* 成城三丁目緑地について *
成城三丁目の国分寺崖線に世田谷区立の成城三丁目緑地があります。段階的に公開されていましたが、完全に緑地として公開されたのは比較的最近の2001年になります。
情報収集のために幾つかのサイトを閲覧したのですが、まず多くのサイトが検索に引っかかるのに驚き、そして閲覧しているとその訪れ方によって印象が違うのに興味深く感じました。
私の場合だと、この緑地を紹介するなら多摩堤通りの終点から成城に登る病院坂沿いにあるといった表現を使い、崖の下から見上げるイメージなのですが、成城で暮らす人や電車で訪れる人は成城から喜多見へ下るといった崖の上から見るイメージになってしまいます。
同じ公園でも入る入り口が違うと少し違和感を感じてしまうのと同じで、崖の上から訪れた人の感想を読んだりするとあっそうなんだと新鮮な感覚を感じました。川や崖のように地域を分断するような対象を逆から見ると結構自分の持っているイメージと違うものですね。
この成城三丁目緑地は国分寺崖線の斜面をうまく利用した緑地です。
国分寺崖線は立川から大田区まで続いている壮大な崖線となるわけですが、成城三丁目、四丁目付近は崖をうまく利用した住宅地と崖の自然が残る地域とが適度に合わさり、崖線の風景が特徴的、或いは興味深く感じられる地域と言う事ができます。
この緑地部分では崖線の自然的特徴がよく表れていて、崖線から湧き出る2箇所の湧水地を中心に、約20mの高低差がある崖の斜面を利用したヒノキ、サワラの常緑樹、コナラ、クヌギの落葉広葉樹が混在する里山的雑木林が広がっています。
崖の斜面だけの緑地ではなく、崖下と崖上の平坦な部分には小さな広場があります。
崖下部分では湧水の流れがあるのですが、これが山林の小川のような感じでビックリします。この流れには橋が掛けられていたり、湧水を溜めた池があったりと、ここは成城かといった風景になっています。
崖部分には手すりの付いた階段と、ちょっとしたトレッキング気分で歩ける散策路が設置されていて、崖線の散策を行うことができます。
階段を一気に昇り降りしてもいいのですが、足が健康で、ちゃんとした靴を履いているのならトレッキング気分を味わえる散策路を歩くのがおすすめです。
気分がリフレッシュでき、結構高低差があるのでいい運動になります。
ここの湧水は安定した水量があり、一年中涸れることがありません。
湧水の付近にはセキショウなどの湿生植物群落も形成されているので、暖かい季節はちょっとした山の中といった雰囲気となります。
見晴らしのいい台地と湧水、そしてすぐそばに魚が生息し、水ふが豊富な野川があるとなれば、この付近は古代人にとっての絶好の住居地となります。
実際、世田谷の崖線上には多くの古墳が残っていて、特に有名なのは野毛の野毛町公園にある都指定史跡になっている野毛大塚古墳です。
この緑地と道を挟んだ砧中学校の敷地にある砧中学校古墳群は一つの大きさでは大した事はないものの、古墳が8号墳まであるちょっとした群墳となっています。
それに旧石器時代から古墳時代までの幅広い年代の住居跡も見つかっているので、この付近が古代の人に暮らしやすい土地だったと伺えます。
この緑地自体は下神明遺跡に含まれていて、旧石器時代から平安時代までの遺構が見つかっています。
崖の斜面というのは古代人にとって横穴墓を作るのに適していて、この付近では不動橋横穴墓群、中神明横穴墓群、上神明横穴墓群など成城4丁目にかけて多くの横穴墓が見つかっています。
切り通しを造るために大規模に掘った不動橋付近から多くの遺構が見つかっていることから、緑地を含めたこの付近には多くの小さな遺構がまだ多く眠っている事でしょう。
住所が成城三丁目だというのにこれだけの緑がまとまって残っていたのは、この土地が林野庁によって保護されていたからです。
緑地ができる前は農水省の管轄の土地で、ほとんどが雑木林となっていました。崖線の下、現在マンションがある辺りに林野庁の宿舎があったために、湧き水も林野庁宿舎裏の湧き水という名称で呼ばれていました。
崖の上、明正小学校の横にも林野庁の社宅があり、この付近一帯は林野庁の影響が強い土地だったようです。
この林野庁の土地を緑や自然の保全を目的に世田谷区が買取り、緑地として整備しました。
余談ですが、高校時代、私の友人がこの林野庁の社宅に住んでいました。崖上だったのか、崖下だったのか忘れましたが、本人が言うには誰が見てもボロボロの社宅といった感じの社宅だったそうです。
その彼は小学校の頃、北海道から転校してきたのですが、中学校の頃は周囲が金持ちばかりで場違いといった感じだったし、高校は成城の外に出たものの、住所が成城ということで、お金持ちだとか、好奇の目で見られるしと、色々と劣等感を抱き続けてきたようです。
駅から遠いし、親は普通の公務員で金持ちじゃないし、住んでいるのはボロボロの社宅だし、住所が成城ってだけでなんでこんな目に合わないといけないんだ・・・と、常々不満を愚痴っていたのをちょっと懐かしく思います。
林野庁としても成城の外れでも成城に社宅があれば贅沢だと批判され、社宅で暮らす人間も周囲と生活の環境が乖離しすぎて辛いといった感じで、目黒の林試の森近くなど他の地域へ移動できてよかったのかなと思ったりします。
なぜこの地が林野庁の土地だったのか。これには色々と訳があるようで、調べてみるとこの地域は面白い歴史を持っているようです。
この成城三丁目緑地を含めた崖線、具体的にどれくらいの広さだったか定かではありませんが、江戸時代は徳川幕府、明治になっては宮内省の直轄地として特別に保護されてきた地域です。
なんでも喜多見家が断絶になったときに幕府が召し上げたとかで、喜多見御料林と呼ばれていたそうです。
明治以降は長らく皇室ゆかりの苗畑があり、それを守るため林野庁の管轄下にあり、御料林でなくなった後もそのまま林野庁の敷地となり、開発を免れてきたようです。
といっても開発を免れたものの、整備もされなかったようで、世田谷区の緑地になる前は結構荒れた感じの雑木林となっていたようです。
戦時中には明正小学校の辺りに学習院が移転する計画もあったという話も興味深いです。こうしてみると皇室にゆかりがある地ともいえます。
この成城三丁目緑地は地域の住民の努力によって崖線の自然、いわゆる里山としての自然環境が守られています。
この緑地を守っているのは成城三丁目緑地里山づくりコア会議で、2000年に地元住民の有志によって設立されました。
具体的な活動としては、月に一回第一木曜日に地域住民、小学校、世田谷区等と「成城3丁目緑地コア会議」を開き、緑地の保全や活用法などについて話し合っています。
そして第三・五木曜日には実際に里山づくり活動を行い、下草刈りや落葉かき、剪定、植樹などを行うことで里山保全に取り組んでいます。
湧水周辺や里山に暮らす植生調査や生物調査も行っていて、この緑地にはクヌギやコナラを中心にシラカシ、アカマツ、ヒノキ、サワラ、竹林、サクラ等の植栽林が混在し、カワセミ、サワガニ、カブトムシなどといった生物が生息しています。
その他、緑地の魅力や活動を未来に引き継ぐためのイベントを実施したり、小学校などのへの授業協力を行う事で、子供たちが里山の管理を体験する場を提供していたりしています。
特に里山と隣接している明正小学校では、総合学習の授業で里山活動を取り入れています。
身近な自然への興味や大切にする心を育むために、コア会議のメンバーも児童たちの指導にあたり、この活動は都会における里山での環境学習のモデルケースとして全国でも注目される活動となっています。
この他、区内の公園では現時点ではたぶんここだけにある代物だと思いますが、近年のエコ志向からかバイオトイレなんていうものが設置されています。
簡単に書くなら汲み取り式のトイレの汲み取り部におがくずを入れ、出した物を微生物の力で分解してしまうというものです。水を使わないので環境を汚さず、更には肥料として再利用もできてしまうといった優れものです。
下水管がいらないし、環境に優しいしと近年山や自然保護地域でシェアを伸ばしていますが、正直言って下水処理がうまくいているここにあるメリットはあまりないように思います。
でもここにあることに意味があるのかもしれませんね。個人的には崖線の林の中を歩いた後にバイオトイレを見ると、トレッキングをしている気分というか、自然の中にいるといった気分に少し浸れるのでこれはこれでありかなと思ったりも・・・。
それに普通のトイレと違うので、トイレだけを借りに来る人が少ないかもしれません。