世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.75

多摩川の緑と水

多摩川一帯

世田谷区の南の区境に沿って流れる多摩川は区内に残された最大の自然の景観といえる。水量こそ減ったが、周辺に残された緑また河川敷の広々とした空間は大変貴重なものだ。清流復活の願いも徐々に実り、野鳥や魚影を以前より多く観察することもできるようになった。(せたがや百景公式紹介文の引用)

広告

1、多摩川について

多摩川の風景 河川敷の多摩川の碑を写した写真
河川敷の多摩川の碑

テーマが大きすぎてなかなかコメントするのに困ってしまう項目です。しかも、区内における最大の自然景観であるとはいうものの、広大な多摩川流域に占める世田谷区の割合は微々たるものです。

世田谷の多摩川を見て、多摩川は・・・と意見するのもどうかと思いますし、世田谷区と多摩川の関わりというなら、他のせたがや百景の項目の中に個別に関わるものが幾つかあります。ですから、ここでは多摩川や多摩川の情景についてちょっぴり書いてみたいと思います。

多摩川流域の地図(国土地理院)

国土地理院地図を書き込んで使用

多摩川についてあれこれを書いていくと、全長は138km(全国33位)で、流域面積は1,240平方キロメートル(全国53位)の一級河川です。

源流は山梨県と埼玉県の県境にある笠取山で、この山からは荒川、富士川も流れ出ています。ですから、この山は分水嶺となっていて、雨が降った斜面によって、その水の行き先が東京湾になるのか、駿河湾なのか、東京湾にしても直行便になるのか、大周りの埼玉経由になるのか、色々と変わります。

そう考えると、雨水にもちょっとの差で自分の人生が決まる人間のようなドラマがあるんだ・・・。と、親近感やら、面白味を感じてしまいます。

奥多摩湖を写した写真
奥多摩湖(奥多摩町)

山奥の自然豊かな場所です。

笠取山の多摩川側の斜面から流れ出した水は、支流からの水を増やしながら南東に向かって流れていき、東京都に入ると、まず奥多摩湖(正式名称:小河内貯水池)の大きなダム湖に蓄えられ、水量調整が行われます。

奥多摩湖の有効貯水量は1億8540万㎥。東京西部の水瓶となっていて、東京で使用される水道水の40日分を溜めることができます。昔は渇水になると、よくニュースに登場し、貯水率が何パーセントと流れました。

現在では昔ほど話題にならないのは、利根川や荒川への比率を高めたから。東京全体で見ると、80%が利根川及び荒川水系で、17%が多摩川水系になっています。

また、奥多摩湖とその周辺は自然豊かな観光地となっていて、四季折々の美しい自然が楽しめます。

羽村取水堰(羽村市)を写した写真
羽村取水堰(羽村市)

多摩川と人間とのかかわりが深い地域です。

奥多摩湖からはどんどんと支流が合流し、水を増やしながら流れていきます。上流で最初の大きな町は青梅。昔は養蚕が盛んで、山間集落の人が集まる大きな市がたっていました。

青梅を通過すると、羽村へ。羽村には、かつては世田谷にも流れていた玉川上水の取り込み口、羽村取水所がありました。

現在では玉川上水自体は役割を終えていますが、羽村取水所からは、かつての水路を水道源導水路として活用していて、今でも水が分けられている様子を眺めることができます。

また、羽村取水堰や休憩所、河川敷には堤防の牛枠が置かれていたりと、歴史を偲ぶことができます。多摩川を象徴する場所の一つとなるでしょうか。

多摩川5本松(狛江市)の写真
多摩川5本松(狛江市)

撮影のロケ地として有名です。

羽村から下流は、両岸に住宅が増え、中流部の昭島や日野、府中と東京都を東西に横切っていき、調布より下流では神奈川と東京の境を流れます。

世田谷のお隣の狛江市の多摩川沿いには、5本の松、いやそれ以上の松が生えています。だから何・・・って感じでしょうが、実はこの松のある川辺の景観は有名で、多摩川五本松と言われ、多摩川50景、新東京百景の一つに選ばれています。

周囲に建物があまりなかった昭和中期頃までは、時代劇の撮影によく使われていました。今でも開放感ある風景から、ドラマなどの撮影などに度々使われているようです。

久地円筒分水(川崎市高津区)の写真
久地円筒分水(川崎市高津区)

水の流れる配分を調整する仕掛けです。

江戸や明治時代は、多摩川流域では多摩川の水を使用し、農業が盛んに行われていました。狛江市に六郷用水、川崎の多摩区には二ヶ領用水の取水口が設けられていて、両岸の農業の発展を担っていました。

多くが農業で生計を立てている時代は、農業用水の確保は生活のため必須というか、生死にかかるものでした。その為、水の利権争いは壮絶で、村同士の争いは絶えなかったようです。

そういった争いを緩和するために編み出されたのが、公平に水が流れるようにする円筒分水という装置。川崎の高津区久地に残っていて、重要文化財に指定されています。

多摩川河口 旧穴守稲荷神社大鳥居を写した写真
多摩川河口 旧穴守稲荷神社大鳥居

河口には羽田空港が建設されたために、鳥居だけこの場所にあります。

下流部の六郷付近では、直角に近い角度で大きく川が曲がっています。まるでサーキットにあるシケインのよう。大きめの川の河口付近では、流路は緩やかに整えられていることが多いので、ちょっと珍しく感じます。その六郷を過ぎると、そのまま羽田空港の脇で東京湾に注いでいます。

多摩川の流域にある県は、山梨県、東京都、神奈川の3県で、流域人口はおよそ425万人とされています。

多摩川河口 旧穴守稲荷神社大鳥居を写した写真
奥多摩湖上流部 丹波川

上流部は深い谷を流れています。

なぜ多摩川と名が付いているのか。実は、多摩川という名前の由来ははっきりしていなく、上流部の丹波川(たばがわ)の転訛説が有力候補の一つとなっています。

世田谷に暮らしていると、多摩川と玉川で混同してしまうことがあります。多摩川と玉川の関係性ですが、江戸時代に多摩川よりも同音で語呂のいい玉川の名が使われる事が多かったようです。

現在でも語呂の良さや、書体の簡易さ、川としての多摩川と区別するために「玉川」の文字を使った地名を選んでいる地域もあります。例えば玉川上水、玉川地区、二子玉川や用賀の玉川台などがそうです。

多摩川サミット記念碑を写した写真
多摩川サミット記念碑

河川敷に設置されていました。

多摩川といえば、古くから洪水が絶えない「あばれ川」として有名でした。下流の世田谷で多摩川を眺めても実感は湧かないのですが、川の全長138キロに対し、標高差が1000mあり、他の河川と比べても、かなり勾配が急な河川と言えます。

平常時はまだしも、台風や豪雨で川の水が多くなると、勢いよく水が流れることになります。その時に川底の土砂を巻き込むので、昔の木造の橋は破壊され、土や石で固めた河岸の堤防はすぐにえぐられてしまいました。

特に下流域での被害は甚大で、時には川筋が変わるほどの破壊力がありました。現在でもその名残りが残っています。それは川の両岸に同じ地名がある事。大規模な氾濫の時に川の流れが変わってしまい、村が分断されてしまったようです。

多摩川流域の地図(国土地理院)

国土地理院地図を書き込んで使用

例えば、世田谷区に等々力という地名がありますが、対岸の川崎市の川沿いにも等々力という地名があります。

等々力渓谷や等々力不動は世田谷区で、サッカーの有名なチーム、川崎フロンターレの本拠地となっている等々力緑地にある等々力競技場は川崎市と、他の地域の人にとってみれば、等々力って世田谷なの?川崎なの?とややこしい事になっています。

世田谷区周辺では、宇奈根、瀬田、野毛、丸子などといった地名も川の両岸で見る事ができます。

多摩川 二子玉川付近の様子を写した写真
二子玉川付近の様子

二子玉川付近は橋が3本架かっています。

橋を架けても洪水によって頻繁に流されるし、江戸幕府も多摩川を江戸の最終防衛線と位置づけ架橋を制限していたので、1688年から1874年の間、多摩川に橋が掛けられなかったという話も残っています。

その影響もあって、矢の口の渡し、二子の渡し、野毛の渡し、丸子の渡し、六郷の渡しといった渡しが、比較的近年まで活躍していました。

夕暮れの多摩川土手を写した写真
夕暮れの多摩川土手

夕暮れ時の土手では通勤、通学、ジョギングや散歩と思い思いの時間を過ごしています。

多摩川は古くから人間の営みと共にありました。現在は漁で生計を営んでいる人はいないと思いますが、大正や昭和の初めまでは世田谷でも鮎漁が盛んに行われ、川には屋台船が浮かび、川辺には鮎料理を出す料亭が並んでいました。

大正時代中期ぐらいまで、奥多摩から切り出した木材を筏にして川を流して運搬していました。当時はダムや堰がなかったし、水量も多かったので、こういうことが可能でした。筏師が奥多摩へ歩いて戻っていた筏道の名残が幾つか残っています。

夕暮れの多摩川土手を写した写真
いかだ道の案内板

砂利の採集が盛んに行われていた時代もあります。現在の田園都市線の前身は玉川電鉄ですが、これは砂利を都内へ運搬するために敷かれた路線で、客車の後ろに砂利運搬車が連結されていたそうです。

特に関東大震災後の復興に役立ち、二子玉川から宇奈根まで砂利を運搬するための砧線が設置されるほどでした。

二子玉川 砧線軌道跡の碑とハナミズキ並木の写真
砧線軌道跡の碑とハナミズキ並木

この遊歩道にはかつて砂利を運ぶ玉電が走っていました。

しかし、機械化と鉄道の敷設によって大量に砂利を採取した結果、水質汚濁による漁業への悪影響、護岸の強度が亡くなったり、河床が大幅に低下したことで、用水路への取水ができなくなったり、多摩川に架かる橋の橋脚部分が不安定になるなどの弊害が起き、昭和7年に二子橋より下流部での採集が禁止になりました。

昭和9年以降は、二子橋より上流、日野橋までの間での高水敷(河川敷)での採掘は禁止となり、その後も規制が強化され続け、昭和40年には多摩川全域で全面禁止となりました。

土手のベンチと富士山を写した写真
土手のベンチと富士山

土手にはベンチも設置されていて、富士山や多摩川の流れを眺めながら休むことができます。

現在では、多摩川の広々とした川辺は人々に憩いや健康面でのリフレッシュの場を与えてくれています。

河川敷はきれいに整備され、グラウンドなどが並んでいます。川の土手はジョギングコースに整備されて、朝夕などに多くの人がジョギングやウォーキングを楽しんでいます。

また晴れて空気の澄んでいる日には多摩川越しに富士山を眺めることができます。そんなに大きな富士山ではありませんが、富士山と多摩川の流れを見ながら土手で一休みしていると気持ちが安らぎます。

広告

2、手作り筏での川下りと多摩川クリーン作戦

河川敷でバーベキューを楽しむ人々(川崎)の写真
河川敷でバーベキューを楽しむ人々(川崎)

2009年。有料化になる前の様子です。

この項目が百景に選ばれた一番の核心部分を上げるなら、やはり死の川からよみがえったという部分ではないでしょうか。

高度経済成長期、急激な都市化によって多摩川の流域人口が爆発的に増加しました。また工業や科学の発展により化学物質を多く含んだ洗剤などが大量生産され、そして大量消費といった生活スタイルの変化により、多摩川にはどんどんと汚染された生活排水が流れ込む事となりました。

その結果はご存知の通り、魚が住めないような死の川となってしまいました。流れの緩やかな川岸付近は洗剤の泡や灰汁で覆われ、悪臭が漂っているような状態だったそうです。

アドベンチャー in 多摩川 いかだを押す子供たちを写した写真
アドベンチャー in 多摩川 いかだを押す子供たち(世田谷区)

この日は水量が少なかったので、浅瀬部分は押さなければなりませんでした。

このままでは多摩川の未来が・・・、付近に住む住民の健康が・・・という事で、昭和50年代後半頃より流域の自治体などが協力して、下水処理を徹底する事にしました。

川の流域は運命共同体であり、上流で川を汚せば下流も汚くなるし、昔で例えるなら、上流で疫病が起これば下流にも広がり、上流で干ばつや大雨が起これば下流にも被害がでるといった感じです。団結して対処しなければ意味がありません。

その結果、年を追うごとに下水道が普及し、それと共に汚染水の流れ込みが減っていき、徐々に川の汚れが少なくなっていきました。そして今では命のあふれる川に戻りました。下流付近でも川に釣り糸をたれる人もいれば、川で遊んでいる人の姿も多いです。

狛江古代カップ 多摩川を下っていく筏を写した写真
狛江古代カップ 多摩川を下っていく筏(狛江市)

五本松の付近からスタートします。参加者が多く、筏で多摩川がにぎわいます。

2002年に多摩川に現れて話題になったアゴヒゲアザラシの「タマちゃん」などもいい例かもしれません。というより、近年では逆に命あふれ過ぎる川となり、熱帯魚の違法放流によって本来生息していないアマゾンに生息する魚まで暮らしていて問題となっています。

それを揶揄り、アマゾン川と多摩川を掛け合わせてタマゾンと呼ばれることもあります。

なぜ多摩川で熱帯魚が住めるのか。常識的に考えて越冬できないはずでは・・・。実は、今では多摩川の下流部を流れている水の半分ぐらいが下水処理された水なのです。この事実に驚いてしまいますが、下水処理された水は比較的温かく、また工場排水の出る付近の水温はかなり温かく、場所によっては越冬してしまう魚もいるのです。

狛江古代カップ 古代カップらしいいかだを写した写真
古代カップのいかだ(狛江市)

東京タワーVSピラミッド、ビジュアル的に面白い筏も多いです。

近年では、きれいになった多摩川で手作りいかだ下りレースといった面白いイベントが盛んに行われています。ペットボトルなどの廃材などでいかだを製作し、チームで協力していかだをこいで多摩川を下っていき、タイムを争うといったものです。

一番有名なのは狛江市の「狛江古代カップ」で、盛り上がりもなかなかのもの。本気でタイムを狙っていくチームや仮装に力を入れるチームやら見ているだけでも楽しいです。参加している人はとても楽しことでしょう。

アドベンチャー in 多摩川を写した写真
アドベンチャー in 多摩川の様子(世田谷区)

第三京浜の高架下辺りで行われます。

それを参考に世田谷でも「アドベンチャー in 多摩川」といういかだレースが行われています。昔は小学生を中心としたイベントでしたが、今では中学生にまで対象が広がったようです。

以前は第三京浜の橋の下付近がスタートになっていましたが、今では新しくできた二子玉川公園付近からのスタートになっています。観客も増え、一段と盛り上がっていることではないでしょうか。

多摩川ECOカップを写した写真
多摩川ECOカップ(川崎市多摩区)

せせらぎ館近くからスタートします。

川崎の多摩区でも「多摩川ECOカップ」が行われていますが、まだ開催回数が少ないのでこれからといった感じです。

こういったいかだに乗って多摩川を下っている光景を見ていると、多摩川もきれいになったんだなとしみじみと感じてしまいます。

もし汚い川だったら川に落ちたら腹痛や感染症などで病院行きになってしまうので、とてもじゃないけどレースなんてできません。

多摩川クリーン作戦に集まった人々を写した写真
多摩川クリーン作戦に集まった人々

花火大会の翌日に行われます。多くの人が集まります。

また河川敷をきれいにして水辺を守るといった活動も盛んに行われています。多摩川クリーン作戦と名付けられて、定期的にゴミ拾いがボランティアの方々によって行われています。

玉川花火大会の翌日に行われている活動は一番規模が大きく、広く知られているのではないでしょうか。

多摩川クリーン作戦 ゴミを拾いながら歩く人々を写した写真
ゴミを拾いながら歩く人々

熱心に頑張っていました。

花火大会で楽しんだ翌日の朝、昨夜の余韻を楽しみながら気分よく河川敷の掃除を行うというのも悪くないものです。

普段、河川敷を使って練習している少年野球や少年サッカーチームの子供たちがユニホーム姿でゴミを拾っていたり、付近の小中学生が多く参加しているのが印象的でした。

ゴミを拾う側の気持ちが子供のうちから分かっていれば、大人になってもゴミを捨てにくいものです。こういった取り組みが続いていけば多摩川も安泰でしょうか。

3、多摩川の情景(喜多見~二子玉川)

多摩川の風景 警視庁の交通安全教育センターの白バイの訓練場を写した写真
白バイの訓練場

大会が行われる事もあります。

世田谷区内の多摩川の情景を少し載せていきます。まず、多摩川の世田谷の最上流、東名高速の橋の付近に警視庁の交通安全教育センターがあります。ここは白バイの基地にもなっていて、河川敷には白バイのコースがあります。

普段から白バイが練習している様子を見ることができ、休日などには白バイの大会なども行われます。

多摩川の風景 送電線の鉄塔を写した写真
送電線の鉄塔

河川敷だと存在感があります。足部分のレンガが特徴です。

東名高速の橋から少し下ると、大きな送電線の鉄塔があります。河川敷に鉄塔があるとなかなか存在感があります。

この鉄塔の足部分は昔ながらのレンガです。ちょっと味があって、鉄塔ながら風情を感じてしまいます。

多摩川の風景 土手の距離案内と富士山を写した写真
土手の距離案内と富士山

距離表示があるのでジョギングにはいいですね。

鉄塔付近の土手はきちんと舗装されているので移動しやすく、自転車やジョギングで利用する人も多いです。

ジョギングやウォーキングをする人のために距離の表示の案内が距離ごとに建てられていますが、ちょうどこの辺りが多摩川の河口から20キロになるようです。

宇奈根付近の多摩川の流れと富士山を写した写真
多摩川の流れと富士山

結構好きな風景です。

宇奈根付近の多摩川は大きく蛇行していて、川らしい風景となっています。かつてこの付近は龍ヶ渕という崖になっていたそうです。

現在は崖はありませんが、蛇行している様子が美しく、正面に富士山を見ると、送電線やら建物があるので絶景とまではいきませんが、なかなかいい風景です。

多摩川の風景 砧下浄水場の取り込み口を写した写真
砧下浄水場の取り込み口

愛らしい姿をしていて、絵になる存在です。

鎌田付近の土手には小さな煙突というか、ロケットみたいというか、小さな円筒形のオブジェがあります。

このすぐそばには砧下浄水場があり、このオブジェの部分はちょうど多摩川からの水の取り込み口になります。

砧下浄水場は大正12年に渋谷町営水道が渋谷に水を送るために作った歴史ある施設になります。川の土手から中の様子をうかがうことができるのですが、その当時に建てられた大正ロマンあふれるような建物が現存しています。

多摩川の風景 多摩川のグラウンドと富士山を写した写真
多摩川のグラウンドと富士山

日本の河川敷といった感じでしょうか。こういう風景も好きです。

砧下浄水場から下流の河川敷は、野球などのグラウンドが多くなります。というよりグラウンドだらけです。野球のグラウンドが多く、やっぱり日本人は野球が好きなんだなと再確認できるような風景です。

多摩川の風景 兵庫島公園と二子玉川を写した写真
兵庫島公園と二子玉川

緑豊かで、水辺の風景もある公園です。

国道246号の新二子橋より南側は兵庫島だった部分を整備した兵庫島公園となっています。

兵庫島公園周辺の風景は多摩川八景にも選ばれています。世田谷を代表する多摩川の風景となるでしょうか。ただ、選定当時と違い随分と高層ビルが周辺に増えました。これはこれで二子玉川らしい風景となるでしょうか。

駅からも近いので、広々とした河川敷でピクニックをするのもいいし、せせらぎも設置されているので、子供に水遊びをさせることもでき、とても利便性の高い公園となっています。

4、多摩川の情景(二子玉川~玉堤)

多摩川の風景 再開発前の二子玉川駅の南側河川敷を写した写真
再開発前の二子玉川駅の南側河川敷

川遊びが盛んに行われていたころの名残の松林が残っていました。

二子玉川駅よりも南側は大規模な再開発と河川の堤防工事が行われ、すっかり近代的な風景に変わってしまいました。

かつて多摩川でアユ漁が盛んだった頃には、川沿いには料亭が並んでいました。その頃に植えられた松林が再開発前は残っていましたが、現在ではほぼなくなってしまいました。

ただ、駅近くには6本の背の高い松が植えられたので、今後は二子玉川の6本松として新たな象徴になるかも・・・しれません。

河川敷の桜並木

土手の斜面に桜が植えられていてちょっとした桜並木になっています。

二子玉川公園を過ぎると、第三京浜の橋があります。この橋をくぐると、車道が土手の上を走ることになり、歩行者は河川敷を歩くことになります。

この辺りの河川敷は、多摩川遊園と名が付いた子供の遊び場になっています。また土手の斜面に断続的に桜が植えられています。桜の時期にはちょっとした桜並木となり、大勢の花見客でにぎわいます。

多摩川の風景 谷沢川の水門を写した写真
谷沢川の水門

等々力渓谷を流れてきた川です。白い水門が青空によく映えます。

第三京浜の橋から少し下流へ行くと、大きな水門があります。ここで等々力渓谷を流れてきた谷沢川が合流します。

世田谷区内では野川や仙川、谷沢川が多摩川に流れ込んでいます。こういった川は、多摩川を支えている支流という分類になり、川の規模を問わず多摩川水系の一級河川に指定されています。

5、多摩川のイベントや伝統行事

たまがわ花火大会を写した写真
たまがわ花火大会

世田谷で一番賑わうイベントです。

多摩川の大イベントといえば花火大会です。川崎側と同日に行われ、世田谷では鎌田の二子玉川緑地運動場をメイン会場として行われます。

以前は8月のお盆過ぎに行われていたのですが、天候不順で中止になってしまうことが多いため、現在では10月に変更されています。これからは秋の多摩川の風物詩として定着していくことでしょう。

鎌田のどんど焼きを写した写真
鎌田のどんど焼き

鎌田の河川敷、きぬたまあそび村付近で行われます。

ど狛江のどんど焼きを写した写真
狛江のどんど焼き

多摩水道橋付近の河川敷で行われます。

都市化によって消えていく行事も多いです。その一つが、正月に行われているどんど焼きです。

かつては地域ごとに大きなどんど焼きのやぐらが組まれていましたが、広い場所が確保できなかったり、人手が足りなかったりと、行事を行わなくなってしまったところが多いです。

世田谷区内では、神社境内で小規模に行われているところが多く、町会が主催となって大々的に行っているのは、鎌田町会だけです。ここでは多摩川河川敷に大規模なやぐらが組まれ、大規模にどんど焼きが行われます。

多摩川流域では、今でも比較的多くの場所でどんど焼きが行われていて、世田谷周辺では狛江や大田区、川崎の丸子などでも大きなどんど焼きを見ることができます。

狛江市の灯篭流しを写した写真
灯篭流し(狛江市)

小田急線の高架下付近で行われます。

盆の風物詩といえば灯ろう流し。以前は世田谷の多摩川河川敷でも行われていましたが、今では行われていません。

狛江では多摩水道橋のたもとで現在でも行われていて、多摩川に灯ろうが揺らめきます。ただ、下流に流すわけにはいかないので、ロープが張られた範囲内で漂うといった感じです。

その他、昭和の半ばころまでは、祭りの際に威勢よく多摩川にお神輿が飛び込んだり、対岸の同じ町域に筏で運んだりとといった事も行われていましたが、今ではそういった行事は行われていません。

6、感想など

多摩川の風景を写した写真
多摩川の夕暮れと富士山

雄大な景色の中に身をゆだねると、小さな悩みなど吹っ飛びます。

この項目は「多摩川の緑と水」といったタイトルになっていますが、言葉通りに世田谷を流れる多摩川の緑と水は素晴らしいという意味ではなく、一度絶望的に汚してしまった過ちを経験した後によみがえった多摩川を見て、自然はなんて素晴らしいのだろう、自然はありがたいといった意味合いを多く含むものです。

ちょうど戦争を経験した人が訴える平和と、戦争を知らない人が理想論で訴える平和といった感じで、昭和の時代に選ばれたからこそ重みのある項目かなと思えます。

人間は過ちを犯す生き物です。失敗から色々と学んで成長するものです。「川はよみがえらせることができる」「環境問題は努力すれば解決できる」「もう川を汚すような過ちは犯すまい」といったようなメッセージをこの項目からぜひ感じ取ってもらいたいです。

せたがや百景 No.75
多摩川の緑と水
2025年5月改訂 - 風の旅人
広告

・地図・アクセス等

・住所多摩川流域、兵庫島公園など
・アクセス最寄り駅は田園都市線二子玉川駅など。
・関連リンク多摩川流域リバーミュージアム(国土交通省)
・備考ーーー
広告
広告
広告