世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.39-1

芦花公園(蘆花恒春園)

せたがや地域風景資産 #3-16

文豪の住まいと雑木林のある蘆花恒春園

粕谷1丁目20-1

芦花恒春園は、文豪徳冨蘆花が明治40年から昭和3年の死亡までの20年間を、愛子夫人とともに過ごしたところで、園内には蘆花記念館と当時のままの書院、母屋が残されている。裏手には、児童公園や散策によい公園が続いている。近くの粕谷八幡には蘆花ゆかりの「別れの杉」二代目が植えられている。このあたりは緑の深い趣のあるところだ。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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1、文豪徳冨蘆花と蘆花恒春園

蘆花恒春園の入り口
蘆花恒春園の入り口

芦花公園の北側に入り口があります。

環八の千歳台交差点付近、環八に面して芦花公園(ろかこうえん)があります。大きな都立公園だし、京王線に芦花公園駅というのがあるし、環八に面しているしと、それなりに知名度のある公園だと思います。

芦花公園のややこしいところは、芦花公園、蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)と、複数の表記があるところです。正式には、都立蘆花恒春園というのが正しい名称になります。

でも地元の住民は、開園初期の東京都の史跡に指定されている徳冨蘆花氏の旧宅や記念館がある部分を蘆花恒春園と呼び、後に付け加えられた児童公園や広場、花の丘などを含めた、公園全体を芦花公園と呼んでいます。

駒沢オリンピック公園が駒沢公園と呼ばれるように、呼びやすく、そして読みやすい漢字に直した名称、いわゆる親しみ込めた愛称というのが芦花公園になるでしょうか。

いっその事、都立芦花公園と改称し、開園時間が決められている史跡エリアを蘆花恒春園とすれば、色々とすっきりとすると思うのですが・・・。公園の拡張によって、今となっては開園当初の恒春園部分は、狭いエリアでしかないことですし・・・。

蘆花恒春園 入り口の史跡案内
入り口の史跡案内

東京都の史跡に指定されています。

芦花公園といえば、徳冨蘆花という事になるのですが、ご存じでしょうか。徳冨蘆花といえば、明治から大正にかけて活躍した文豪で、「不如帰」「自然と人生」「みみずのたはこと」などといった作品が知られています。

産まれは、1868年12月8日。出身は、熊本県水俣市。本名は、徳富健次郎。17歳の時にキリスト教に受洗し、この頃から蘆花の号を用いています。ちなみに徳冨の冨の字は、本名では一般的なウ冠ですが、徳冨蘆花の時にはワ冠をこだわって用いていました。

その彼が、明治40年(1907年)、数え40才の時に引っ越してきたのが、粕谷のこの場所であり、昭和2年(1927年)9月18日に58才で逝去するまでの約20年間、ここで執筆しながら暮らしました。

明治40年の粕谷村と蘆花の関係地図 粕谷八幡神社
明治40年の粕谷村と蘆花の関係地図

粕谷八幡神社に置いてあります。

当時の粕谷の様子を「みみずのたはこと」に書いていますが、「人家はまばらで、四方が寂しく、色々な物音が響く」と、表現しています。

明治40年頃の粕谷は、全26戸だったそうです。大正九年の国勢調査でも、33世帯、235人となっているので、本当に閑散とした地域だったようです。

なぜ、こんな閑散とした場所に蘆花は引っ越してきたのか。その理由は、土に親しむ生活を営みたかったから。

この頃の蘆花は、ロシアの作家トルストイに傾倒していました。前年の4月に日本を旅立って、6月にロシアでトルストイに会っています。

その時に彼の生活ぶりを見たり、会話から影響を受けて、文壇などから少し離れ、晴耕雨読の半農生活を送ったのではないかと言われています。

その真偽は分かりませんが、これだけ静かな環境だと、土に親しむのはもちろんのこと、社会的な雑音も少なくなり、執筆もはかどったことでしょう。

蘆花恒春園 蘆花記念館
蘆花記念館

蘆花に関する資料が展示されています。

昭和2年に蘆花が亡くなり、それから少し月日が経った昭和11年、蘆花夫人の愛子氏が、東京都に土地、建物、樹木、家具や生活用品などの遺品の寄贈を申し出ました。

夫人は、寄贈にあたって「なるべく現状を維持し、故人の生活状態を偲びうるようにして欲しい」と希望し、その要望が受け入れられ、旧蘆花邸は公園化されることとなりました。

その後、約1年かけて工事を行い、蘆花夫妻移住満30年にあたる昭和13年2月27日に、開園式が行われました。

1940年代後半の芦花公園付近の航空写真(国土地理院)
戦後の粕谷

国土地理院地図を書き込んで使用

公園の名称は、故人の命名に従い蘆花恒春園と付けられました。この名の由来は、大正七年頃に台湾の南端の恒春という場所に彼の農園があるといった評判が立ち、ある人からその農園で働かせてくれないかと依頼された事に起因するようです。

これはあくまでも噂で、台湾に農園があるといった事実はなかったのですが、「これは何だか縁起がいい話だぞ」と考えた蘆花は、恒春の「永久に若い」という意味も気に入り、自分の土地を「恒春園」と名付けたそうです。プラス思考というか、想像力豊かというか、とても物書きらしい発想だと感じます。

蘆花恒春園 茅葺家屋と雑木林
茅葺家屋と雑木林

今の世田谷とは思えない雰囲気があります。

蘆花恒春園 孟宗竹(モウソウチク)の竹林
孟宗竹(モウソウチク)の竹林

土いじりが好きな蘆花が植えたものらしいです。

現在の恒春園は、寄贈された身辺具、作品、原稿、手紙、農工具などの遺品を収蔵、展示してある蘆花記念館を中心に、当時、蘆花が暮らしていた母屋、秋水書院、梅花書屋といった建物群、蘆花が植えたモウソウチクの竹林、当時からの雑木林、夫妻の墓などから構成されています。

恒春園エリアは、茅葺きの建物を中心に、雑木林や竹林などで構成されているので、大正時代の世田谷の原風景を感じさせてくれる貴重な空間にもなっています。

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2、徳冨蘆花旧宅と愛子夫人居宅

蘆花恒春園 秋水書院と身代わり地蔵
秋水書院と身代わり地蔵
蘆花恒春園 母屋への入り口
母屋の入り口

茅葺の屋根が低く頭をぶつけそうです。

昭和58年から60年にかけて、旧蘆花邸の大改修が行われ、その後の昭和61年3月10日、母屋や書院などの古建築物が、「徳冨蘆花旧宅」として東京都指定史跡に指定されました。

これらの建物は、内部を無料で一般に公開しているので、晩年の蘆花の生活ぶりを垣間見ることができます。

入り口は野良猫などが入らないように、扉が閉められています。少々入りづらい雰囲気がしますが、9時から16時までの開館時間内なら自由に見学する事ができますので、ガラッと扉を開けて入りましょう。

蘆花恒春園 梅花書屋の内部
梅花書屋の内部
蘆花恒春園 秋水書院の内部
秋水書院の内部

見所は、梅花書屋と、奥の幸徳秋水に因んで命名された秋水書院になるでしょうか。特に秋水書院の書斎や寝室は、置いてある調度品などから、蘆花の個性や大正時代の趣きを感じることができます。

執筆に使った机からは、今なお文豪のオーラを感じます。彼の作品を読んだことのある人は、ここで作品が生まれたのかと、きっと感慨深く感じることでしょう。いわゆる聖地中の聖地となるはずです。

蘆花恒春園 オルガン
オルガン

明治36年製の西川製で、国内最古の国産のオルガンだとか

母屋の廊下にはさりげなく古いオルガンが置いてあります。味のあるオルガンだなと思っていたら、現存する日本最古の国産オルガンだったことが判明したようです。

蘆花さんやりましたよ!ってな感じでしょうか。どこかの蔵にもっと古いものが眠っていない限り、このオルガンの所有者としても知名度が上がるのかもしれません。

オルガンは明治36年に製造されたもので、メーカーは西川。足で踏んで音を出すものですが、今でもきちんと音が出るのでしょうか。というより、こんなところに、ただ置かれていてはいけないような気もするのですが・・・。

蘆花恒春園 板張りの廊下
板張りの廊下
蘆花恒春園 茶室
茶室
蘆花恒春園 風呂場(五右衛門風呂)
風呂場(五右衛門風呂)

その他、基本的に当時のまま残されているので、五右衛門風呂など、さりげない部分で文豪の生活を垣間見ることができたりします。

というより、そのまんま大正時代の古民家なので、軒先に広がる武蔵野の面影が残る雑木林も相まって、大正時代にタイムスリップしたような気分に浸れます。しかも大正文学の雰囲気が漂ってくるので、非日常感満点です。

特に新緑の春や、葉が色づく晩秋は雰囲気がいいので、物書きになったような気分で気の向くままに足を運んでみるといいですよ。少なからず来てよかったと、満足感を得られるはずです。

蘆花恒春園 愛子夫人居宅
愛子夫人居宅

公園化された際に造られた家です。

母屋から少し離れた場所、蘆花記念館の裏側に愛子夫人居宅があります。こちらは瓦葺の純日本風の建物で、蘆花の死後、愛子夫人が暮らしていた建物となります。

中の見学はどうか分かりませんが、集会場として和室が有料で使用できるようになっています。

この建物は、愛子夫人が茅葺の母屋を寄付した際に、当面の暮らす住居として昭和13年に東京市が建てたものです。

実際に愛子夫人がここに暮らしたのは、翌年までと短い期間でした。それは、現在の花の丘辺りに屋外ごみ集積場ができ、風向きによって悪臭に悩まされたからのようです。

蘆花恒春園 紅葉と愛子夫人居宅
紅葉と愛子夫人居宅

純日本家屋といった建物です。

また、第三回せたがや地域風景資産で、この恒春園エリアが選定されています。この他にも芦花公園からは、第一回の時に「花の丘」、第二回の時に「トンボ池」が風景資産に選ばれています。同じ公園から3つも選ばなくても・・・と、正直思ってしまいます。

それはさておき、選定にあたっては、文化財に指定された茅葺きの建物を中心に、雑木林や竹林など世田谷の原風景を今も感じさせる風景である事。そして、そういった建物を利用して、公園事務所とボランティア団体が連携したコンサートも行われているといった事が考慮されました。

3、蘆花を偲ぶ集いとかやぶきコンサート

蘆花恒春園 蘆花夫妻の墓
蘆花夫妻の墓

ひっそりと林の中にあります。蘆花を偲ぶ集いの日には献花台が置かれます。

建物エリアから少し離れた場所に、蘆花夫妻の墓がひっそりとあります。木々に囲まれた一角に大きな自然石の墓石がドカッとあるようなシンプルなもので、墓石は奥多摩渓谷から入手し、墓碑の文字は兄の徳富蘇峰氏(政治家・ジャーナリスト)が銘を刻んでいます。

毎年、命日近くの9月の第三土曜日に「蘆花を偲ぶ集い」が行われていて、その時には大勢の参拝者によって献花されるので、少し華やかになります。

蘆花恒春園 蘆花を偲ぶ集い 墓前に献花
墓前に献花

さすがに生前を知る人は少なくなってしまいました。

蘆花恒春園 蘆花を偲ぶ集い
蘆花を偲ぶ集い

蘆花についての公演が行われます。

献花が終わった後には、梅花書屋前で蘆花氏にまつわるお話会などが行われます。蘆花の身内の方もわざわざ来られていました。誰でもお話を聞く事ができますので、興味があれば参加してみるといいかと思います。

蘆花恒春園 かやぶきコンサートの様子
かやぶきコンサートの様子

落ち着いた雰囲気で行われます。

蘆花恒春園 かやぶきコンサートの演奏の様子
演奏の様子

きれいな女性4人組だったのでズームを効かせてもう一枚。

蘆花を偲ぶ集いと同じ日と、それ以外にも年に3回ほど、だいたい5月、7月、10月に、茅葺の梅花書屋を利用して小さなコンサートが行われます。

私が訪れたときは、弦楽四重奏の演奏が行われていましたが、ピアノだったり、ジャズだったり、タンゴだったりと、様々なジャンルの演奏が行われます。

このコンサートは、茅葺きコンサートと名付けられています。まさにその名がピッタリで、落ち着いた古民家的な雰囲気が素晴らしかったです。なかなか都会で茅葺家屋を舞台にした演奏を聴く機会はないので、貴重な演奏会となります。

芦花まつりの様子
旧・芦花まつりの様子

現在は蘆花恒春園で行われています。

この他、10月の終わりに烏山地域蘆花まつりが行われます。「ひろげよう、みんなの輪」をテーマに、2013年から始まったイベントです。

2013年以前は、甲州街道を歩行者天国にして芦花まつりという名で行われていましたが、蘆花恒春園に場所を移し、装いを新たにしています。

イベントは、地域の団体による音楽やダンス、お笑いなどのステージが中心で、子供を対象にした体験型のアトラクションや、徳冨蘆花にゆかりのある熊本や、群馬県渋川市、栃木県那須烏山市などの「ふるさと物産展」も行われます。

4、芦花公園について

芦花公園 ドッグラン
ドッグラン

結構な広さがあります。

恒春園エリア以外にも、ドッグランやヤゴの学校、そしていつ訪れても素晴らしい花の丘などといった、魅力的な施設や広場があります。いずれも百景選定後、平成時代に設置されたものです。

ドッグランというのは、フェンスで囲んで安全を確保したエリア内で犬を散歩綱なしで遊ばせることができる場所の事です。

ここは面積が1450㎡と、かなり広いスペースが確保されていて、大型犬エリアと小型犬エリアに分かれています。多分、区内にある公園で一番最初に設置されたのが、ここになるはずです。

管理は、芦花ワンクラブによるボランティアが中心となっているようです。利用にあたっては規則が多くあるようなので、新規で利用したい場合には、予めドッグランの規約に目を通しておいた方がいいかと思います。

芦花公園 花の丘
花の丘

桜と花壇の花が美しい花の丘になっています。

近年の芦花公園で、一番華のある場所というか、活気のある場所は、花の丘です。花の丘なんてものはどこの公園にもあるよといった感じかもしれませんが、ここの花の丘はとっても素晴らしく、広々とした丘の花壇には一年中花がきれいに咲いています。

この花の丘は、花を通じて地域のコミュニティーを活性化をしようといった狙いもあって、季節の花に合わせて、月に一度花の丘フェスタというイベントも行われています。

芦花公園花の丘フェスタ 桜まつりのステージの写真
桜まつりのステージ

桜祭りのときにはステージが設置されます。

一年で一番大きなイベントは、花の丘のシンボルである高遠コヒガン桜にちなんだ「高遠コヒガン桜まつり」で、2日間に渡ってステージイベントなどが行われます。

管理の方は「NPO法人蘆花恒春園花の丘友の会」というボランティアの方々が、周辺の小学校などとも連携して行っていて、地域の人々の努力で作り上げた風景ということで、ヤゴの学校とともにせたがや地域風景資産にも選定されています。

花の丘の詳細については、別の項「地域風景資産1-31」に載せていますので、興味があればご覧ください。

芦花公園 林の中にあるジャングルジム
林の中にあるジャングルジム

都会にあるとは思えないジャングルジムです。

芦花公園 紅葉する木々
紅葉する木々

秋には落ち葉のじゅうたんが出来上がります。

この他、園内にはアスレチック広場とか、児童公園といった子供用遊具が置いてある場所もあります。芦花公園は木々が多く、遊具も木々に囲まれています。きっと森の公園で遊んでいるといった感じがすることでしょう。

ほんと、この公園には木々が多く植えられています。新緑の季節には木陰が多くでき、紅葉の季節には彩り豊かで、大量に落ちた落ち葉で子供たちが遊んでいます。運動施設がない分、草木で溢れる公園となっていて、随所に素敵な空間が広がっています。ブラブラと散歩しているだけでも楽しいです。

公園を拡張する際、最初の計画では、武蔵野の面影を求めた樹木園を建設する予定でしたが、住民との話し合いで、花の丘が設置されました。結果、花や草木が多いけど、カジュアルな感じの武蔵野の面影がする公園となり、誰でも利用しやすい環境になっているのではないでしょうか。

5、感想など

蘆花恒春園 梅花書屋
梅花書屋

光の当たり具合で雰囲気の良い空間になります。

現在の世の中は、技術の進化が激しく、暮らし方や考え方の変化が激しく、一昔前の常識が通じなくなっています。例えば、携帯電話やインターネット。そういったものがなかった時代の人の考え方を理解できない人も多いです。

昭和のアニメですら、まどろっこしく感じる今の人が、大正文学を親しめるかというと、なかなかそうはなりません。徳冨蘆花の作品を知る人も減り、誰それ?という人が多いのではないかと思います。

でも、今では芦花公園の名は多くの人に知れ、私のように公園から徳冨蘆花の名を知り、恒春園エリアを見学してからその存在を実感し、興味がわき、作品を読んだ人もいるはずです。

蘆花恒春園 蘆花の墓の前にいたにゃんこ
蘆花の墓の前にいたにゃんこ

蘆花がいたから出会えた縁となるでしょうか。

蘆花がいたからできた公園。芦花公園で知り合ったボランティア仲間、犬友達、ママ友、遊び仲間などは、蘆花がいたから巡り合った縁になるのでしょう。年中、様々なイベントが行われていることもあり、この公園では人の縁というのを強く感じます。

きっと天国の蘆花夫妻も、自分たちが暮らしていた場所に素敵な人の縁が広がっていることを喜んでいるに違いありません。

せたがや百景 No.39-1
芦花公園(蘆花恒春園)
せたがや地域風景資産 #3-16
文豪の住まいと雑木林のある蘆花恒春園
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所粕谷1丁目20−1
・アクセス最寄り駅は京王線芦花公園駅。駅から少し離れています。
・関連リンク蘆花恒春園(東京都公園協会)、NPO法人芦花公園花の丘友の会
・備考粕谷八幡神社については次項No.39-2で、花の丘については風景資産1-31で紹介しています。
蘆花を偲ぶ集いは9月第三土曜日、蘆花まつりは10月後半の日曜日
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