駒沢給水所の給水塔
せたがや地域風景資産 #1-2双子の給水塔の聳え立つ風景
弦巻2-41-5大正末期にできたこの給水塔の姿は、付近の人に長い間親しまれてきた。木造の平屋や2階建ての家々ばかりだったころは、現在よりもさらに目立っていたことだろう。ランドマーク(土地の目印)として一対の給水塔は今も健在だ。(せたがや百景公式紹介文の引用)
大正13年3月に当時の渋谷町の水道供給施設として竣工した。現在は、非常時用の応急給水槽として機能している。洋風の装飾等の意匠が施されており、当時を物語る建造物である。(地域風景資産紹介文の引用)
1、駒沢給水所について

砧下浄水場から続く水道管が埋められている道です。
桜新町駅前を通る旧国道246号からほど近い場所に、独特の形をした給水塔を2つ持つ駒沢給水場があります。アクセスは、旧246号の東電世田谷前の交差点から細い道を入って行くか、桜神宮脇から水道道路を真っすぐ東に進んでいくのがわかりやすいです。
給水塔の高さは約23m。結構大きな建造物なのですが、大きな通りに案内板もなければ、通りからもその姿は見えません。近くに住んでいる人ならともかく、多くの人はその存在を知らないと思います。
観光施設ではないので、案内板がないのはしょうがないのですが、私自身、この付近の旧246号(桜新町駅前の通り)を通って自転車やバイクで何年間も通学したり、通勤していたのに、全くその存在に気がつきませんでした。

残念ながら敷地内には入れません。
駒沢給水場の中に入ることはできませんが、正門の奥に特徴のある形をした給水塔を見ることができます。
もっとよく見える場所はないだろうか・・・と、敷地をぐるっと一周回ってみましたが、場所によっては2つ並んでいる給水塔を同時に見ることができましたが、周囲に家やマンションが建ち並んでいるので、全体的に見えにくく、ここが絶好のポジションだといった場所が見つけられませんでした。住宅地に埋まっているといった感じです。

*国土地理院地図を書き込んで使用
例えは悪いのですが、粕谷にあるガスタンクだと、万が一爆発したら・・・といった感じで、近くに家を建てるのに躊躇してしまいますが、給水塔の場合はそういった心配がないので、付近に住宅が密集しているのかもしれません。
むしろ、非常時には給水をいち早く受けられるし、敷地に面していれば自分の庭が広く感じることができていいかも。公園と違って騒音などに悩まないし、最強の優良物件ってやつでは。と、最初に訪れたときは思ったのですが、給水場内を見学した際、敷地内に蚊が異常に多かったことには、閉口。いいことばかりではなさそうです。

阻水弇とは、昔のマンホールのことです。
駒沢給水塔の歴史を書いていくと、大正6年、急激に人口が増え続けている渋谷町によって、多摩川から渋谷まで水道水を送る計画が発案されました。
計画は綿密に練られ、鎌田に砧下浄水所を造り、ここで多摩川から汲み上げた水を濾過し、その水をポンプで駒沢給水所に送り、駒沢給水所からは自然の重力で渋谷まで送る事になりました。
計画発案から4年後の大正10年に工事が始まり、大正12年の関東大震災を挟み、大正13年3月に全ての工事が完成。その後、渋谷への送水が始まりました。
この世田谷を大胆に横断していく水道施設のおかげで、渋谷地域の井戸水の衛生上の不安が解消し、防火用水の確保もでき、町の更なる発展につながっていきました。

青い屋根の建物がポンプ室です。駒沢給水所と同時期に建てられました。
このプロジェクトの設計者は、近代水道建築の祖と言われる中島鋭治水氏。砧下浄水所の多摩川の川底に管を入れて水を取る伏流水方式や、加圧して駒沢給水塔へ送るポンプ方式は、当時の技術としては斬新なものだったようです。
また、建物自体も堅牢に設計されていたようで、建設中に関東大震災が起きましたが、崩れることがなく、戦時中の空襲からも難を逃れました。
砧下浄水所は多摩川沿いに造らなければならないとしても、なぜ駒沢給水所は弦巻のこの地に造られたのでしょう。これは知らなかったのですが、この場所は世田谷区内でも標高が高い部類に入るようで、標高が46mあります。渋谷に自然落下で水を送るために標高が必要なのと、水道管を渋谷まで施設していくのに好立地だったことが合わさって、この場所が選ばれたようです。
ちなみに、区内でもっとも高い場所は、砧2丁目にある大蔵給水所で、標高53.6mになります。

うまい具合に二つの塔が同時に見えるとうれしくなります。
歴史的背景や技術的なことも大事なのでしょうが、やはり興味がいってしまうのは、給水塔のデザインです。お城みたいというか、城にある展望砦の一部というか、チェスの駒みたいというか、簡単に言うならメルヘンチックな造形をしています。
このデザインはどうして生まれたのだろう。何か意味があるのだろうか。特別なエピソードがあったりするのだろうか。と興味が湧いてきます。で、色々と記述を探してみるものの、特に面白いエピソードは見つけられませんでした。
ただ、高さ22.72メートルと、背の高い塔の形をしているのは、重力を利用して渋谷まで水を流すために、ある程度の高さのいる建物が必要だったからです。

目前で見ると大きく、存在感があります。
とまあ、外観に関しては面白いエピソードはなく、鉄筋コンクリートの塔のままでは味気ないので、当時流行っていたヨーロッパ古典主義的な趣向を取り入れただけ・・・。となるようです。
とはいえ、なんでもいいからといった感じで、作業的にデザインを取り入れたのなら、こんなに素敵なデザインにはなりません。きっと何かしらの思い入れがあったのではないでしょうか。
塔の横の壁には、装飾の12本のピラスター(付け柱)がデザインされ、頂上部には直径53㎝の薄紫色のグローブ(竣工当時はガラス製、現在はポリカーボネート製)が取り付けられ、また欧風のドーム状にふき上げたパーゴラも設置されています。

クラウン(王冠)と呼ばれるのも納得の形です。
個人的に素敵に感じるのは、頂上付近に取り付けられた窓。縦長の窓があるからこそ、張りぼてではなく、生きた建物のようにみえます。
それとともに、窓の下の塔を一周する太いリング部分。単なるデザインのはずなのに、太く造られ、エッジもよく効いています。この塔のデザインの要となっているのではないでしょうか(個人的な感想・・・)。
ちょっとした工夫で無機質な建物に彩が加わり、魅力的な建物に変身してしまうから、デザインというのは侮れませんね。
今でこそ癒し系のデザインとか、風景にあったトータルコーディネートとか、デザインの重要性が認識されていますが、大正時代にコンクリートだけでこのような給水塔をデザインするとは・・・、脱帽です。一時期は「丘上のクラウン」とハイカラに呼ばれていたのも、納得です。

*国土地理院地図を書き込んで使用
この給水塔は二つの塔が仲良く並んでいるので、地元の人から双子の給水塔と呼ばれていたりします。間はトランス橋でつながれているので、あたかも一心同体というか、お互いあっての存在といった印象を受けます。実際に機能面でもお互いに給水量を融通できるとか。
でも資料を読むと、三つ並ぶ計画もあったようです。そのための敷地を確保してあったのですが、戦後、計画が見直され、廃案になりました。奥の方に無駄に林となっている部分がその場所です。

完成記念に造られたものです。
水道施設が完成したのち、昭和2年に澁谷町水道布設記念碑などが建設されました。これがありきたりな記念碑ではなく、とても凝った造りをしています。その誇らしげな佇まいから、この事業が大規模で難事業だったこと。社会的関心が高かったこと。とてつもなく社会的メリットを生みだしたこと。が、伺えます。

岩崎富久氏の設計です。
昭和6~7年にかけては、砧下浄水場で取水場所の作り変えや、ろ過池の増設が行われ、駒沢給水所でも貯水池とポンプが設置されるなど、大規模な拡張工事が行われました。この時に建てられたポンプ室は岩崎富久氏の設計によるものです。
昭和7年10月、周辺5郡82町村が東京市に編入され、「大東京市」が誕生しました。この行政区分の変化により、渋谷町水道は東京市水道局に移管され、水道施設も東京市の管轄になります。

塔から直接出すのではなく、地面に水栓があるようです。
現在の双子の給水塔の状況を書くと、高性能なポンプが登場し、わざわざここで中継させなくてもよくなったことから、渋谷などへ水を送る給水所としての機能は、1999年に終了し、震災時などに飲料水を供給する応急施設としてのみ使用されているそうです。
普段は、約3000トンの水を双子の給水塔と配水池に少しずつ貯留し、3日間で一定量の入れ替えを行っているそうです。その操作はコンピューターで管理されているので、給水所内は無人で、和田掘給水場の職員が時々点検を行っています。
第一線は退きましたが、今なお目立たない部分で我々の生活の為に頑張っていたりします。現役で使用されている施設の為、安全を考量し、内部の見学等はできません。以前は見学会が行われていたので、内部を見学する機会があったのですが、東京オリンピックを機にセキュリティーがとても厳しくなってしまいました・・・。

ローマ遺跡のコロシアムのような建物です。
世田谷区内にはもう一つユニークな給水場があります。京王線代田橋駅のすぐ南西側、ちょうど羽根木神社の北側にある和田堀給水所です。
ここには給水塔とはちょっと違いますが、ローマ遺跡にあるような円形劇場というか、コロシアムのような形をした配水池があります。昭和9年に建てられたものなので、駒沢給水所よりも少し若いですが、負けず劣らず個性的な建造物です。
和田堀給水所は桜とツツジの名所となっていて、その季節になると内部を一般解放してくれました(2014年まで)。自由に給水所を見学でき、花も観賞できるという素晴らしい趣向で、しかも花の開花状況がずれれば柔軟に期間を延長してくれるという気配りもありました。
こちらの施設には常に管理者が在中していたので、そういったことがやりやすかったのかもしれません。
残念ながら、施設の老朽化のため、現在建て替えの工事が行われています。ユニークな建築物も、耐震基準を満たしていないことから解体されてしまうようです。
2、地域風景資産とライトアップ

「上水道布設記念碑写真帖(渋谷町水道部)」より (public domain)
私がすぐ近くを何年も通勤通学で通りながら気がつかなかったように、現在この給水塔は住宅街に埋まっています。キャロットタワーの展望台からですら、水道道路の道筋を辿って慎重に探さなければ、まず見つけられないでしょう。
しかしながら、かつて辺りが低い建物ばかりだった頃はかなり目立っていました。その事は桜新町の象徴というか、周辺住民の誇りでもあったようです。
この付近で暮らしていた方々には並々ならない思い入れがあるようで、「駒沢給水塔風景資産保存会」という団体が有志によって設立され、給水塔のPRや保存活動等を行っています。そして彼らの熱心な活動が認められ、せたがや地域風景資産にも選定されています。

桜新町で活動しています。
その活動は桜新町のさくら祭りなどのイベントでPR活動を行ったり、駅前でパネル展などを行い、給水塔に地元の人が興味を持ってもらえるようにしたりしています。
以前は、年一回、水道局と協力して施設内の公開を行い、ガイドなどを務めていました。この活動は大変好評でしたが、現在ではセキュリティーの問題とかで行うことができなくなってしまいました。外から眺める案内は、引き続き行っているようです。

塔の王冠部分やトランス橋に電球が取り付けられています。
また、駒沢給水塔は年に三回ほどライトアップされます。桜新町の桜祭りの日(4月中旬の日曜)、水道週間(6月の第一週)、そしてかつて一般見学会が行われていた都民の日(10/1)です。
貴重なライトアップの機会なので、ぜひ訪れてください・・・と言いたいところですが、あまり期待しないで訪れる方がいいでしょう。
近年のライトアップといえば、クリスマスイルミネーションを代表として、ピカピカときらびやかなものばかりです。東京タワーやスカイツリーにしても、塔全体がカラフルに演出されています。
そういったライトアップが頭にあると、「えっ!真っ暗じゃん!」「ライトアップしてないよ・・・」といった感想になってしまいます。
なんせ、塔の上の赤いランプが静かに点灯しているだけなのですから・・・。普通は、塔全体がライトアップされていると思いますよね・・・。期待が大きいとガッカリが大きくなってしまうので、ほんと、期待せずに訪れたほうがいいです。

街灯の方が明るくて、あまり目立ちません。

近くからでもやっぱり目立ちません。
いやいや、大正時代は辺りが暗かったからこれでも丘上のクラウンだったのです。赤いランプに灯されて闇に浮かぶ姿はハイカラだったのです。一説によると渋谷の道玄坂からも見えたとかなんとか言われています。
大正ロマンを語る風物詩というキャッチフレーズが付いているように、大正や昭和初期の風景をイメージしながら線香花火的に楽しみましょう。
ただ、困ったことにちゃんと見れる場所がなかったりします。周囲に建物が建ち並んでいて、隙間とか塀越しにといった感じになってしまいます。付近にある建物の屋上にでも上がればいい眺めとなるのでしょうが・・・。

実際に使用されていた電球が展示されています。
現在取り付けられているライトは、平成15年の改修時に新しく取り付けられたものです。ガラス製だったのが、ポリカーボネート製に変わりました。
驚くことに、それ以前は大正12年の建設時に取り付けられていたものが、ずっと使われていたそうです。というより、機能的にあってもなくてもいいので、壊れたまま使っていなかったようですが・・・。
で、改修の時に取り外された12個の電球の内で、壊れていないものの一つが弦巻区民センターのロビーに展示されています。
壁には給水塔の素敵な写真が展示してあり、ちゃんと説明書きもありました。でも、係の人が言うには、興味を持って見に見に来てくれる人はほとんどいないとか・・・。
この電球はガラスケースに入れられていて、頼むと点灯してくれます。直径が53cmで、ガラスの厚さはたった2mmというもの。よく大正時代から壊れなかったものですね。ある意味奇跡的なことではないでしょうか。
3、駒沢給水所構内見学会(*現在行われていません)
毎年10月1日の都民の日に駒沢給水場の一般公開が行われていました。これは「駒沢給水塔風景資産保存会」の努力と、水道局の好意で行われていたものです。
しかしながら、東京オリンピック開催を機に特別テロ警戒態勢となり、毎年6月の水道週間に行われていた各浄水場の見学会を含めて、2016年から全て稼働している水道施設の見学が中止になりました。
東京以外の水道局では、今まで通りに行われていたので、オリンピックが終われば再開されるのだろう・・・と、思っていたのですが、オリンピック後も再開されない状態が続いています。どうやらこの状態を維持していくようです。
なぜ東京だけこういう状態になってしまったのか。よくわかりません。もちろん安全が最優先になります。それは理解できます。でも、普段飲んでいる水だからこそ、市民が知りたいと思うのは当然だし、社会の一端を担うインフラとして、安全な飲み水をPRすることも大事なのではないでしょうか・・・。などと思ったりします。

事前に予約が必要でした。
いつ再開されるのか、もう行われないのかは分かりませんが、過去に行われた2010年の見学会の様子をレポートしておきます。
参加の申し込みは「駒沢給水塔風景資産保存会」のサイトから行うことができ、だいたい一ヶ月ぐらい前に専用ページが設置されました。見学会は一日2回行われ、定員数は各100名。当日、資料代として500円必要でした。時間の早い回のほうが先に満員になっていたようです。
見学会の流れを書くと、まず受付で名前を確認して、お金を払います。そして全員が集まり「駒沢給水塔風景資産保存会」の方や水道局の人のお話を聞いた後、見学者100名を三班に分けて、ぞろぞろと見学に向かいます。
案内をしてくれるのは「駒沢給水塔風景資産保存会」の方で、さりげなく背広姿の水道局の方が我々と一緒に説明を聞いていて、なるほど・・・と頷いていたりします。普通は逆でしょ・・・と、違和感ありありで面白く感じました。

古く趣のある建物です。岩崎富久氏の設計です。
敷地内で実際に内部を見学できるのは、第一配水ポンプ室だけです。後は外から見るだけになります。
大正13年に完成した駒沢給水所でしたが、更なる人口増加や環境の変化、技術の更新などと状況が変わり、昭和6年から大規模な拡張工事が行われました。その際、敷地内に配水池と配水ポンプを設置することとなり、新たにポンプ室が建てられました。
そのポンプ室は、正門から見たら給水塔の右側に見える建物です。鉄筋コンクリート造で、外壁には黄褐色のスクラッチタイルが貼られています。後の1965年(昭和40年)に第2ポンプ室が増設されたので、現在では第一配水ポンプ室と呼ばれています。
設計は岩崎富久氏。先にある給水塔のイメージを壊さないようにデザインされていて、その趣のある建物は昭和初期の名建築物と言われているとかなんとか。個人的には、見た瞬間、岡本にある静嘉堂文庫と雰囲気が似ているな・・・と、頭に浮かびました。

スクラッチタイル張りの建物で、入り口には装飾が施されています。
正門から見た時にはタイル張りの美しい建物のように見えたのですが、間近で見ると、ちょっと印象が違いました。痛みというか、劣化がかなり進んでいて、ボロボロです。
照明が外れていたり、傾いているのは愛嬌だとしても、土台部分などの表面が剥離している個所が多く見られたり、窓にはトタンが張りつけられていたりと、結構深刻な状態のように感じます。

天井の高い部屋で、大型の古いポンプが並んでいます。

カタツムリのような形をしています。

天井にはつり下げ用の天井クレーンがあります。
建物の中に入ると、内部には大型のポンプが置かれていて、いかにも機械部屋といった雰囲気です。そういったものが好きな人には、心地よく感じられる空間となるはずです。
ただ、窓が塞がれているので、室内は薄暗いです。古い写真を見ると、窓から光が降り注ぐ明るい雰囲気のポンプ室で、今とはかなり印象が違います。
置かれている古い大型のポンプは、カタツムリのような丸っこい形をしていて愛嬌があります。このポンプで砧下浄水場から送られてきた水を給水塔に上げたりします。

ポンプ室の横に設置されていました。
ポンプ室の横には、空の飼育小屋が置いてありました。説明を聞いたのですが、何を何の目的で飼っていたのか、忘れてしまいました。
確か鶏のようなありきたりなものではなく、クジャクか何かだったような気がするのですが・・・。しかも、趣味とかだったような・・・。ネットで調べるものの、全く情報が出てきませんでした。

施設が完成したのち、昭和2年に造られました。

建設の経緯や工事の様子などがびっしりと書かれています。

市長をはじめ、関わった人の名が刻まれています。
給水塔の傍に、昭和2年に建造された完成記念碑と獅子頭の注水口を持った方円池があります。本格的な洋風庭園にそのまま置けそうなほど、おしゃれなデザインをしています。
記念碑の傍に寄ってみると、前面に碑文がびっちりと刻まれていて驚きます。渋谷へ水を送ることになった経緯とか、工事の過程とか、関わった人の功績を称える文面が刻まれています。内部にも碑文があり、市長などの人名が刻まれていました。

給水塔からの水が流れています。
敷地内には、上記の洋式方円池の他に、雪見灯籠を添えた和風心字池があります。この2つの池の水は、給水塔から流しているもので、万が一水に異常があった場合、生物に影響があって分かるという仕組みになっていた・・・という話です。
今では水質調査などは、コンピューター管理で自動にできるのでしょうが、昔はそうはいかなく、こういったシンプルな手法をとっていたのでしょう。

間近で見ると、感動します。

下から見上げるというのは見学会に参加しないとできません。
見学のハイライトは、やはり2つ並んだ給水塔。実際に給水塔の間近に立つと、テンションが上がります。この対面したときの感動という部分。いわゆる心揺さぶられるような感情は、旅や散策において大事なポイントで、この給水塔の観光資源として素質の高さや可能性を感じます。
ただ、遠めでも補修の跡が目立っていましたが、近づいてみると、補修跡が多く、結構気になります。トランス橋も錆が目立ち、廃墟感が漂っていたりします。味といえば味なんだけど・・・。といった感じでしょうか。
それにしても・・・。訪問したのが2010年。2002年に全面的に修復が行われ、塗装も塗り替えたはずなのですが、8年でこんな状態になってしまうのですね・・・。手入れに予算がいくらあっても足りないといった感じでしょうか。


内務大臣だった水野錬太郎氏の筆です。
給水塔の注目ポイントは、それぞれの給水塔に掲げられている額字です。1号塔には、「清冽如鑑(セイレツカガミノゴトシ)」、2号塔には「滾々不盡(コンコントシテツキズ)」と掲げられています。
これは内務大臣水野錬太郎氏の筆によるもので、この渋谷町の行った送水プロジェクトに対し、政府の関心の高さを伺うことができます。

盛り土の上に建てられています。
ユニークなデザインをしている塔の上の方にばかりに目がいってしまいますが、土台部分に目をやってみると、盛り土の上に塔がどっしりとした感じで建てられているのが分かります。
塔の高さは、照明が付いている場所までが22.42メートル。小さな丸い屋根の上までが26.97メートルとなっていますが、この土台部分も含まれています。
目が行ってしまうのが、微妙な段数の階段。こういった部分もきっちり作っていたのが、昔の人たちなんだろうな・・・と感心してしまいました。

塔の近くには幾つか栓が設置されています。
この他にも、この付近の地面には渋谷町と書かれた鉄製のふたが設置されていたり、応急給水口などの栓が幾つか設置されています。
最近はマンホールブーム到来のようなので、そういったものが好きな人には渋谷町の名が入ったものはレアなコレクションとなるのでしょうが、普通の人が見て面白いかといわれると微妙かもしれません。

小さな建物でも味のある造りをしています。

窓はなく、中もかびだらけといった廃墟状態でした。
給水塔の横には、量水室という小さな建物がありました。ここでは給水塔から配水される水量を計っていました。こういった計測室とか、記録室があるというのは、前時代的で、アナログ時代の産物といった感じでしょうか。
現在は使われていなく、放置状態。窓は取れ、中はカビだらけ。森の中の遺跡と化していて、なかなか趣を感じました。

三つ目の給水塔が建てられる予定地でした。
双子の給水塔の奥には中途半端に木が生えている場所があります。ここには三つ目の給水塔が建てられるはずでしたが、戦後、計画が見直され、三つ子の給水塔にはなりませんでした。

都民の日なので、子供の姿もありました。
見学した感想としては、「楽しかった」の一言に尽きます。こういう機会を作ってくれた駒沢給水塔風景資産保存会の方々には、本当に感謝です。
敷地内には洋風の記念碑があり、欧風のポンプ室があり、そして西欧のお城っぽい給水塔がありと、大正ロマンを感じるような雰囲気を楽しめ、それでいて知識や好奇心を刺激してくれ、とても満足しました。
もし水道施設に興味がなくても、異国情緒というと変ですが、変った雰囲気を味わえるので、見学は十分楽しめると思います。たぶん見学した多くの人は満足して敷地を後にしたことでしょう。一つのことを除いて・・・。
いかんせん水を扱っているし、毒性のある殺虫剤を撒くことができないので、とにかく蚊が多いのです。もう10月だというのに・・・。これだけは閉口してしまいました。
見学の際、虫除け対策。長袖長ズボンは必須です。ベビーカーでの見学も可能でしたが、身動きできずに蚊の襲撃にあう子供の事を考えると、やめた方がいいかと思います。
4、感想など

二つの塔を一緒に写真に収めるのは結構大変です。
桜新町の桜祭りを訪れたときに、「駒沢給水塔風景資産保存会」のブースでせたがや百景に選ばれている駒沢給水塔がある事を知り、その日の夜にライトアップされている事を教えてもらいました。
実際に駒沢給水塔を訪れてみて、まだ世田谷には知らない場所がたくさんあるんだと気がつき、せたがや百景というものを回ってみようかと思いました。私にとっては百景の中でも思い出深い項目の一つです。
そういった思い入れで言うのではないのですが、この給水塔はもっと地域で関心を高めていけば文化遺産として今後に期待が持てるように思えます。
なぜなら大正時代の給水塔というのは非常に珍しいし、古い給水塔自体がほとんど存在していません。それに大正ロマンを感じるような魅力的な造形なら、観光に・・・というのは大袈裟ですが、町歩きやウォーキングの目的地としては最適で、サザエさん商店街と一緒に訪れてみようかといった気になるはずです。
ただ、残念ながらまだ稼働している施設なので、近くで見ることができません。せめて塔を見学しやすい場所でもあればいいのでしょうが・・・。宝の持ち腐れというか、ちょっとジレンマを感じてしまう存在です。
せたがや百景 No.25駒沢給水所の給水塔 せたがや地域風景資産 #1-2
双子の給水塔の聳え立つ風景 2025年5月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 弦巻2-41-5 |
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・アクセス | 田園都市線桜新町駅から徒歩10分程度 |
・関連リンク | 駒沢給水塔風景資産保存会、駒沢給水塔(世田谷区サイト)、駒沢給水所の配水塔(東京都水道局) |
・備考 | 敷地内部は非公開。一般公開は休止中。土木学会選奨土木遺産。 |