世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.40

粕谷の竹林

せたがや地域風景資産 #3-17

粕谷本橋家の竹林と野草苑

粕谷2-11付近

世田谷からは竹林も姿を消しつつあるが、粕谷あたりには、はっとするほど見事な竹林がまだまだ残っている。風が渡るときなどは、ほんとうに素晴らしい。春、垣ごしに頭を出している竹の子を見つけるのも楽しい。残して欲しい風景だ。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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1、粕谷の竹林について

竹林内
ちゃんと整備されている竹林内

タケノコが生えているのを見つけるとちょっとうれしくなってしまいます。

粕谷に限らず、世田谷区内を歩いていると、立派な竹林や雑木林を見かけることがあります。世田谷は住宅地となる以前、農村風景が広がっていました。その頃は民家も少なく、多くの農家が竹林や雑木林を所有していたと聞きます。竹林は、タケノコを売ったり、竹は農業作業用の簡易的な櫓や道具を製作するのに都合がよかったからです。

関東大震災後は郊外の住宅地が人気となり、戦後になると、人口の東京への一極集中が起こり、世田谷の人口が爆発的に増えることになります。それと共に、竹林や雑木林、そして畑が次々と宅地に変っていきました。

現在では、畑や竹林は探すほどしかなくなり、残っている地域も駅から離れた交通の不便な場所がほとんどです。そういった中でも、多くの竹林が残っている地域の一つが粕谷で、百景の選定時には多くの竹林を見ることができました。さすがに現在では減少してしまいましたが、まだ芦花公園の北側の粕谷2丁目辺りに竹林を見ることが出来ます。

本橋家の竹林
本橋家の竹林

手入れの行き届いた立派な竹林でした。

実際に歩いてみたのですが、さすがにせたがや百景に載っている住所付近の竹林は、なかなかの広さを誇っていました。しかし、それ以外はいまいちパッとしない感じでした。

もっとも、こういった竹林が所々に残っていると知らずに歩いたなら、お~竹林があるといった感じで、結構感動したかもしれませんが、わざわざ粕谷二丁目辺りに竹林があると目指して訪れたので、あっ、これが噂の竹林ね・・・といった感想になってしまいました。きっと10年前とか、百景選定頃の20年前に訪れていたら、もっと素敵な風景が残っていたのでしょう。

粕谷の本橋家
粕谷の本橋家

百景の案内板が置かれています。現在は市民緑地となっています。

第三回せたがや地域風景資産でも、粕谷の竹林が選ばれました。その中心は本橋家。本橋家の門の前にはせたがや百景の案内板も設置されていて、ここが粕谷の竹林の象徴的な場所になるようです。

とはいうものの、個人のお宅だし、外から見ただけでは、あまりにも土地が広すぎてよく分かりませんでした。この付近の一角が親戚を含めて本橋家といった感じのようのです。風景資産によると野草苑も所有しているようですが、それも外からではよく分かりませんでした。

ただ、現在では市民緑地制度を利用して、「粕谷二丁目本橋家の竹林市民緑地」として公開されているようです。これはありがたいですね。おかげで気軽に訪問できるようになったのではないでしょうか。

1940年代後半の粕谷付近の航空写真(国土地理院)
1940年代後半

国土地理院地図を書き込んで使用

しかし・・・、とんでもなく広い土地を所有しているな。一体何者だろう。本橋さんは。などと、古い写真を見ると、古くからのこの地の地主さんだったことが分かります。

まず戦前の写真を見ると、京王線の駅周辺や、甲州街道沿いは建物が多くみられますが、粕谷付近は畑ばかりで閑散としています。

富徳蘆花は、明治時代に土に親しむ生活を営むためにこの地に引っ越してきましたが、戦前の写真を見ても納得できてしまいます。

富徳蘆花が暮らした住居は夫人により都に寄付され、昭和13年に都立蘆花恒春園として開園しました。この当時は蘆花宅の敷地のみだったので、現在と比べると、ほんの狭い範囲でしかありませんでした。

その蘆花恒春園の北側に大きな森が見えます。それが本橋家になります。具体的な広さは分かりませんので、適当に丸で囲っています。この何倍もの広さだったのかもしれません。

1960年代の粕谷付近の航空写真(国土地理院)
1960年代

国土地理院地図を書き込んで使用

戦後しばらくたった1960年代の写真を見ると、東京ガスのガスホルダーと都営住宅が増えているのが、すぐに目につきます。が、相変わらずこの地域は閑散とした状態のままです。

蘆花恒春園の周囲は分譲が進んだようで、すぐ隣にも住宅が建ち並んでいます。昭和34年に粕谷八幡神社は放火によって全焼しています。よくわかりませんが、再建のためとかで神社周辺の土地を分譲したのでしょうか。

本橋家の周辺は、少し雑木林とか、竹林が減り、宅地が増えています。のどかな農村にも、じわじわと時代の荒波が押し寄せてきたといった感じでしょうか。

1990年頃の粕谷付近の航空写真(国土地理院)
1990年頃

国土地理院地図を書き込んで使用

一気に時代を進めて、1990年頃。せたがや百景選定が行われてから少し経った頃になります。もうこの頃は、町がかなりにぎやかになっています。1970年代に環八が開通し、一気に周辺の開発が進んだようです。

畑ばかりだった本橋家の周辺は、かなり住宅で埋まっています。とはいえ、まだ畑も多く見られ、この頃は竹林も多く残っていたと想像できます。

道路脇の保存林
道路脇の保存林

狭い場所にも竹林があったりします。

本橋家を中心に見ていきましたが、ここ粕谷では、マンションの隙間や住宅の庭などに小さな竹林があったり、道路沿いの狭いスペースに保存林としての竹林が残っていたりします。狭いスペースなどでも、なるべく竹林を残し、地域の特徴を出そうとしているのでしょうか。

でも、意外と竹林は手入れが大変だったりします。手入れする人がいなければ荒れ放題な雑林、藪になってしまい、ヤブ蚊の大発生・・・、そして全伐採ってなことになりそうです。

そう考えると、なんとなく残していこうというだけでは、こういう取り組みは難しく、徐々に消えていく風景になってしまうかもしれません。

蘆花恒春園内の竹林
蘆花恒春園内の竹林

ここにも立派な竹林があります。

同じ粕谷には蘆花恒春園があり、ここには文豪の蘆花が植えたとされる竹林と武蔵野の林が残っています。ここと粕谷二丁目本橋家の竹林市民緑地が、粕谷で手頃に竹林を散策できる場所となります。

粕谷以外では、喜多見にある竹山市民緑地(地域風景資産No.1-24)でも竹林が市民緑地として公開されていて、ここは竹林の中に設置されている遊歩道を歩けるので、竹林の雰囲気をより楽しめるかと思います。

粕谷の北、烏山の市民緑地、北烏山九丁目屋敷林(地域風景資産No.3-20)にも竹林があり、ここには古民家もあり、昔ながらの竹林を所有する農家という雰囲気を感じることができます。

2、感想など

竹林と無人野菜販売所
竹林と無人野菜販売所

やっぱりタケノコの季節にはタケノコが販売されるのでしょうか。

世田谷にはかつてちょっとしたブランドタケノコがあったようです。それは深沢で採れるタケノコで、昭和の始め頃は、神田等の市場でよい値段で取引されていたそうです。

農作物は土地によって味が違うものです。同じ区内ですが、粕谷のタケノコはどうだったのでしょう。似たような味だったのでしょうか。

さすがに今では区内でタケノコの大生産地はありません。でも、時々世田谷育ちの無人販売所で旬のタケノコが置いてあるのを見かけます。興味があれば是非購入して食べてみてください。きっと世田谷の味がするはずです。

せたがや百景 No.40
粕谷の竹林
せたがや地域風景資産 #3-17
粕谷本橋家の竹林と野草苑
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所粕谷2丁目11付近
・アクセス最寄り駅は京王線芦花公園駅
・関連リンク 世田谷トラストまちづくり
・備考市民緑地になっています。
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