世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.55 せたがや地域風景資産 #2-24

成城の富士見橋と不動橋

成城2~5丁目の小田急線の上

切り通しを抜けて小田急線が走る。二つの橋はこの小田急線に架かっている。よく晴れた日は、崖線を越えて丹沢の山々や遠く富士山を望むこともできる。夕日の沈むころは、懐かしい哀愁のただよう陸橋の風景が浮かび上がる。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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1、成城の富士見橋と不動橋について

成城 成城三丁目緑地にある崖線の案内図
成城三丁目緑地にある崖線の案内図

ここには開発から免れた自然が残っています。

小田急線の成城学園前駅と喜多見駅の間には急な崖、国分寺崖線があります。世田谷では野川から多摩川沿いに崖線が続いていて、急な崖が織りなす景観は美しく、手つかずの自然も多く残っていて、百景でも多くの項目が登録されています。

ただ、それは崖であるがゆえに開発が行われなかったり、眺めがいいので富裕層が買い占めていたおかげとなるでしょうか。

実際問題、国分寺崖線は生活をするには困難なほどの急な斜面です。土木技術がしっかりとしていなかった時代には、家を建てることが困難で、道を造るにしても、傾斜がきついので、少しでも傾斜が緩い場所だったり、少しでも傾斜を緩くなるように斜めに道を通さなければなりませんでした。

近年では土木技術や地盤調査がしっかりとし、少々の崖なら地盤がしっかりとしていれば家を建てることはでき、実際、成城の崖地には住宅が並んでいます。

しかし、交通量の多い幹線道路や鉄道の場合はそうはいきません。東名高速がいい例ですが、崖線を越える際に急な坂やカーブにならないように崖を大きく削って、切り通しが造られています。

1940年代後半の成城付近の航空写真(国土地理院)
1940年代後半(戦後)の成城

国土地理院地図を書き込んで使用

小田急線でも切り通しが造られ、崖線側に不動橋、駅の方に富士見橋と二本の橋が架かっていました。ちょうど現在の「東名高速の橋」と同じ感じになります。

橋は小田急線が開通した昭和2年頃に架けられ、最初は木製のシンプルなもので、徒歩や自転車専用のもの。そして昭和37年にはコンクリート製に架け替えられました。

選定当時の富士見橋から見た不動橋と小田急線(せたがや百景の冊子 世田谷区企画部都市デザイン室制作から引用)
選定当時の富士見橋から見た不動橋と小田急線

*せたがや百景の冊子 世田谷区企画部都市デザイン室制作から引用

その時の橋のデザインはなんと公募によって決められたようです。こういった住民の町づくりの意識が高いところは、成城だと感じてしまいます。そしてその橋から見る富士山や足下の切り通しを走り抜ける小田急線の眺めは格別だったようです。

とりわけ、切り絵のように富士見橋から不動橋を視界に入れ、電車と富士山を眺めるのがよかったようです。シンプルでデザインの素晴らしい橋は美しいものなので、構図的にもうまく収まりそうな感じです。

成城 富士見橋から不動橋を眺める
富士見橋から不動橋を眺める

橋の間、線路の上空部分はふたをされ、菜園になっています。

しかしながら、川が埋められて暗渠となるのと同じで、現在では切り通し部分に蓋がされ、橋自体が形式的なものとなってしまいました。

百景の文章や切り絵を見て、これはなかなかいい風景だ。楽しみだ。と、期待を膨らませて訪れると、なんなの、これ・・・。橋が埋まっている・・・。と、あまりの風景の違いに愕然とし、膝から崩れ落ちてしまうでしょう(私のこと・・・)。

成城富士見橋
成城富士見橋

駅側の橋で、今では橋が緩やかにカーブしています。

富士見橋の花壇
富士見橋の花壇

花壇がある橋も珍しいです。

成城 不動橋の親柱
不動橋の親柱

崖線側の橋です。真っ黒な親柱に泥が跳ねてきれいな模様になっていました。

成城は撮影所があることから撮影の町として歩んできました。特に路上などの撮影にあまり規制がなかった昭和時代には、頻繁に成城で撮影が行われています。

とりわけ昭和の名作というか、世田谷の誇るウルトラマンシリーズでは、多くのシーンが世田谷で撮影されました。そして撮影所に近い成城も頻繁に使われています。お金持ちとか、権力者の屋敷とかの設定で・・・。

その中でも、この不動橋や富士見橋がよく登場しています。特にウルトラマンレオ(昭和49年)の最後のほうの話では、不動橋の袂にある家が主人公の下宿先となるので、頻繁に登場します。それを見ると、橋は車両通行止めとなっていて、かなり高い位置まで落下防止のための金網が張られていました。

なんていうか、富士見橋から不動橋を見ると金網のトンネルを人が通っているといった感じでちょっと想像していたイメージとは違いました。

成城 不動橋からの眺め
不動橋からの眺め

引き込み線やビルが建ち、ちょっと煩雑な感じです。

成城 富士見橋の案内板と富士山
富士見橋の案内板と富士山

せっかくなので枠に富士山を入れて撮ってみました。

現在では切り通し部分にふたがされ、菜園が造らてしまったので、富士見橋から不動橋を見ても、趣きのない風景となってしまいましたし、崖線側にある不動橋から見ても、目の前のフェンスや引き込み線が邪魔でいまいちといった感じです。

更には、富士山のちょうど下にマンションが建ってしまっていて、これまたせっかくの風景が台無しです。それに、ここからは小田急線の走る様子も全くといっていいほど見えないので、特に楽しみのない風景となってしまいました。

その割には富士見橋の上には巨大な百景の案内が設置されています。これを見ると、宿場町にかつての賑わいといった感じで掲げられている安藤広重の版画を思い浮かべてしまうのは私だけでしょうか・・・。

それにしても・・・、こういう枠がついている案内板というのは変な魅力がありますね。観光地にある顔出しパネルみたいなものでしょうか。枠の中に富士山を入れて写真を撮りたくなってしまいます。

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2、ダイヤモンド富士の日

成城富士見橋 ダイヤモンド富士
ダイヤモンド富士

雲がかからなければよかったのですが、こんな感じに見えます。

ダイヤモンド富士というのはご存知でしょうか。ダイヤモンド富士というのは富士山の山頂にちょうど太陽が沈む現象のことをいい、山頂に重なった時にダイヤモンドのように富士山の山頂が輝きます。

写真愛好家を中心に人気のある光景で、あちこちのスポットでは写真家の人が三脚を並べてその光景を写真に収めようと躍起になっています。

世田谷は富士山の東に位置し、秋と冬にちょうどうまい具合に夕日と富士山が重なり、ここ富士見橋や成城でも見ることができます。

ダイヤモンド富士の日の不動橋
ダイヤモンド富士の日の不動橋

多くの人が三脚を並べ、太陽が沈むのを待っていました。

秋分の日、春分の日に太陽が真東から昇り、真西に沈みます。その日を境に夏至、冬至に向かって太陽の出入りする位置がずれていきます。それがうまく富士山の山頂と重なる日がダイヤモンド富士を見ることができる日です。

ここ成城の富士見橋と不動橋では2月5日と11月5日頃(正確な日時は国土交通省のサイトなどをご覧ください)にダイヤモンド富士を見ることができ、この日は多くの人が訪れ、橋の上がにぎわいます。

そういった事を知らないで通りがかると、何んなのこの人達・・・?何が起こるの?何があったんですか?といった感じで、いつもと違った橋の雰囲気におののいてしまいます。

ダイヤモンド富士の時の不動橋
ダイヤモンド富士の時の不動橋

みなさん撮影やら見物に夢中のようでした。

聞くところによると、昼ぐらいから三脚を立てて場所取りしている人もいるとか。寒い中ご苦労な事です。ただ見るだけなら後ろからでも十分見えるし、富士見橋の方はガラガラでした。

私的には富士見橋からの眺めの方が好きなのですが、やはり専門的な人達には前が開けている不動橋の方が人気があるようです。脚立やら背の高い三脚を用意してフェンスが入らないように工夫をしていました。

暗闇迫る喜多見駅
暗闇迫る喜多見駅

暗くなると途端に富士山の存在感がなくなってしまいます。

ダイヤモンド富士は、一年に二度起こる天体ショーみたいなものでしょうか。比較的雨や雲がかかることが少ない時期なので、見れる確率はまずまず高いです。もし見れなくても、翌日以降少し場所をずらせば見ることができます。

成城まで遠いという場合でも、日にちをずらせば他の崖線の富士山スポットや、キャロットタワーなどからも見ることができます。

3、線路の上にある菜園

1990年頃の成城学園前駅周辺の航空写真(国土地理院)
1990年頃の成城学園前駅周辺

国土地理院地図を書き込んで使用

小田急線が開通した時は、地面に上下二本の複線の線路が敷かれていました。しかし沿線の人口が増加していくとともに、輸送力が足りなくなり、利便性を上げるために複々線化が行われることになりました。

ただ、そのまま線路を増やしては、開かずの踏切が増えてしまいます。安全性や効率性を高めるために高架化も同時に行われました。

ここ成城は、すぐ西側が国分寺崖線、東側も仙川への崖となっているといった特殊な地形をしています。成城で高架化を行うと傾斜がきつくなってしまうので、最初は地上の駅のままで済ませる計画でした。

しかし、地上駅のままにすると踏切が残ってしまい、開かずの踏切となってしまうことが予想され、結局、地面を掘り下げて地下化を行う事となりました。(他にも喜多見車両基地への線路が引きやすくなるという理由もあります)

今では下北沢周辺が地下化されましたが、この当時だと他の駅が高架に移行する中、成城だけが地下に潜るといった面白い状況だったようです。

橋の間を利用した菜園
橋の間を利用した菜園

今では線路の上が菜園となっています。

今までは駅のすぐ西側の成城六間通りの踏切から切り通しが始まっていた。地下化されたことで、踏切がなくなり、今まで線路だった切り通しの場所には蓋がされました。

蓋の部分は成城六間通りから崖線にある不動橋まで続き、駅に近い部分が駐輪場と駐車場となり、残りの部分が「アグリス成城」という会員制貸し菜園となっています。

にしても・・・・、線路の上が貸し菜園って、もう少し別の利用方法はなかったのだろうか。天下の成城の、しかもこんな駅近くの一等地で家庭菜園って・・・、土地の利用方法を間違えていない?そう感じる人も多いのではないでしょうか。

橋の間を利用した菜園
菜園の様子

空いている区画も結構ありました。

ちょっと気になって調べてみると、蓋をした線路上のことを線路上空人工地盤エリアといい、この場所は荷重条件が550kg/m2であることから、建物を建てることができなく、また、この場所は商業利用が制限されているエリアにもなるようです。

だったら、喜多見ふれあい広場のように公園にすればいいのでは、と思ったのですが、不特定多数の人々が出入りできる施設にすると、近隣のセキュリティ面や周辺環境の悪化が懸念されるということで却下されたようです。色々と注文がうるさい土地のようですね・・・。

で、結局、消去法のように都市のヒートアイランド化など環境対策ができる事といった事から菜園となってしまったようです。

貸し菜園の様子
菜園の様子2

菜園というよりも庭園といった雰囲気です。

この線路上空人工地盤は屋上施設に相当するので、農地法適用外になり、貸し農園ではなく屋上緑化施設の貸し菜園事業といった分類になります。そのため料金も高めで、ちゃんとしたクラブハウスの建物があり、フロントやラウンジ、シャワー室完備といった設備も充実しています。

そして料金の方は、2024年時点でだいたいですが、一番小さい約3㎡の菜園で月額7500円(年8万円)、レギュラーサイズの6㎡で月額12500円(年13万円)となるようです。

区民農園が3年40㎡で10万ちょっとだと考えると、施設利用料も含まれていますが、いわゆる高級菜園ってことになるでしょうか。

しかも、スタッフが常駐しているので、水やり代行サービスがあったり、全部おまかせといった代行サービスもあります。自分が趣味で野菜を作るというよりも、自分好みの安心安心の野菜を作ってもらうといった感じでしょうか。なんというか・・・、貸し菜園もやっぱり成城ってな感じです。

4、感想など

成城 不動橋を渡る子供達と富士山
不動橋を渡る子供達と富士山

今日の富士山は70点、いや80点だよと相談しているのでしょうか。

区内の小さな川は、都市化によって流れ(水量)が維持できなくなってしまったこともあり、暗渠化され、緑道となってしまいました。橋も用をなさなくなり、形だけ親柱が残っていたり、交差点の名前として残っているだけだとなり、多くの橋が消えてしまいました。

ここ成城の富士見橋、不動橋も再開発によって切通し部分に蓋がされ、橋は橋なのですが、橋らしくない橋となってしまいました。

今では富士山が見えるぐらいしか百景に選ばれていた時のような風景を探すのは難しいのですが、冬の早朝、富士山を眺めながら不動橋を渡って子供達が通学していく様子は、かつてこの風景が本当に素晴らしかったんだなという事を感じられる光景です。

せたがや百景 No.55 せたがや地域風景資産 #2-24
成城の富士見橋と不動橋
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所成城4丁目2
・アクセス最寄り駅は小田急線成城学園前駅。
・関連リンク関東の富士見百景(国土交通省)
・備考関東の富士見百景(国土交通省選定)、ダイヤモンド富士(2月5日、11月5~6日頃)
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