多摩川灯ろう流し
*現在では行われていません。お盆の灯ろう流しは夏の水辺の代表的な風物詩。多摩川の灯ろう流しは川筋をきれいにという市民運動から生まれた。夜の闇に流れていく灯ろうの明かりが郷愁をさそう。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、多摩川灯ろう流しと世田谷区たまがわ花火大会

*せたがや百景の冊子 世田谷区企画部都市デザイン室制作から引用
夏の風物詩として多摩川の灯ろう流しが選ばれていますが、残念ながら現在では行われていません。
調べてみると、昭和59年のせたがや百景選定よりもちょっと前、昭和51年に第1回多摩川灯ろう流しが行われています。
あまり詳しいことは分かりませんが、この行事は「ラブリバー多摩川を愛する会」という団体が企画していた灯籠流しや盆踊りがオリジナルで、人が多く集まるようになり、イベントの規模が大きくなったことで、世田谷区が協賛か、後援を始めたイベントです。
灯ろう流し自体は、これ以前から行われていたのはもちろん、他の地域でもお寺が音頭をとっていたり、町内会や個人の慣習で行っていたはずです。

*国土地理院地図を書き込んで使用
開催されていた場所は、二子玉川緑地運動場付近となっています。二子玉川駅よりも少し上流、国道246号が通る新二子橋よりも北側の河川敷で、砧下浄水場がある付近、住所でいうと鎌田になります。
現在ここでは世田谷区たまがわ花火大会が行われています。この花火大会も灯ろう流しと同じように夏の風物詩となっていましたが、雨での中止が多く、落雷事故を機に開催日が秋に移動してしまいました。
実は、このたまがわ花火大会は多摩川灯ろう流しを起源にしたものです。

現在は秋に二子玉川緑地運動場で行われます。
2010年に世田谷区たまがわ花火大会を訪れたとき、第32回大会となっていました。2010ー31と数え年と同じ計算をしてやると、1979年(昭和54年)から始まったことなります。
ただ、2004~2006年の間は野川の河川改修工事を行っていたため、河川敷を安全に使用できなく、花火大会は中止となりました。その3年分を引くと、1976年(昭和51年)となり、灯ろう流しと同じになります。
聞くところによると、最初は灯ろう流しがメインイベントで、花火大会がサブのイベントだったとか。灯ろう流しの後にちょこっと花火を打ち上げていたといった感じだったのでしょうか。
実際、昭和59年選定のせたがや百景に花火大会として選ばれていないし、灯ろう流しの説明文にも花火の文字が見られません。ほんと、小規模なものだったようです。

現在は1時間ほどのプログラムになっています。
灯ろう流しがメインで始まったイベントでしたが、徐々に花火の方が人気となっていき、いつしか花火大会だけになってしまいました。灯ろう流しが本来の目的だったんじゃないの・・・と、突っ込みたくなりますが、これも時代の流れというやつでしょう。
なぜこんなことになってしまったのか。おそらく、世田谷と同日に川崎側で行われている川崎市制記念多摩川花火大会の影響かと思われます。
川崎の花火大会は歴史があり、1929年(昭和4年)に第1回が開催されています。といっても、当時の川崎市は現在の川崎区と幸区だけだったので、花火も下流の六郷橋付近で行われました。
現在の二子橋付近で行われるようになったのは、1975年(昭和50年)から。多摩川灯ろう流しが行われる前年になります。川崎で派手に花火が上がるようになったので、世田谷区としても何かしなければと、同じ時期に行われている灯ろう流しのバックアップを行うことにした・・・と勘ぐってみたりします。
とはいえ、川崎側で盛大に花火を打ち上げているのに、世田谷では灯ろう流しと少しの花火を打ち上げるだけでは、やきもきしたものを感じたことでしょう。うちでも花火を盛大に打ち上げようではないか・・・という流れになるのは、昭和後半の景気がよく、勢いのあった世の中では自然なことだったと思います。

当日は川崎側でも花火大会が行われるのでとんでもなく混み合います。
花火を盛大に上げるようになると、訪れる人が増えますが、今度は灯ろう流しどころではなくなります。地方では花火と同時に灯ろう流しが行われる事も多いですが、ここでは花火との距離が近いので、灯ろう流しのために川の近くにいるのは危険です。
それに会場内が混雑してくると、灯ろう流しに参加していたら、花火を見る為のいい場所がなくなってしまうし、人の誘導等も複雑となり、主催者側の負担も並々ならぬことになります。
交通規制の問題もあり、世田谷の花火と川崎の花火が同時開催となったのは、1994年(平成6年)。この頃には灯ろう流しは完全に行われなくなったと思われます。
2018年から花火大会は秋に行われるようになったので、原点に立ち返り、灯籠流しを復活させてもいいのではないでしょうか。多摩川の夏の風物詩がなくなってしまっては寂しいです。

用賀のビルや二子玉川のビル群が背景になります。
現在の花火大会は、世田谷区が主催となり、テーマを決めて1時間ほどのプログラムで、約6000発の花火が打ち上げられます。
川崎も同日同時刻開催となり、打ち上げの数も同数の6千発。合わせて1万2千発の花火が多摩川の夜空を飾ることになりますが、近そうに見えて、そこそこ距離が離れているので、同時に二つの花火を楽しめる場所は限られます。
花火が凄いのは当然ですが、もっと凄いのは、終了後の混雑。最寄り駅が二子玉川と二子新地となり、電車も田園都市線、大井町線と限られるので、終了とともに駅へ向かう人の流れと、駅構内の混雑が壮絶です。帰りの電車に乗るまで1時間以上かかるというのはざら。ほんとうに身動きが取れなくなります。
夏から秋の開催になり、気温の高い中、人混みで動けなくなるという事もなくなったので、体調を崩す人が少なくなったのではないでしょうか。それに打ち上げ時間が午後6時から7時と、夏よりも1時間早くなったので、帰宅難民や警備の負担がぐっと減ったのではないでしょうか。秋への変更はよかったように思います。
私的に花火の鑑賞でお勧めなのが、対岸の川崎側から見ること。適度な距離感があり、多摩川の川面に花火が反射するのできれいです。放送が聞こえないので、次に何が打ちあがるとかわからないのと、ちょっと駅から歩かなければならないのが難点ですが、河川敷は比較的空いているので、くつろいで見ることもできます。
実際に見たことはありませんが、同じように二子玉川公園などから見る川崎側の花火もきれいかもしれません。
2、世田谷と周辺の灯ろう流し

インターネットで調べてみると、現在多摩川で行われている比較的大きな灯籠流しは、狛江市の河川敷と、かなり上流になりますが、羽咋市の河川敷で行われているものぐらいのようです。
昔は、正月のどんど焼きと、夏の灯篭流しはどこでも行われているありふれた行事だったのですが、現在の都会ではめっきり減ってしまいました。
その理由は、ゴミの問題や安全対策。現実的な問題として、費用や手間(人員)がかかってしまうことです。
だから町内会規模では手軽に行うのが難しくなり、中止、或いは規模を縮小し、安全な水辺、例えばせせらぎなどに場所を変えて行っています。流してもすぐに回収されてしまっては本来の意味をなさないような気もしますが、回収の手間を考えると、仕方のないことです。

多摩水道橋付近の河川敷で行われます。
世田谷のお隣で行われている狛江市の灯ろう流しについて書くと、世田谷通りが多摩川を横切る所に架けられている橋、多摩水道橋のたもとの河川敷で行われます。
開催日は8月中旬頃。比較的近くの同じ多摩川という事で、世田谷で行われていた灯ろう流しもこんな感じだったのかな・・・といった参考になるはずです。

舟から灯籠を流していきます。
話を聞くと、狛江の多摩川では、江戸時代から灯篭流しが行われていたとのことです。とても伝統があります。
多摩川での川遊びが盛んだった大正後期から昭和中期にかけては、川沿いには海の家ならず川の家が並んでいました。そういった川の家が共同で主催して、灯ろう流しを行っていたそうです。
その後、狛江市の観光協会が主催するようになり、花火大会も同時に開催されるようになりました。この流れは世田谷と同じパターンです。
しかし、現在では花火大会は行われなくなり、灯ろう流しだけが続けられています。顛末は世田谷区の逆パターンです。
しかも、現在では観光協会(狛江市)の主催ではなくなり、近くの玉泉寺の住職や実行委員会のボランティアによって開催されているといった状態です。

下流にはロープが張られていて、これ以上流れないようになっています。
狛江の灯ろう流しは、玉泉寺の住職による供養が唱えられた後、川に浮かぶ船から灯ろうを流します。川にはプールのコースを分けているやつ・・・、正式にはダムフェンス(網場)とか、オイルフェンスというのでしょうか、それが水面に張られていて、下流に灯ろうが流れていかないようになっています。
灯ろうを流し続ければ、そのフェンスにどんどん溜まっていくことになります。わさわさと大量の灯ろうが固まってうごめいている様子は・・・、情緒という点では微妙なところでしょうか。
とはいえ、主催者が変わっても、花火大会がなくなっても、ずっと灯ろう流しを続けていることは素晴らしく、行事を見ていると行事への情熱を感じます。

思い思いの絵を描いた灯籠を流します。
世田谷区内では、用賀のプロムナードのせせらぎで、子供祭りの一環として小規模な灯ろう流しが行われています。
小さな水路のほんの短い距離なので、多摩川に流すことと比べてしまうと、流しそうめんみたいな感じかもしれませんが、町会レベルの子供を対象にしたイベントで、安全かつ手軽にとなると、こういった形になってしまうのも現在の事情ではしょうがない事です。
でも、子供たちが楽しげに行っている様子は、規模の大小を問わずいいものです。区内には多くのせせらぎがあるので、そういった場所で行うのもいいかもしれません。

僧侶による法要が行われる中、川の両岸からどんどんと流していきます。
世田谷の近所で行われている灯ろう流しをピックアップすると、野川の上流でも行われていて、調布市の深大寺付近、ちょうど中央高速道が野川を横切る場所で行われています。ここは有名な深大寺のお膝元なので、供養のお経を読み上げる僧侶も多く、楽隊までいるので、雰囲気がとてもいいです。
川幅が多摩川みたいに広くないので、川の両岸から灯ろうを流せ、しかも珍しく自分で灯ろうを流す事ができます。灯ろうが流れていくのを眺めるには、このぐらいの川が最適かなと思えます。

船で池の中央へ出て流します。
川ではありませんが、大田区の洗足池の灯ろう流しも有名です。ここでの灯ろうはボートに載せられて、池の真ん中付近で流します。大きな池に数多くの灯ろうが揺らめく光景は幻想的であり、川とは違った趣があります。

水路を流れていく感じです。
溝の口の二ヶ領用水でも高津区民祭の時に灯ろう流しが行われます。二ヶ領用水は世田谷の国分寺崖線沿いに流れている六郷用水、現・丸子川の兄弟川になります。
ここは完全に護岸をコンクリートで固められた水路といった雰囲気なので、ちょっと人工的過ぎるかな・・・といった感じでした。
3、感想など

自分の流した灯ろうが流れていく様子を真剣に眺めていました。
日本では、ひな流しに灯ろう流し、盆船や八朔船を流したり、大祓の紙人形を流したりと、海や川に思いを託して流す行事が幾つもあります。
小さいころに笹船を流したりしませんでしたか。ひな流しでもそうですが、子供は何かを流すというのが大好きです。本当に楽しそうに流します。灯ろう流しの本当の意味は分からなくても、家族や友人と一緒に流したという楽しい記憶は、大人になっても覚えているものです。
花火大会が秋に変更されたので、兵庫島辺りで夏に子供たちのために灯ろう流しが復活されることになればいいですね。こういった季節感のある行事がもっと行われるようになってほしいです。
と、何もしない人間がもっともらしいことを言うのは簡単です。実際に行事を行う人間の苦労と手間、そして金銭的な負担は相当なもので、だからこそこういった行事が減っているのです。昔のように地域の行事へ協力を惜しまない人が多い世の中になればいいですね。
せたがや百景 No.74多摩川灯ろう流し 2025年5月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 現在行われていません。花火大会会場は鎌田1丁目付近の多摩川二子橋公園 |
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・アクセス | 最寄り駅は東急田園都市線二子玉川駅。 |
・関連リンク | 世田谷区たまがわ花火大会(公式) |
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