成城住宅街の生け垣
せたがや地域風景資産 #1-28成城の近代住宅
成城一帯成城のまちを歩くと、手入れのよく行き届いた生け垣を見ることができ、住民がまちを大切にしてきた歴史がよくわかる、家々に住む人々の個性や趣味がそれぞれ感じられて、興味が尽きない。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、成城住宅地の歴史

それぞれの家が工夫を凝らしていて、地域に自由な雰囲気があります。
成城といえば、全国的に高級住宅地として名が知られ、世間一般的に高級住宅地の代名詞として認知されています。
そのおかげというか、東京や世田谷に全く関わりのない人から、「成城のある世田谷区は高級住宅街の集まり」と過剰に誤解させることが多いです。いや、大袈裟ではなく、本当です。
私自身、旅が好きなので、海外、国内を問わず、よく旅に出ます。旅をしている最中、縁があって出会った日本人と会話になると、「どこから来たのですか?」などといった話題になることが多いです。
「東京から」などと答えると、「東京のどこ?」といった話となり、「世田谷からです」と答えると、「世田谷って、あの高級住宅地の成城があるところですよね・・・。」「世田谷って成城のある高級住宅地ですよね。いい所にお住まいですね・・・。」などと返ってくる事が少なくありません。

(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
なんで「世田谷=成城=金持ち」なんだ。世田谷にもいろんな場所があるんだけど・・・。と思ってしまうのですが、成城のメディアへの露出度が色んな意味で高く、その内容が極端に高級と名がつく場所を撮影や紹介していたりするので、強烈に印象に残ってしまうのでしょうね。それに東京への憧れから過大解釈してしまっているというのもあるかもしれません。
そもそもとして、世田谷で全国的に有名な事柄は少ないというのもあるでしょう。例えば、葛飾区在住と答えたら、「あの寅さんの・・・」となり、葛飾は帝釈天参道のような光景ばかりだと思ってしまうのと一緒かもしれません。
ただ、逆に古くからの高級住宅地に住んでいる人からすると、成城は高級住宅地として認めたくないようで、成城の名を出すと、「ミーハーな町だよね。まあ田園調布もそうだけど・・・。」と、鼻で笑う人もいました。
他の地域の人とご当地自慢みたいな会話をすると、新たな発見があるものですが、お金持ちにも色々とこだわりやプライドがあるんだな・・・と、面白い発見でした。
そう考えると、成城は庶民からは憧れられ、本当の金持ちからは軽視されと、中間管理職みたいな住宅地なのかもしれませんね・・・。

(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
ちなみに、私がこの世田谷散策記を制作しようと思ったきっかけの一つは、この成城談にあります。あまりにも他の人から世田谷=成城と言われることに辟易し、世田谷は成城だけではないんだ。他に誇れるものがいっぱいある・・・。はず。と、地元の世田谷を散策してみることを思い立ちました。
と、偉そうに書いていますが、私自身が世田谷をよく知らなく、「成城の他には何があるの?」と問われても、「冬にやるボロ市が有名らしいけど・・・。行ったことがない・・・。」などと、ちゃんと答えることができなく、これは旅人としてまずい・・・。お洒落は足元からというが、旅もそうではないのか。世界遺産制覇を目指すのもいいが、地元を知っていないと、旅人と名乗るのが恥ずかしいぞ。と思った次第です。
で、せたがや百景という散策材料を見つけ、この当時は他にせたがや百景をちゃんとまとめているサイトはなく、だったら私がホームページにまとめよう。モチベーションも上がるし・・・。と思い、制作を始めました。

銀杏並木の正面にあります。入り口には立派な松の木がそびえています。
話が脱線してしまいましたが、高級住宅地として世間に名が知れている成城の歴史を紐解いていくと、大正14年(1925年)に成城学園がこの地に引っ越してきた事から始まります。
当時は成城という住所はなく、砧村喜多見と喜多見村の一部で、現在の成城のある付近は東之原と呼ばれていました。高級住宅地としての片鱗はなく、なんと農家が七軒と田畑と雑木林しかないといった閑散とした地域だったそうです。
そんな何もないような場所に成城学園が引っ越してきたのは、この地に小田急線が通るという事を事前に知っていたからです。まず学園用に7万9千平方メートルの敷地を購入し、更には、付近の6万6千平方メートルの土地を購入し、それを住宅地として整地して売りに出し、学園建設用の費用に充てました。
この計画はどんどんと膨らんでいき、最終的には学園用が33万平方メートル、住宅地に122万1千平方メートルにまで拡大しました。これが高級住宅地が形成される初期の事です。

区画整理を行った際に植えられた桜並木です。成城の歴史を見てきた桜です。
昭和2年には、予定通りに小田急線が開通しました。小田急線の駅名は、簡潔にその土地の地名が付けられる事がほとんどなのですが、ここの住所は喜多見。隣の駅と被ってしまいます。付近には成城学園ぐらいしか駅名に付けられそうなものはなく、駅名は成城学園前駅と名付けられました。
小田急線が開通し、成城学園前駅ができたころ、まずは40戸の住宅が建ったそうです。これが成城住宅地の始まりとなります。オリジナル40ってな感じでしょうか。
この頃には既に田園調布を筆頭に新町(桜新町・深沢)、上北沢といった手本となるべき郊外型の住宅地が出現していました。そういった町を見習いつつ、武蔵野にふさわしい町、とりわけ学園都市の雰囲気を目指していたようです。そして学校前にはイチョウ並木を、住宅地には桜並木を取り入れています。
昭和5年、住所が成城学園前駅で一般的になった成城の表記が初めて取り入れられ、砧村喜多見成城となりました。とはいえ、まだ喜多見の一部のままでした。
昭和9年の調査では、成城に437世帯が暮らしていたとなっています。この時代は世帯を分けるという概念はないでしょうから、昭和2年に40戸だったので、約7年でおよそ400戸増えたこととなり、徐々に町が発展していっていることが伺えます。
昭和11年になると、砧村が東京市に編入される事となり、その時に喜多見から独立し、初めて世田谷区成城となります。成城の町の誕生です。

*国土地理院地図を書き込んで使用
その後、町は順調に発展していき、高級住宅地として人気が高まっていきます。昭和45年には町区域変更が行われ、成城の人気にあやかるといった大人の事情で、周辺の喜多見、祖師谷、大蔵の一部が成城に取り込まれ、成城の町域が一気に拡大し、現在の成城1~9丁目という地域が出来上がりました。
なぜ学園都市として町が形成された成城が爆発的な人気を得たのか。なぜ新しく誕生し、無名だった成城が高級住宅地の名声を得たのか。
それは、町に自由な雰囲気があり、古くからの高級住宅地にあるような堅苦しさがなかったことが一因と言われています。町のルールも自分たちで話し合って決めたりと、時代の流れに合っていたといったのでしょう。
そして、成城の南に東宝の撮影所が建設されたことも大きな要素となりました。昭和7年(1932年)に映画録音会社がP.C.L(写真科学研究所)を成城に建てました。昭和11年に三社と合併して東宝となり、東洋一を誇る撮影所になりました。現在でも仙川沿いにあります。

成城の町とともに歩んできました。近年建て替えが行われてきれいになりました。
この大きな撮影所があることで、撮影所に近いという事もあり、映画俳優が成城に暮らすようになりました。また撮影所から近いので、成城を含めたこの地域がロケ地として使われる事も度々ありました。
それ故に映画俳優が暮らす町、映画のロケ地の町といった憧れからも人気となり、結局のところ人気のある町=地価高騰という事で高級住宅地となっていった側面もあったりします。そういった背景からミーハーな町と古くからのお金持ちが皮肉を込めて言っているようです。
2、生垣のある町並み

(*イラスト:ユキウサタさん 【イラストAC】)
旅は脱日常。普段暮らしている生活圏内から脱出することにあります。なので、旅の醍醐味は、所変わればというやつで、自分が普段送っている日常生活と異なる町並みや文化、食事、景観など、新しい価値観に触れ、それを楽しむことにあります。
遠くへ行くことがいい旅とは限りませんが、遠くへ行くほど旅心をそそられるのは、その為です。特に文化が全く違う海外になると、強烈に旅心を感じるはずです。
だから日常圏内の地元や、その延長の隣町を旅しようとはならないし、訪れても心から感動した・・・とは、余程のことがない限りならないはずです。
せたがや百景にしても、区民が気楽な感じの散策で訪れる分には楽しいけど、お金や時間をかけて訪れるとなると、あまり気が乗らないのではないでしょうか。

敷地の面積が大きいのもあってここの生垣が一番目に止まります。
前置きが長くなってしまいましたが、国内外あちこちを旅してきた私が初めてせたがや百景の一覧を見たとき、「ここ行ってみたい!」と、強烈に興味を惹かれた項目の一つが、この成城住宅街の生垣でした。
旅先で耳にタコができるほど名を聞いた高級住宅地の成城。訪れたことがないのでわからないが、きっと別世界なのだろう。しかもそこに生垣のある町並みがあるときたら、異国を散策しているような気分に浸れるかもしれない。
生け垣といえば、鹿児島の武家屋敷(出水、知覧など)や、三重の国府や松坂の生け垣が今まで旅した中で印象に残っているけど、それ以上の感動を味わえるのでは。ぜひ訪れてみなければ・・・。と考えてしまうのは、旅人的な発想となるでしょうか。

猪俣邸付近は古くからの区画なので生垣が重厚な家が多いです。
今まで成城を歩いたことがなかったので、初、成城だ!と、まあ張り切って散策してみると、強烈に個性を放っている家もあれば、豪邸と呼ぶのがふさわしい家、シンプルな家、よくあるような家、・・・とまあ様々。
ただ、やはり大きな敷地の家が目立ちます。さすが成城、うらやましい・・・。じゃなくて、町並みにもゆとりがあり、煩雑さがないといったところでしょうか。
それよりも大事なのは、生け垣。ということで、生け垣に注意を向けつつ観察してみると、敷地面積の大きな庭付きの家が整然と建ち並んでいるので、当然この界わいでは立派な生け垣や塀といったものが多く見られました。

ゴミ集積所とかなさそうな町です。
しかし、場所によっては、おっと思うような所もありましたが、連続している区間は限られていて、町並み全体からすると統一性がありませんでした。
今時の家では、塀と生け垣を合わせたり、普通のフェンスに植木鉢を掛けたりと、周りの雰囲気に合わせて生け垣っぽくしている家も多く見られ、正直なところ個々の家が好き好きに生け垣を施しているといった感想でした。
さぞ立派な生け垣が並んでいて、町並みに統一感があって美しいんだろうな・・・と期待して訪れたのですが、ちょっと思っていたのと違っていました・・・。って、私が過大に期待を膨らませ過ぎていたようです。

大きな生垣もきちんと手入れしてあり、美しく、すっきりとした感じに見えます。
成城の生け垣。実は、成城を語るのに重要な要素であり、百景に選ばれたのにも納得の訳があります。
成城の町に電車が開通し、水道やらのインフラや公共設備が整い、徐々に住宅街が形成されつつある頃、住民達が町の景観や町造りについて話し合い、家の囲いは塀ではなく生け垣にしようではないか、といった取り決めを行いました。
これは田園調布の町づくりの取り決めを参考にしたものだと思われます。田園調布の場合は、完全なる高級住宅地を目指していたので、誕生時から庭の割合とか、建築費まで細かく決められていました。
その点、当時の成城は雰囲気のいい学園都市を目指していました。実際、学園に通う父兄などにも分譲していて、戦前の転居理由では子どもが成城学園に入ったなど成城学園を理由として引っ越してきた人が多かったそうです。

駅近くを南北に送電線が通っていたりします。
高級住宅地によくある高い石積みの塀が続く町並みでは、町の雰囲気が堅苦しくなり、学園都市としてはふさわしくありません。
生垣だと、町の雰囲気が柔らかになるし、街路樹としてイチョウや桜を植えたように、緑が多いのは学園都市としてふさわしいい。それに自由で開放的な雰囲気も作れる。
特に成城学園に通う家庭が多いので、子供の付き合いのためにも、ある程度オープンな環境の方がいいし、近所付き合いもやりやすい。そんな感じで、生け垣にしようとなったようです。
もちろん、強制力のない任意の取り決めでした。でも、多くの住民がこの取り組みに賛同したために、成城には生け垣をした家が増え、生垣が成城を特徴づける要素になりました。
私のイメージでは、代沢住宅地などの都心や都心に近い高級住宅地は、江戸川乱歩に出てくる高い石塀に囲まれた大正後期の住宅地であり、成城はウルトラマンにでてくる生垣に囲まれた昭和初期の洋館といったイメージとなっています。

桜とモミジの小道がある付近です。この付近から崖線にかけても生垣が美しいです。
2002年(平成14年)には、建築のルール等を定めた「成城憲章」(街づくり条例第44条に基づく世田谷区区民街づくり協定1号)という紳士協定が定められました。あくまでも紳士協定であり、罰則等はありません。
成城憲章では、敷地の20%を目標に生け垣や樹木を配置すること。門扉や塀は、近隣に配慮し、高さは1.8m以上を超えないようにすること。隣地境界から1m以上離して建物を配置すること。道路に面した部分は、生け垣の積極的な利用となっています。
成城らしく変わった項目もあり、崖線の湧水や野川、仙川の治水のためにも、敷地内に「雨水浸透」や「雨水貯留」設備の設置というのがあります。いわゆる自然環境や地下水に配慮というやつで、烏山寺町と似たような感じです。
こういった古くからの町づくりに対する住民意識や景観保全の努力など、住民意識の高さが成城の人気の一端となり、成城のブランドを維持し続けているのでしょうね。
とはいえ、生け垣というのは手入れに手間暇とお金がかかるものです。防犯上でも死角ができやすいとかなんとか聞くことがあります。
見た目の良さ以外は、特に都会の住宅地では必要性を感じないものなので、合理的に考える若い人にとっては敬遠したくなるのもわかる気がします。当然というか、時代の流れというか、現在の都会からは廃れつつありますが、逆に町全体で行えばそれはそれで町の個性となり、価値のある景観となり、町の価値も上がることでしょう。

生垣に統一感はなくても一つ一つ見ていくと個性や工夫があって面白いです。
ちなみに、現在では東京を中心に多くの町で緑化政策を行っていて、世田谷区の例を上げると、「みどり豊かな環境を確保し、安全で潤いと安らぎのあるまちづくりを進めるため、生垣等助成を行っています。この制度は、みなさんが道路に接した部分に生垣や花壇を造る場合や、建物の屋上や壁面を緑化する場合に、その費用の一部を助成するものです。」といった趣旨です。
生垣緑化については「1、これから新しく生垣等をつくる場合、または既存のブロック塀等を取り壊して生垣等を造成する場合」
「2、造成する生垣等が、幅4m以上の道路に接していること。または、道路の中心線から2mセットバックした場所に生垣等を造成すること」
「3、造成する生垣の高さが60cm以上あり、葉の触れ合う程度に列植されること」
「4、法令、条例等において定められている場合は、基準等を超える部分」という条件で「低木は1mあたり6000円まで、中木は1mあたり12000円まで、多年性つる植物等のフェンスは1mあたり1000円まで、生垣造成に伴う既存のブロック塀等の撤去に関しては1mあたり5000円まで」といった助成金が出ます。
限度額は25万円で、必ず着工前に申請が必要だとか。生け垣の良さを広め、緑を増やそうといった試みのようですね。でも、成城などの広い庭を持っているお宅はいいのでしょうが、生垣を作れるだけの敷地がないと、無理ですね・・・。
3、成城の近代住宅など

月曜日以外の午前9時半から午後4時半まで見学ができます。
百景に「成城住宅街の生け垣」という項目があるのに対して、せたがや地域風景資産では、「成城の近代住宅」と住宅の方にスポットが当たっています。
相続などで敷地面積が減少したり、手間を嫌って生け垣が減少し、老朽化や耐震化、二世帯住宅への建て替えなどで、古い建物の建て替えも進んでいるので、両方とも昭和時代から大幅に減少しています。
この生垣と近代住宅の2点を踏まえて成城の住宅街の歩き方について書いてみると、まず生垣の方ですが、おそらく一番特徴的なのが成城5丁目の猪股庭園辺りでしょうか。猪股邸を含めてこの辺りは立派な生垣が続いています。
崖線付近の不動橋のある通り沿いも比較的生け垣が多く、57番目の「成城3丁目桜ともみじの並木」付近でも素敵な生け垣を見ることができます。やはり連続して同じような生け垣が続く景観は美しいものです。

成城の自宅に離れの茶室があること自体が凄いですね。
猪股邸は邸宅と庭園が無料で公開されていて、月曜日が休館で、それ以外の午前9時半から午後4時半に開館しています。
猪俣邸について書くと、ここの見所は、まず昭和42年に建てられた邸宅が文化勲章を受賞した吉田五十八氏の設計によるものです。
吉田五十八氏は歌舞伎座や成田山新勝寺本堂を設計した人で、区内では百景に選ばれている五島美術館や等々力の満願寺を設計しています。
その邸宅は数奇屋造りの純日本家屋で、凄まじいこだわりと美意識によって建てられています。更には、立派な日本庭園があり、離れの茶室まであります。

京都の寺院並みの眺めです。これだけの間口に柱がないのはお金をかけないとできません。
吉田流と言われる近代数奇屋造りの象徴的な部分です。
一番の見どころは大きな間口から自慢の庭を見渡せる部屋です。庭の眺めも贅沢なものですが、これだけの長さに柱を使わないというのはしっかりとした設計と材料を使わなければなりません。まるで寺院とか、料亭で、はっきりいって普通の住宅の域を超えています。成城の中にあってもここはまた別格といった感じでした。
土地も建築費用も目玉が飛び出るような金額になるのではないでしょうか。って、まずお金のことを考えてしまうのは庶民の浅ましさですかね・・・。
ここには解説をしてくれるボランティアの方がいらっしゃるので、時間があるなら説明を聞きながら回るといいです。どこがどうこだわっているのかを教えてくれます。それを聞くと自然とため息が出ます。ぜひ庶民に真似できないようなこだわりを堪能してください。(*素足での見学は床を傷めるので、靴下をはいて欲しいとのことです。)

一般のお宅の庭が緑地として開放されています。
そして近代住宅の方ですが、成城三丁目のこもれびの庭市民緑地では、お宅の中には入れませんが、庭の一部に入ることができ、そこから近代住宅を眺めることができます。
塀の外から眺めるよりも少し距離が縮まるので、成城の近代住宅のこだわりが少しは実感できるかと思います。
見学していて思うのは、こういったお金持ちの建物は、一般の建物に比べて余計な部分にお金がかかっているな・・・ということです。余計と感じるのは、外装などの装飾もそうですが、こんなところにお金をかけてしまうんだといった部分です。要は自分だったらこんなところにお金はかけられないといった部分になるでしょうか・・・。
この建物の場合だと一階部分の屋根に瓦が使われていたり、リビングに背の高い丸い装飾窓が使われていたりする部分に自然と目がいってしまいます。

細部にまでこだわっている洋館です。煙突があるのでお金持ちのお決まりの暖炉があるのでしょうか。
訪れたことはありませんが、近年では4丁目の成城みつ池緑地に面した旧山田邸が公開されるようになりました。旧山田家住宅は、昭和12年頃に建てられた洋館で、現在でも建築当初の姿を良く留めていることから区指定有形文化財に指定されています。ちゃんと確認していませんが、記憶が正しければ多分ウルトラマンに何度か出てきた洋館ではないかなと思います。
成城ではその他にも、7、8丁目では桜並木のある町並みを見ることができ、3、4丁目の崖線付近では斜面を利用した町並みがあったりと、高級住宅地と一くくりにできないほど多彩な魅力があります。
4、感想など

どこの家も植木の手入れがしっかりとされています。
生垣自体は最初に期待していたほど好奇心を満たされませんでしたが、散策してみると、やはり成城は楽しそうな雰囲気を持っている町でした。色々なお宅があり、こういった家に住めればなとか、特徴的な家の家主はどういったキャラクターを持った人なのだろう・・・などと考えながら歩いてみるのも楽しいです。
でも、住むとなると話が違ってきます。お金があってそれなりの家に住めれば楽しそうですが、広い家に住めばそれはそれで大変です。掃除が大変だろうなというのはすぐに思いつきますが、まあそれは外からは見えないので、多少散らかっていても問題ありません。
しかし、外から見える部分、生垣や庭の木などはそうはいきません。成城のように周りがマメに植木の手入れをしていたりすると、枝がボサボサになっているのが悪目立ちしてしまいます。
広い庭を持つと、その手入れは半端なく大変です。日々雑草との戦いですし、庭に手間のかかる松などの樹木があたり、規模の大きな生垣を施していると、植木屋を年に何回か入れて・・・といったことになります。
お金持ちが多いし、植木屋の需要も多そうだし、なんかほどほどに儲かりそう(勝手な推測)。年を取ったら成城付近で植木屋さんも悪くないかな・・・と、成城の町を散策しながら思ってしまいました。
せたがや百景 No.54成城住宅街の生け垣 せたがや地域風景資産 #1-28
成城の近代住宅 2025年5月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 成城5丁目12−19(成城五丁目猪股庭園) |
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・アクセス | 最寄り駅は小田急線成城学園前駅 |
・関連リンク | 世田谷トラスト(猪俣邸、旧山田邸) |
・備考 | ーーー |