蘆花恒春園花の丘
せたがや地域風景資産 #2-20水辺の自然とふれあえる蘆花恒春園
粕谷1丁目20-1芦花公園は、明治の文豪徳冨蘆花夫妻の旧宅を中心に整備された公園である。「花の丘」新たに拡張され平成12 年に開園した部分である。既設の芦花公園の部分が武蔵野の樹林を主体としているのに対し、花畑のような明るい場所となっているのが特徴である。花の丘では、地域の積極的な活動が行われている。その中心をNPO法人が担っている。(紹介文の引用)
1、芦花公園花の丘について

花の丘は右下の半島のような細長い部分にあります。
せたがや百景にも登場しているし、大きな都立公園なのでご存知の方も多いかと思いますが、環八の千歳台交差点付近に都立芦花公園があります。
芦花公園は、文豪徳冨蘆花が暮らした土地を整備した公園で、園内には東京都の史跡に指定されている徳冨蘆花氏の旧宅や墓石、そして遺品などを展示した記念館があります。

一般的には芦花公園という名称の方が認知されていますが、正式名はちょっと難しい文字が並ぶ蘆花恒春園となります。
これは、蘆花が自分の土地を恒春園と名付けていた事に起因しています。蘆花が亡くなった後、愛子夫人によって遺品や土地、建物などが都に寄贈され、公園化されました。その際に、恒春園の名も引き継がれました。

なぜ恒春園なの?どういう意味があるの?ってことになるのですが、なんでも台湾の南端の恒春という地に蘆花の農園があるといった評判が立ち、ある人からその農園で働かせてくれないかと依頼されたとか。
これはあくまでも噂で、台湾に農園があるといった事実はなかったのですが、これは何だか縁起のいい話だぞと考えた蘆花は、恒春の「永久に若い」という意味も気に入り、自分の土地を「恒春園」と名付けたそうです。
蘆花恒春園というのは、蘆花に因んだいい名前だとは思いますが、やはり言いにくいし、漢字も難しいです。地元では呼びやすく、分かりやすい字を使った芦花公園という愛称の方が、一般的な呼び方になっていて、旧宅や記念館がある部分を特に強調するときに蘆花恒春園、或いは恒春園エリアという言い方をしています。
恒春園エリアについては、せたがや百景39(蘆花恒春園)の方に詳しく載せています。

真ん中に花壇があり、周りに桜の木などがある丘です。
公園内、南の細長い部分に花の丘があります。花の丘と聞くと、何かありきたりなイメージを持ってしまいますが、ここの花の丘は、23区内にある一般的な公園としては、かなり広い空間が花壇や芝生等に使用されています。
しかも、いつ訪れても花壇には花が咲いていて、花壇の手入れも行き届いていて、花が溢れるようなとても素敵な丘となっています。蘆花さんには悪いけど、現在の芦花公園を象徴するエリアといっても過言ではないと思います。
もちろん23区内にある普通の都立公園なので、辺り一面花が咲いている丘を・・・というわけにはいきません。過大な期待をして訪れると、ガッカリすることでしょう。あくまでも手軽に散策で訪れる公園として、素晴らしいということです。

花の丘フェスタなどイベント会場としても使われます。
私がこの花の丘を最初に訪れたのは、せたがや百景の恒春園を目的に訪れた時でした。これが徳冨蘆花が暮らした場所か・・・、などと見学した後、ぶらぶらと園内を歩き、花の丘にやってくると、何て素晴らしい丘だろう。こんな素晴らしい丘が芦花公園にあるなんて・・・と、感激してしまいました。百景の紹介文では、花の丘のことが全く触れられていなかったからです。
なんでこんな素晴らしい場所が紹介されていないんだ。それは家に帰ってから色々と調べてみてわかりました。花の丘ができたのが、平成12年のことで、昭和59年の百景選定の時には存在していなかったからです。
しかも、その当時は影も形もなく、住宅地だったというから驚きです。古い写真を見ると、確かにその通りで、花の丘には住宅がびっしりと建ち並んでいます。粕谷八幡神社の周囲にも住宅があり、平成になって公園が大きく拡張されたことが分かります。

*国土地理院地図を書き込んで使用
芦花公園は、現在の敷地全てが徳冨蘆花氏の敷地だったわけではありません。恒春園エリア、蘆花の居宅がある辺りが蘆花氏の敷地で、最初はその部分のみでした。
その後、都が少しずつ周りの土地を公園用地として買収していき、現在の公園の広さまで敷地を広げていきました。
一番最近では、平成7年頃に80軒ほどの民家などが立ち退いて、新たな公園のスペースができました。これが現在の花の丘の部分になります。

*国土地理院地図を書き込んで使用
最初、都はこのスペースを利用して「樹林公園」を計画していました。かつて徳冨蘆花が過ごした頃の武蔵野の森を再現し、この公園の特徴としようとしていたようです。
それを知った地元商店街、町会、住民は、背の高い樹木を植えて暗くなるよりも、一年中花が咲いているような明るい公園にした方がいいのではないか。
蘆花(本名:徳富健次郎)は、号に花を入れるほど草花が好きだったので、蘆花にちなんだ花の多い公園をつくって、そこを地域の住民などの憩いの場にしようではないか。そう考えました。
そして有志が集って話し合いを重ね、具体的な形となったところで、都に要望書を提出しました。
都としては、芦花公園の主題である徳冨蘆花に逸脱しなく、公園の特徴が出て、緑が増えるのなら、樹木でも、花でもよかったわけで、その要望はすんなりと受け入れられました。

花の丘のすぐ西側は東京ガスの敷地で、巨大なガスタンクがよく見えます。
もし当初の予定通りに「樹林公園」となっていたなら、駒沢緑泉公園の樹木園のような感じになっていたのでしょうか。そうなっていれば、すぐ隣にある東京ガスのガスタンクが木に隠れて見えにくくなるといったメリットはあったのかもしれませんね。

多くの花が整えられて植えられています。
花の丘の完成は平成12年とか、平成11年とか、色々な情報があります。順を追って状況を整理すると、平成9年(1997年)3月、立ち退きの終わった丘の整備が進み、公園の隅に仮植えされていた高遠コヒガン桜や、その他の桜の木が花の丘に植えられました。この頃からある程度形にはなっていたようです。
平成10年(1998年)5月、花の丘の一部に初めてコスモスの種をまき、8月には、コスモス花見の宴が開催されました。
平成11年(1999年)4月、花の丘が完成。第一回桜祭りと同時に完成記念式典が行われています。5月、地元住民・小学校児童とともに、ひまわりとコスモスの種まきをし、8月には、ひまわり・コスモスまつりが開催されています。10月、園内の最終整備を行うために、一旦閉鎖されました。
そして、平成12年(2000年)3月、蘆花恒春園の増設、再整備が終わり、新たにオープンします。
花の丘自体は、平成11年に完成し、自由に中に入ることができ、花が植えられ、イベントが行われていましたが、蘆花恒春園全体のリニューアルオープンが平成12年なので、公式には平成12年ということになるようです。

一番中央部は通年で色鮮やかな花の寄せ植えになっています。
現在、花の丘を管理しているのは、「NPO法人芦花公園花の丘友の会」という団体です。平成8年7月に結成し、平成11年11月にNPO団体として認可されていますが、それ以前から、有志によって樹林公園から花の丘への変更への交渉や話し合いを行っています。
現在の活動は、大きく分けると3つに分けられていて、「花グループ」という花壇の手入れを行う活動、「イベントグループ」という毎月第一日曜に花の丘で行われる花の丘フェスタの実施する活動、「とんぼ池グループ」という「みんなのとんぼ池」「芦花公園自然観察資料館(通称:やごの楽校)」の管理・運営です。
その活動は積極的かつ、斬新的で、国土交通省の手作り郷土賞、東京都公園協会のボランティア活動部門の表彰など、幾つものボランティア関係の賞を受賞しています。
それとともに、地域活性化のモデルケースとして紹介されたり、ボランティア団体の成功例として取り上げられることも多いです。世田谷を代表するNPO団体ということになるようです。

幼稚園や保育所のいい散歩コースになっています。
順調に活動を続けていた花の丘友の会でしたが、少し前に2つの試練を経験しました。最初の試練は2016年に始まりました。待機児童、保育所不足が問題となっている昨今、花の丘の南端にある多目的広場に認可保育所が建てられることが決まりました。
建設予定地は、半島の先端の岬のような場所なので、元々有意義に使われていなく、保育所ができること自体はとくに影響はなかったのですが、問題は地質調査をすると、地中から有害物質が出てきてしまったことです。
更なる地質・土壌調査をすると、花の丘を含め32箇所中20箇所で、有害汚染物質「鉛及びその化合物」が検出され、保育所の建設どころか、花の丘が封鎖されてしまいました。と言っても、直ちに健康被害が出るような深刻な量ではありませんでしたが・・・。
花の丘は、1990年代にはガソリンスタンドや住宅があり、もっと以前は、おそらくゴミ集積場があった場所です。そういったものから出た汚染なのか、花の丘を作るために持ってきた土なのか定かではありませんが、土壌置換対策工事で対応することになりました。
しかし、調査や工事は長引き、団体が活動を再開したのは、2年半後の2019年3月。この長い中断は大きかったようで、会員数は激減してしまったそうです。

にゃんこが暮らしていたぐらいなので、そこまで深刻な問題ではなかったような・・・。
更には、活動を再開した一年後、2020年春には、新型コロナウィルスの世界的な流行が起きました。当然、花の丘でのイベントは中止。花壇の方も、密を避けるため、集まっての全体活動は中止。水やりなどの手入れもマスク着用の上、会話を避けて行わなければなりませんでした。
みんなで協力してやるから楽しいのに・・・。人とのつながりがあるから、やりがいがあるのに・・・。イベントを訪れる子供たちの笑顔が好きだったのに・・・。そういった人も多いことでしょう。
再び活動が制限され、会員の減りました。ただ、封鎖されたときとは違って、活動が継続できていたのは、大きかったようです。
その2つの試練を乗り越え、現在の花の丘では、以前と同じようにきれいな花が咲き、イベントも元の形に近い状態に戻りました。また会員数が増え、以前と同じ、いや、それ以上の活動ができるといいですね。
2、花の丘と四季の花

冬らしく周りの風景は殺風景ですが、花壇には花があり、菜の花もぼちぼち咲き始めます。
実際に花の丘を訪れるとよくわかるのですが、ここの花壇はよく手入れがされています。花壇は、花の丘友の会の花グループによって管理されていて、季節によって花の種類の多さや華やかさは異なりますが、一年中花が咲いているようにしてあります。
何か季節感のある花の写真が撮りたいなと思った時、ふらっと立ち寄ってみると、必ず何かしら花が咲いているので、とてもありがたいです。

一年で一番花の丘が華やかになる時期です。花見客も多いです。
2千平方mある花の丘には5つの花壇があり、その周囲には花の丘のシンボル的存在である15本の高遠コヒガン桜が並んでいて、春にはとても素晴らしい風景となります。
この桜は、長野県の高遠市から送られたものです。高遠市の桜といえば・・・、ご存じの方も多いと思いますが、高遠城址の桜は桜百選にも選ばれるほどの素晴らしい桜で、旅好き、写真愛好家などが、一度は開花時期に訪れたいとあこがれるような桜の名所です。
ここの高遠コヒガン桜は、一般的なソメイヨシノよりも一週間ぐらい早く咲くので、ソメイヨシノが咲き始めたころに訪れると、ちょうどいい感じです。
高遠コヒガン桜が咲いているときは、花の丘の周囲が桜のピンクで染まり、色とりどりの花壇の花とチューリップ、そして菜の花と花の丘全体がとても華やかに感じられ、一年で一番印象的な時期となります。

とても赤い色をしている桜です。
桜は高遠コヒガン桜だけではなく、その後ろには一際赤い桜があり、それはヨウコウ(陽光)桜という品種です。あまり一般的ではなく最近改良された園芸用の品種らしいのですが、これだけ赤いと梅の花と間違いそうなぐらいです。
その他、高遠コヒガン桜の少し後に咲く枝垂れ桜も、外周の外側に植えられていたり、徳冨蘆花に所縁の次郎桜の末裔といった木もあります。なぜ次郎桜なのか、解説板がありますのでぜひ探してみてください。
一般的なソメイヨシノに関しては、花の丘にはありませんが、芦花公園内の広場などにちょっとだけあります。

西側の外周に沿ってアナベルが植えられています。

地面付近まで沢山花が付き、まるで白い垣根です。
高遠コヒガン桜の反対側、東京ガスのガスタンクがある側には、もう一つの花の丘の象徴であるアジサイの一種アナベルが植えられています。
手入れがいいのか、こういった品種なのかわかりませんが、地面まで大きな白い花が付いたアナベルがずらっと並んだ様子は圧巻で、開花時は独特の雰囲気となります。
青に紫に色とりどりのアジサイが並んでいる様子の方が一般的で、好きだという人も多いかと思いますが、白いからこそ光加減によって様々な表情を見せてくれる面白さがあります。
咲き並んだ様子を地味と感じるか、高貴と感じるか、きれいと感じるか、見たときの天気や光加減、そして心の状態で変わってくるかもしれません。

桜よりも早く、2月ころにはぼちぼち咲き始めています。

桜と同じ頃から少し後までが見ごろとなります。

7月終わりころが見ごろとなります。

9月終わりころが見ごろとなります。
5つの花壇のうち一番大きくて色んな花で彩られている花壇はボランティアの方々が手入れをしている花壇で、パンジーやビオラなど季節に合わせて色とりどりの花がきれいに植えられています。
その他の花壇では、季節によって菜の花やチューリップ、ひまわり、コスモスなどが、まとめて植えられます。一つの大きな花壇にまとまって同じ花が咲いている様子は、世田谷ではなかなか贅沢というか、それなりに大きな風景に感じます。
この単一種の花壇は、花の会の指導や見守りで、近所の千歳台小学校、芦花小学校の子供たちが総合学習として育てているものです。
自分たちの育てている花が閉鎖的な環境である学校内の花壇ではなく、多くの人が訪れる公園にあるというのは、いいものでしょうね。
花の丘に親と遊びに来た子供が、これは自分が植えた花だよと自慢している様子が浮かんできます。
特に自分の背丈より大きくなるひまわりは、いい自慢になるでしょう。「あら本当だね。あんたよりも立派になって・・・」と、会話が続きそうですが・・・。

遅咲きの品種が植えられていて桜に合わせて見ごろとなります。

近年人気となった小さく可憐な青い花です。国営ひたち海浜公園が有名です。

桜の少し後頃が見頃です。秩父や富士山周辺などが有名です。

5月ころが見ごろとなります。じっくりと見るとカオスな花です。

7月ころの花壇はボリュームのある花が多いです。

10月ころの花壇はコスモスを含め赤い系統の花が多いです。
この他にも、季節によってスイセン、芝桜、ネモフィラ、ポピー(ひなげし)、つつじ、花菱草、日々草、サルビア、マリーゴールド、メランポジウム、セキチク、フロックス、などなど・・・。
花に関しては、詳しく解説するほどの知識を持ち合わせていないので、花の丘の会のサイトや、他のサイトをご覧になる方がいいかと思います。
花壇の花、まあ花火にしてもイルミネーションにしても普通に見てきれいなものというのは、カメラの使い方さえ分かっていれば、誰でもきれいな写真が撮れるものです。
花は何時間写真を撮っていても、毎日のように写真を撮っても、怒らずにきれいに咲いていてくれます。ほんと、よき写真の練習相手です。足しげく通って、じっくりと花に向き合いながら写真を撮っていれば、いずれいい写真が撮れるようになります。
3、花の丘フェスタについて

花の丘に桜の時期の開催は多くの人が訪れ、一番賑やかです。
季節の花や行事に合わせて、月に一度、第一日曜日にイベントグループによって花の丘フェスタというイベントが行われています。
開催月は1月、8月には行われなく、2月にもちつき大会、3月に菜の花まつり、4月に高遠コヒガン桜まつり、5月に子供まつり、6月にポピーまつり、7月に七夕まつり、9月にひまわり祭り&盆踊り大会、10月にコスモスとやきいも大会、11月にハロウィン仮装コンテスト、12月にクリスマスツリー・コンテストが行われています。
詳しい日程などは、東京都公園協会の蘆花恒春園サイトのお知らせ欄や蘆花恒春園ニュースをご覧になるといいです。

桜祭りのときにはステージが設置されます。

願いがかなうといいですね。
個別にイベントを見ていくと、一番賑わうのが4月の桜祭りです。この時は土日の2日間に渡ってイベントが行われます。設置されたステージでは歌などのイベントも行われ、一般の花見客を含めて多くの人が訪れます。
7月の七夕まつりでは短冊に願いを書き、笹の木につけていきます。9月、唯一土曜日の開催となる踊り大会では浴衣姿の子供たちで賑わい、10月の焼き芋大会では無料でその場で焼いた焼き芋が配られるので、大行列ができていました。

仮装した子供たちでにぎわいます。
11月のハロウィンは、花の丘が仮装した子供達で賑わいます。最初に仮装パレードが行われ、花に囲まれた花壇の周りを一周します。その後は藤棚がステージとなり、仮装を披露する仮装コンテストが行われます。

普段はそんなに人がいなく、のんびりとしていてローカルな感じのイベントです。
このようなイベントがあることで、子供達のレクリエーションの機会が増えるだけではなく、花の丘を中心とした芦花公園がとても魅力あるものとなっています。
近年では地域ぐるみの街づくり、子育て支援、高齢者支援などといったことが取りざたされますが、地域活動やイベントを定期的に行ったりすることで、地域のネットワークが広がり、問題に対処しやすくなっているということも、注目すべきことだと思います。
4、水辺の自然やごの学校

ログハウス風の建物です。活動内容など小屋の前に張ってあります。
花の丘のすぐ横には、「やごの楽校(芦花公園自然観察資料館)」と「みんなのとんぼ池」があります。
これらの施設は、子どもの「トンボはどこから飛んできたの?」といった素朴な疑問から産まれました。平成17年11月にとんぼ池と観察小屋を造る試みが始まり、地域の人々の手によってまず池が掘られ、そして手作りで小屋が組み立てられました。
管理、維持は花の丘の会「とんぼ池グループ」によって行われていて、定期的に池の清掃を行ったり、小屋の運営管理をしているほか、多摩川へ生物の採取をしに出かけたりもしているようです。

人工的に造った浅い池です。
ここの池は掘って造った人工の池なので、さすがに崖線付近の湧水が流れる池とは違って、自然豊かな環境とはなりませんが、都会では虫を観察する場所も機会もなかなかないので、虫が好きな子供たちにとっては、楽しい遊び場になっているはずです。
この池からどれくらいのトンボがこの池から羽ばたいていったのでしょうか。子供に見守られながら多くのトンボが羽ばたいているといいですね。

浅い池なので、落ちても大丈夫です。
ちなみに、トンボの幼虫ヤゴは肉食です。捕まえようとして噛まれると痛いです。肉食なのでミジンコや蚊の幼虫などを食べたりしますが、メダカなどの魚を襲って食べることもあります。
最近ではメダカの飼育が流行っていて、大きなプラスチック製の池などで簡易的なビオトープを制作している人も多いようです。いつの間にかトンボがそのビオトープに卵を産み、ヤゴが産まれてしまったりすると、閉鎖された場所なので、大惨事が起こってしまうことがあります。
5、しあわせの野音の会

花の丘フェスタに合わせ、野外コンサートを行っています。
花の丘フェスタと同じ日、芦花公園しあわせの野音の会によって野外コンサート(パークライブ)が行われます。
野音の会は、文化、芸術を通して環境を考えるといったキャッチフレーズの元で、地域(芦花公園)の魅力アップを目指しているようです。素敵な演奏だなと思ったら、運営資金として100円ほど募金を募っているので、協力するのといいでしょう。

森の中のコンサートといった感じです。
木々に囲まれた中での演奏の様子は、森の中でのコンサートといった感じです。訪れたのが晴れた秋の日だったのですが、木漏れ日がキラキラとしてとても雰囲気がよかったです。
また、蘆花恒春園の茅葺を舞台にした茅葺コンサートも、年に三回ほど行っています。こちらはクラシックやジャズなど落ち着いた感じの演奏が多く、人気のコンサートになっています(*詳しくは蘆花恒春園のページを参照)。
芦花公園では第一日曜日を中心にこういったイベントが多く行われているので、特にする事がないのでしたら、花を見がてら芦花公園を訪れてみてはどうでしょう。
花に囲まれてリラックスでき、いい演奏を聴けて、出店で買い食いもできてと、満足感が得られる休日となるはずです。
6、感想など

おばあちゃんの仕事が終わるのを待っているのでしょうか。
花壇の手入れを一人で行うと、単なる作業でしかありませんが、仲間と協力して行うことで、人と人との関係に変わります。「育てる」という責任感を求められる事を共通の目的とするので、分担作業がスムーズにでき、仲間意識や協調性も構築しやすいはずです。
人と人とのつながりで作られている美しい花壇。そして楽しいイベント。さらには、やごの池や音楽の演奏も加わり、芦花公園のコミュニティーの輪がどんどん広がっています。継続は力なり。ここのコミュニティーの輪を見ていると、この言葉がふさわしく感じます。
そして、こういった活動の源流となっているのが、この地で暮らした徳冨蘆花氏と、土地などを寄付した愛子夫人であることも忘れてはならない部分です。蘆花氏が生きていた時代に、こういった活動があれば、夫妻は喜んで参加していたのではないでしょうか。土いじりが好きでこの地に移住してきたみたいですし・・・。
せたがや地域風景資産 #1-31蘆花恒春園花の丘 せたがや地域風景資産 #2-20
水辺の自然とふれあえる蘆花恒春園 2025年5月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 粕谷1丁目20-1(都立蘆花恒春園内) |
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・アクセス | 最寄り駅は京王線芦花公園駅、八幡山駅。 |
・関連リンク | 蘆花恒春園(東京都公園協会)、NPO法人芦花公園花の丘友の会、・芦花公園しあわせの野音の会 |
・備考 | 花の丘フェスタは毎月第一日曜(1、8月を除く、9月は第一土曜) |