世田谷散策記

 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.42

烏山寺町

せたがや地域風景資産 No.1-35 / No.3-19

世田谷の小京都 - 釜六の天水桶 / 烏山寺町

東京の小京都といわれるこの一帯は寺院が連なり、静かで緑濃いたたずまいとなっている。関東大震災後、被害にあった都心の寺院が移転して寺町はできた。景観を守るために、地域の住民の手で自主的に環境が保持されていることにも注目したい。一日ゆっくり寺々を訪れれば、それぞれ見所の多いところでもある。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 :北烏山2、4、5丁目
・関連団体:烏山みずとみどりの会
・備考 :烏山花祭りは4月3日前後の土曜日
世田谷百景のロゴ

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* 烏山寺町の歴史 *

烏山寺町 寺院通りのバス停
寺院通りのバス停

この通りには5番までのバス停があります。

京王線の千歳烏山駅の北側、世田谷区の北西の外れといった表現がふさわしく感じるような奥まった場所に「烏山寺町」と呼ばれている寺院が集まった地区があります。

京王線の千歳烏山駅や旧甲州街道からは徒歩で20分程もの距離になるので、なんでこんな辺鄙な場所に寺町が・・・と考えてしまうのは散策好きな人間なら自然な事だと思います。

普通に考えるなら人の流れのある繁華街の近くや街道の裏筋に寺町が形成されることが多いからです。

その理由はこの寺町が大正後期から昭和初めにかけて形成された新しい町並み、新興住宅街ならぬ新興寺町だからです。

烏山寺町 妙寿寺の被災梵鐘
妙寿寺の被災梵鐘

江戸時代中期のもので、関東大震災時に猛火に包まれ、破損しました。

烏山寺町は大正13年(1924年)に建設が始まり、大正15年までに6寺、昭和3年までの間に16の寺が引っ越してきました。その後昭和30年までに4寺が増えて、現在では26の寺院で形成されています。

ここに寺町が形成された理由は、前年の大正12年に関東大震災が起こり、震災で焼け出された浅草や築地にあった寺などがこの地に集団で移転してきたことにあります。

もっとも寺町の形成にはもうちょっと複雑な事情があり、例えば大正中頃の首都整備計画では都市中心部の寺には墓地を置かないで郊外に移動させるといったような案が検討されていました。これは江戸時代の古風な町並みから脱却して近代的な都市への脱皮を政府が検討していたからです。

そういった矢先に大震災が起きたので、ここぞとばかりに瓦礫化となった町の復興計画は綿密に練られました。そしてイギリスやドイツの都市計画を手本にして区画整備が行われ、昭和通りや高速道路が配置されました。その時に移転を余儀なくされた寺を中心に烏山に移転してきたというわけです。

烏山寺町 
存明寺の境内

かつての武蔵野の風景を連想してしてしまいます。

なぜ烏山なのか・・・、先に書いたように墓地を郊外に移転させる計画があったときに検討されていたのが烏山だったとか、そうではないとか。同じように焼け出された築地本願寺が先に和田堀に引っ越し、同じ宗派の寺院があまり離れていないこの地を選択し、宗派を問わない寺町の形成に至ったとかといった説もあります。

この辺はちょっと曖昧ですが、広い土地が必要な寺にとって土地が安い、そして周囲が静かというのは魅力的な要素だったのは確かです。

それに大正13年と言えば世田谷区では上北沢住宅街などといった郊外の新興住宅地が造られたり、成城学園の校舎建設が始まった時期です。郊外へ都市機能が広がり、どんどんと世田谷が切り開かれた時期でもあります。そういった流れに乗った移転であり、新興寺町といった表現がぴったりなのかもしれません。

烏山寺町 妙寿寺のイチョウ
妙寿寺のイチョウ

各寺には寺町形成以前からのケヤキやイチョウの立派な保存樹が多くあります。

寺町ができる以前の烏山は旧甲州街道沿いは間の宿としてそこそこ家が建ち並んでいましたが、街道を外れると人口も少なく武蔵野の雑木林が続く純粋な農村といった感じでした。北側は桑畑を中心に養蚕業を営んでいましたが、養蚕業の衰退と共に寂れ、畑も荒れた状態だったようです。

そんな寂れた土地に寺町が造られていくわけですが、ちゃんとした道もないし、下水もないしということで、甲州街道までのトラックが通れるような道と下水を整備する事が寺側が土地を提供する地主に対して出した条件だったそうです。

そして道が造られ、下水が整備され、寂れた場所にバラック建て建物が一つ、又一つと建てられ、徐々に寺町としての形が整えられていきました。その後は寺の俯瞰が整えられ、また寺町全体の自然環境や道の整備などが行われ、今ある立派な寺町となっていきました。

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* 現在の寺町と地域風景資産 *

烏山寺町 寺町の配置図
寺町の配置図

比較的まとまっているので散策がしやすいです。

現在の寺町は26の寺で構成されています。中央高速道路の南側に一寺、北側に25寺と南側にある妙高寺だけがちょっと仲間外れな配置となっています。古い地図を見ると、元々妙高寺だけがちょっと離れていて、その間をうまく高速道路を通したようです。

寺町を歩いてみると、26の寺があるだけあってそれなりに広く、そこそこ歩くことになりますが、比較的まとまっているので散策するにはちょうどいい感じです。

寺町の雰囲気は閑静といった表現がぴったりかと思います。これも世田谷の象徴である高級住宅街と共通するような感じかもしれませんが、寺町自体閑静であることが多いので、まあ普通の寺町といった感じになるでしょうか。

烏山寺町 寺院通り
寺院通り(常栄寺付近)

樹木と寺の山門、長い塀が寺町らしさを出しています。

烏山寺町 寺院通り
寺院通り(妙祐寺、稱往院付近)

寺によって門前の雰囲気が違うので、通りを歩いているだけでも楽しいです。

百景の文章には東京の小京都と書かれていますし、せたがや地域風景資産でも世田谷の小京都となっていますが、散策してみると実際にはそこまで大袈裟なものではないと感じるはずです。

小京都とは名前の通り町並みや風情が京都に似ている土地に付けられる愛称ですが、厳密には「全国京都会議」というものが存在し、それに加盟している市町が正式に小京都の称号を名乗れるようです。

加盟基準は「京都に似た自然と景観」、「京都との歴史的なつながりがあること」、「伝統的な産業と芸能があること」の三点のようです。残念ながら烏山の寺町はこういった基準を全く満たしていないので、正式には京都観光局が認める小京都ではありません。

とはいえ「小京都」というのはあくまでも愛称であったり、褒め言葉だったりするので、全国京都会議に加盟していなくても実際に全国的に観光宣伝などで自称、他称の「小京都」と名乗っている地域は多いようです。

多くの人が認めるような小京都なら世田谷一の、いや東京でも名の知れた観光地となっている事でしょう。あくまでも閑静で緑の多い寺町といった感じで、それ以上は期待はしない方がいいかと思います。

烏山寺町 烏山寺町環境協定
烏山寺町環境協定

第2回せたがや界隈賞も受賞しています。

烏山の寺町で注目すべきは、日本で最初に住民自らの手で地域の自然環境を保全する事を宣言した「環境協定」を制定したという事です。

この協定では「地域環境の維持向上」「地下水の保護」「自然環境の整備保全」「町並みの維持整備」といった事について自主的に決まり事をつくり、そして昭和54年12月12日に世田谷区から「みどりのモデル地区」として指定を受けました。

正式には「烏山寺町自然保護モデル地区」という名称で、自然環境の保護及び回復に関する条例に基づいたものです。今でもこの条例というか、協定は守られていて、寺町の雰囲気がいいのは目に見えない部分で寺院関係者や地元の人が昔から頑張ってきたからです。

烏山寺町 釜六の天水桶
釜六の天水桶

源正寺にある天水桶で、第二回せたがや地域風景資産に選定されました。
江戸神田に住んだ名鋳物師釜屋六衛門の作品です。

寺の関係者や住民の努力で守られた風景であり、独特の風景を持つ寺町は第二回せたがや地域風景資産に選定されるのですが、なぜか「世田谷の小京都 釜六の天水桶」といった中途半端なものでした。

申請する段階では「世田谷の小京都」と寺町全体をイメージしていたようですが、申請団体の活動がそこまで全体的なものではなかったのか、漠然としすぎているということで具体的な対象になってしまったようです。これは最近の寺町が連携していない事の表れなのでしょうか。

やはり寺町は寺町であって個別の事案をあげて登録するのは小京都的な意味合いからも矛盾してしまうし、それがよほど象徴的な風景でない限り共感は得られないかと思います。なんていうか、烏山寺町ではなく、烏山の寺が多くある町といった単なる個の集まりでしかなくなってしまいます。

無理をしてでも全体で登録すべきだったのではと思っていたのですが、第三回せたがや地域風景資産ではきちんと寺町として登録してきました。

こういった選定の経緯を鑑みると、登録される事自体よりも登録するきっかけで地域や団体が団結したり、意思確認ができたり、同じ方向に向かう事に意義があるのかなと感じ、せたがや地域風景資産も結構有意義な制度なのかなと改めて思いました。

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* 寺町の文化財など *

烏山寺町 浮世絵師の喜多川歌麿の墓
浮世絵師の喜多川歌麿の墓(専光寺)

都の旧跡に指定されています。

寺町にある26の寺を個別にここで解説すると大変なので、とりあえず有名な事柄だけをピックアップすると、専光寺には都の旧跡に指定されている浮世絵師喜多川歌麿(秋圓了教信士)の墓があります。

烏山寺町 鍋島候爵の旧邸(妙寿寺)
鍋島候爵の旧邸(妙寿寺)

区の史跡。ツツジの季節は周囲が華やかになり、美しいです。

妙寿寺の客殿は明治期の鍋島候爵邸を移築したもので、世田谷区指定文化財に指定されています。客殿前にはツツジが植えられていて、つつじの季節にはとても美しい光景になります。これは檀家である西沢ツツジ園で有名な西沢さんがツツジを寄進したものです。客殿が一般公開しているときに2階から眺めると壮観です。

烏山寺町 「君が代」の歌詞にある「さざれ石」(幸龍寺)
「君が代」の歌詞にある「さざれ石」(幸龍寺)

そんなに珍しいものではありませんが、雰囲気よく置いてあります。

烏山寺町 力士本町東助碑(幸龍寺)
力士本町東助碑(幸龍寺)

浅草にあったころの名残でしょうか。力石を利用しているのが珍しく感じます。

幸龍寺境内には日本国歌「君が代」の歌詞にある「さざれ石」が置かれています。「さざれ石」自体はそこまで珍しいものではありませんが、そこそこ大きく、目立つ場所にあるので、思わず写真を撮りたくなってしまいます。また、力石を利用した力士の碑も置かれています。力石を利用した石碑は珍しく、目に止まりました。

烏山寺町 蕎麦禁制の石碑(称往院)
蕎麦禁制の石碑(称往院)

住職の打つそばが有名となり、修行の妨げになることから建てたそうです。

稱往院(称往院)の門前にはちょっと変わった蕎麦禁制の石碑が置かれています。浅草に寺があったころ、住職の打つそばが評判となり、そば切り寺として知られるようになったそうです。これでは修業や精進の妨げになると住職が天明六年(1786年)にこの石碑を門前に建てたそうです。

烏山寺町 玄照寺の枝垂れ桜
玄照寺の枝垂れ桜

寺町の桜の風景として知られています。

この他、源正寺には第二回地域風景資産にも出てくる釜六の天水桶があります。これは江戸神田に住んだ名鋳物師釜屋六衛門の作品です。いい具合に変色していてなかなか味があります。

次の項で出てくる高源院の鴨池も池の中央に赤い弁天社があり、寺町の象徴的な風景となっています。その他寺町だけあって有名人・・・といっても知る人は知るといった方々の墓が多くあります。

また春の桜の季節、秋の紅葉の季節を初め、自然豊かな場所なので四季折々の風情を楽しむ事ができます。桜は玄照寺の枝垂れ桜が有名となっています。

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* 烏山寺町の花まつり *

烏山寺町の花まつり しだれ桜と白象
しだれ桜と白象

お稚児さんとお釈迦様を載せた白象が寺町を練り歩きます。

一年で寺町が一番活気付く時期と言えばお盆、そしてお彼岸になるのでしょうが、それは檀家さんが集中的に墓参りをするといった感じなので、あくまでもお寺と檀家さんとの事。寺町全体が異様に線香の匂いが充満しているぐらいで、何か行事が行われているわけではありません。

それ以外で寺町がにぎわうのが4月3日、現在ではその近くの土曜日に行われるお釈迦様の誕生を祝う「烏山花まつり」です。この行事では各寺(多くの寺?)が協力してイベントを行っていて、寺町全体で行われる唯一の行事となっています。

烏山寺町の花まつり しだれ桜の下での行事
しだれ桜の下での行事

おじいちゃん、おばあちゃんが孫のために張り切っているのが印象的でした。

この行事は寺町が形成された昭和3年から行われているもので、寺町に定着した寺町らしい仏教行事だと言えます。結構歴史があるので、曾祖母が花祭りに参加している孫を見て、昔を思い出すと言ったこともありそうですね。

花祭り自体は全国的に行われているものと同じで、いわゆる白像を引っ張る稚児行列と稚児さんの健康を成長を願う法要が行われます。毎年出発する寺と到着して法要を行う寺が持ち回りとなっているので、年ごとに祭りの様子が違うのが面白いところです。

烏山寺町の花まつり 稚児行列
稚児行列

楽隊、僧侶、白象とともに寺町を歩きます。

訪れたときはちょうど枝垂れ桜で有名な玄照寺から浄因寺まで寺町を行列していきました。しだれ桜の玄照寺での様子はとても絵になっていて、美しい風景でした。やはりここでの開催は別格です。

寺町自体緑が多く、雰囲気がいいので、どういったルートでも寺町を歩く稚児行列は絵になりそうです。季節的にも桜の時期なので、散策がてら花祭りに合わせて訪れてみるといいでしょう。

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* 感想など *

烏山寺町 常福寺
常福寺

狸の置物がたくさんあるお寺です。

烏山寺町を小京都と称すにはちょっと無理があるような気がしますが、小さな風景を探しながらのんびりと散策をする分には楽しい場所です。26の寺がそれぞれ持つ雰囲気と紅葉や桜などの季節の風景がうまく重なると情緒のあるいい風景になります。

桜の時期に風情を感じる寺、新緑や松の時期に風情を感じる寺、ツツジやアジサイが美しい寺、紅葉が見事な寺などなど、なにせ26の寺があるのですから、探しごたえがあります。ぜひお気に入りの風景を探してみてください。

烏山寺町 妙祐寺の本堂
妙祐寺の本堂

インド調の建物で異国情緒を感じてしまいます。

実際に全部のお寺を回ってみると、外からは同じようなお寺の集まりのように感じるのですが、個々のお寺によって宗派の違いによる建物や敷地の雰囲気の違いがけっこうあるのだなと感じました。

また宗派とかではなく、お寺の公開の仕方や敷地内や墓地の手入れの仕方など、経営の姿勢というか、檀家さんや地域とのつながりの温度差があるのにも気が付きました。

最近はマナーの悪い参拝者も多く、都内のウォーキングスポットとなっている小さなお寺などでは檀家さん以外の参拝はお断りと方針転換したお寺もあります。

逆に積極的に説法会や写経会を開いたりする住職や、お寺の建物を利用してお茶会や演奏会を開いて地域の交流の場にしている住職もいます。住職などの考え方次第ですが、やはり色々と余裕がないとできないことでもあります。

烏山寺町 玄照寺の賽銭箱
玄照寺の賽銭箱

寺町でも賽銭箱を置いているお寺と置かない寺とあります。

それに2008年の11月26日の産経ニュースによると近年世田谷区内の寺院で賽銭泥棒が相次いでいるとかで、烏山の寺町でも10月23日午前3時ごろ、男性容疑者(47才)が幸龍寺本堂に侵入し、仏具や賽銭を盗もうとしたところ男性僧侶(36才)に気付かれ、持っていたカッターナイフを振り回し、僧侶の右腕を切りつけ重傷を負わせた疑いで逮捕されたようです。

更に記事によると寺町ではこの半年間で約10件の賽銭の盗難被害があったとか。結構多いんですね。ちょっとビックリしました。それ故に防犯対策として敷地を閉鎖的にしているお寺もあるようです。

私の友人も田舎でだだっ広いお寺を一人で守っているのですが、少ない人手で広大な敷地やら大きな本堂を守るのは大変です。墓掃除に出れば本堂は無防備になるし、法事などで外出するような事も多く、盗難に遭わない事を前提にしていないとやってられないとか。

そもそも本尊にしても境内の燈篭などにしても檀家さんなどの善意によって寄進されたものが多く、人の善意を疑ってかかるのは・・・といった気持ちも多分にあるようです。

それに後継者不足やら少子化の問題は伝統芸能や農業、漁業だけではなく、家族経営が基本の小規模なお寺さんにもいえる事です。ご高齢の住職夫妻を中心に何とか切り盛りしていたりすると、寺と墓地の保全と檀家さんの法事だけで一杯一杯となり、それ以外のことには余裕ができにくくなるものです。

それぞれのお寺の事情によって運営方針が異なるのはしょうがない事です。そういった事も考慮に入れつつ、決められた約束事を守ってマナー良くお寺巡りなどをするようにして下さい。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所北烏山2、4、5丁目
・アクセス最寄り駅は京王線千歳烏山駅。駅から少し離れています。

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<せたがや百景 No.42 烏山寺町 2009年8月初稿 - 2017年9月改訂>
( せたがや地域風景資産 No.1-35、世田谷の小京都 -釜六の天水桶、No.3-19、烏山寺町 )

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