世田谷散策記 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.95-1

等々力渓谷

境内からは、児童公園などに植えられた二百本もの桜が見下ろせる。本堂横の石段を降りていくと、途中に小さな祠があり、役の行者が祭られている。石段の上には、不動の滝が落ちており、等々力の地名はこの滝の音の轟くところから起こったともいわれる。こんもりと木々の茂るこのあたりは等々力渓谷と呼ばれ、都内とは思えぬ自然の景観を持っている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 :等々力1丁目22番、2丁目37~38番外
・備考 :等々力不動は次項No.95-2で紹介しています。
東京都指定名勝、新東京百景、東京都指定史跡(第三号横穴)、東京の名湧水57選

***  このページの内容  ***

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* 等々力渓谷について *

等々力渓谷公園 東京都名勝の指定書の写真
東京都名勝の指定書

ゴルフ橋の入り口や日本庭園にあります。

目黒通りと環八が交わる付近を中心に「等々力」といった変わった地名があります。区内の人は難なく「とどろき」と読む事ができますが、普通の人はまず読めないと思います。

これはかつてあった簡易的な城、兎々呂城(とどろき)から名付けられたとか、谷沢川にあった姫の滝、或いは等々力渓谷内の不動の滝の「轟く」様子から名付けられたとか言われていますが、そもそもなぜこの漢字が当てられるようになったのかよくわからないそうです。

等々力と言えば、世田谷では東京都の名勝に指定されている等々力渓谷となるはずなのですが・・・、近年ではサッカーのJリーグチームである川崎フロンターレの活躍によって、等々力と言えば「等々力競技場でしょう。川崎市の。」といった意見も多くなってきた気もします。

実は川を挟んだ川崎にもこの難解で特徴的な地名、等々力があるのです。

なぜに川崎にも等々力があるのか。等々力って恰好いいぞ!と世田谷の真似をしたとか・・・、ってことはありません。

かつての多摩川は暴れ川の異名を持っていたほどの川でした。洪水の度に川の流路が変わり、等々力村も川の両岸に分断されてしまったとされています。

以前は川崎側の土地は等々力村の飛び地といった扱いだったのですが、現在では行政区分が多摩川で区切られているので川崎市に所属しています。

もちろん分断されたのは等々力だけではなく、隣の野毛、瀬田、或いは宇奈根といった地名も対岸で見る事ができます。

等々力渓谷公園 等々力渓谷への入り口とゴルフ橋の写真
等々力渓谷への入り口とゴルフ橋

散策しやすいように案内板が立っています。

東急大井町線の等々力駅から環八方向へ向かうとすぐに等々力渓谷の入り口があります。

入り口には等々力渓谷の案内板や名勝の指定書などが掲げられていて、橋のすぐ脇から階段を下りていくようになっています。

が、その橋の名前はなんと渓谷にあるには相応しくないゴルフ橋。これから自然名勝の渓谷を訪れようと張り切っている人には、ゴルフ橋って・・・いきなり脱力感を味わうかもしれません。

これは昭和初期にあった東急系列の等々力ゴルフ場の名残で、ゴルフ場入口に通じている為に名付けられた俗称が元になっています。

等々力渓谷公園 下から見たゴルフ橋の写真
下から見たゴルフ橋

緑に赤が映えます。

ゴルフ場は現在で言うなら渓谷の西側の広大な一帯がコースとなっていました。野毛町公園やその辺り一帯の公務員住宅、都営住宅などはゴルフ場コース跡地にあたります。

野毛町公園内にある野毛大塚古墳はかろうじて残されていたというか、コース場のちょうどいい障害物となっていたようです。

このゴルフ場ができたのは、満州事変が起こる3か月前の昭和6年6月(1931年)の事です。一説には当時の文部大臣鳩山一郎氏(後の第52~54代内閣総理大臣で、第93代内閣総理大臣鳩山由紀夫氏の祖父)が企画し、それを地元の有力者であった五島慶太氏(後の東急社長)に持ちかけて建設に至ったそうです。

当時の野毛地域は多摩川の水運や漁業による産業で成り立っている地域でした。ゴルフ場の建設に際して土地を提供する地元との条件として、スタッフやキャディは土地の者を雇うという条件があったそうで、周辺の人々にとっては家計の助けになったようです。

しかし戦時色が濃くなり、昭和14年に廃止。内務省防空研究所に買収され高射砲陣地として使用され、戦後に公園や団地に変わっていきました。

等々力渓谷公園 ゴルフ橋付近の写真
ゴルフ橋付近

この付近は雰囲気がいいです。

話を等々力渓谷に戻すと、この渓谷は東京23区内で唯一自然の谷壁が残る渓谷という事になります。

この渓谷は桜並木として百景にも登場する谷沢川が武蔵野台地を削って形成されたもので、渓谷の深さは10mほど、全長約1kmの渓谷には湧水、渓谷林、鳥獣、寺院、古墳といった自然と文化財が一体した風致景観が形成されています。

昭和32年に国から風致公園として指定され、昭和49年には指定区域内の河川と斜面の一部を世田谷区立公園として開園。そして平成11年には等々力渓谷公園と等々力不動尊の区域(合わせて約3.5ha)が東京都指定文化財の「名勝」に指定されました。

現在も付近の用地を買収したり、植樹するなどして徐々に渓谷の緑地が広がっています。

また等々力渓谷及び等々力不動尊の湧水は平成15年東京都の「東京の名湧水57選」に選定されていて、渓谷内にある第三号横穴墳墓も昭和50年に都史跡に指定されています。

等々力渓谷公園 環八の玉沢橋の写真
環八の玉沢橋

実は橋の下にスプリンクラーが付いています。

とここまで書くと、なかなか良さげな場所に思えるのですが、やはり注意深く観察していくと所詮は23区内の渓谷だなと思えます。

まず渓谷を流れている谷沢川ですが、全長約3.8kmの多摩川水系の一級河川に指定されている川なのですが、昭和初期に行われた玉川全円耕地整理事業によってほぼ全ての流路が変えられ、かつて自然に流れていた頃の面影がまるでない都市河川です。

おまけに下水道が普及する以前は流れ込む生活用水などの水質汚染が酷く、姫の滝付近には水質浄化装置が取り付けられていました。あまりにも水質汚染が酷かったので区役所が取り付けたようですが、あまり効果がなかったとか・・・。今でもその跡が残っています。

昭和56年以降下水道が復旧した事によって水質は徐々に改善されていくものの、今度は水量が少なくなり過ぎるという問題が起きます。そして平成6年以降は仙川から水をポンプでひいてきて水量を確保しています。

そうかと思えば近年のゲリラ豪雨では中町付近で川があふれてしまい、現在増水時に中町をバイパスする谷沢川分水路工事が行われています。

等々力渓谷公園 ゴルフ橋から見る渓谷の写真
ゴルフ橋から見る渓谷

崖の上には普通に民家が建っています。

渓谷内の川もよく見ると自然っぽい形態できちんと護岸工事が成されていて、やはり都市河川かなといった感じです。

渓谷のすぐ外は住宅街になっているのが現状です。そのことによって崖状部分の植生に制限があったり、人工的な補強がされています。

それに渓谷のど真ん中を大幹線道路である環八が横切っているので、環八が通行する橋周辺は崩れないようにしっかりとコンクリートで補強されています。

渓谷を広げようと用地を買収したり、植生などを植え直したりしているようですが、やはり・・・なんていうか、冷めた目で見るなら等々力渓谷公園といった名の通り大きな自然庭園といった感じでしょうか。

自然豊かなと表現するにはちょっと人工的な部分が目に付き過ぎるように思えます。

等々力渓谷公園 ゴルフ橋付近の散策路の写真
ゴルフ橋付近の散策路

木製の足場が敷かれていてちょっとした渓谷を散策している気分になれます。

渓谷の散策路はゴルフ橋から始まり、途中で環八の玉沢橋をくぐり、この付近に史跡の横穴古墳群があり、更に下ると等々力不動の寺域となり、等々力渓谷の象徴である不動の滝があります。

散策路は歩きやすく整備されていて、案内板も多く設置されているし、等々力渓谷保存会や地元の人々の努力によってきれいな環境が保たれているので、散策するのにとてもいい環境だといえます。

特に雰囲気がいいのはゴルフ橋から環八の玉沢橋の間です。この付近は渓谷の幅が狭いので、渓谷外の風景が見えにくく、自然の中といった気分を味わえます。それに散策路に木製の足場が使われているので、ちょっとした渓谷を歩いている気分になれます。

等々力渓谷公園 玉沢橋付近の散策路の写真
玉沢橋付近の散策路

この付近は完全に人工的な流れになっています。

等々力渓谷公園 玉沢橋付近の散策路の写真
等々力不動の不動滝周辺

この付近は等々力不動の境内地になっています。

玉沢橋より下流になると、渓谷自体の幅が広がり、史跡や広場があったり、等々力不動の不動の滝や稚児大師があったりと、散策路以外の川べりや斜面を楽しむことができます。ただ、川自体は水路といった感じで人工的な護岸を施されています。

全体的にみると、なるべく人工的な部分が目立たないように護岸が整備されていたり、湧水の部分が保全されていたりと、うまく自然環境と治水や景観を両立している感じです。

奥多摩にあるような渓谷を想像して訪れると、あれっという事になるわけで、自然の地形を最大限利用した公園として訪れるのがいいような気もします。

等々力渓谷公園 下流の広場にある愛染桜の写真
下流の広場にある愛染桜

寄贈された桜で、この場所に移植されました。

等々力不動の不動の滝に架かる橋より下流は明らかに人工的な護岸工事で固められていて、渓谷らしい趣はありません。

近年では日本庭園ができ、さらに渓谷を抜けた場所にちょっとした広場が増設されました。

この付近に広場があってもあまり人が来ない気もしますが、ここには区の保存樹に指定されている愛染桜が植樹されています。

愛染桜は八大明王の愛染明王から名付けられた桜で、白い花を咲かせます。桜の時期にはこちらの方にも足を延ばしてみてください。

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* 横穴古墳と日本庭園 *

等々力渓谷公園 横穴古墳のある斜面の写真
横穴古墳のある斜面

環八通りのすぐ脇の斜面になります。

等々力渓谷の環八が通っている橋は玉沢橋と言い、橋の下にスプリンクラー完備の優れものだったりします。

その橋のすぐ横からも渓谷に降りる事ができるのですが、橋のすぐそばの斜面には3つの横穴古墳が並んでいます。

そのうちの第三号横穴は典型的な横穴古墳の形態をとどめていることから都指定史跡に指定されていて、保存状態もいいことから実際に中の様子を見る事ができます。

等々力渓谷公園 第三号横穴と絵入りの解説板の写真
第三号横穴と絵入りの解説板

絵で解説してあるのでわかりやすいです。

解説板によると、三号横穴は奥行き13mで徳利を縦半分に割ったような形の玄室(げんしつ)と羨道(せんどう)からなる墓室とこれに至る墓道とに分かれて、この間は凝灰岩で組まれた羨道で画されています。

母室内からは、男・女・子供の計三体以上の人骨が発見されていて、埋葬者は野毛の有力農民と言われています。

これらは古墳時代後期に造られたもので、それまでの土を盛って造る高塚古墳にかわって横穴式古墳が普及したようで、多摩川流域の崖線や支谷の急斜面に多くの横穴古墳が確認されています。

実際にこの等々力渓谷内でもこの三つの横穴以外にも玉沢橋の下付近に横穴群の存在が確認されていますし、第三京浜の工事の際にも幾つか見つかっています。

等々力渓谷公園 日本庭園入り口付近の写真
日本庭園入り口付近

等々力不動よりも下流にあります。

稚児大師よりも下流部の斜面は近年拡張された区域で、平成17年に日本庭園や芝生広場といったものが開園しました。

谷沢川沿いに日本風の門があり、斜面を登っていくと芝生広場や書院があります。設置されている解説によると、もともとあった個人の日本庭園を利用したもので、書院は昭和36年に建築されたもので、庭園は昭和48年に著名な造園家・・・(誰でしょう?)によって作庭されたものだそうです。

ここが日本庭園かと言われれば書院建物や石灯籠を置いただけといった感じもしますが、斜面という制約の多い立地上、純日本庭園風に見えないのは仕方のないことかもしれません。

等々力渓谷公園 日本庭園のモミジの写真
日本庭園のモミジ

斜面を利用した庭園で、モミジがとてもきれいです。

この庭園が美しいと感じるのはモミジの紅葉時です。崖上にあるモミジはよく日が当たり、とてもきれいです。日本庭園風になっていることがさらにモミジを美しくしています。

いっそのことここにモミジをたくさん植樹してモミジ谷をつくればいいのにと感じてしまいます。そうすれば世田谷梅まつり並に観光客が訪れて等々力渓谷がにぎわいそうです。

それからなぜかここにはみかんの木が多いのが特徴です。元の所有者がみかん好きだったのでしょうか。萩とか西国の出身者だったとか。ちょっと気になった部分です。

またこの庭園の横には切り通しの小道があり、そこでは武蔵野台地のローム層の地層を見る事ができます。

* 感想など *

等々力渓谷公園 等々力渓谷の散策の写真
等々力渓谷の散策

駅から歩いて行ける渓谷なのでグループでの散策も多いです。

等々力渓谷は人によって評価が分かれる場所だと思います。「東京都23区内で唯一の渓谷」とか、「東京都内とは思えない場所」といった表現が的を得ていて、行動範囲が広い人間にとってはちょっと大がかりな親水公園といった認識でしょうし、あまり外へ出られない人には自然豊かな場所といった評価になるかと思います。

人それぞれ行動範囲が違いますし、価値観も違います。でも楽しむ気持ちがあれば散策は楽しいものです。ここは東京都内に残る最後の秘境だ~!などと、大袈裟な探検気分で渓谷を散策すると、大人の遠足といった感じで楽しめるのではないでしょうか。

せたがや百景No.95-1 等々力渓谷
ー 風の旅人 ー
2018年6月改訂

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* 地図、アクセス *

・住所等々力1-22、2-37~38
・アクセス最寄り駅は東急大井町線等々力駅。
・関連リンク等々力渓谷公園(世田谷区)

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