用賀プロムナード(いらか道)
用賀駅周辺から砧公園まで昭和61年に第1期工事が完成している。公園でなく道路であることが特徴である。用賀駅から砧公園、世田谷美術館へと向かう道であり、かわらを敷き詰めたプロムナードで「いらか道」の愛称もある。せせらぎが整備されており、灯篭流しのイベントなど、子どもを中心とした憩いの場となっている。 (紹介文の引用)
1、用賀プロムナードについて

用賀のランドマークです。昔は日本サン・マイクロシステムズがメインテナントで入っていました。
用賀の町、ちょうど用賀駅の真横に高さ120mもある世田谷ビジネススクエアタワーがそびえています。
地上29階、地下2階建てのビルは、完成した1993年1月時点では、世田谷一の高さを誇っていましたが、後に三軒茶屋のキャロットタワー(124m、1996年11月)、二子玉川の二子玉川ライズ タワー(150m、2010年4月)に抜かれてしまいました。
ただ、周辺に高い建物がないので、今なおランドマークであることには変わりなく、特に東名高速に乗って東京に戻るときには、あそこが用賀だ!高速の出口だ!といった目印になっています。

背の高いタワービルと低い建物群で構成されています。
この世田谷ビジネススクエアは、メインのタワービルを含めて8つのビル群で構成されています。タワービル以外の建物は背の低いビルでなので、空がビルで占拠されているといった事態にはなっていません。
むしろ、用賀駅周辺は高層ビルがありながらも、広々とした空間も兼ね備えていて、結構贅沢に土地を使っているといった印象を受けます。
ビジネススクエアと名がついているように、これらの建物は全てオフィス用のビルです。商業地としては無名で、住宅地しかないような用賀に、いきなり巨大な商業ビルが建ったことに、驚いた人も多かったはずです。
そんなにビジネスの需要があるの。という心配があったものの、最初はサン・マイクロシステムズの日本法人がビル内に本社を構え、「SUN」の企業ロゴがビルの上部に設置されていました。後に、サン・マイクロシステムズがオラクルに買収され、「ORACLE」のロゴに替えられました。
で、現在はGMOがビルの権利の多くを取得し、GMOタワーに名称を変えています。用賀に暮らす用賀民にとっては、あの聳えるようなタワーの上部に掲げられたロゴの主こそが、用賀の城主・・・みたいなもの。栄枯盛衰を感じてしまいます。

*国土地理院地図を書き込んで使用
このビル群が建設される前の用賀駅周辺には、玉電の車両基地や畑がありました。玉電は玉川通りを走っていた路面電車のことで、昭和44年(1969年)に廃止され、玉川通りの頭上には首都高が、地下には東急新玉川線(現在では田園都市線)が敷設されました。
用賀にあった車両基地も更地にされ、最初は東急線の車両基地にする予定だったようですが、計画が変更されて、世田谷ビジネススクエアが建てられたといった経緯のようです。
大きな建物が建っていない広々とした場所を開発することができたからこそ、用賀駅の周囲はごちゃごちゃしていなく、空間的にも余裕が感じられるのではないでしょうか。
ただ、計画が変更されたといっても、1993年の完成まで20年以上も開いています。その間のことは定かではありませんが、古い写真を見ると、地下鉄工事の作業場になったり、首都高や用賀インターを造る作業場になっていたような感じです。

用賀駅から砧公園に続く道です。
ビジネススクエアのある用賀駅から都立砧公園までの約1kmの区間は、用賀プロムナードという遊歩道っぽい道で結ばれています。ぽいと書いたのは、車道も兼ねた道だからです。
用賀プロムナードは、いらか(瓦)をキーワー ドにデザインされていて、地面にいらかが敷かれていることから、「いらか道」とも呼ばれています。
注目すべきは、このプロムナードだけでデザインが完結するのではなく、世田谷ビジネススクエアビル群、駅周辺の広場やオブジェなども、「いらか」と同じ色彩のグレー系統で統一されています。
周辺にもデザインでの一体感があるのが、この用賀プロムナードの特徴であり、用賀の町の特徴にもなっています。

碑もしっかりといらか(瓦)で製作されています。
用賀プロムナードは、1986年に造られました。駅前の再開発やビジネススクエアよりも先になります。
古い記述を読むと、玉電時代の用賀といえば、駅前に車両基地があり、砧公園に行くには車両基地の横を通り、その後は梅林やら畑の中を進んでいったそうです。
今でも旧新玉川線(田園都市線の地下鉄部分)の駅の中では、一番印象の薄い用賀ですが、昔の用賀はほんと何もない地域だったようです。
そんな地味で、何もない用賀に新しい風を吹き込んだのが、用賀プロムナードになります。デザインを手がけたのは象設計集団です。
象設計集団は桜新町に事務所がある会社で、全国的に学校や役所、美術館などといった建物の設計、公園やプロムナードなどの企画等々を手がけていて、日本各地で、いや、世界でも幾つかの賞を受賞している有名な設計会社となります。

環八の入り口で道を守っています。
用賀プロムナードは、象設計集団の比較的初期の作品となります。
設計の一番のテーマは「日本のみち」で、そのこだわりとして
・「やわらかな街」 樹木、草、土、玉石、瓦、木材、水などのやわらかな素材とやわらかな空間構成が、のどかで楽しい雰囲気をつくりだす事。
・「歴史を物語る道」 なつかしく、愛着のもたれるみち 玉石の道、くわ、茶、宿場のようなしかけが、人それぞれの思い出を呼び起こす。たとえば鎌倉時代からつづいた大山街道を。たとえば、谷沢川のせせらぎを。
といった事があるようです。
そして「いらか道」の「いらか」というのは瓦のことで、特にその主題となる素材にはこだわったようです。
そのこだわりというか、絶対条件が5ヶ条にまとめられていて、
1、やわらかいこと 足にここちよく、月日とともに色、形とも変化すること。
2、存在感があること ただし光、雨等によって時として透明となり、全く存在感が消えること。
3、朝、夕、四季等、時の移ろいに敏感なこと。
4、土地の記憶をとどめているか、またはとどめうる材であること。
5、無彩色か、それに近いこと、または自然の材の色をしていること。
との事です。

地味な色だからこそ風景がすっきりとした感じになります。
そして選ばれたのが、灰色をした淡路瓦です。淡路瓦は名前の通り淡路島の瓦で、400年の歴史を刻んだ伝統工芸的地場産業です。
淡路瓦の解説文を読むと、伝統と美意識に磨かれた瓦の形状は、実に数千種類にも及んでいて、その巧みな組み合わせにより、あらゆる建築物、建築様式に飽きることのない詩情と普遍美を表現し、都市の街並や田園風景にしっとりとした調和と奥深い情緒を生み出しているのが、特徴のようです。
道のデザインだけではなく、何気なく地面に敷かれている素材にも、設計者の思いやこだわりが詰まっていたりします。
こういった設計者の意図を知ってから歩くと、このプロムナードが実に様々な仕掛けや遊び心を持っていることに気がつき、歩くことが楽しく感じることでしょう。
2、用賀プロムナードの歩き方

直径40mもあり、まるで巨大な円形劇場のようです。
用賀プロムナードは、用賀駅周辺から始まります。駅の施設やビジネススクエアの敷地は、プロムナード設計者の意図したものとは違うと思いますが、地下から地上へ上がる円形の階段に、まず驚きます。とても広々とした空間となっていて、地下から地上へ出る開放感が、何倍にも膨らむことでしょう。
この円形の階段は、ステーションアリーナと呼ばれ、直径は40mほどあります。まるで円形劇場です。ここでコンサートを行ったら・・・と考えてしまうのですが、舞台が設置できないので無理でしょうか。
ただ、タワービルの地下は大きな吹き抜けとなっていて、クリスマスなどの特別な時に、ミニコンサートが行われています。

かなり目立つ建造物です。
地上に出ると、ビルのある地上部はきれいに整備されていて、整然とした都会的な空間が広がっています。ビルはすっきりとしたスカイグレー色だし、地面もいらかが敷かれているので、ビル群の敷地を表現するなら「クールな」といった表現がふさわしいでしょうか。
ビル周囲の道にも瓦が敷かれていて、小さな公園には瓦でできたピラミッドのようなオブジェがあります。
本来は目立つオブジェのはずなのですが、周辺と同じグレーなので、気になれば気になるし、気にしなければ気にならないといった面白い建造物です。
このような色の統一性が駅から砧公園まで続きます。地味なグレー調なので、歩いていて周辺のオブジェなどに気が散ったり、煩わしさを感じることはありません。

路面が大半ですが、それ以外にも彫られています。
主に路面、所によっては壁などに百人一首の句が1から順に彫られているのも面白い趣向で、「いらか道」=「百人一首の道」として記憶している人も多いようです。
特にかるたブームの時には、百人一首の句の写真を撮っている人が多かったのですが、今では・・・どうなのでしょう。
この百人一首。句に番号が振ってあるので、1から順に探しながら歩くといった楽しみ方もできます。子供などは、「33番あった!」「ここにもあった!」と、百人一首や句の意味は分からなくても、番号を順番に探しながら砧公園までの道を楽しそうに歩いています。
ちなみに1の句は、円形の階段を登ったところにある銀行の前辺りにあったはずです。あまりこの付近からプロムナードを歩き始める人は少ないので、日の光をあまり浴びない1の句といった感じです。

植木と水路が美しいエリアです。
駅から砧公園の方に進んでいくと、大きなスーパーがあり、その横にはとても背の高いイチョウが聳えている無量寺があります。
特にこれがあるといったお寺ではありませんが、イチョウの紅葉時には境内がいい雰囲気となります。プロムナードの方に入り口がないので、積極的に訪れる人は少ないでしょうが、興味があればスーパーの入り口のある2車線の通りを右に曲がると、山門があります。
無量寺とスーパーを過ぎると、設計者がいくぶん神秘的に「ギャラリー」と呼んでいる箇所に到着です。
ここには丸く縁取られた壁で造られたせせらぎが設けられていて、その流れは蛇行していたり、途中に橋が架けられていたりと、製作者のこだわりが強く感じられます。

水路の淵と玉砂利の模様が美しいです。
このギャラリー部分には、自然っぽさはなく、瓦で敷き詰められた庭園といった感じです。
せせらぎの中にも工夫があり、底には玉石が敷き詰められていて、その模様が美しいです。せせらぎには橋が架けられていて、その様子はミニチュアのベニスといったような印象を受けたりします。
暖かい季節には、小さな子供がせせらぎに入って水遊びをしていることがあります。底が玉砂利なので、水の中を歩くと気持ちよさそうです。それに橋のアーチを渡ったり、くぐったりと、なかなか楽しそうです。ただ、水に濡れると瓦は滑りやすくなるので、濡れた足ではあまり走り回らないように気を付けてください。
夏になると、このギャラリー部分で子供を対象とした納涼の夕べが行われます。その際、せせらぎを利用してドジョウつかみや灯ろう流しが行われ、多くの子供たちでにぎわいます。

ここでは車道と並行してせせらぎと歩道が設置されています。
ギャラリーの先は2車線道路の西用賀通りで、ここで信号を渡ります。そして少しの区間、この西用賀通りと平行して道が続きます。
ここでは車道、せせらぎ、歩道(プロムナード)という構成で造られていて、車道との間にせせらぎがある事によって、歩道を歩いていても空間的に窮屈さを感じません。ただ、いつもせせらぎに水が流されているわけではないようです。

いらか道の横断ほどからの眺めです。
このまま真っすぐ進んで、信号を左折しても砧公園に行けます。
この西用賀通りは桜並木となっていることで知られています。残念ながらプロムナード部分には桜が植えられていなく、桜のトンネルを通って・・・ということにはなりません。
プロムナード区間の前後は素晴らしい桜のトンネルとなっているので、プロムナードもいいけど、桜並木も歩きたい・・・といった衝撃に駆られて西用賀通りを進みたくなる人も多いかと思います。
西用賀通りを進んで、砧公園通りを通っても公園に行けるので、行き、帰りのどちらかは少し西用賀通りを歩いてみるのもいいかもしれません。

せせらぎの始まりやチェスがあったりと楽しい空間になっています。
西用賀通りから路地に入ると、再びギャラリーのような楽しげな空間となっています。
この付近は、周辺のお宅が生垣で囲まれていたり、せせらぎの始まり部分があったり、チェス盤のような大がかりなオブジェがあったり、カフェがあったりと、いらか道の中でも独特の空間が広がっています。

テーマはチェスです。
せせらぎの始まり部分は、外国にある噴水というか、水のみ場のような雰囲気があり、その周辺は玉石がふんだんに使われています。
その先では路面が赤白の市松模様になっていて、小石と貝殻をちりばめた一対の玉座が置かれています。これはよく見るとチェスの駒と盤を表しています。
この他にも見えにくい場所にお茶席のような場所があったりと、様々な仕掛けがあるユーモア溢れる空間になっています。
ちなみに、せせらぎがここから始まっていますが、この流れは谷沢川の暗渠と重なります。谷沢川は等々力渓谷を流れる川で、源流は世田谷通り付近の桜丘です。
ただ、ここに流れている水は、仙川からポンプで送られてきたもので、せせらぎを流れ、そのまま首都高の下の谷沢川に流されます。

幾何学的模様と百人一首の句が大胆に描かれています。
せせらぎが終わると、今度はもみじ並木の道となります。それとともに、ここから環八までの間、いらかの路面が大胆にデザインされていることに気が付くでしょう。
路面のいらかには、百人一首の句とともに抽象的な幾何学模様が刻み込まれ、道の脇には所々鬼瓦や祠のような掲示板、木製のベンチが設置されています。純粋にいらか道らしい場所と言えるかもしれません。

南側が生産緑地の畑になっているので光がよく差し込みます。
この付近の南側は、生産緑地となっている畑が続いていて、空間的に圧迫感がなく、光がよく差し込んできます。
この畑部分には、梅が植えられているので、春先に訪れるとほんのりと甘い匂いが漂ってきます。梅雨時分には、せたがや育ちのブランドで青梅の販売を行っています。
また、もみじの並木ということで、秋になると道が赤く染まり、なんともいえない雰囲気になります。
これも南側から光が良く差し込むから紅葉がきれいに見えるのであって、いくら立派な道や並木に高額のお金を費やしても、光が差し込む環境がなければこのように美しい道にはならないものです。

環八沿いにあります。
環八までの最後の区間は、住宅やマンションが建ち並んでいて、残念ながら紅葉の美しさはないものの、そんなに悪くない雰囲気でしょうか。
そして環八への出口、逆を言えば、環八からいらか道に入る場所の道の両側に、一対の鬼瓦が置かれていて、仁王像のようににらみを利かせています。まるでいらか道の番人です。
環八の出口部には、いらか道市民緑地があります。比較的最近できた市民緑地ですが、空いた土地をとりあえず市民緑地にしましたといった感じで、特徴のない市民緑地かな・・・といった感想を持ちましたが(2012年頃)、現在ではボランティア団体がガーデニングに力を入れているようです。
環八に出てしまうと、いらかではない普通の歩道になるので、ここでいらか道は終了となります。

雨の日、落ち葉のある時は少し滑りやすいです。
といった感じで、用賀プロムナードはとても素晴らしい道となっていて、世田谷のなかでも雰囲気のいい道の一つとなっています。
ただし、この道には大きな欠点があって、瓦の敷かれた道路は雨の日に滑りやすいです。特に2輪車は今まで走っていた道路と同じ感覚でこの道に進入してしまうと、すってんころりんということになってしまいます。
今では瓦の表面に滑りにくくなる処理をしてありますが、とりわけ駅付近のピラミッド前の鋭角コーナーにおいては、処理を行う前は自転車、バイク共に転倒する人が多く、私も一度スクーターでこけてしまいました・・・。
後は、子供がせせらぎに入り、水から上がったときや、濡れたまま走り回ったときにも滑りやすいので、注意した方がいいかと思います。
3、いらか道の四季

いらか道沿いや周辺には梅林がまだ残っています。
用賀プロムナード、特に西用賀通りから環八までのいらか道部分は四季折々、とても豊かな表情を見せてくれます。
まずは春先、いらか道を歩いているとほんのりと甘い梅の香りが漂ってきます。

*国土地理院地図を書き込んで使用
もともとこの付近は畑が広がっていましたが、周辺の宅地化や地価高騰、谷沢川の暗渠化で畑をしにくくなり、1970年~80頃、農業を続けたい(生産緑地を継続したい)地主さんの畑には、梅が植えられました。
80年代の写真を見ても、周辺は住宅が密集しているのにかかわらず、広い梅林がいくつもあることが分かります。こういった緑の多い環境があったから、ここにいらか道を造る計画が立ち上がったのかもしれませんね。
今でも梅林は残っていますが、部分的に住宅やマンションに替わってしまったので、その面積は少なくなってしまいました。とはいえ、まだ幾つかの広い梅林がいらか道沿いに残っていて、梅の季節に花を咲かせ、また、開放的な空間を提供してくれています。

西用賀通り付近には少しだj家桜の木があります。
約1キロに渡って桜並木になっているのが、西用賀通り。その西用賀通りから入った部分に少し桜が植えられています。
この付近は道幅が広く、明るい感じがするので、桜があると華やかな感じがします。また、道沿いにはチェスなどのユニークなオブジェがあったり、おしゃれなカフェがあるので、桜がよく似合っています。

今ではいくらか分かりませんが、2009年は1キロ300円でした。
春から夏になるころ、いらか道のわきにある梅林で青梅の収穫が行われます。
せたがや育ちとして販売されるので、用賀風味の梅酒やジャムなどを製作してみるのもいいかと思います。
この頃、モミジの花蜜なのか、花粉なのかわかりませんが、モミジの下を歩いていると、ぬちょぬちょといらか(地面)に足が引っ付くような感じがする時があります。

夏のいらか道は緑一色です。

光が強い季節だと瓦が反射して輝いた白い道になります。
夏になると、道の周囲は緑一色。頭上の木々が強烈な太陽の光をさえぎってくれ、木漏れ日が気持ちよく感じたり、せせらぎの水が涼しげに感じます。
この時期に限りませんが、いらかに光が当たるとまぶしいぐらいに反射し、道が光り輝く道となります。黒っぽい道が白くなるという変化も面白いものです。

いらか道が一番美しい季節です。

ちょっとしたモミジのトンネルになります。
秋になるともみじが多く植えられているので、いらか道が赤く染まります。紅葉の時期が一番雰囲気がいいように思います。
モミジは光加減によって見え方が変わるので、時間帯によっていい場所というのは変わるのでしょうが、某宗教団体さんの前あたりが一番いい感じに思えます。
朝の光をモミジとともに浴びながら通学、通勤するのはいつもよりも少し気持ちがいいに違いありません。

とても雰囲気が良いのですが、もの凄く滑りやすいです。

深々とした感じが凄く良かったです。
色彩の少ない冬になると、木の葉が落ちて日当たりがよくなり、今まで脇役だった路面のいらかが主役となります。
百人一首の句を捜しやすくなり、また雑草も少なくなるので、道脇に置かれている瓦のオブジェなども見やすくなります。
雪が降ると、普通のアスファルトの道よりも積もりやすく、車の往来が少ないので、すぐに道が白くなります。
いらか道に雪が積もった様子はとても美しく、幻想的にすら感じることもありますが、雨でさえ滑りやすい路面なので、かなり滑りやすくなっています。
このように四季折々で楽しめるのもいらか道の特徴となっています。
4、納涼の夕べと盆踊り
* 用賀サマーステージ *

用賀商店街主催で行われるイベントです。
用賀プロムナードでは、夏になると幾つかのイベントが行われます。
一番最初、7月中旬に行われるのが、用賀地区の盆踊り大会を兼ねた用賀商店街主催のサマーステージです。ピラミッドのようなオブジェのあるくすのき広場で行われます。
広場には簡易型のステージと櫓が設置され、周辺には出店や模擬店が並び、商店街のイベントらしく抽選会も行われます。
ステージでは様々な催し物が行われ、最後に盆踊り大会が行われます。ステージでは婦人会の方々が、櫓の周りでは一般の方々が踊り、夏の情緒を楽しんでいました。

いらか道にはよく似合っていました。
このサマーステージでは、道沿いにさりげなく大山灯篭が灯されます。プロムナードに灯ろうが灯された様子はなかなかいいもので、プロムナードの製作者が意図した「歴史を物語る道」というのも少し感じられるかと思います。
用賀の町、特に用賀商店街は大山道によって栄えました。そういったことを思いながら、盆踊りとともに日本の情緒を楽しんでみるのもいいかもしれません。
* 納涼の夕べ *

用賀町会によって夏休みに行われます。
8月のお盆過ぎには、プロムナードのギャラリー部分で、用賀町会による納涼の夕べが行われます。
子供のためのイベントで、道沿いには模擬店が少し並び、せせらぎを利用したドジョウつかみや灯ろう流しが行われます。

流れがあまりないので押して流していました。
灯ろう流しは玉砂利で縁取られたせせらぎで行われます。こういう場所で行われる灯ろう流しというのは、珍しいように思います。
人工的なせせらぎでの灯ろう流しなので、情緒を感じるか、感じないかは、それぞれの感想となるのでしょう。

自分の流した灯籠が気になってしょうがないといった感じでした。
流している子供たちの楽しそうな笑顔というのは、どこで流しても一緒です。見ていて思ったのが、ここのいいところは、流したら終わりではなく、自分で流した灯ろうをずっと間近で見ていられる事です。イベントの間中、プカプカと浮いています。このような灯ろう流しの方が、子供たちにとっては楽しいのかもしれませんね。
* 用賀サマーフェスティバル *

音楽などのステージが中心のイベントです。
夏の終わり、8月最後の週末に行われるのが、用賀サマーフェスティバルです。
7月に開催の用賀サマーステージと名前が似ていて、開催場所も同じくすのき広場。結構紛らわしいのですが、違うイベントになります。
このイベントは地味な用賀を盛り上げようと始まった企画で、音楽のステージを中心としたイベントになります。今では協賛企業も多くなり、少し大きなイベントとなりました。
会場には飲食物の出店も多く出て、子供用のゲームや模擬店なども行われます。本格的なお酒を提供する出店が出るので、ジャズを聴きながらお酒を傾けるというような大人の楽しみ方もできます。
5、感想など

紅葉の時期の朝が一番素敵です。
いらか道とか、百人一首の道として親しまれている用賀プロムナード。砧公園を訪れる時に通ったという人が多いのではないでしょうか。
いらか(瓦)が敷かれた道には、せせらぎがあったり、百人一首の句が刻まれていたり、様々な遊び心のあるオブジェが設置されていたりと、歩くことが楽しい道となっています。
季節の木々も印象的で、四季の変化を楽しめ、何より都会にあって日当たりもよく、季節や光の加減で、道全体で色々な表情を見せてくれます。
用賀の町と同じで、地味な灰色をしているけど、その良さは知れば知るほど奥深く、とても素敵な道だと思います。私が最も好きな道の一つです。
せたがや地域風景資産 #1-14用賀プロムナード(いらか道) 2025年5月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 用賀駅周辺から砧公園まで(上用賀4~5丁目) |
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・アクセス | 最寄り駅は田園都市線用賀駅 |
・関連リンク | 象設計集団 |
・備考 | ーーー |