世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.47

祖師谷つりがね池

せたがや地域風景資産 #1-29

つりがね池と樹林

祖師谷5-33

雨乞いのため、僧が釣鐘を抱えて身を沈めたことから、その名がついたと伝えられている。現在は付近の子ども達の絶好の遊び場だ。池の周辺には緑も残り、雨の降った後には池底から水が湧き出すのを見ることもできる。小さな風景だが、なんともいえない親しみがある。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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1、つりがね池公園について

祖師ヶ谷大蔵駅北側の地図(国土地理院)

国土地理院地図を書き込んで使用

小田急線祖師ヶ谷大蔵の駅のかなり北側、都立祖師谷公園からだと南端から少し東側にいった場所に、つりがね池(つりがね池公園)があります。

入り組んだ路地を通っていかなければならないうえに、池のすぐそばまで住宅が建っているので、この辺りの土地勘がないとわかりにくいと思います。

私が訪れた当時は、スマホという便利なものはなかったので、紙の地図を頼りに「こっちかな・・・」「あっちかな・・・」「いや、こっちから水の匂いがするぞ・・・」と、さんざん迷って到着できました。いや、本当にわかり辛かったです。

でも、苦労した分、感動も大きくなるというやつでしょうか。見つけたときの喜びは、コンクリートの中のオアシスだ!・・・ってな感じでした。

とまあ、これは少々大袈裟な感想ですが、訪れる際には住所や地図を用意しておいた方がいいと思います。そして迷子になったら地元の人に聞いた方が確実です。

つりがね池公園 藤棚のゲート<
藤棚のゲート

藤とつつじの季節には彩のアクセントが加わります。

現在のつりがね池は、区立つりがね池公園となっています。昭和49年に都から区へ移管されると、池を整備し、池の周りにあった湿地帯を埋め立て、公園としました。

一般的に池のある公園といえば、例えば千束池公園や井の頭公園のように、広々とした敷地の一部に池があり、その周辺の芝生などでくつろげて・・・といった事を想像してしまうのですが、この公園は敷地内にめいいっぱい池がある公園というか、まあ単刀直入に言うなら、池とその周りの淵に木が生えているだけの公園です。

つりがね池公園 釣鐘池とその周辺
つりがね池とその周辺
つりがね池公園 春のつりがね池 つりがね池と民家
つりがね池と民家

池のすぐ間近まで住宅がある池です。

特に北側は、池のすぐそばまで一般の住宅が建ち、南側はすぐ道路、そして住宅があります。その様子を見ると、池というより、川沿いとか、水路沿いといった印象を受けてしまいます。

私的には有名観光地の状況にダブって見え、民家がテラス付きの飲食店だったら・・・。道路を挟んで並ぶ民家がお土産物屋だったら・・・。この状況がしっくりくるなと、思ってしまいます。

つりがね池公園 底から湧き出る水
底から湧き出る水

人工的な装置を使った湧き水です。鳥の小屋も設置されています。

池は、名前の釣鐘の形をしているわけではなく、ひょうたん型をしたひょうたん池といった感じです。池の水は澄んでいて、池の真ん中付近から水が湧き出てくる様子が見られます。

池の水は西側の水路から流れ出していて、都立祖師谷公園の方へ流れ、仙川に合流し、野川、多摩川、東京湾へと流れていきます。

流れ出す様子から、今でもそれなりに水量が多い湧水池だと感じてしまいますが、昭和25年ごろに湧水が涸れてしまった事や、区内の他の遊水池に比べて不自然に透明度が高いこと、自然保護区に指定されていないことを考えると、水を循環、或いは井の頭公園のように深層の地下水を汲み上げているのか、他所から送ってきていると考えられます。

その辺の事情は、詳しい記述がないし、ポンプ室のようなものも見当たらなかったので、水がどこからやってきているのかはよく分かりませんでした。

つりがね池公園 春のつりがね池
春のつりがね池

奥の赤いのが弁天様の祠です。桜の時期が一番美しく感じます。

つりがね池公園 秋のつりがね池
秋のつりがね池

落ち葉がたくさん浮かんでいました。

公園内は、狭いながらも池の畔を一周できるような小道が設置されていて、池を見ながら散策することができます。池のほとりには、木々が多くあるので、季節を感じながら歩くことができます。

また、遊水池によくみられる赤い弁天社が建てられていたり、池の真ん中には鳥が休めるような鳥の家が設置され、鴨がその周りを泳いでいたり、コイが泳いでいたり、亀がプカプカと浮かんでいたりと、生き物の姿を見ることもできます。

そういった様子を眺めていると、湧水が豊かな自然の池に見えなくもありません。いや、名水百選の碑を建てておけば、かなりの人が信じるぐらい湧水の池として雰囲気があります。この公園を造った人はとてもいい仕事をしたのではないでしょうか。感心してしまいます。

つりがね池公園 池のほとりでくつろぐカルガモ
池のほとりでくつろぐカルガモ
つりがね池公園 池を泳ぐ鯉
池を泳ぐ鯉

なぜつりがね池なのでしょう。池の形が釣鐘(つりがね)の形をしているとか・・・と、訪れる前までは安易に考えていたのですが、備えられていた案内板や他の資料を読むと、ちょっとした言い伝えが残っているようです。

伝説は二つあって、一つは「近くのお寺同士が争い、その時に鐘や仏像を取られまいと、ある僧が寺の鐘や仏像を持ってこの池に身を投げたとか、投げなかったとか。その後、池から仏像が流れ出して、仙川から多摩川に流れ込み、下流の川崎で発見されたとか。」

もう一つは、「日照りで農民が困り果てているときに、ある僧(或いは近くの寺の和尚)がこれを救おうと、釣鐘を重りとして抱き、池に身を沈めると、たちまち大雨が降った。」という話です。

殺気立った和尚のイメージ(*イラスト:もんこはんRさん)

(*イラスト:もんこはんRさん 【イラストAC】

こういった言い伝えから、池を釣鐘池と呼ぶようになったそうです。夏に行われているせたがや区民まつりを訪れた時、紙芝居コーナーでちょうどこの話をしていました。

立ち止まって話を聞くと、後者(大雨を降らせた方)に近い話をしていました。その話では和尚さんは寺まで焼いちゃったそうです・・・。なかなか壮絶な話ですが、仮にこの話が本当なら、その和尚とか、僧侶の名が池の名前になっていたり、弁天様の代わりに祀られているような気もします・・・。

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2、つりがね池と弁天様

つりがね池公園 辨天社(弁天社)
辨天社(弁天社)

池のほとりに真っ赤な社が建てられています。

池の畔には、赤い弁天様の祠が建てられています。弁天様の祠の前には、赤い弁天橋が架けられていて、いかにも弁天様らしい雰囲気で祀られています。

この弁天様は、地域の人によって祀られたもので、古くから池の守り神として崇められてきました。

水は人間の生活において生命線です。蛇口をひねったら水が出てくる現在においては、こういった水源や井戸の大切さというのはなかなか実感できないと思いますが、水道がない時代の生活では、ここのような湧水の周囲に人々が住み、池の水を使って洗濯や水浴びをし、食器や野菜などを近所の人と世間話をしながら洗っていました。

もちろん各々が好き勝手に使っていては水源が汚れるので、使う人たちで時間やルールを決め、地域全体で湧水や池を大切に使い、水源をきれいに保とうと団結していました。

つりがね池公園 辨天社(弁天社)
辨天社(弁天社)

また、水を使える事を神様に感謝し、いつまでも水が涸れないようにお祀りしていました。困った時の神頼み。その為の弁天様です。

この池で雨乞いを行ったという記録も残っていて、昭和15年頃までは、水田の雨乞いをするために、わざわざ大山まで水をもらいに行く雨乞い(弁天参り)を行っていたようです。

その後、昭和27年頃まで、小規模な弁天祭りが行われ、弁天様や池を大事にしてきましたが、水源が枯れると、行事は行われなくなりました。

つりがね池公園 古い祠
古い祠

昔使っていたものでしょうか。それとも別の神様が祀られているのでしょうか。

設置されている案内板には、「今でも毎年4月7日に弁天祭が行われています。」と書かれています。

つりがね池公園として復活した後、地元の世話人や講中によって昔の風習が復活し、小規模ながら4月7日に弁天様の前で弁天祭が行われています。その日は、神主によって祝詞や玉串の神事が行われ、地元のお囃子の奉納演奏もあるそうです。

「せたがや花マップ」を見ると、4月上旬に地元の自治会によって「つりがね池公園観桜会」も行われているようです。弁天祭と同じ日に行われているのかもしれませんね。

ちなみに、松原の弁天池でも同じように雨乞いが熱心に行われてきました。この池もここの池と同じように枯れてしまいましたが、松原菅原神社では今でも5月に弁天まつりが盛大に行われています。

3、地域風景資産と昔のつりがね池

つりがね池の東側にある保護林
つりがね池の東側にある保護林

人を寄せ付けないほど密度のある雑木林となっています。

この場所は標高45m程もあり、世田谷でも標高の高い部類に入ります。高台、湧水とくれば、古代人の格好の生活場となるわけで、付近から釣鐘池北遺跡に釣鐘池南遺跡、そして釣鐘池東遺跡といった縄文時代の住居跡を中心とした遺構が幾つも見つかっています。この釣鐘池の湧水は、遙か昔から人間の暮らしと関わり続けているようです。

また、せたがや地域風景資産にも選ばれています。地域風景資産では「つりがね池と樹林」となっていて、樹木にスポットが当たっています。古くからの水源なので池の周りには昔ながらの大きな樹木も多く、近隣の緑、とりわけ東側の保護林と一体となった緑豊かな空間が選考のポイントになったようです。

近年では地元の自治会が自然の残る保存林を利用して、「つりがね池de竹の子掘り」といったイベントを行っています。参加は抽選になりますが、貴重な体験となっているようです。

1940年頃の釣鐘池と周辺の航空写真(国土地理院)
1940年頃の釣鐘池と周辺

国土地理院地図を書き込んで使用

古い文献を読むと、昭和初期のつりがね池は、辺りを深い自然林に覆われていて、仙川に注ぐ水量が豊富な湧水池だったそうです。自然の生き物も豊富で、フナやドジョウ、サワガニなどといった生き物が多く生息していたようです。

池の水は、地元の人々の洗い場や生活用水だけではなく、農業用水としても使われ、もちろん子供たちの遊び場にもなっていました。

昭和初期には、池の大きさが900坪ほどあり、それなりに水深もあったことから、池に船を浮かべることもできたそうです。

1940年代後半の釣鐘池の航空写真(国土地理院)
1940年代後半の釣鐘池

国土地理院地図を書き込んで使用

こういった水量豊かな状態は、昭和の初めぐらいまでで、周辺に暮らす人々が増えるにつれ、地下水の流れが変わり、湧水の水量も減っていきました。

1960年代の釣鐘池の航空写真(国土地理院)
1960年代の釣鐘池

国土地理院地図を書き込んで使用

昭和40年頃になると、更に湧水の量が減り、もはや下水を流す為のドブ池であり、ここから流れる川もドブ川状態となっていたそうです。池は濁って悪臭を放ち、大きさも半分程度になってしまったそうです。

1970年代の公園化された釣鐘池の航空写真(国土地理院)
1970年代の公園化された釣鐘池

国土地理院地図を書き込んで使用

その後、下水処理の発達や公園化で、池はきれいになりました。また仙川の護岸工事も行われ、今まであったつりがね池から仙川にかけての畑地帯は、一気に住宅地に変わり、びっしりと家が建ち並びました。高度経済成長期、恐るべしといった光景です。当然、池の周囲も現在のように家だらけになっています。

つりがね池公園 かつて水路だった南東側の入り口
かつて水路だった南東側の入り口

右側は保護林になります。

つりがね池公園 あじさいの小道
あじさいの小道

公園として整備された際に、池の周りにあった湿地帯が埋め立てられました。そして保護林の方、南東に流れていた水路も埋め立てられ、通路として整備されました。

この小道の脇にはあじさいが多く植えられていて、アジサイの小道と立て札がありました。アジサイの季節には色とりどりの花が咲き乱れ、たいそう美しい道となっているのでは・・・と期待してアジサイの時期に訪れてみたのですが、時期が遅かったのか、不作の年だったのか、いまいちきれいに咲いていませんでした。

4、感想など

つりがね池公園 湖畔の散歩道
湖畔の散歩道

桜の季節はおすすめです。

人間と水のつながりは絶対です。飲用する水がないと人は生きていけません。インフラが整備される前は、生活用水が手に入る川沿い、遊水池、井戸のある場所に、人々は生活の場を求めてきました。区内でも湧水が出る場所の近くで、遺跡が多く発掘されています。

現在のつりがね池は、人工的な池となり、きれいになり過ぎてしまった感はありますが、今でも畔に弁天社が祀られていて、周囲には古くからの樹木も残されていて、古来から多くの人がここで営みを行ってきたことを感じられる場となっています。

訪れるなら、桜の季節がお勧めです。池の周囲が華やぎ、池が美しく感じられます。逆にお勧めしないのは、夏。とても蚊が多いそうです・・・。

せたがや百景 No.47
祖師谷つりがね池
せたがや地域風景資産 #1-29
つりがね池と樹林
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所祖師谷5丁目33番
・アクセス最寄り駅は小田急線祖師ヶ谷大蔵駅。駅から少し離れています。
・関連リンクつりがね池公園(世田谷区)
・備考ーーー
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