せたがや地域風景資産
第2回選定 #11-20の紹介
平成20年に世田谷区と地域団体によって選定された「第2回せたがや地域風景資産」の#11-20の紹介です。詳細は個別のページをご覧ください。
#2-11 四季の移ろいに心ときめく安らぎの道 ~櫻並木と呑川緑道公園~
地域風景資産となっているのは、呑川緑道のうち土の道として整備された区間である。地域の人々に愛される憩いの散歩道でもあり、春には樹齢80 年を誇る櫻並木が咲き乱れ沢山の人で賑わうお花見スポットである。 (紹介文の引用)
場所:深沢1(呑川緑道の一部) 備考:ーーー

呑川(のみかわ)は、田園都市線の桜新町駅付近を水源とし、東京湾に流れ込む全長14.4km、二級河川に指定されている都市河川です。
国道246号から駒沢通りまでの区間は、せせらぎの流れがある親水公園となっていますが、駒沢通りより下流ではせせらぎはなくなり、遊歩道を備えた緑道となっています。
せせらぎがないので地味な印象を受けますが、緑道には桜が多く植えられているので、春には緑道が桜のトンネルのようになり、ちょっとした桜の名所として知られています。
この緑道内には、ベンチが設置されていて散歩の休憩場所になっていたり、小さな段差に手すりが付けられていたり、小さい子供の遊具が置いてあるので子供を遊ばせることができたり、緑道を使って地域で桜祭りを行っていたりと、地域でこの緑道を活用し、大事にしている事を感じられます。その為、歩いていると落ち着くというか、とても雰囲気よく感じます。
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- ・櫻並木と呑川緑道公園(風景2-11/百景89)
#2-12 九品仏浄真寺脇(南側)のクロマツの並木
九品仏浄真寺の南側の150m程の小道には、背の高いクロマツが道の中央に植えられている。小道から見える、浄真寺の境内にある旧奥沢城の土塁跡とあわせて、江戸の街道風景を彷彿させる風景である。(紹介文の引用)
場所:奥沢7丁目 備考:ーーー

9体の印相を結んだ阿弥陀如来があることから、九品仏の愛称で親しまれている浄真寺。大きなお寺なので、区外にもその名が知られています。境内にあるイチョウの大木やモミジの木の紅葉の美しさも有名で、紅葉スポットとしても人気があります。
そういった世間に知られているものではなく、浄真寺の境内の外に生えている黒松がこの項のテーマになっています。九品仏駅から素敵な参道を進んでいき、総門の手前で塀沿いの道に進むと、道路の真ん中に松の木が生えている様子を目にすることができます。
説明文を読むと、昔の道沿いに植えられていた並木になるようです。アスファルトの合間から生えていては、昔ながらの情緒を・・・とはならなく、残すならもっと違う方法はなかったのかな・・・といったような微妙な感想になるでしょうか。
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- ・九品仏浄真寺脇のクロマツの並木(風景2-12/百景98)
#2-13 奥沢海軍村ゆかりの風景
奥沢海軍村は、海軍士官の子孫や海軍村に惹かれて住み着いた人々によって、今もなお緑豊かな街並みが残っている。ポーチ付の玄関や棕櫚(シュロ)の古木等がある住まいなどに、当時の面影を色濃くとどめている。(紹介文の引用)
場所:奥沢2-32、2-33 備考:ーーー

大正末期から昭和初期にかけて、奥沢2丁目の住宅地に多くの海軍軍人が暮らしていたことから、この界隈が奥沢海軍村と呼ばれるようになりました。
なぜ海に関係ない奥沢に・・・。それは、本部のある霞が関と、港のある横須賀、士官学校のある大崎を移動するのに、悪くない立地だったからです。
昭和10年頃が最盛期となり、30世帯ほどの海軍関係者(主に将官・佐官ら高級将校)がこの地区に暮らしていました。
現在では、昔の面影を残したお宅が数軒あるだけで、当時の面影はありませんが、当時流行していたシュロの木(ヤシ科)が庭にあるお宅はそれなりに見かけます。
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- ・奥沢海軍村ゆかりの風景(風景2-13)
#2-14 歩いて楽しい北沢川緑道(豪徳寺1丁目)

北沢川は、昭和30年代頃まではその流れが見えていたが、現在は歩行者専用の緑道として整備されている。並走する商店街の賑わいとは異なり、車を気にせず歩ける散歩道・貴重な憩いの場となっている。 (紹介文の引用)
場所:豪徳寺1丁目・赤堤2丁目 備考:ーーー

北沢川は上北沢の将軍池を源流とし、桜上水、経堂駅の北側、豪徳寺、梅が丘、代田、代沢と世田谷区を斜めに横切り、三宿付近で烏山川と合流し、その後目黒川として目黒、品川を流れて東京湾に注ぐ川でした。昭和30年頃に川を埋め立て暗渠化したので、現在では川の流れを見ることはできません。
小田急線豪徳寺駅の北側、山下商店街と並行して北沢川緑道が通っています。この付近の住所が豪徳寺一丁目で、タイトルにある歩いて楽しい北沢川緑道となります。
歩いて楽しいと感じるかはそれぞれだと思いますが、木々が多いことから落ち着いた環境だし、人や車通りのある商店街をショートカットできるので、ゆっくりと歩きたい人には秘密の抜け道みたいな感じになるでしょうか。
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- ・歩いて楽しい北沢川緑道(風景2-14)
#2-15 古道・滝坂道

滝坂道は江戸時代に甲州街道が開設される以前、江戸と府中を結ぶ街道であった。地域風景資産となっている部分は世田谷城阯北側あたりで、城下町を通り抜ける街道が持つ特徴的な雁行の線形を残している。(紹介文の引用)
場所:豪徳寺1丁目・宮坂2丁目 備考:ーーー

滝坂道は、江戸と武蔵国府のあった府中方面を結んでいた中世の「府中道」の一部だったとされる道筋です。江戸幕府によって甲州街道が整備される以前の主要な道だったのが府中道で、整備された後も甲州裏街道(甲州中出道)として使われていました。
渋谷の道玄坂で大山道(現在の246号)から分かれ、淡島通りを西へ進み、途中三宿の北側を通りますが、環七の少し手前で淡島通りから北に分かれ、梅が丘の方へ向かっていきます。
この付近は世田谷城の北側となり、通りから少し入ったところに世田谷城の鬼門鎮護として設置された杓子稲荷神社があります。

少し進むと、道がカクカクと不自然に曲がっています。ここには小さな松原宿があったとされています。この松原宿のあった付近から世田谷線にかけてが地域風景資産に選定されている区間で、古道らしく道が緩やかに湾曲していたり、道端にお地蔵様が祀られていたり、道の脇に「豪徳寺駅周辺風景づくりの会」によって滝坂道通信が張られ、地域の情報が掲載されていたりします。
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- ・古道・滝坂道(風景2-15)
#2-16 長島大榎公園界隈の緑
経堂五丁目の長島大榎公園と経堂五丁目特別保護区、個人宅の緑が一体となっており、まるで住宅地の中にこんもりと森があるようである。地域の住民にとって原風景として愛し続けられている緑豊かな風景である。(紹介文の引用)
場所:経堂5-17-25、5-12-13、5-17 備考:ーーー

長島大榎公園の名の由来は、土地の提供者である長島氏と、この場所にあった榎の巨木にちなんでいます。残念ながら、榎は昭和44年の台風で真ん中から裂けてしまい、現在ではレプリカの幹が置かれています。
近年では命名権で公園などにスポンサーの名前がつけられたりもしますが、昭和の時代に一般の人の名前を区立公園に使っているのは、ちょっと珍しく感じます。
この公園の隣には、湧水の池のある経堂五丁目特別保護区があります。昔は湧水があちこち出ていましたが、都市化により多くの湧水が枯れてしまいました。貴重な自然環境を保護するために保護区に指定されていて、見学会の時にのみ入れます。
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- ・長島大榎公園界隈の緑(風景2-16)
#2-17 ほっとやすらぐ世田谷線界隈の情景
前身の玉電から数えると、2007年で100歳。 現在も親しまれている世田谷線とその界隈からは、人の行き交う声がする。 そんなあたたかな心かよう風景がここにある。 (紹介文の引用)
場所:三軒茶屋~下高井戸の世田谷線の線路と駅舎 備考:ーーー

田園都市線の三軒茶屋駅と、京王線の下高井戸駅の間を路面電車の東急世田谷線が走っています。走っているのは、色とりどりのカラフルな2両編成の路面電車。住宅地や商店街をゆっくりと走る様子に親近感や情緒を感じる人は多いです。
世田谷線は路面電車として事業登録されていますが、普通の電車と同じように鉄道専用の軌道を使用し、線路を横切る道路には遮断機の付いた踏切が設置されています。
ただ、一か所だけ環七を横断する若林踏切(交差点)には遮断機がなく、ここでのみ路面電車らしく一般の信号に従って電車が進んだり止まったりします。なので、路面電車といった定義になっています。
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- ・ほっとやすらぐ世田谷線界隈の情景(風景2-17/百景4)
#2-18 せたがやボロ市が開催される大山道
430 年の歴史を持つ東京都の文化財、ボロ市。毎年1月15・16日、12 月15・16日の4日間開催されている。代官屋敷のあるボロ市通りをはじめとして露店が所狭しと軒を連ね、多くの人で賑う。(紹介文の引用)
場所:世田谷1丁目 備考:ーーー

世田谷を代表する行事といえば、毎年、12月15、16日と、1月15、16日に開催されているボロ市となるでしょうか。
開催期間中には、ボロ市通りに700近くの露店が軒を連ね、一日20~30万人もの人出があります。東京の冬の風物詩として広く認知されるようになり、区外からの来訪者も多くなりました。
ボロの起源は、北条氏政が天正六年(1578年)に楽市(市場税を免除した特別な市)として認めた六斎市が始まりだと言われています。
なぜボロ市という名が付いているのか。それはガラクタばかり売っていたから・・・ではなく、農家の作業着のつくろいや、わらじになえこむボロが安く売られていて、それが市の目玉的存在となっていたことに由来します。
ボロ市が開催されるボロ市通りには立派な門のある世田谷代官屋敷があります。この通りはかつての世田谷の中心部となり、江戸から厚木の方へ続く大山道の要所でもありました。
ボロ市が開催されるだけではなく、歴史が感じられる場所でもあり、ボロ市開催の記念年には代官見廻り行列が行われたりもします。
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- ・せたがやボロ市が開催される大山道(風景2-18/百景23)
#2-19 大正ロマンをのこす砧下浄水場ポンプ室

砧下浄水場には、東京都水道局以前に存在した渋谷町営水道の歴史的遺産が数多く残っている。特にポンプ室等の施設は日本の近代化を語る上で重要な資産となっている。(紹介文の引用)
場所:鎌田2-4 備考:ーーー

大正6年、急激に人口が増え続けている渋谷町によって、多摩川から渋谷まで水道水を送る計画が発案されました。計画は綿密に練られ、鎌田に砧下浄水所を造り、ここで多摩川から汲み上げた水を濾過し、その水をポンプで駒沢給水所に送り、駒沢給水所からは自然の重力で渋谷まで送る事になりました。
まず多摩川から水を取り込むのですが、当時としては斬新な川底に管を入れて水を取る伏流水方式が用いられました。そして、取り込まれた伏流水は3つあるろ過池で浄化され、ポンプ室から駒沢給水塔に向けて送り出されました。
このポンプがタイトルの「大正ロマンをのこす砧下浄水場ポンプ室」となり、建物は大正12年に建造された洋館風の建物で、青い洋瓦の上に突き出た塔状の飾り窓が特徴となっています。現在は中央管理室として使われているようです。残念ながら敷地内を見学する機会がないので、敷地の外から眺めるだけになります。
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- ・大正ロマンをのこす砧下浄水場ポンプ室(風景2-19)
#2-20 水辺の自然とふれあえる蘆花恒春園

蘆花恒春園に、新しく地域の手でつくられた「とんぼ池」と「やごの楽校」。管理や整備を地域住民と児童が行っていて、子ども達の夢が膨らんでいる。同じ公園内に、第1回選定の「蘆花恒春園花の丘」もある。(紹介文の引用)
場所:粕谷1-20 備考:ーーー

蘆花恒春園の花の丘のすぐ横には、「やごの楽校(芦花公園自然観察資料館)」と「みんなのとんぼ池」があります。
これらの施設は「トンボはどこから飛んできたの?」といった子どもの素朴な疑問からプロジェクトが始まり、地域の人々の手によってまず池が掘られ、そして手作りで小屋が組み立てられました。
管理、維持しているのは、花の丘を管理している団体の「とんぼ池グループ」。定期的に池の清掃を行ったり、小屋の運営管理をしているほか、多摩川へ生物の採取をしに出かけたりしています。
- <詳細ページ>
- ・水辺の自然とふれあえる蘆花恒春園(風景2-20)