世田谷観音とその一帯
せたがや地域風景資産 #3-3世田谷観音~地域コミュニケーション拠点
下馬4-9-4昭和新選江戸三十三観音礼所のうちの三十二番礼所にあたる。戦後建立の寺で、区内で最も新しい。京都の六角堂を模した不動堂には、運慶の孫の康円の作といわれる、国の重要文化財の不動明王と八大童子が納められている。また、太平洋戦争で散った特攻隊員を祀った特攻観音堂がある。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、世田谷観音について

下馬にある東京学芸大学付属高校の隣に、世田谷観音寺があります。この付近はごちゃごちゃした住宅地になっているので、土地に不慣れだと、非常にわかりにくいです。
分かりやすく行く方法を書くと、国道246号の世田谷郵便局のある交差点を下馬の方へ向かうか、環七から続いている龍雲寺通りを下馬に向けて進み、この二つの道が交差する世田谷観音交差点をめざすのがいいでしょう。この交差点から一ブロック進んだところにお寺があります。
山門は狭い路地の東京学芸大学附属高等学校側に設けられていますが、バス通りになっている子の神公園側にも裏口が設けられています。

さて、世田谷観音・・・。そう聞くと、大船観音とか、高崎観音とか、その地域を代表するような観音様が頭に思い浮かび、境内に大きな観音像が聳えている大きなお寺・・・といったイメージを抱いてしまう人もいるかもしれませんが、ここ世田谷観音には巨大な観音様はそびえていません。また、世田谷区を象徴するような観音様でもありません。
ただ、境内の様子があまりにも特徴的なので、そのへんにあるありきたりなお寺と同じとはならなく、世田谷にあるお寺の中でも特異な存在になっています。

さりげなく吉田茂書って書いてあります・・・
正式名は、世田谷山観音寺。開山は終戦後の昭和26年で、睦賢和尚が寺の俯瞰を整えていきました。
驚くのが、戦後に新しく開山したにもかかわらず、元国宝だった重要文化財を筆頭に、境内に多くの文化財があることです。また、百景の文章にあるように特攻平和観音などといった個性的なお堂もあります。
それぞれのお寺には、1つ2つ特徴的なものや変わったものがあったりするものですが、ここの場合はその数が尋常ではなく、大袈裟に言うなら寺全体が変わったものだらけで、カオス状態。実は、区民よりもB級スポットマニアの方によく知られているお寺だったりします。

いったいどうして国宝級の文化財が新しい寺にあるの?それでいて特攻観音は何でここにあるの?というような疑問が次々と湧いてくるかと思います。
さらには門前の石柱の書は吉田茂って・・・、あの元内閣総理大臣の・・・。実は政治的影響力のある怪しい宗教団体とか・・・。
実際のところはよくわかりませんが、全体の統一感の無さなどから想像するに、寺の箔をつけるために名のあるものを手あたり次第集め、境内に設置したのではないでしょうか。
でも、それには物凄くお金もかかったことでしょう・・・。余程の資産家だったのでしょうか。本当に色々と想像が尽きないお寺です。
2、世田谷観音の境内にあるもの

白象は花祭り用なので普段はありません。
世田谷観音の入り口はバス通りに面した側にありますが、こちらは反対側の裏口。正面は東京学芸大学付属高校側の狭い路地にあります。
正面に山門である仁王門があり、その手前には小田原にあった代官屋敷を移築した旧小田原代官屋敷があったり、特攻の像があったりと、山門をくぐる前からただならぬ雰囲気を感じます。
もし初めての訪問だったなら、山門をくぐった中にはどんな面白いものがあるのだろう・・・といった好奇心がとめどもなくこみ上げてくるかと思います。

清時代の鉄製という変わったもの。
門の前には一対の狛犬があります。神社に狛犬があるのは当たり前ですが、お寺に狛犬がある場合は、とても古いものだったり、由緒があったり、何某の曰くがあったりする逸品が多いです。
この寺でも鉄製の変わった狛犬が鎮座しています。解説板を読むと、中国からの渡来品で、しかも清時代の狛犬だそうです。しかも皇帝に献上された品とのこと。本当なのでしょうか・・・。


風化が激しい木像、精巧さはいまいちですが、平安時代の作品です。
仁王門はとても立派で整った印象がします。門の通路部分には存在感がある大きな提灯が吊るされています。
それよりも目に留まるのが、門の両脇に収められている一対の仁王像。とても風化が激しく、何百年前のものだろうといったぐらいボロボロ。アンティーク感を出すためにわざとボロボロにしたのかな・・・などと解説を見たら、平安時代後期の作品とのこと。ボロボロなのも納得です・・・。


建物内には重要文化財である鎌倉時代の不動明王と八大童子が鎮座されています。
仁王門から入ると、境内には色々な変わった建物が並んでいます。戦後のお寺といえばコンクリート造りのものも多いのですが、ここは木造というか・・・、いつの時代の木造建築物?といった建物が並んでいます。
特に目立つのが、入ってすぐ左側にある六角形のお堂です。六角形の洗練されたデザイン。複雑な屋根の構成。明らかに只者ではないといった雰囲気を醸し出しています。案内板を読むと、不動堂とのことで、京都の有名な六角堂(頂法寺)を模して造られたようです。
このお堂の内部には、普段は非公開の秘仏、運慶の孫の康円の作といわれる不動明王と八大童子が安置されています。それらはいずれも世田谷区でも数少ない国の重要文化財で、鎌倉時代の作であるとのこと。しかも、かつては国宝にも指定されていたこともあるといったとんでもない代物だったりします。
どうやって手に入れたの・・・といった疑問がもたげてくるのですが、奈良の廃寺から譲り受けたとかなんとか。


金閣寺を模したといわれる三階建ての建築物。
六角堂の反対側にも変わった建物があります。まるで積み木のようにどんどん上に部屋を載せていった様な印象を受ける建物で、見方によっては城の櫓のようにも見えます。
これもまた面白い由来があり、金閣寺を模して造られたもので、なんと二条城から移築されたとか。1階部に阿弥陀如来が安置されていることから、阿弥陀堂と名付けられています。
最上部の三階に目をやると、「韋駄天」と書かれた扁額が掲げられています。日本語で韋駄天は、足が速い人という意味ですが、仏教的には、韋駄天は神様で、寺院の守護神になります。また、屋根の上には金閣寺と同様に鳳凰が置かれています。

レプリカですがなかなかの迫力です。
山門から入った正面には、本堂である観音堂があります。観音堂の入り口の頭上にはとても睨みの効いた迫力ある龍の彫刻が掲げられています。この龍は福井城にあった龍神様を模して造ったとか。
本堂に安置されているご本尊は聖観世音菩薩で、かつては伊勢長島の興昭寺の本尊だったものです。

普段は扉が閉められています。
本堂の横に百景の文章に出てくる特攻平和観音があります。大平洋戦争で玉砕した4615名の特攻隊員の精神と偉業を後世に伝えつつ、御霊を奉るお堂とのことです。
かなり仰々しいイメージのするお堂ですが、外観は普通のお堂で・・・、いや、これもかつては宮家の持念仏堂だったとかで、シンプルですっきりとしたデザインです。普段は扉が閉まっているので確認できませんが、宮家の所有物らしく天井に菊の紋章がデザインされているそうです。
毎月、お寺の決められた日や正月に開帳されているようなので、興味があればそのときに訪れるといいかと思います。

門前にもさりげなくおかれています。
特攻平和観音以外にも、堂の横に「神州不滅特別攻撃隊之碑」、仁王門前には「ああ特攻の像」などがあり、寺全体から特攻隊に対する熱い想いを感じます。
いったいなぜ、ここに特攻隊に所縁のものがあるの。息子や兄弟を特攻隊で亡くしたとか・・・。色々と想像が尽きませんが、公式サイトには特攻観音をお祀りしている理由や内部の写真、その他境内にある珍しいものなどの公式的な?謂われが書かれていたので、興味があればそちらをご覧になってください。

よく松ぼっくりが供えられています。
この他にも、境内には法隆寺の夢違観音のレプリカが池に祀られていたり、文殊菩薩や達磨大師など個性的な石像が多くあります。

桜の時期の境内はとても美しいです。
とまあ、ここ世田谷観音はかなり個性的なお寺です。戦後に建てられた寺なのに、重要文化財があったり、二条城の建物があったり、中国の古い狛犬があったりと、新しい故になんのしがらみもなく住職の趣味で固められた寺といった表現が適切なのでしょう。
こういったお寺は本当のお寺ではない。固定概念にとらわれた人はそう言いますが、こういった個性的だったり、遊び心のあるお寺があってもいいのではないでしょうか。訪れる方としても楽しいですし・・・。
でも、こういうお寺はある意味扱いに困りますよね。例えば、世田谷区の公式見解では区内で最古の梵鐘は豪徳寺のものとありますが、ここにはもっと古いものがあります。もちろん他のお寺から譲り受けたものですが・・・。

慶長10年の銘がある古いもの
それからお寺で一番大事な部分かもしれませんが、住職も寺に負けないぐらい個性的な方で、いつ訪れてもテンションが高かったりします。独特のオーラを持っている感じで、好き嫌いが分かれるキャラクターだと思いますが、境内に出ているときには参拝者一人一人にきちんと挨拶をしている姿勢はとても好感が持てます。
やはり住職も寺にある独特のオブジェの一部なのでしょうね・・・笑。朝市にしても、節分などの行事にしても、日常にしても、住職の地元に溶け込む努力をしている様子を見かけると、これからも頑張って個性的な寺であり続けてもらいたいと思ってしまいます。
3、地域風景資産と朝市について

名前の通り小田原にあった代官屋敷です。現在は地域コミュニケーション拠点として活用されています。

朝市の時は喫茶店として使用されていました。
平成26年には、「世田谷観音~地域コミュニケーション拠点」というタイトルでせたがや地域風景資産に選定されました。
朝市や手づくり市などを境内で開いていることや、敷地内の旧小田原代官屋敷では百人一首を楽しむ会や木工のワークショップを開催している事が、地域コミュニケーション拠点として評価されました。
マニアックなお寺というのは過去のことで、今では地域に根付き、地域のコミュニティの拠点としての役割を担っているというのが、実情のようです。

7時半過ぎに訪れたらもう閑散としていて、店じまいをしている店が多かったです。

収穫の秋らしく新米や秋の野菜に漬け物やらパンなど食品が多く並んでいました。
朝市は月に一度、第二土曜日の朝6時から開かれています。大きく宣伝を行っていたわけではありませんが、口コミで広がっていき、地元ではちょっとした人気になりつつあります。
おかげで昔は早朝からやっていましたが、朝早く訪れても品物が売り切れているといった苦情が多くなったために、朝6時から開始になったといった経緯もあったりします。
売っているものは季節の農産物が中心で、パンなども人気になっています。当然ですが人気のものはすぐになくなってしまいます。
また、朝市の時だけなのかわかりませんが、旧小田原代官屋敷内に喫茶店が設けられます。これも結構人気があるようで、かなり混みあっていました。
5、感想など

門前で住職と檀家さんがお話をされていた様子がいい感じだったので。
一昔前は珍しい寺、いわゆる珍寺としてマニアに有名でしたが、今では朝市が定着し、また風景資産にあるように地域コミュニティーの一角を担うような寺になりました。
寄せ集めてきた文化財で箔を付けるよりももっと大切で素晴らしいものを長年かけて手に入れたといった感じでしょうか。
境内には百景の文章にある平和特攻観音を筆頭に、多くの文化財や個性的な建物があり、季節の花も多いので、散策するのがとても楽しいです。私は珍寺、個性的で変わった寺が好きなのでとても気に入りました。
区内でちょっと変わった場所を訪れてみたいと思ったら世田谷観音寺をお勧めします。特に桜の時期は素晴らしいですよ。
せたがや百景 No.3世田谷観音とその一帯 せたがや地域風景資産 #3-3
世田谷観音~地域コミュニケーション拠点 2025年5月改訂 - 風の旅人
6、地図・アクセス等
・住所 | 下馬4丁目9ー4 |
---|---|
・アクセス | 田園都市線三軒茶屋駅より徒歩15分ぐらい |
・関連リンク | 世田谷山観音寺(公式) |
・備考 | 江戸札所32番。朝市は毎月第2土曜日6時から。その他ご開帳日時などは公式サイトを参照して下さい。 |