世田谷の珍スポット
有名な観光スポットでは飽き足らず、変わった場所、マニアックなスポットを好んで訪れる人もいるようで、マニアックな場所やb級スポットを集めたサイトも人気となっています。
世田谷区内にはそこまでマニアックな場所はありませんが、ちょっと面白いスポットが幾つかあります。友人などと話のネタに訪れてみるのも楽しい体験となるのではないでしょうか。
1、世田谷観音寺の特攻観音など

昔から世田谷のB級スポットとして名が知られているのが、下馬にある世田谷観音寺です。寺の名前自体はいたって普通で、大きな観音様の像が境内にありそうな感じなのですが、いやいやどうして、寺の境内が非常に変わっているのです。
一番インパクトがあるのが、特攻観音です。太平洋戦争での特攻隊員の英霊を祭っている観音様で、何でここにあるの?ってな感じですが、まあ住職さんの強い想いがあるようで、これ以外にも太平洋戦争関係の碑が幾つかあります。

特攻観音だけでも強烈な印象を受けますが、この寺は戦後に造られた寺だというのに、境内には寄せ集められた文化財がたくさんあります。
清時代の狛犬、平安時代の仁王像、かつて国宝に指定されていた運慶の孫の康円の作といわれる不動明王と八大童子、二条城から移築された阿弥陀堂などなど、寺全体が本当にユニークです。

色々とインパクトがある寺なので、インターネットが普及する前から有名でした。なので、世田谷のB級スポットで真っ先に思いつくのがここです。
しかしながら近年では地域に開放された寺になり、毎月第2土曜日6時から開かれている朝市はこの界隈では人気となっています。すっかりと地域に馴染んでしまい、昔ほど尖ったというか、マニアックな場所ではなくなってしまった感じです。
- <場所>
- ・下馬4-9-4 (google map)
- <詳細ページ>
- ・世田谷観音(百景3)
2、大蔵妙法寺回転大仏

世田谷にはなんと回転する大仏が存在します。大仏が回るって・・・?なんのこっちゃ?と想像しにくいと思いますが、大きな大仏様がターンテーブルのようにぐるっと360度回転します。
回転する大仏があるのは、世田谷通りと仙川が交差する付近の丘にある大蔵妙法寺。おおくら大仏というのが正式なのでしょうが、おおくら回転大仏とも呼ばれています。

おおくら大仏は平成6年の秋彼岸に完成しました。高さ8m、ブロンズ製で重さ8トンあります。大仏は法華経の久遠実成の本佛お釈迦様を現していて、光背に四菩薩を配しています。
なぜ大仏様が回転する必要があるのか。単なる話題作り?いやいや、これにはちゃんと理由があるのです。
朝9時から夕方5時までは、墓地や本堂のある南側を向いて参拝者や墓地に眠る人々を見守り、夕方5時から翌朝9時までは、世田谷通りのある北側を向いて交通安全や世界平和を祈念していらっしゃるのです。
もし時間外に墓地へ参拝に来てしまった場合でも、背中に向かって拝まなくても、スイッチを押せば回転してこっちを向いてくれ、ちゃんと拝むことができます。
とまぁ、まさに24時間、360度フル回転の回転大仏なのです。更には、交通安全週間には交通安全のたすきを掛け、微笑ましい姿になっている事もあります。

でも、やっぱり冷静になって考えると、とんでもなくお金をかけて、巨大な大仏を回転させる必要はあったの?バブル期の産物ってやつじゃない。ってなるかと思います。このへんは檀家さんの方が強く思っているようで、建設当時は何て奇抜な物を造って・・・と、もめたとかなんとか。
その気持ちはわかる気がしますが、この土地の特殊性を考えたら、それを言っちゃ野暮ってものです。なんせ、すぐ近くに東宝撮影所や円谷プロがあるのです。住職の心の中に、巨大なものへの憧れや、ウルトラマンやゴジラなどへの対抗意識があってもおかしくありません。
住職にとって寺は自分の城のようなもの。寺に巨大な仏像を建造し、更には回転なんてしたら、東宝さん、うちも負けていませんぜ。といった感じで、誇らしいに決まっています。特撮ものを見て育ったならなおさらです。(勝手な推測で書いています・・・)

回転大仏のある妙法寺は、立派な枝垂れ桜があることでも有名です。開花時期にはライトアップされ、多くの人が訪れます。動物霊園も付属していて、砧公園界隈ではとても評判が良かったりします。
寺全体でみると、普通の雰囲気のいいお寺となるのですが、回転大仏の存在だけが妙に浮いている感じがするのは、まあ愛嬌ってやつでしょうか。
- <場所>
- ・大蔵5-12-3 (google map)
- <詳細ページ>
- ・大蔵の四季が溢れ出す妙法寺の境内(風景3-13)
3、岡本三丁目の急坂

世田谷区内は、全体的に緩やかな起伏がある土地で、急な坂はあまりありませんが、小さな坂やなだらかな坂が多いです。
ただ、多摩川や野川に沿って国分寺崖線が続いていて、この崖線にあたる部分では強烈な坂となっているところがあります。
岡本三丁目にある坂道もそうで、真っすぐに下っている坂はまるでジェットコースターのようで、強烈なインパクトがあります。
あまりにもインパクトがあるので、昔からウルトラマンなどの特撮関係の撮影でよく使われたりしてきましたが、最近ではバラエティー番組などにも登場し、世田谷の面白スポットになっているようです。

坂の傾斜角は案内板が設置されていないのでわかりませんが、付近の坂から推測するに、20%~21%の間でしょうか。これをサイン・コサイン・タンジェントを駆使して、角度に直すと、11.5度程度ということになります。なかなかの急坂です。
特にチャリダー(自転車の人)に人気となっているようで、「岡本三丁目の坂を自力で登るぞ!」と、この坂を登ることを目的にやって来る人も少なからずいるようです。
付け加えると、この坂からは富士山を見ることができ、国土交通省の富士見百景にも選ばれています。ただ、坂道には電線が多いし、坂は影になることが多いしと、微妙なところでしょうか。
- <場所>
- ・岡本3-33付近 (google map)
- <詳細ページ>
- ・岡本三丁目の坂道(百景70)
4、祖師ヶ谷大蔵ウルトラマン商店街

昭和の時代に流行った特撮ヒーロー・ウルトラマンシリーズ。世田谷の話というわけではありませんが、世田谷の撮影所を使用し、砧地域を中心として区内の多くの場所でロケが行われたので、世田谷所縁の作品といえます。
今見返してみると、懐かしい昭和の世田谷が沢山写っていて、文化的にもとても貴重な映像となっているように感じます。実際は、予算を抑えるために撮影所近くでの撮影が多かったようですが・・・。

ウルトラマンを手掛けていた円谷プロがあった祖師ヶ谷大蔵駅周辺では、3つの商店街が合体してウルトラマン商店街を形成しています。
駅前などにはウルトラマンの像、商店街の入り口にはウルトラマンが空を飛んでいるアーチがあり、街灯はウルトラマンのデザインとなっていたりと、怪獣などのモニュメントがあったりと、ウルトラマン好きにはたまらない商店街となるはずです。

ウルトラマンのヒーローショーや握手会などといったウルトラマンに関係したイベントも定期的に行われています。そういった機会に訪れるのもいいかと思います。この今なおウルトラマンは根強い人気があることをここでは実感できます。
ちなみに桜まつりなどの普通の商店街のイベントでも、ウルトラマンは登場しなくてもウルトラマンっぽい感じのイベントになっていたりします。昭和的な雰囲気がよく似合う商店街です。
- <場所>
- ・小田急線祖師ヶ谷大蔵駅周辺 (google map)
- <詳細ページ>
- ・準備中
5、野毛の善養寺の石仏群

野毛の丸子川沿い、崖に立地するように善養寺というお寺があります。ここの境内には多くの石像が置かれていて、まるで石像のテーマパークのような感じです。
善養寺は正式には影光山仏性院善養密寺といい、真言宗智山派に属しています。ちょっと怪しい雰囲気は密教によるものです。
境内への入り口は丸子川沿いにあります。小さな大日橋を渡ると、左右の高いところから対になっている煩悩の象徴とされる石羊がこちらを見下ろしています。本物のヤギのような眼をしているので、結構不気味です。
そしてその後ろには守備隊長のような金の剣と銀の剣を持った巨人が入ってくるものに対してにらみを利かせています。
正面にある門に向かって進むと、門の前で正義や公正を象徴である祥獣の海駝がこちらを睨み付けています。横の方へ眼をやると、巨大な亀の像があり、異世界にやってきたかのよう・・・というのは大袈裟ですが、普段目にしないものがたくさん現れるので、初めて訪れた人は少なからず動揺するでしょう。


門を入って左側に社務所、奥に大きな本堂があります。この辺りにもまた多くの石像やら仏像やらと多くの置物が置いてあります。
特に社務所のところに置かれているヒンドゥー教の神であるガーネーシャ(象の顔をした神)の大きな像は異彩を放っている感じです。この他にも南インドの獅子吼などが置かれていて、門をくぐると、儒教的なものから、ヒンドゥー教に雰囲気が変わるといった感じです。

石像の他には、都の天然記念物に指定されている樹齢六百年を越えるカヤの木もあります。大きなカヤの根元には、なんと多摩川の精、河童のたま坊がいたりします。頭のお皿に水をかけてあげると、喜んでくれます・・・。
とまあ、様々な要素のある石像が並んでいる境内は、歩いていてとても楽しいです。等々力渓谷や野毛大塚古墳からもそんなに離れていないので、散策のついでに立ち寄ってみてください。
- <場所>
- ・野毛2-7-11 (google map)
- <詳細ページ>
- ・野毛善養寺(百景94-1)
6、玉川大師の地下霊場

お洒落な町として名高い二子玉川。かつては二子の渡しで、大山道を旅する旅人は多摩川を渡っていました。二子玉川から用賀にかけての大山道は高低差のある国分寺崖線を登っていきます。
二つのルートがあり、瀬田玉川神社や慈眼寺の横の慈眼寺坂を通るのが一つルートとなっていました。この慈眼寺坂の下に、玉川大師があります。
あまり知名度のあるお寺ではありませんが、トンネルマニアとか、地下マニアといった人たちには古くから知られる存在で、ここには地下霊場があります。
地下霊場は、手軽にお遍路さん四国48カ所巡礼を体験できるようにと、初代住職が昭和の初めに造ったもので、四国のお遍路さんと同じ石仏がならんでいます。これがなかなかの規模で、参道は約100メートルあり、石仏が約300体も安置されています。

地下・・・、実際は1階の地上部だと思いますが、薄暗い中に仏像がずらっと並んでいる様子はなかなか不気味で、気の弱い人は一人で進むことができないかもしれません。
2006年、2008年に訪れたときには、拝観料は百円と手軽な料金だったのですが、現在では千円に値上がってしまいました。まだ300円ぐらいならB級スポットとしてお勧めできるのですが、千円だと高級とか、上級スポットってな感じで、お勧めしにくくなってしまいました。
なので、以前はお勧めのスポットとしてトップ3で紹介していましたが、ちょっとランクを下げています。
もっとも、ここは霊場。お祈りをする場となります。安いからと興味本位で多くの人がやって来て、騒々しくされるのも問題なのでしょうが・・・。
千円の料金が気にならないのなら、ぜひ非日常空間を体験してみてください。ひんやりとした体験が・・・、いや、内部は結構蒸すので、何かがまとわりつくような生暖かい体験ができます。
- <場所>
- ・瀬田4-13-3 (google map)
- <詳細ページ>
- ・準備中
7、豪徳寺の招き猫

江戸時代の世田谷は、彦根藩井伊家の所領となっていました。井伊家の東京での菩提寺となっていたのが、世田谷城の跡地を整備して建てられた豪徳寺でした。
井伊家の援助によって整えられた寺の伽藍は、禅宗伽藍配置の基本通りに、手前から山門、仏殿、法堂(本堂)と一直線上に建てられています。仏殿は昔のままで、中に安置されている仏像とともに世田谷区指定有形文化財に指定されています。

豪徳寺が井伊家の菩提寺として取り立てられたのは、当時の住職が飼っていた猫が門前で手招きし、井伊家の殿様を寺に招き入れたのがきっかけだったとか。
その飼い猫が亡くなったのち、恩に報い、後世にこの猫の姿を招福猫児(まねぎねこ)と称え、崇めるようになりました。その招福猫児を祀っているのが招福堂。仏殿の隣にあります。

招福堂の脇には、招き猫の奉納所があります。社務所などで買い求めた招き猫を返納する場所となり、返納された招き猫がずらっと置かれている様子は、非日常的で、圧巻の光景になっています。
豪徳寺っていったら世田谷一の観光地でしょ。招き猫もメジャー過ぎて、珍スポットとか、B級スポットで紹介する場所ではないんじゃない。そう思う人もいるかもしれませんが、SNSやインスタ映えといった言葉がなかった時代には、B級スポットで、マニアックな場所だったのです。
返納されている招き猫の数も、返納の棚が一杯になると処分されていたので、今よりも多くなく、場合によっては数えるほどしかなかったこともありました。

この多いとか、少ないという不確実要素もB級スポットならではの楽しみ方であり、そろそろ大量に溜まっているだろうなどと、想像や感を働かせて訪れる楽しみがありました。
豪徳寺がこれほどまでに賑わうようになってしまったのは、なんども大河ドラマで井伊家が登場したこと。それにより知名度が上がり、訪れる人が多くなると、招き猫の評判もうなぎ上り。
今では置き場が増設され、年中、多くの招き猫が置かれているし、多くのメディアに取り上げられているので、すっかり世田谷のおなじみの風景となってしまいました。
いくら有名になったとはとはいえ、やっぱり大量の招き猫が奉納されている様子は非日常な光景で、初めて訪れると「なんじゃこれ!」と思わず声に出てしまうぐらいの驚きがあると思います。
ちなみに、招福堂の前にある三重塔には、猫の置物が隠し要素的に配置されています。それを探すのも人気となっています。

それから彦根藩井伊家の菩提寺ということを忘れてはいけません。奥にある墓地の一画は国指定史跡となっている井伊家墓所となっていて、一番奥に桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼の墓があります。
その井伊直弼が行った安政の大獄で、処刑されたのが吉田松陰。比較的近くに松陰神社と墓所があり、話のネタに一緒に訪れる人が多いです。
- <場所>
- ・豪徳寺2-24-7 (google map)
- <詳細ページ>
- ・招き猫の豪徳寺(百景21)
8、東京ガスのガスタンク

芦花公園の横、東京ガスの世田谷制圧所があります。ここには5基の球形をしたガスタンクが設置されています。住宅地の中にガスタンクがある様子はよくある光景といえばよくあるし、珍しいと感じる人には珍しいと、好みがはっきりとする風景です。
ちなみに、ガスタンクの正式名称は「ガスホルダー」といい、一つの大きさは直径約33m。中の容量は8万世帯の一日分の使用量に相当します。

この東京ガスの制圧所は、昭和31年6月(1956年)に建てられ、2基のガスタンクが設置されました。実は、この最初の2基が、今あちこちで見かける球形のガスホルダーの始まりとなるようです。
当時は斬新で、違和感のある風景だったかもしれませんが、現在では50年以上が経過し、もはやそこにあるのが当たり前の存在となっているのではないでしょうか。今ではすっかりと周囲の風景に溶け込んでいます。

こういったガスタンクといえば、ウルトラマンなどの特撮で、よく怪獣につぶされたり、蹴飛ばされたりして爆発しています。ウルトラマンシリーズは、撮影所のある世田谷区内でのロケが多く、実際、ここで撮影が行われたこともありました。
ウルトラマンにちなんでくる人、町中にあるカスタンクの風景に面白さを感じる人、ガスタンクが単純に好きな人、意外とマニアに人気のスポットとなっています。
- <場所>
- ・粕谷1-7-8 東京ガス世田谷整圧所内 (google map)
- <詳細ページ>
- ・廻沢のガスタンク(百景38)
9、駒沢給水所の給水塔

田園都市線の桜新町駅と駒沢駅の間、弦巻に水道施設の駒沢給水場があります。この給水所には、西洋風のデザインが施されていて、まるでチェスの駒のような円筒形の給水塔があります。
一般の人が中に入ることはできませんが、正門から奥に特徴のある形をした給水塔を見ることができます。それ以外では、住宅と住宅の隅間や、裏側のマンションのある通りの塀越しに何とか見ることができるといった感じです。

この水道施設は、急激に人口が増え続けている渋谷町へ、多摩川から水を送るために建造されました。完成は大正13年3月。この大プロジェクトの設計者は、中島鋭治水氏。砧下浄水所の多摩川の川底に管を入れて水を取る伏流水方式や、加圧して駒沢給水塔へ送るポンプ方式は、当時の技術としては斬新なものだったようです。
中継地点となった駒沢給水所には、高さ22.72メートルの給水塔が2つ造られました。塔のデザインは秀逸で、まるでチェスの駒のよう。当時の人々からも丘のクラウンとか、二つ並んでいる様子から双子の給水塔などと呼ばれて親しまれていました。

東京オリンピック以前は、年に一回程度見学会が行われていたので、塔を間近で見ることができる機会があったのですが、現在では行われなくなってしまいました。
なので、敷地の外から遠目でしか見ることができません。近くで見ることができれば、文句なしにおすすめの場所となるのですが・・・。
- <場所>
- ・弦巻2-41-5 (google map)
- <詳細ページ>
- ・駒沢給水所の給水塔(百景25)
10、蛇崩川緑道の水道管オブジェ(弦巻)


蛇崩川の水源は弦巻5丁目にあるJRA弦巻公園付近。ここから三軒茶屋、下馬と世田谷を流れ、中目黒で目黒川に合流しています。世田谷区が約3km、目黒区が約1kmの全長4キロほどの川で、昭和50年に川筋のほぼ全てに蓋がされ、緑道となりました。
蛇崩川緑道は、下馬付近では桜並木、弦巻通りではツツジの美しい緑道として知られていますが、弦巻神社付近から松丘小学校や中央図書館にかけては、真っ黒な水道管がずらっと並んでいるといったちょっと異様な光景となっています。

水道管はガードレール替わりだったり、水道のようなオブジェだったり、円柱となっていたり、照明台になっていたりと様々で、他ではあまり見ない光景なので、とても面白く感じます。
ただ、真っ黒な鉄の物体なので、暗くなった時の視認性が悪いので、ガードレール代わりにするのはちょっと危険です。自転車で突っ込んだりしたら大けがをしてしまいます。

なぜここに水道管のオブジェがあるの?ってことになるのですが、緑道を整備するにあたって、設計のコンセプトが「水を生かす」だったそうです。
それとともに、教育会館に区内唯一のプラネタリウムが設けられたので、せっかくなら「宇宙」もテーマに加わえようとなったそうです。言われてみれば、緑道内にある丸い広場などのオブジェからは宇宙をイメージすることができます。
石や鉄などの無機質な材料を使ってオブジェを設置することになり、水と宇宙と無機質といった条件から導き出されたのが、水道管だったそうです・・・。
- <場所>
- ・弦巻三丁目の蛇崩川緑道 (google map)
- <詳細ページ>
- ・蛇崩川緑道(百景24)
11、世田谷八幡宮の円形劇場っぽい土俵

江戸時代の世田谷は、彦根藩井伊家の領地となっていました。その中心は世田谷村(世田ヶ谷村、世田ヶ谷領)で、現在の世田谷1~4丁目という住所だけではなく、西は現在の桜、桜丘と環八通りにまで至り、北も梅ヶ丘、宮坂、豪徳寺といった地域に加え、羽根木などの飛び地もありました。
その広大な世田谷村の鎮守が世田谷八幡宮になります。昔から世田谷の中心であり続けた神社で、旧社格では村社よりも格が上の郷社に指定されていました。


世田谷八幡神社では、古くから相撲が盛んに行われてきました。境内には力比べに使われた力石が置かれているだけではなく、立派な土俵が残っていたりします。
ここの土俵が凄いのは、観客席が斜面に造られていて、まるで円形劇場のようになっていることです。これぞ日本式円形劇場。木々に囲まれた立地もよく、訪れると少なからず感動を覚えるはずです。

いつ訪れても雰囲気がいい土俵ですが、都合がつくなら秋祭りの時がお勧めです。9月の敬老の日前の土、日が祭礼日で、土曜日の午後にはこの土俵で奉納相撲大会が行われます。
相撲はよくある小学生のちびっ子たちが健康祈願にワイワイやるといったものではなく、近くの東京農業大学の相撲部が真剣に取り組みを行うといった本格的な取り組みになります。観客席は見学の人々で埋まり、熱戦が繰り広げられると、歓声が飛び交い、この日は大いに賑わいます。
- <場所>
- ・宮坂1-26-3 (google map)
- <詳細ページ>
- ・奉納相撲の世田谷八幡(百景30)
12、教学院の目青不動

山手線には、目黒、目白といった目に関する駅名があります。それぞれ目黒不動、目白不動があったからそういった地名が付けられ、駅名になりました。
実は、黒、白の他にも、目赤不動、目黄不動、目青不動といった不動様も存在していたりします。そして、これらの不動明王は総称し、「江戸五色不動」と呼ばれていたりします。
五色というのは、五行思想の色。昔から神事や神楽などでよく使われている色です。そういったことで五色不動を作ったのでしょうが、どういう目的があったのかなど、存在理由がはっきりと分かっていません。

そういった五色不動の一つ、目青不動が三軒茶屋のキャロットタワーのすぐ下にある竹園山最勝寺教学院にあります。元々は青山に立地していましたが、1908年にこの地に越してきました。
目青不動ということで、レーザービームのような青い目を光らせて待ち構えているのだろう・・・と期待して訪れると、普通の不動様が安置されていてガッカリします。目が青いわけではなく、単に名前が目青不動なのです。
この不動様は青銅製で、寛永19年(1642年)に造られたものです。明治15年(1882年)に廃寺となった観行寺から受け継いだそうです。
- <場所>
- ・太子堂4-15-1 (google map)
- <詳細ページ>
- ・準備中
13、大蔵大根と下山千歳白菜

江戸時代、世田谷は純農村地帯で、江戸の人々の野菜供給元となっていました。神田の市場では深沢のタケノコなど高値で取引される世田谷のブランド野菜もありました。
関東大震災以降、郊外への移住が加速し、昭和の初めに鉄道が開通すると、世田谷区内は爆発的に人口が増えていきます。駅前からどんどんと宅地化が進み、戦後にはその流れは加速していきます。
昭和の終わり頃までは、駅から離れた場所では比較的まとまった畑のある風景を見ることができましたが、農業従事者の減少、相続等などで、今ではちらほらと残る程度になっています。

世田谷にも特有の野菜がありました。まず一つ目は、主に砧地域で生産されていた大蔵大根です。昭和40年代までは区内や周辺で広く栽培されていました。
しかしながら宅地化によって農地縮小、また栽培しやすい青首大根にとって代わったことで、生産されることがほとんどなくなりました。
今では逆に世田谷の地場野菜、せたがや育ちのブランドとして力を入れていて、改良して栽培しやすくなった品種を区内の農業者たちが生産しています。

もう一つは、千歳烏山の下山さんが昭和の初めに品種改良した下山千歳白菜です。北烏山九丁目屋敷林市民緑地の先祖の方です。なんと、この白菜は普通の白菜の三倍もの大きさなのが特徴です。
病気にも強く、戦後の食べ物の少なかった頃にはとても喜ばれたそうです。しかし、大きいのがあだとなり、育てたり、運搬したり、保管するのが大変なので、廃れてしまいました。今では少量の生産を行い、学校給食などで利用されているそうです。
なかなか市場に出回ることはなく、スーパーで買うことのできる野菜ではありませんが、直売所などで目にすることがあります。話のタネに世田谷の地名が入った野菜はどうでしょう!
- <場所>
- ・北烏山9-1-38 北烏山九丁目屋敷林市民緑地 (google map)
- <詳細ページ>
- ・北烏山九丁目屋敷林市民緑地(風景3-20)
14、和田堀給水場(解体中)

京王線の代田橋の駅のすぐそばに和田堀給水場があります。住所は世田谷区大原ながら杉並の和田掘の名がついているのは、もともと和田堀に造る予定だったからだそうです。
この給水所には、駒沢給水塔のような面白い建物がありました。例えるなら古代ローマの競技場といった感じでしょうか。間近で見ると、結構圧倒されます。

この他にもギリシャ神殿風の建物があったりと、大正・昭和初期に流行ったギリシャ、ローマ建築が花開いている場所です。
桜とツツジの開花するころ一般開放されていて、自由に構内を見学することができました。桜はそこまでではありませんが、ツツジはなかなか素敵でした。
残念ながら施設老朽化のため、現在建て替えが行われています。趣きのある建物も、そのうち取り壊されてしまうようなので、壊される前に見ておくといいでしょう。それとともに新しい施設が魅力的であることにも期待したいところです。
- <場所>
- ・大原2-30-43 (google map)
- <詳細ページ>
- ・準備中