閥の岩崎弥之助、小弥太父子によって収集された和漢の典籍が保存され、時おり展示もされる。斜面に造られた庭園は武蔵野のたたずまいを残し、静嘉堂一帯は深い緑に包まれている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
*美術館は移転しました。

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1、岡本静嘉堂文庫について

岡本の航空写真(国土地理院)

国土地理院地図を書き込んで使用

砧公園から流れてくる谷戸川と、丸子川(六郷用水)が交わる場所には、木々が生い茂る小高い丘があります。ここは2つ前の項目に出てきた「No.73 岡本もみじが丘」であり、正式には岡本静嘉堂(せいかどう)緑地といいます。

岡本静嘉堂文庫入り口の写真
静嘉堂文庫の入り口

大蔵通りと馬坂の三叉路にあります。

岡本静嘉堂文庫の写真
噴水と静嘉堂文庫

坂を登ると美しい広場があります。

静嘉堂文庫(岡本静嘉堂緑地)の入り口から入り、もみじが丘の方から登ると岩崎家の玉川廟に行け、車道を道なりに進んでいくと、丘の上に円形状の噴水がある広場にたどり着きます。

噴水の奥にあるおしゃれな洋館が岡本静嘉堂文庫で、その横にある近代的な建物は、かつての静嘉堂文庫美術館です。現在は丸の内で展示品の公開を行っています。

この美術館の裏手の方には岡本八幡神社があり、その麓には岡本公園と民家園があります。静嘉堂を含めたこの丘全体に緑が多く、とても落ち着いた環境にあります。

ゆっくりと散策するのにも最適な場所で、静嘉堂文庫と旧・美術館の間に通用門といった感じの小さな入り口があります。散策する際には、わざわざ一旦入り口に戻って、丘をぐるっと大回りしなくてもいいようになっています。

1940年頃の岡本の航空写真(国土地理院)
1940年頃

国土地理院地図を使用

この岡本静嘉堂緑地一帯は、三菱財閥を興した岩崎家の所有地になります。この地に岩崎家が玉川廟を建てたのが明治43年。この時にこの丘を購入しました。

三菱財閥の創始者といえば、土佐藩出身の岩崎彌太郎(弥太郎)氏(1835年~1885年)。坂本龍馬とも知り合いで、明治維新の混乱期に巨万の富を築き上げました。

この静嘉堂文庫は、その伝説的な弥太郎氏とはほとんど関係なく、2代目総帥(社長)となった岩崎彌之助(弥之助)氏(1851年~1908年)に深く関わるものです。

弥之助氏は創始者弥太郎の弟であり、兄に従って実業界に入る以前は漢学を学んでいました。その時の師が重野成斎氏で、彼の研究を援助する目的から古典書の収集を始め、和漢の古書、古美術品などの収集を熱心に行いました。

晩年の1907年には、清の集書家、陸心源の宋樓旧蔵書4万数千冊を購入し、宋版、元版といった貴重な中国古典籍コレクションが文庫にもたらされました。

1908年に弥之助氏が他界した後は、息子であり、4代目の社長である小彌太(小弥太)氏(1879~1945)が、父の遺志を受け継いで文庫の収蔵品を拡充させました。

岡本静嘉堂文庫の写真
静嘉堂文庫

イギリス式の建物です。タイル張りでとても均整の取れた建物です。

静嘉堂の名前の由来は、静嘉堂文庫美術館の資料によると、中国古典の詩経に出てくる大雅、既酔編の「邉豆静嘉」の句からとった弥之助氏の堂号で、祖先の霊前に供える供物が立派に整うといった意味になるそうです。

静嘉堂自体は、初めは駿河台にあった岩崎邸内に設けられ(1892年)、次に高輪の邸内(現、開東閣、1911年)に設けられました。そして弥之助氏が他界し、17回忌を迎えた大正13年(1924年)、息子の小弥太氏によって現在の場所に移されました。

この岡本の地には、明治43年(1910年)、弥之助氏が他界した後、三回忌に合わせて建てた岩崎家の霊廟(弥之助の墓)がありました。弥之助氏が眠っているすぐそばに文庫が建設されたので、収集に熱を入れていた当人はさぞ喜んだことでしょう。

親想いの移転にも思えますが、他界して17年も経っているので、事情は異なるようです。実際のところ、都心部では人口が増え、建物が密集し、混み合ってきたので、静かで、空気がよく、自然豊かな場所に図書館を移したいと考えているところに関東大震災が起こり、貴重な本を守るためにも郊外に移転したほうがいいとなり、父が眠るこの地がちょうどよかったのでしょう。

岡本静嘉堂文庫 入り口のアーチと壁のタイルの写真
入り口のアーチと壁のタイル

入り口は美しいアーチとなっています。壁のタイルも美しいです。

静嘉堂文庫の建物は、イギリスで建築を学んだ桜井小太郎氏の設計で建てられました。鉄筋コンクリート製の2階建てで、洋風のスクラッチタイルが一面に貼り付けられています。

どっしりとした重厚な洋館といった印象ですが、イギリス郊外の洋館を表現した建物になるそうです。そういった目線で見てみると、周囲の緑によく映えている感じがします。

なぜイギリス風なのか。小弥太氏はイギリスに留学した経験があり、イギリス文化に愛着を感じていて、イギリス的な建造物になったとか言われています。

岡本静嘉堂文庫 紅葉時の噴水の写真
紅葉の季節の噴水

イチョウの紅葉時はとても美しい風景になります。

案内板によると、東京都選定歴史的建造物に指定されているとか。それよりも気になってしまったのが、その案内板を設置しているのが、東京都生活文化局ということ。

初めて聞く名だったので、新鮮な感じがして調べてみると、文化振興を担っている局で、都立の美術館や博物館を管轄しています。かと思えば、町会や公益法人、私立学校を管理していたり、パスポートを発行していたりと、幅広く仕事をしている部署になるようです。

岡本静嘉堂文庫 サツキの季節の写真
サツキの季節

噴水の周りにサツキが植えられているので、開花時期は華やかです。

この静嘉堂文庫にある本や資料は、必要とする研究者や学生などに公開されています。しかも原本を資料として提供するという方針をとっているため、あまりに貴重な宋・元版を除いて、明以降の中国古典の版本などを全て原書で閲覧できるようになっているそうです。

とはいえ、誰でも自由にとはいかなく、閲覧が許可されるのは大学生以上で、しかるべき紹介状を有する者との事です。そして閲覧は予約制となり、入室に際しては正装が必要となっているとか。このあたりは旧財閥の格式を感じてしまいます。

といった感じで、残念ながら一般の人は本を閲覧することはもちろん、内部に入る事すらできません。外から建物を眺めるだけで我慢しましょう。

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2、岡本静嘉堂文庫美術館と庭園

岡本静嘉堂文庫美術館の写真
旧・静嘉堂文庫美術館

国宝を7点も所有する美術館です。

文庫の横には、静嘉堂文庫美術館が設置されていましたが、2022年に美術館の開館30周年、三菱創業150年(2020年)の記念事業の一環として、丸の内にある明治生命館に移転しました。

移転したのは展示室というか、展示の分野のみで、保管や管理などといった業務は引き続きここ岡本の地で行われています。

東京の郊外、しかも鉄道駅から離れている交通の不便な岡本にあるよりは、東京のど真ん中の丸の内に美術館があった方が、多くの人にとって訪れやすく、集客も見込めることでしょう。

経営的にはいい判断だとは思いますが、今までは木々に囲まれた隠れ家的な場所で、来客も多くなく、落ち着いた雰囲気がありました。また、苦労して訪れる楽しみや、訪れたときの感動があったのも確かで、どっちがいいのかは、一概には言えなさそうです。

岡本静嘉堂文庫美術館の写真
崖下から見る美術館

美術館下は庭園になっています。

美術館の公式サイトを見ると、文庫を含めた美術館の収蔵品は、およそ20万冊の古典籍と5,000点の東洋古美術品を収蔵しているそうです。そのうち、国宝は7点、重要文化財は83点あります。さすが日本を代表する財閥。凄まじい規模のコレクションです。

この豪華な収蔵品を展示する美術館ですが、昭和52年(1977年)に展示室を設け、文庫に収蔵している書籍や美術品を公開したのが始まりになります。

昭和59年に選定されたせたがや百景の解説文には、「時おり展示もされる」とあるように、この当時はあまり本腰を入れた展示ではなく、小規模に展示が行われていたようです。

平成四年(1992年)、静嘉堂文庫創設100周年を記念して、新たに美術館が建てられました。現在、岡本にある建物です。

専用の美術館ができたので、それ以降は恒久的な展示が行われ・・・とはならなく、展示室が広くないのもあり、常設で展示は行わず、年に4、5回程度の頻度でテーマを変え、展覧会といった形式で収蔵品の公開を行っていました。のんびりとした感じの展示で、展示と展示の間は1カ月ぐらい休館になることも多かったです。

そして先に書いたように、美術館誕生30周年の節目にあたる2022年、丸の内へ移転しました。丸の内でも展示方法にあまり変わりはなく、国宝が7点もあっても、一度に多くの国宝が展示されることは滅多にありません。これが見たいといったお目当てのものがあるなら、それが展示してある展覧会の時期に訪れる必要があります。

曜変天目茶碗のイメージ(*イラスト:円相さん)

(*イラスト:円相さん 【イラストAC】

美術館所有の国宝の中で特に有名なのは、世界に3点しか現存していない中国・南宋時代の「曜変天目茶碗(稲葉天目)」です。

「へうげもの」というアニメの影響で戦国時代の茶器に興味を持ち、それが展示されるときに合わせて入館してみましたが、私の個人的な感想としては、なんというか、戦火や災害の火災などの高温で焼きただれてしまった器のように感じてしまって、どうも好みに合わない器でした・・・。

その他の国宝は、俵屋宗達筆の「源氏物語関屋澪標図屏風」、伝馬遠筆の「風雨山水図」、趙子昴筆の「与中峰明本尺牘」、太田切筆の「倭漢朗詠抄」、因陀羅筆、楚石梵琦題詩の「禅機図断簡 智常禅師図」、「手掻包永太刀」です。

展示内容や展示品については、美術館のサイトに写真入りで載っていますので、そちらをご覧になってください。

岡本静嘉堂文庫 美術館裏にある庭園の梅の写真
美術館裏にある庭園の梅

梅の季節は華やかです。

美術館の裏手の斜面に日本風の庭園があります。結構な斜面なので、日本庭園といったような雰囲気ではなく、公園のように整備されている斜面といった印象です。

ここには梅が多く植えられているので、梅の時期の散策がおすすめです。下の方に降りることができますが、下に岡本公園の方へ出る出口はないので、再び登ってこなければなりません。下から出るつもりで下っていき、出口が見つからなかった時のガッカリ感は筆舌に尽くしがたいので、ご注意ください(体験者談)。

静嘉堂緑地 バッタ原の温室跡の写真
バッタ原の温室跡

かつてここに温室があったようです。

この斜面の下、直接は行けませんが、静嘉堂緑地バッタ原になっている部分には、昭和初期頃まで岩崎家の温室がありました。現在でも広場の隅の方に温室を温めるのに使用したボイラーの遺構が残っています。

レンガ造りの遺構で、朽ち加減や荒廃加減がいい感じで、遺跡っぽい趣があったりします。興味があれば訪れてみるといいでしょう。

3、岩崎家玉川廟

静嘉堂文庫 岩崎家玉川廟の写真
岩崎家玉川廟

木々に囲まれた場所にひっそりとあります。

静嘉堂文庫や美術館がある広場から南の林を抜けると、西欧にある聖堂の縮小版、ミニチュア聖堂のような建物が木々に囲まれた中にあります。

何も知らずにたどり着いたのなら、「なにこれ、なんでこんな素敵な建物がこんな場所にあるの?」と驚くことでしょう。

私の場合も、岡本もみじが丘を見て、次は静嘉堂文庫。と、森の中を歩いていたら、忽然とこの建物が現れ、とてもビックリしました。どっか違う世界に迷い込んでしまったのかと思ってしまったほどです。

これは岩崎家の玉川廟です。廟という言い方は日本ではあまり一般的ではありませんが、要はお墓というか、納骨堂になります。

静嘉堂文庫 岩崎家玉川廟の写真
岩崎家玉川廟

都選定歴史的建造物に指定されています。

この玉川廟も静嘉堂文庫同様に凝った造りをしています。西欧風の霊廟を模した建物は、レンガ造で純白の大理石張り、緑青に包まれたドームとアーチ状の屋根を持っています。内部は床・壁・天井ともに白と黒の大理石張りになっています。

設計を行ったのは、日本近代建築の父であるジョサイア・コンドル氏。鹿鳴館の設計者としてよく知られている人物で、岩崎家との結びつきも強く、茅町本邸(1896年、重要文化財)、深川邸洋館(1889年、現存せず)、高輪邸(1908年、現三菱開東閣)なども手がけています。

この玉川廟が建設されたは、明治43年(1910年)。建築を依頼したのは、三菱の4代目社長、小弥太氏で、父、弥之助氏の三回忌に合わせて建てました。

この丘もこの玉川廟というか、父の墓を建てるために小弥太氏がこの時に購入しました。大正13年に静嘉堂文庫ができるまでは、広い丘には有名な建築家による西欧風の豪勢な建物だけがあるといった状況だったようです。まるで岩崎家の古墳とか、王家の谷ならぬ、財閥の丘いった感じでしょうか。まさに財閥のなせる業。やることのスケールが違います。

静嘉堂文庫岩崎家玉川廟 霊廟の番犬と枝垂れ桜の写真
廟の番犬と枝垂れ桜

青銅製のものです。枝垂れ桜は四月中旬頃見ごろを迎えます。

静嘉堂文庫岩崎家玉川廟 廟前の香炉の写真
廟前の鼎(かなえ、てい)

同じく青銅製。足が長く、上半身をくっつければ、歩きそうです・・・。

廟の前には一対の狛犬が鎮座していて、正面には大きな香炉が置かれています。いずれも中華風で、狛犬は唐獅子。香炉は鼎(かなえ、てい)といい、香炉の原型となった中国古代の祭具です。

wikiによると、鼎はもともとは肉、魚、穀物を煮炊きする土器として出現し、その後金属製になったとか。同時に宗廟において祖先神を祀る際にいけにえの肉を煮るために用いられたことから礼器となり、精巧に作られた青銅器の鼎は国家の君主や大臣などの権力の象徴として用いられたそうです。

静嘉堂文庫 岩崎家玉川廟の扉の写真
岩崎家の霊廟の扉

扉にフィルムのコマのように絵が描かれています

廟の扉は金属製で、扉には中国の孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物、二十四孝の彫刻がフィルムのコマのように施されています。岩崎家の家訓になっているとか読んだことがありますが、違っているかもしれません。

このように廟の建物は西欧風でありながら、その他の部分では中国文化が強く見られます。財閥の品なので、それぞれが一級品ではありますが、全体でコーディネートして見ると、少し違和感を感じるというか、不思議な印象がします。

廟に眠っている弥之助氏は漢学を学び、漢書を集めた人物。その弥之助氏に育てられ、廟を建てた小弥太氏は、イギリスに留学していた過去があります。そのへんから欧州と中国の文化融合となったのでしょう。

ちなみに、廟を囲っている柵は、そのへんの神社と同じようなもの。ありきたりというか、日本の庶民的な感じです。この部分も違和感を感じる原因の一つになるでしょうか。

静嘉堂文庫 岩崎家玉川廟 男爵岩崎君墓碑の写真
男爵岩崎君墓碑(彌之助の墓碑)

巨大な墓碑です。

廟の近くには男爵岩崎君墓碑(彌之助の墓碑)が置かれています。台座、石板ともに大きく、迫力を感じるというか、凛とした佇まいから財閥の貫録というものを感じられます。

使用されているのは、丈夫さで定評のある雄勝石(おがついし)。宮城県石巻市雄勝地区で産出されたものです。背面には内閣総理大臣の加藤高明の名もあります。といっても、娘婿にあたりますが・・・。

静嘉堂文庫 岩崎家玉川廟 あじさいの季節の写真
あじさいの季節

廟の周囲にアジサイが植えられていて、この時期はとても彩り豊かです。

弥之助氏の為に建てられた廟ですが、現在、この中に眠っているのは、三菱2代目総帥の弥之助威夫妻と、その子で4代目総帥の小弥太夫妻(廟の建設者)、小弥太夫妻には子がいなく、養子に迎えた忠雄夫妻(三菱ケミカルの社長)の三世代です。

この中の誰かが好きだったのでしょうか。廟を取り囲むようにアジサイが植えられていて、見ごろである6月頃には、廟の周囲が彩り豊かになります。

アジサイの他は、狛犬の横には4月中旬頃に咲く枝垂れ桜があったり、秋にはモミジなど、周りの木々が色付いて廟の雰囲気がよくなります。

それから、この建物は普通の建物ではなく、お墓になります。節度ある行動で見学を行うように心がけましょう。

4、感想など

岡本静嘉堂文庫 木々の間から眺めた様子の写真
木々の間から

とても絵になる建物です。

せたがや百景の中に静嘉堂文庫というタイトルを見つけ、学生時代に古文や漢文がちんぷんかんぷんだった私は、少し拒否反応が起こりました。しかも財閥所有の建物となれば、あまり積極的に訪れたいと思わないかな・・・というのが、第一印象でした。

でも、実際に訪れてみると、建物は立派ながらも財閥の堅苦しさや、嫌みな感じはなく、品がいいというか、貫録があるというか、素直に凄いと感じてしまいました。

静嘉堂文庫や岩崎家の廟を含め、この丘全体の環境もよく、散策するにはもってこいの場所です。春先には庭園に梅が咲き、その後は桜やツツジ。アジサイの季節も廟が素敵になります。この丘はかつて岡本紅葉丘と呼ばれていたので、秋の紅葉時にはモミジを楽しめたり、静嘉堂文庫前のイチョウの紅葉も素敵です。

駅から遠いですが、すぐそばには岡本公園や民家園、岡本八幡、瀬田四丁目旧小坂緑地などといった魅力的な散策スポットもあるので、頑張って足を伸ばしてみてください。

せたがや百景 No.73
岡本静嘉堂文庫
2025年7月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所岡本2丁目23
・アクセス最寄り駅は東急田園都市線二子玉川駅、あるいは用賀駅。駅から結構離れています。
・関連リンク岡本静嘉堂文庫美術館(公式)
・備考都選定歴史的建造物(静嘉堂文庫と岩崎家玉川廟)、美術館は2022年に丸の内に移転、岡本静嘉堂緑地の開園時間は平日9時30分~16時30分
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