世田谷散策記 せたがや地域風景資産 タイトル

せたがや地域風景資産
第1回選定 #21-30の紹介

平成14年に世田谷区と地域団体によって選定された「第1回せたがや地域風景資産」の#21-30の紹介です。詳細は個別のページをご覧ください。

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#1-21 国分寺崖線を眺められる多摩川堤

多摩川沿いの土手
多摩川沿いの土手(2008年)

堤の上からは、下流に向かって左手に国分寺崖線の樹木、右側に多摩川が眺められる。天気が良い時には、多摩川越しに富士山も見える。堤は歩行者道となっており快適な散歩道となっている。 (紹介文の引用)

場所:玉川1、上野毛2 備考:ーーー

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二子玉川公園から見た国分寺崖線
二子玉川公園から見た国分寺崖線

二子玉川駅の東側は、再開発後、100m越えのライズビルが4棟建ち、一気に風景が変わりました。その東側、東急自動車学校があった場所には、広い二子玉川公園ができ、人々の憩いの場になっています。

再開発が行われる前の東急自動車学校付近の多摩川の堤(土手)から眺める国分寺崖線の様子や、開放感のある土手が地域風景資産に選ばれました。

堤防工事も行われたので、今ではすっかりと風景が変わってしまい、土手を歩いても昔の面影はありません。しかしながら、新しくできた二子玉川公園の多摩川沿いには高さのある展望デッキが設けられているので、むしろ以前よりも眺望がよくなり、崖線、そして多摩川や富士山の眺望がよくなりました。

#1-22 静嘉堂緑地の自然林

岡本静嘉堂緑地の案内板

静嘉堂緑地は、静嘉堂文庫の一部であったが、現在は区の管理地となっている。国分寺崖線にあり、照葉樹林が生い茂っている。(紹介文の引用)

場所:岡本2-23 備考:ーーー

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岡本静嘉堂緑地 岩崎廟
岩崎廟

幕末、明治維新の混乱期に巨万の富を得たのが岩崎彌太郎(弥太郎)。三菱財閥の創始者です。その弟で、2代目を継いだのが、弥之助。彼は実業界に入る以前は漢学を学び、和漢の古書、古美術品などの収集を熱心に行っていました。

その蔵書コレクションを収蔵していたのが、静嘉堂文庫。名前の由来は、中国古典の詩経に出てくる大雅、既酔編の「邉豆静嘉」の句で、祖先の霊前に供える供物が立派に整うといった意味になるそうです。

静嘉堂文庫のある丘は、その弥之助の子、小弥太が父の三回忌に墓を建てるために購入しました。明治の終わりのことです。そして建てたのが、聖堂風の岩崎家玉川廟。設計を行ったのは、日本近代建築の父であるジョサイア・コンドル氏です。その後に起きた関東大震災での教訓から、郊外のこの地に静嘉堂文庫も移転してきました。

岡本静嘉堂緑地 バッタ原
バッタ原

静嘉堂のある丘全体が岩崎家の土地で、宅地開発から免れてきました。岩崎廟や静嘉堂文庫、美術館(2022年に丸の内へ移転)以外の土地は区の管理地となり、静嘉堂緑地として公開されています。とはいえ、放置されていた時間も長いので、自然林と言ってもほとんどが雑木林状態となっています。

美術館が移転するまでは気軽に入れる場所でしたが、美術館が移転してからは土日は閉まっていて、少し入り辛い場所となってしまいました。

#1-23 岡本の富士見坂

岡本の富士見坂

国分寺崖線にある急坂で、晴れた日には富士山が見える。(紹介文の引用)

場所:岡本3-27と3-28の間の道 備考:ーーー

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岡本の富士見坂 富士山の眺望
富士山の眺望

岡本の国分寺崖線に「岡本三丁目の坂道」と呼ばれる急坂があります。ただの急坂ではなく、一直線の急坂なので、とてもインパクトがあります。

そのインパクトさゆえに、ドラマなどで使われたり、バラエティー番組で紹介されたりしていて、世田谷区外の人にも名が知られています。

勾配の表示がないので、正確にはわかりませんが、恐らく20~21%(11.5度)ぐらいだと推測できます。かなり急になるので、自転車や車などで下ると、ジェットコースターのような感覚になります。

この坂が有名なのは、坂の正面付近に富士山が見え、国土交通省の富士見100景にも選ばれていることにもあります。ただ、坂道には電線が多いし、朝の時間帯は坂が影になるしと、感動するような風景かというと、そうでもないような気がします・・・。

#1-24 喜多見5-21遊び場の竹山緑地(旧称・喜多見五丁目竹山市民緑地の竹林と垣根)

竹山緑地入り口

個人所有の土地であるが、平成14年より市民緑地として開放されている竹林である。ボランティアの参加した管理・運営がなされている。 (紹介文の引用)

場所:喜多見5-21 備考:喜多見五丁目竹山市民緑地の竹林と垣根から名称変更

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喜多見竹山緑地 緑地内の様子
緑地内の様子

竹山市民緑地は、2002年6月にオープンしました。竹林の素敵な緑地で、竹林内部には散策できるように遊歩道が設置されています。実際に竹林内を歩いてみると、意外と歩ける場所が多いのに驚きました。というより、竹林が想像していたよりも広大で驚くことでしょう。

市民緑地として開園してからは、ずっとボランティアなどの協力で維持してきました。そして、20年経った2022年に転機が訪れ、土地所有者が市民緑地として登録していた部分を世田谷区に寄付してくれました。

これによって恒久的な公園地となり、隣接する喜多見5-21の遊び場と合体しました。竹林のある場所は今まで通りに柵で分けられていて、喜多見5-21遊び場(竹山緑地)といった呼び方をされています。それに伴い、地域風景資産のタイトルも変更になりました。

喜多見竹山緑地 竹垣のある道
竹垣のある道

敷地内に植えられているのは一般的な孟宗竹で、管理は世田谷トラストの協力の下、竹山市民緑地ボランティアワークショップが行っています。活動は、園路整備、下草刈り、竹の間引きなどを定期的に行い、筍掘りや竹細工教室などといった季節のイベントも行っています。

それから竹林という特性から、竹林保護のため、4、5月は閉園していて、中には入ることができません。竹といえば筍。竹の旬は新緑の季節だよね。竹林に行ってみよう。といった発想になる人も多いかと思いますが、残念ながらこの期間は閉鎖されていて中に入ることができません。塀越しに竹林をのぞくことはできますが・・・。

古いタイトルでは「垣根」の文字が入っています。昔は竹垣で敷地が囲われていたりしましたが、現在は規模が縮小されてしまい、タイトルからも文字が消えました。

#1-25 喜多見大橋から見た野川上流の眺め

喜多見大橋
喜多見大橋

喜多見大橋の上からは、次大夫堀公園の樹木、国分寺崖線の樹木、野川の先には丹沢等の山並みが見え、自然環境に親しみやすい場所となっている。 春には菜の花や桜が咲き、両岸には歩きやすいウォーキングロードも整備されている。 (紹介文の引用)

場所:喜多見6、7 備考:ーーー

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喜多見大橋から見た野川上流の眺め
喜多見大橋から見た野川上流の眺め

大田区から多摩川に沿って川の土手を通っているのが、多摩堤通り。二子玉川からは多摩川を離れ、野川に近い場所を通り、世田谷通りと合流する交差点で道が終わります。そのすぐ手前で野川を渡っていて、そこに架けられている橋が喜多見大橋です。

喜多見大橋とたいそうな名がついていますが、普通のよくある橋です。橋のすぐ上流部には次大夫堀公園があり、橋から上流を眺めると緑が多く、遠くには丹沢の山々が見え、開放感のある心落ち着く風景になっています。ただ、歩道がとても狭いので、落ち着いて眺められる環境ではありません・・・。

#1-26 慶元寺三重塔の見える風景

慶元寺三重塔の見える風景 喜多見

稲荷塚古墳緑地を視点場とした地域風景資産である。平成 12 年に開設した稲荷塚古墳緑地からは慶元寺の三重塔を背景に畑が広がっている風景を眺めることができる。喜多見地区は農村としての歴史を長く有する地区である。慶元寺は地区のコミュニティの場であり、15世紀から続く歴史がある。喜多見地区の歴史的な環境を感じとれる場所である。 (紹介文の引用)

場所:喜多見4-7 備考:ーーー

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喜多見は古墳が多く残っていたり、歴史ある神社があったり、喜多見藩の名残があったりと、古き時代の面影が随所に残っている地域です。

喜多見文化の中心となっているのが、喜多見藩を開いた喜多見氏(江戸氏)の菩提寺である慶元寺。慶元寺のすぐそばには稲荷塚古墳があり、そこから慶元寺の三重塔がよく見えます。

よく見えるのは周囲に畑が多いから。昔ながらの農村風景を感じられることから地域風景資産に選ばれました。

#1-27 成城三丁目緑地

成城三丁目緑地の案内板

国分寺崖線に位置し、雑木林であった経緯を持つ緑地である。湧水もあり、地域の植生等を活かした公園づくりが展開されている。その活動には、隣接した小学校、地元町会、区等が参画している。 (紹介文の引用)

場所:成城3-16-38 備考:ーーー

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成城三丁目緑地 園内の階段

高級住宅地として天下に名が轟く成城。その人気や注目度は凄まじいものがあり、後年には番地を増やしたほどです。

一面住宅で埋め尽くされている成城ですが、野川沿いに続く国分寺崖線は急な崖地であることから開発から免れ、自然が多く残っています。

その一つが成城三丁目にある成城三丁目緑地。元々は林野庁が保有する土地でした。林野庁が離れることになり、世田谷区が崖地部分を買い取り、緑地として整備しました。

成城三丁目緑地 湧水が流れる様子

成城三丁目緑地は、崖線の自然的特徴がよく表れていて、崖線から湧き出る2箇所の湧水地を中心に、約20mの高低差がある崖の斜面には、ヒノキ、サワラの常緑樹、コナラ、クヌギの落葉広葉樹が混在する里山的雑木林が広がっています。

緑地内にはちょっとしたトレッキング気分で歩ける散策路が設置されているので、気軽に崖地の散策を行うことができます。

#1-28 成城の近代住宅

成城の近代住宅 こもれびの庭市民緑地
こもれびの庭市民緑地

成城学園の移転に伴い、昭和初期の分譲当時に建設された住宅である。成城にはこのような住宅が現在でも点在し、街の歴史を語る貴重な風景の要素となっている。(紹介文の引用)

場所:成城3-6、5-11、7-7 備考:ーーー

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成城の住宅地 生垣のある町並み
生垣のある町並み

昭和初期、成城学園が喜多見の辺境のこの地に移転する事になりました。その際、この界隈を造成し、宅地として販売することで、学園の移転費用に充てました。小田急線が開通し、駅名が成城学園前となり、後に住所も成城に代わりました。

今では日本中にその名が知られるほどの高級住宅地となった成城。地域全体に立派な家が並んでいるのですが、場所によって少し趣が異なります。

成城学園のある東側は学園都市の面影が残り、桜並木やイチョウ並木があります。少しカジュアルな感じがします。駅の西側付近では立派な生垣が続いていて、格式とか重厚とかを感じたりします。崖地にも住宅地が広がっていて、こちらは個性的なお宅が多いように感じます。

成城の近代住宅 猪俣邸茶室
猪俣邸茶室

成城が開けたのは昭和初期から戦後にかけて。昔風に言うお屋敷といった建物もいくつか残っています。猪俣邸や山田邸など保存されているお屋敷もあり、邸宅内に入れたり、庭から見学することが出来たりします。とても貴重な体験ができるので、お勧めです。

#1-29 つりがね池と樹林

つりがね池公園

つりがね池は、崖下から湧き出した水が源となり、旧来から地域の水源であった場所である。大きな樹木が多く、近隣の樹木と一体となった緑豊かな空間が形成されている。つりがね池の名は、渇水時に僧がつりがねと一緒に身をなげたところ、水がわきいでたという昔話に由来する。(紹介文の引用)

場所:祖師谷5-33-11 備考:ーーー

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祖師谷 つりがね池公園 住宅と池

祖師谷の住宅地の中につりがね池があります。池のすぐそばにまで住宅が建ち、住宅に埋まるように池が立地している様子に驚きます。

つりがね池は元々湧水が豊富で、池の水は生活用水、農業用水に使われていましたが、都市化によって湧水が枯れてしまいました。今ある池は公園化の際に、人工的に復活させたものです。なので、池のすぐそばに家を建てても大丈夫というわけです。

祖師谷 つりがね池公園 桜の時期

池のほとりには弁天様を祀った弁天社があり、古くから付近の住民がこの池を大切にしてきたことが分かります。今でも小規模ながら弁天まつりを行っているようです。

池の周囲には木々が多く、池の周回路の散策は四季の情緒を感じることができます。桜の木がそこそこあるので、春の様子が特に美しいです。

また、池の中にはコイや亀、またカルガモなどの水鳥も暮らしています。池のすぐそばに住宅があること以外は、あまり人工的な感じはしなく、素敵な水辺の空間となっています。

#1-30 季節の野草に出会う小径

季節の野草に出会う小径の案内板

土のままの区道である。野草が生え、小さなビオトープ的な空間となっている。 (紹介文の引用)

場所:船橋3-5、3-13、3-17~3-20の間の道 備考:ーーー

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船橋 季節の野草に出会う小径 小径への入り口
小径への入り口

千歳丘高校の校庭に沿うような形で、野草などが植えられている300mほどの土の道、「季節の野草に出会う小径」が設けられています。

かつてこの場所は水路でしたが、地下に下水管が埋められたことで、通路となりました。地域で話し合い、道に草花を植えて、昔の船橋で当たり前にあったような風景や自然にしようではないか・・・となり、この小道が造られました。

船橋 季節の野草に出会う小径 小径の様子
小径の様子

管理しているのは、「船橋小径の会」。この取り組みは社会的に評価されていて、区の環境の賞を受賞したり、NHKのクローズアップ現代でも取り上げられたり、国土交通省の景観街づくり事例集に紹介されていたりしています。

とはいえ、地味な野草を植えているし、立地も学校とマンションの間の道なので、あまり過大な期待をして訪れると、ガッカリしてしまうでしょう。

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