世田谷線(玉電)が走る
せたがや地域風景資産 #2-17ほっとやすらぐ世田谷線界隈の情景
三軒茶屋から下高井戸の世田谷線沿線と駅舎東急世田谷線は三軒茶屋と下高井戸を結んでいる。住宅街を縫って走る沿線にはのんびりとした風情がただよい、百景に選ばれた所も多い。玉電(たまでん)と呼ばれて、多くの区民から愛されている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、玉電の歴史

現在は新型2両連結車が走っています。沿線にはあじさいが多く植えられています。
世田谷には路面電車のような世田谷線が走っています。営業区間は、三軒茶屋と下高井戸の間。都心と郊外を結ぶ路線ではなく、郊外同士、田園都市線(東急)と小田急線、京王線を結んでいるといった貴重な路線です。
説明文の「玉電という愛称で呼ばれている」とあるのは、昔の玉川電気鉄道会社の名残りになります。かつては渋谷から二子玉川も路面電車が走っていました。その愛くるしく走る様子から、「玉川電車」、或いはもっと短く「玉電」と呼んでいたそうです。
さすがに随分と昔の話なので、今では「玉電」という言い方を耳にすることはありません。年配の方でも「昔の玉電は・・・」といった回想的な言い方をしても、現在の世田谷線や田園都市線に対して、「玉電に乗って三茶まで行ってくる」「今日は玉電が混んでいた」なんて言い方をする人はいません。
それに、最近では猫の駅長「たま」がいる和歌山電鉄が「たま電車」として全国的な知名度を誇っています。世田谷区民が玉電の名を聞いても、猫の駅長を思い浮かべる人の方が多いのではないでしょうか。

現在ではハナミズキの美しい遊歩道になっています。
玉電と世田谷線の歴史について簡単に書くと、1907年(明治40年)に玉川電気鉄道により渋谷から二子玉川までの路面鉄道が開業しました。
この界隈の私鉄の中では古い歴史を持っていますが、それは人を運ぶ目的よりも都内への建築資材として多摩川の砂利を運ぶ目的があったからです。
関東大震災後には二子玉川の上流の砂利を運搬するための砧線が増設され、東京の復興に大活躍したそうです。

玉川電気鉄道の支線として、1925年(大正14年)に三軒茶屋と下高井戸を結ぶ路線が開通しました。これが現在の世田谷線です。
1938年(昭和13年)には、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄に合弁され、その後、現在の東京急行電鉄(現東急)に社名が変わりました。
昭和44年5月、国道246号の拡張と首都高の工事のため、路面電車で運行されていた渋谷ー二子玉川間の玉川線が一旦廃止されます。
その8年後の昭和52年、ほぼ全線地下路線となって復活。新しい玉川線、あるいは愛称として親しまれていた玉川電車が新しくなったといった意味もあるかもしれませんが、新玉川線と名づけられました。
渋谷から二子玉川までが新玉川線。二子玉川から終点の中央林間までが田園都市線。継続する路線なのに二つの路線に分かれているといった状態が続いていたのですが、2000年8月に路線名が田園都市線に統一され、新玉川線の名称は消失。玉電だった痕跡はなくなり、一つの歴史が終わった感があります。

世田谷線には、一昔前、緑色の独特な車体が走っていました。その姿から青虫といった呼ばれ方をしていたようです。
今で言うならレトロっぽいとか、ノスタルジーな雰囲気があっていいとなるのですが、他の私鉄が競って新型車両を投入していたバブル時代には、乾電池で走っているとか、おもちゃの電車などと揶揄されていました。
その車体は現在宮の坂駅の待合室として使われています。電車の中で電車を待つというのは・・・、ちょっと不思議な感覚になりそうです。でも、なかなか面白い試みではないでしょうか。
設置されている説明板によると、この車両は新型車両の導入によって余剰人員となり、昭和45年に江ノ島電鉄に譲渡。第二の人生は、湘南や鎌倉を潮風を浴びながら走ったそうです。平成2年に現役を引退。その後、故郷に戻ってきて静かに余生を送っているといった感じになるようです。
2、現在の世田谷線について

キャロットタワーの足下にある始発駅です。乗り降りが多いのに単線です。
世田谷線は、事業登録では路面電車となっています。でも、実際は隔離された鉄道専用の線路を走っているので、路面電車というよりは普通の鉄道と呼ぶ方がふさわしいと言えます。
路面電車らしい部分は、路面電車用の車両を使っていることと、環状七号線を横切る交差点で、電車が道路の信号と同調して停車、発進していること。この交差点部分でのみ路面電車らしい様子を見ることができます。
一カ所でも路面電車の形態があると、路面電車として登録せざるを得ません。もしこの部分が踏切になったり、道路が線路をまたぐ高架橋になったら、鉄道形態の営業にすることも可能なはずです。
こういった細かいことは鉄道が好きな人ぐらいしか関心をもたないと思いますが、普通の鉄道と路面電車では、運転の免許が違うのはもちろんのこと、様々な面で異なります。
一番大きな違いは、路面電車だと法定速度が40キロまでと決められていること。都会の速度の速い電車に乗り慣れていると、40キロだと原付のようなスピードに感じることでしょう。

東京の大動脈を横切ります。
世田谷線の電車が信号に合わせて環七を横切っていく交差点は、若林踏切と名がついています。昔は踏切として遮断機が設置されていました。その名残で、現在でも若林交差点ではなく、若林踏切という名になっています。
現在は遮断機はなく、信号のみ。完全に信号に合わせて交差点化されています。とはいえ、線路の手前では一時停止するものという思い込みがあると、一時停止するべきなのか、しなくていいのか、初めて通る場合だと戸惑ってしまうことでしょう。
早く進めと、後続車からクラクションを鳴らされるぐらいならまだいいのですが、なかには急に線路が目の前に現れ、とっさに線路の手前でブレーキを強く踏んでしまうという人もいます。
後続車は大慌て。タイヤのスキーム音を立てながら急ブレーキ。あわや衝突。そういう場面を見かけたことがありますので、車でここを通る場合はそういったことを想定し、前の車との車間距離をきちんと開けておいたほうが安心です。

ここでは信号に電車も合わせます。
歩行者や自転車も注意が必要です。いや、むしろこっちの方が危ない印象です。線路を渡る側に信号がついているのですが、見落としたり、車が来ないから大丈夫と渡ろうとして、電車に警笛を鳴らされている場面を何度か見かけました。
ちゃんと信号を守らないと電車にひかれます。ここには歩行者用の小さな遮断機を付けた方がいいように感じます。

さて、地球にやさしいという路面電車。一番エコな乗り物などといった言葉を以前見かけたことがあります。世田谷にもどんどん路面電車復活を!などと思い描く人もいるかもしれませんが、実際のところ路面電車は効率が悪い乗り物です。世界的に都市から消えていっているのも、実際に路面電車が主力の交通となっている広島で暮らしてみて納得しました。
まず路面電車が車道を走ることで、必然的に線路をまたぐように横断歩道が設置されます。これが厄介で、段差で歩きにくく、特に車いすやベビーカーは大変です。雨の日は水がくぼみに溜まったり、レール部分が滑りやすくなるので、更に歩きにくくなります。雨の日でいえば自転車やバイクなど二輪車でレールの上を通行する際にも、滑って転びやすくなります。

信号を含めた交通システムも煩雑になってしまいますし、電車用の線路が道路にあることで車線が少なくなり、特に交差点での右左折レーンが少なくなることで渋滞を引き起こします。
また、車や電停で待つ人との接触事故も少なからず起こり、広島では年50件ほど路面電車がらみの事故が起きています。それ以外にも、線路でバイクや自転車が滑ったり、歩行者が線路で転んだり、電停に車が接触したりする事故を含めると、かなりの数になります。実は怪我人続出の交通システムだったりします・・・。
バスよりも遅いというのも困った事実です。乗客の乗り降りに時間がかかったりすると、交差点の信号との連携がずれ、路面電車が渋滞してしまいます。広島ではよくあることで、バスのように前の車両を追い抜きができないのが致命的です。
そもそも交差点では車と同じように信号待ちをするし、速度も出ないので、よほど渋滞していなければバスよりも・・・、いや、実際のところ大きい声で言えませんが、自転車よりも遅いです。
これは広島市民の間では周知の事実で、通勤、通学には自転車を使用している人が多かったりします。特に学生の通学では路面電車の使用率は低いです。
とまあ、旅心を感じながら乗る分にはいいのですが、生活の足で使っていると忍耐が必要な場面が多かったりします。それが路面電車の現実です。

とはいえ、そういった前時代的で、不便な路面電車が当たり前に走っている町の情景は美しものです。広島の路面電車の走る情景を写真に収めた「路面電車のある情景」を作ったので、興味があればご覧ください。
3、世田谷線のある情景

さりげない光景が魅力なのかも。

若林駅前の七夕飾りと
世田谷線はJRの特急や小田急線のロマンスカーといった花形列車のような華はありませんが、愛嬌や親近感といった部類では負けていません。小型のカラフルな車両が世田谷の下町っぽい地域を走る様子は、お洒落とか、スマートとか、可愛らしいとか、愛嬌があるとか、まあ感じ方は人それぞれでしょうが、悪い印象を持つ人は少ないことでしょう。


沿線の様子もどことなくのんびりした印象を受けます。のんびりと小さな踏切で電車を待つ人。家という垣根の中を走る電車。大きな交差点では歩行者と一緒に信号待ちをする電車。特に都会では踏切がなくなっているのでそう感じるのかもしれません。

もの凄く有名というわけではないのですが、あじさいの季節に世田谷であじさいが有名な場所はどこだろうと、「世田谷」、「あじさい」といった言葉で検索したら世田谷線の電車とあじさいが写っている写真が多く出てきました。
世田谷の花マップで確認すると上町から松原の間の線路沿いにあじさいが植えられています。訪れてみると、線路沿いに色とりどりのアジサイが並び、楽しげな雰囲気になっていました。
現在の世田谷線は車体が彩り豊かにペイントされているので、好みの色の車体が来るのを待って、写真を撮ってみるのも楽しいかと思います。

そのアジサイが満開の線路沿いでは、ベビーカーに子供を乗せたお母さんが世田谷線を子供に見せていたり、おじいちゃんと散歩にやって来た男の子が電車に手を振っていたり、スマホで一生懸命写真を撮っている女性などがいました。
そんな様子を見ていると、世田谷線は地域の人々に愛されているんだな・・・と強く感じました。
ちなみに世田谷線沿線ではもう一つカラフルな花が見れます。それは意外に思うでしょうが、玉川花火大会の花火です。
ちょうど花火大会の日に滝坂道を通ったのですが、線路沿いに多くの人がいてビックリしました。お目当ては世田谷八幡方向に打ち上がる花火でした。世田谷線と花火という組み合わせも面白いかと思います。
4、地域風景資産について

玉電のグッズなども売られています。
愛嬌のある車両が走り、沿線もどことなくのんびりとした雰囲気のある世田谷線沿線ですが、そういった風景を大事にしようといった試みも行われていて、「ほっとやすらぐ世田谷線界隈の情景」としてせたがや地域風景資産に選定されています。
具体的には山下駅に世田谷線グッズなどが買える「たまでんカフェ山下」(営業時間:10:00~17:00 定休日:水曜・日曜・祝日)がオープンしたり、世田谷線沿線で行われるイベントを盛り上げたり、清掃活動を行ったりしています。こういった試みは、やはり世田谷線が心から好きだからできるのでしょうね。

区民祭を訪れた時に発見したのですが、玉電がプリントされたTシャツやタオル、玉電の形をした羊羹などといった「玉電グッズ」が販売されていました。新たな話題や地域活性化につながればいいですね。でも・・・、売れているのでしょうか・・・。世田谷線グッズ。ちょっと心配です。
5、感想など

写真を白黒にしてみたら意外と古い時代に見えたりします。
世田谷線は世田谷の中でも下町っぽい地域を走っています。電車、風景、乗客の全てにおいてギスギスしていないというか、肩を張らないというか、なんとなく自然体といった感じを受けます。
少々不便でもいいじゃないか。世田谷線だし。40キロしか出ないんだし。気長に到着を待とう。そんな心のゆとりを感じることができれば、もう立派な世田谷線の沿線の住民なのかもしれません。
沿線には豪徳寺や松陰神社、代官屋敷といった観光スポットが点在しているので、のんびりと世田谷線に揺られ、世田谷情緒を味わいながら散策してみるのもいいかと思います。
ちなみに、観光や散策に便利な一日乗り放題の「世田谷線散策きっぷ(380円)」というのも発売されています。ぜひ活用ください。
せたがや百景 No.4世田谷線(玉電)が走る せたがや地域風景資産 #2-17
ほっとやすらぐ世田谷線界隈の情景 2025年5月改訂 - 風の旅人
6、地図・アクセス等
・住所 | 世田谷線沿線(三軒茶屋から下高井戸) |
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・アクセス | ーーー |
・関連リンク | 東急電鉄、NPO法人まちこらぼ、がんばれ僕らの世田谷線(ファンサイト) |
・備考 | 宮の坂駅では古い車体を利用した待合室があります。また田園都市線の宮前平にある「電車とバスの博物館」にも古い車両が展示されています。山下駅に世田谷線グッズなどが買える「たまでんカフェ山下」があります。 |