世田谷散策記 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.54

成城住宅街の生け垣

せたがや地域風景資産 No.1-28

成城の近代住宅

成城のまちを歩くと、手入れのよく行き届いた生け垣を見ることができ、住民がまちを大切にしてきた歴史がよくわかる、家々に住む人々の個性や趣味がそれぞれ感じられて、興味が尽きない。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 :成城一帯
・関連団体:NPO せたがや街並保存再生の会
・備考 :猪股庭園、こもれびの庭市民緑地は開園時間があります。

***  このページの内容  ***

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* 成城住宅地の歴史 *

成城の住宅地
成城の住宅地

それぞれの家が工夫を凝らし、地域に自由な雰囲気があります。

成城といえば、高級住宅地として全国的に名を知られ、世間一般的に高級住宅地の代名詞として認知されています。

おかげで・・・、東京や世田谷に全く関わりのない人などには「成城のある世田谷区は高級住宅街の集まり」と過剰に誤解している方も多々います。世田谷に暮らす人からしてみると何でそうなるの?といった感じですが、実際に私自身よく耳にした事です。

旅好きなのでよく旅に出るのですが、その時に海外、国内を問わず、旅先で出会った日本人と社交辞令のように「どこから来たのですか?」などといった会話をします。

そして、「東京から」などと答えると「東京のどこといった話となり、「世田谷からです」と言うと、「世田谷ってあの成城のあるところですよね・・・。」「お金持ちなのですね・・・。」などといった返答が返ってくる事が少なくありませんでした。

本当になんで「世田谷=成城=金持ち」なんだと思ってしまうのですが、その他に世田谷で全国的に有名な事柄は少なく、成城のメディアへの露出度が色んな意味で高いし、その内容が極端に高級と名がつく場所を撮影や紹介しているので強烈に高級というのが記憶にとどまっているのでしょうね。

ただ古くからの高級住宅地に住んでいる人からすると、成城は高級住宅地として認めたくないようで、「ミーハーな町だよね。田園調布もそうだけど。」とまあ鼻で笑っている人もいました。

まあなんていうか、普段一くくりにして考えていたお金持ちも色々あるんだなと知り、お金持ちの強烈なプライドを見ることができた瞬間でした。そして成城は庶民からの憧れと、本当の金持ちからは軽視され、中間管理職みたいな住宅地なのかもと思ってしまいました。

成城 桜並木と生垣のある町並み
桜並木と生垣のある町並み

区画整理を行った際に植えられた桜並木です。成城の歴史を見てきた桜です。

成城の歴史は大正14年(1925年)に成城学園がこの地に引っ越してきた事から始まります。その当時の成城は住所も成城ではなく砧村喜多見と呼ばれていました。もちろん高級住宅地の影も形もなく、農家が七軒と田畑と雑木林しかない閑散とした地域でした。

そんな何もないような場所に成城学園が引っ越してきたのは、この地に小田急線が通るという事を事前に知っていたからです。まず学園用に7万9千平方メートルの敷地を購入し、更には付近の6万6千平方メートルの土地を購入し、それを住宅地として整地して売りに出し、学園建設用の費用に充てました。

この計画はどんどんと膨らんで最終的には学園用が33万平方メートル、住宅地に122万1千平方メートルにまで拡大しました。これが高級住宅地が形成される初期の事です。

そして小田急線が昭和2年に開通し、成城学園前駅ができると、まずは40戸の住宅が建ったそうです。昭和5年には住所が成城学園前駅で一般的になった成城が付けられ、砧村喜多見成城となりました。その後、昭和9年には437世帯が暮らしていたというから徐々に町が発展していったようです。

昭和11年になると砧村が東京市に編入される事となり、その時に喜多見から独立し、初めて世田谷区成城となります。更には昭和45年になると町区域変更が行われ、周辺の喜多見、祖師谷、大蔵の一部が成城に取り込まれることとなり、成城の町域が一気に拡大し現在の成城1~9丁目という地域が出来上がりました。

東宝撮影所入り口
東宝撮影所入り口

成城の町とともに歩んできました。近年建て替えが行われてきれいになりました。

このように成城の住宅街は成城学園が整地して分譲した事によって生まれ、地名の成城も成城学園から名づけられたものです。

成城が整地、分譲される頃には既に田園調布を筆頭に新町(桜新町)、上北沢といった手本となるべき高級住宅地が出現していました。イチョウ並木は田園調布を碁盤のマス目の区画や桜並木は新町をといった感じでしょうか。

ただ高級住宅地を目指してはいなかったようで、そういった町造りを見習いつつ武蔵野にふさわしい町、とりわけ学園都市の雰囲気を目指していたようです。古くからのお金持ちの見栄や堅苦しさといったものがなく、自由な雰囲気がちょうど時代のニーズに合ったのかもしれません。

また、成城が人気になってしまった要因の一つに東宝の撮影所が建設されたことがあげられます。昭和6年に映画録音会社がP.C.L(写真科学研究所)を成城に建てました。それが昭和11年に三社が合併して東宝となり、東洋一を誇る撮影所に発展しました。現在でも仙川沿いにある砧撮影所です。

この撮影所ができた事で、映画俳優が撮影所に近いという事もあって成城に暮らすようになり、また撮影所から近いので成城を含めたこの地域がロケ地として使われる事も度々ありました。

それ故に映画俳優が暮らす町、映画のロケ地の町といった憧れからも人気となり、結局のところ人気のある町=地価高騰という事で高級住宅地となっていった側面もあったりします。そういった背景があるからミーハーな町と古くからのお金持ちが皮肉を込めて言っているようです。

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* 生垣のある町並み *

成城 生け垣のある風景(猪股邸門前)
生け垣のある風景(猪股邸門前)

敷地の面積が大きいのもあってここの生垣が一番目に止まります。

旅の醍醐味とは普段の自分の生活圏内から脱出することにあります。ところ変われば生活環境が変わります。食べ物も変わります。異文化に触れ、変わったものを食べる。これこそ旅の醍醐味で、その土地の風土や文化、歴史などから独特の景観をつくっている街並みを散策するのは楽しいものです。

極端な例を挙げるならヨーロッパに行けばヨーロッパ的な重厚な町並みを歩いてみたいものだし、東南アジアに行けば水上集落などといった独特な文化も訪れてみたいものです。日本でも台風をしのぐために堅牢な石垣を持つ集落や風から守るための防風林をもった集落、土壁の続く町並みや合掌造りの風景などなど色々あります。

生け垣に関しても鹿児島の武家屋敷(出水、知覧など)に植えられているものや三重の国府や松坂の生け垣などは今まで旅した中で特に印象に残っています。

と前置きが長くなってしまいましたが、私が初めてせたがや百景の一覧を見たときに「ここ行ってみたい!」と興味を感じた項目の一つがこの成城住宅街の生垣でした。

成城 生け垣のある風景(猪股邸周辺)
生け垣のある風景(猪股邸周辺)

猪俣邸付近は古くからの区画なので生垣が重厚な家が多いです。

成城自体歩いたことがなかったので、初、成城だ!とまあ張り切って駅周辺を散歩してみると、強烈に個性を放っている家もあれば豪邸と呼ぶのがふさわしい家、シンプルな家、よくあるような家、・・・とまあ様々。

ただ、やはり大きな敷地の家が目立ちます。さすが成城、うらやましい・・・。じゃなくて、町並みにもゆったりとしていて煩雑さがないといったところでしょうか。

ここでのテーマは生け垣です。生け垣に注意を向けつつ観察してみると、そこそこの敷地面積に庭付きの家が整然と建ち並んでいるという事で、当然この界わいでは生け垣や塀といったものが多く見られました。

さぞ立派な生け垣が並んでいて、町並みに統一感があって美しいんだろうな・・・と期待していたのですが、もちろん場所によっては、おっと思うような所もありますが、連続している区間は限られ、町並み全体から見ると統一性がありませんでした。

今時の家では塀と生け垣を合わせたり、普通のフェンスに植木鉢を掛けたりと、周りの雰囲気に合わせて生け垣っぽくしている家も多く見られ、正直なところ個々の家が好き好きに生け垣を付けているといったような感想でした。

ちょっと期待外れでした。いや、私が町全体に統一感があっていかにも高級住宅地なんだろうな・・・などと過大に期待しすぎたのかもしれません。

成城 生け垣のある町並み
生け垣のある町並み1

大きな生垣もきちんと手入れしてあり、美しく、すっきりとした感じに見えます。

しかしながら成城に生け垣が選ばれたのには訳があります。それは成城の町に電車が開通し、水道やらのインフラや公共設備が整い、徐々に住宅街が形成されつつある頃、住民達が町の景観や町造りについて話し合い、家の囲いは塀ではなく生け垣にしようではないかといった取り決めを行いました。

といっても現在の条例とかいった部類のものではなく、強制力のない任意の取り決めでした。これは田園調布の町づくりの取り決めを参考にしたものだと思われます。

田園調布の場合は高級住宅地として庭の割合とか、建築費まで細かく決められていましたが・・・、あくまでも当時の成城は普通の住宅街というか、住民が雰囲気のいい町を目指していたわけです。

という事で成城には生け垣をした家が多く、そういった町づくりに対する住民意識や景観保全の努力など多角的に考えて百景に選ばれたのです。とりわけ重厚な生け垣が続いている区画などは古くからの家が集まっている場所の事が多いようです。

成城 生け垣のある町並み
生け垣のある町並み2

桜とモミジの小道がある付近です。この付近から崖線にかけても生垣が美しいです。

もし早い段階で現在のような条例といったものが制定されていたら、もっと違った結果になっていたのでしょうが、区画整理で成城の町も昭和45年に町域が広がったし、昔と違って生け垣が最善の方法とも限らないし、結局のところ住む人の価値観や社会の流れで多少なりとも方法が変わってしまうのはしょうがない事です。

それに大きく逸脱しない限り各々の価値観を寛容しているところもまた成城の魅力なので、みんなが正装で着飾るような堅苦しさがなくていいのかもしれません。などと勝手に思ったりしました。

何にしても生け垣というのは手入れに手間暇とお金がかかるものです。特に若い人にとっては敬遠したくなるのもわかる気がします。防犯上でも死角ができやすいとかなんとかとか聞くことがあります。現在の都会から廃れつつあるのも無理はないかなと思います。

成城 生け垣のある町並み
生け垣のある町並み3

生垣に統一感はなくても一つ一つ見ていくと個性や工夫があって面白いです。

ちなみに現在では東京を中心に多くの町で緑化政策を行っていて、世田谷区の例を上げると、「みどり豊かな環境を確保し、安全で潤いと安らぎのあるまちづくりを進めるため、生垣等助成を行っています。この制度は、みなさんが道路に接した部分に生垣や花壇を造る場合や、建物の屋上や壁面を緑化する場合に、その費用の一部を助成するものです。」といった趣旨です。

生垣緑化については「1、これから新しく生垣等をつくる場合、または既存のブロック塀等を取り壊して生垣等を造成する場合」
「2、造成する生垣等が、幅4m以上の道路に接していること。または、道路の中心線から2mセットバックした場所に生垣等を造成すること」
「3、造成する生垣の高さが60cm以上あり、葉の触れ合う程度に列植されること」
「4、法令、条例等において定められている場合は、基準等を超える部分」という条件で「低木は1mあたり6000円まで、中木は1mあたり12000円まで、多年性つる植物等のフェンスは1mあたり1000円まで、生垣造成に伴う既存のブロック塀等の撤去に関しては1mあたり5000円まで」といった助成金が出ます。

限度額は25万円で必ず着工前に申請が必要だとか。生け垣の良さを広め、緑を増やそうといった試みのようですね。でも成城などの広い庭を持っているお宅はいいのでしょうが、生垣を作れるような庭がないと無理ですね・・・。

* 成城の近代住宅など *

成城 猪俣庭園の入り口
猪俣庭園の入り口

月曜日以外の午前9時半から午後4時半まで見学ができます。

百景で成城住宅街の生け垣という項目があるのに対して、せたがや地域風景資産では成城の近代住宅と住宅の方にスポットが当たっています。

それを踏まえて成城の住宅街の歩き方について書いてみると、まず生垣の方ですが、おそらく一番特徴的なのが成城5丁目の猪股庭園辺りでしょうか。猪股邸を含めてこの辺りは立派な生垣が続いています。やはり連続して同じような生け垣が続く景観は美しいものです。

この猪股邸と庭園は無料で公開されていて、月曜日が休館で、それ以外の午前9時半から午後4時半に開館していて、中に入ることができます。

猪股邸の茶室
猪股邸の茶室

成城の自宅に離れの茶室があること自体が凄いですね。

猪俣邸について書くと、ここの見所はまず昭和42年に建てられた邸宅が文化勲章を受賞した吉田五十八氏の設計によるものです。吉田五十八氏は歌舞伎座や成田山新勝寺本堂を設計した人で、区内では百景に選ばれている五島美術館や等々力の満願寺を設計しています。

その邸宅は数奇屋造りの純日本家屋で、凄まじいこだわりと美意識によって建てられています。更には立派な日本庭園があり、離れの茶室まであります。

猪股邸からみた庭園
猪股邸からみた庭園

京都の寺院並みの眺めです。これだけの間口に柱がないのはお金をかけないとできません。
吉田流と言われる近代数奇屋造りの象徴的な部分です。

一番の見どころは大きな間口から自慢の庭を見渡せる部屋です。庭の眺めも贅沢なものですが、これだけの長さに柱を使わないというのはしっかりとした設計と材料を使わなければなりません。まるで寺院とか、料亭で、はっきりいって普通の住宅の域を超えています。成城の中にあってもここはまた別格といった感じでした。

土地も建築費用も目玉が飛び出るような金額になるのではないでしょうか。って、まずお金のことを考えてしまうのは庶民の浅ましさですかね・・・。

ここには解説をしてくれるボランティアの方がいらっしゃるので、時間があるなら説明を聞きながら回るといいです。どこがどうこだわっているのかを教えてくれます。それを聞くと自然とため息が出ます。ぜひ庶民に真似できないようなこだわりを堪能してください。(*素足での見学は床を傷めるので、靴下をはいて欲しいとのことです。)

成城 こもれびの庭市民緑地
こもれびの庭市民緑地

一般のお宅の庭が緑地として開放されています。

そして近代住宅の方ですが、成城三丁目のこもれびの庭市民緑地ではお宅の中には入れませんが、お庭の一部に入ることができ、そこから近代住宅を眺めることができます。塀の外から眺めるよりも少し距離が縮まるので、成城の近代住宅のこだわりが少しは実感できるかと思います。

見学していて思うのは、こういったお金持ちの建物は一般の建物に比べて、余計な部分にお金がかかっているなということです。余計と感じるのは外装などの装飾もそうですが、こんなところにお金をかけてしまうんだといった部分です。要は自分だったらこんなところにお金はかけられないといった部分になるでしょうか・・・。

この建物の場合だと一階部分の屋根に瓦が使われていたり、リビングに背の高い丸い装飾窓が使われていたりする部分に自然と目がいってしまいます。

成城 こもれびの庭市民緑地のお宅
こもれびの庭市民緑地の洋館

細部にまでこだわっている洋館です。煙突があるのでお金持ちのお決まりの暖炉があるのでしょうか。

訪れたことはありませんが、近年では4丁目の成城みつ池緑地に面した旧山田邸が公開されるようになりました。旧山田家住宅は昭和12年頃に建てられた洋館で、現在でも建築当初の姿を良く留めていることから区指定有形文化財に指定されています。ちゃんと確認していませんが、記憶が正しければ多分ウルトラマンに何度か出てきた洋館ではないかなと思います。

私にとって代沢住宅地は江戸川乱歩に出てくる高い石塀に囲まれた昭和初期の住宅地であり、成城はウルトラマンにでてくる生垣に囲まれた昭和中期の洋館といったイメージになっています。

その他、別の項目にもありますが、7、8丁目では桜並木のある町並みを見ることができ、3、4丁目の崖線付近では斜面を利用した町並みがあったりと、高級住宅地と一くくりにできない多彩な魅力があるのが成城となっています。

* 感想など *

植木屋さんと成城の住宅
植木屋さんと成城の住宅

どこの家も植木の手入れがしっかりとされています。

生垣自体は最初に期待していたほど好奇心を満たされませんでしたが、散策してみると、やはり成城は楽しそうな雰囲気を持っている町でした。色々なお宅があり、こういった家に住めればなとか、特徴的な家の家主はどういった性格なのかななどと考えながら歩いてみると楽しいです。

住むとなると話が違ってきます。お金があってそれなりの家に住めれば楽しそうですが、広い家に住めばそれはそれで大変です。掃除が大変だろうなというのはすぐに思いつきますが、まあそれは外からは見えないので多少散らかっていても問題ありません。

でも広い庭を持つとその手入れが半端なく大変です。日々雑草との戦いですし、手間のかかる松などの植木やら生垣を施している庭だと植木屋を年に何回か入れて・・・といったことになります。成城のように周りがマメに植木の手入れをしていたりすると、枝がボサボサになっているのが目立ってしまいます。

お金持ちが多いし、植木屋の需要も多そうだし、なんかほどほどに儲かりそう(勝手な推測)。年を取ったら成城で植木屋さんも悪くないかな・・・と成城の町を散策しながら思ってしまいました。

せたがや百景No.54 成城住宅街の生け垣
ー 風の旅人 ー
2017年9月改訂

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* 地図、アクセス *

・住所成城5丁目12−19(成城五丁目猪股庭園)
・アクセス最寄り駅は小田急線成城学園前駅。
・関連リンクNPO せたがや街並保存再生の会世田谷トラスト(猪俣邸、旧山田邸)

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