世田谷散策記 せたがや百景のバーナー
せたがや百景の案内板の写真

せたがや百景 No.95

等々力渓谷と等々力不動

境内からは、児童公園などに植えられた二百本もの桜が見下ろせる。本堂横の石段を降りていくと、途中に小さな祠があり、役の行者が祭られている。石段の上には、不動の滝が落ちており、等々力の地名はこの滝の音の轟くところから起こったともいわれる。こんもりと木々の茂るこのあたりは等々力渓谷と呼ばれ、都内とは思えぬ自然の景観を持っている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 等々力1-21-39 (等々力不動)
・備考 : 東京都指定名勝、新東京百景、東京都指定史跡(第三号横穴)、東京の名湧水57選

*** 等々力渓谷の写真 ***

等々力渓谷の様子を写した写真
等々力渓谷への入り口とゴルフ橋

散策しやすいように案内板が建てられています。

等々力渓谷の様子を写した写真
東京都名勝の指定書

入り口にありました。

等々力渓谷の様子を写した写真
下から見たゴルフ橋

名前の割にはありきたりの橋でしょうか。

等々力渓谷の様子を写した写真
ゴルフ橋付近

この付近は雰囲気がいいです。

等々力渓谷の様子を写した写真
玉沢橋(環八の下)

スプリンクラーが付いています。

等々力渓谷の様子を写した写真
環八よりも下流

この付近は完全に人工的な流れになっています。

等々力渓谷の様子を写した写真
集団での散策

駅から歩いて行ける渓谷なので集団も多いです。

等々力渓谷の様子を写した写真
等々力渓谷の碑

 

等々力渓谷の様子を写した写真
日本庭園前

等々力不動よりも下流にあります。

等々力渓谷の様子を写した写真
日本庭園内

斜面を利用した庭園です。

等々力渓谷の様子を写した写真
等々力渓谷 横穴跡の碑

都指定史跡

等々力渓谷の様子を写した写真
第三号横穴と絵入りの解説板

古くから人が生活していた地域です。

* 等々力渓谷について *

目黒通りと環八が交わる付近を中心に「等々力」といった変わった地名があります。区内の人は難なく「とどろき」と読む事ができますが、普通の人はまず読めないと思います。これはかつてあった簡易的な城、兎々呂城(とどろき)から名付けられたとか、谷沢川にあった姫の滝、或いは等々力渓谷内の不動の滝の「轟く」様子から名付けられたとか言われていますが、そもそもなぜこの漢字が当てられるようになったのかよくわからないそうです。

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等々力と言えばやはり東京都の名勝に指定されている等々力渓谷となるはずなのですが・・・、近年ではサッカーのJリーグチームである川崎フロンターレの活躍によって、等々力と言えば「等々力競技場でしょう。川崎市の。」といった意見もちらほらと聞こえつつあるような気もします。

なんと川を挟んだ川崎にも難解な地名、等々力があるのです。なぜに川崎にも等々力があるのか。世田谷の真似をしたとか・・・、ってことはありません。かつての多摩川は暴れ川の異名を持っていたほどの川でした。洪水の度に川の流路が変わり、等々力村も川の両岸に分断されてしまったとされています。以前は川崎側の土地は等々力村の飛び地といった扱いだったのですが、現在では行政区分が多摩川で区切られているので川崎市に所属しています。もちろん分断されたのは等々力だけではなく、隣の野毛、瀬田、或いは宇奈根といった地名も対岸で見る事ができます。

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東急大井町線の等々力駅から環八方向へ向かうとすぐに等々力渓谷の入り口があります。これが有名・・・かどうかは分かりませんが、このタイトルの等々力渓谷です。入り口には等々力渓谷の案内板や名勝の指定書などが掲げられていて、橋のすぐ脇から階段を下りていくようになっています。

が、その橋の名前はなんと渓谷にあるには相応しくないゴルフ橋。これから自然豊かな渓谷を訪れようと張り切っている人には、ゴルフ橋って・・・いきなり脱力感を味わうかもしれません。

これは昭和初期にあった東急系列の等々力ゴルフ場の名残で、ゴルフ場入口に通じている為に名付けられた俗称が元になっています。ゴルフ場は現在で言うなら渓谷の西側の広大な一帯がコースとなっていました。野毛町公園やその辺り一帯の公務員住宅、都営住宅などはゴルフ場コース跡地にあたります。野毛町公園内にある野毛大塚古墳はかろうじて残されていたというか、コース場のちょうどいい障害物となっていたようです。

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このゴルフ場ができたのは、満州事変が起こる3か月前の昭和6年6月(1931年)の事です。一説には当時の文部大臣鳩山一郎氏(後の第52~54代内閣総理大臣で、第93代内閣総理大臣鳩山由紀夫氏の祖父)が企画し、それを地元の有力者であった五島慶太氏(後の東急社長)に持ちかけて建設に至ったそうです。

当時の野毛地域は多摩川の水運や漁業による産業で成り立っている地域でした。ゴルフ場の建設に際して土地を提供する地元との条件として、スタッフやキャディは土地の者を雇うという条件があったそうで、周辺の人々にとっては家計の助けになったようです。しかし戦時色が濃くなり、昭和14年に廃止。内務省防空研究所に買収され高射砲陣地として使用され、戦後に公園や団地に変わっていきました。

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話を等々力渓谷に戻すと、この渓谷は東京23区内で唯一自然の谷壁が残る渓谷という事になります。この渓谷は桜並木として百景にも登場する谷沢川が武蔵野台地を削って形成されたもので、渓谷の深さは10mほど、全長約1kmの渓谷には湧水、渓谷林、鳥獣、寺院、古墳といった自然と文化財が一体した風致景観が形成されています。

昭和32年に国から風致公園として指定され、昭和49年には指定区域内の河川と斜面の一部を世田谷区立公園として開園。そして平成11年には等々力渓谷公園と等々力不動尊の区域(合わせて約3.5ha)が東京都指定文化財の「名勝」に指定されました。現在も付近の用地を買収したり、植樹するなどして徐々に渓谷の緑地が広がっています。

また等々力渓谷及び等々力不動尊の湧水は平成15年東京都の「東京の名湧水57選」に選定されていて、渓谷内にある第三号横穴墳墓も昭和50年に都史跡に指定されています。

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とここまで書くと、なかなか良さげな場所に思えるのですが、やはり注意深く観察していくと所詮は23区内の渓谷だなと思えます。まず渓谷を流れている谷沢川ですが、全長約3.8kmの多摩川水系の一級河川に指定されている川なのですが、昭和初期に行われた玉川全円耕地整理事業によってほぼ全ての流路が変えられ、かつて自然に流れていた頃の面影がまるでない都市河川です。

おまけに下水道が普及する以前は流れ込む生活用水などの水質汚染が酷く、姫の滝付近には水質浄化装置が取り付けられていました。あまりにも水質汚染が酷かったので区役所が取り付けたようですが、あまり効果がなかったとか・・・。今でもその跡が残っています。もちろん下流である等々力渓谷は酷い有様だったようです。

昭和56年以降下水道が復旧した事によって水質は徐々に改善されていくものの、今度は水量が少なくなり過ぎるという問題が起きます。そして平成6年以降は仙川から水をポンプでひいてきて水量を確保しています。渓谷内の川もよく見ると自然っぽい形態できちんと護岸工事が成されていて、やはり都市河川かなといった感じです。

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それから渓谷のすぐ外は住宅街になっているのが現状です。そのことによって崖状部分の植生に制限があったり、人工的な補強がされています。同じように渓谷のど真ん中を大幹線道路である環八が横切っているので、環八が通行する橋周辺は崩れないようにしっかりとコンクリートで補強されています。

用地を買収したり、植生などを植え直したりしているようですが、やはり・・・なんていうか、冷めた目で見るなら観光に目覚めた宿場町が今更ながら古風なレプリカ建造物をどんどんと建築していくようなものでしょうか。自然豊かなと表現するにはあまりにも人工的な部分が目に付き過ぎるように思えます。

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ただ湧水が至るところから湧き出ていたりと自然環境がきちんと残っているのは事実だし、地元の人々の努力によってきれいな環境が保たれていたり、歩きやすいように歩道が整備されたり、案内板が設置されたりと自然の地形を最大限利用した公園として見るならとても素晴らしい場所だと思います。だから奥多摩にあるような渓谷を想像して訪れると、あれっという事になるわけで、区内にある多くの親水公園を大掛かりにしたものと考えるのがいいような気もします。

時々大きな声で「東京とは思えない場所だ」とか、「東京にこんな本格的な渓谷が残っているなんてビックリだ」とか、酷い場合には「全国的にも有名な渓谷なんだ」などといった事を話している人がいますが、実に人工的で東京らしい場所だといえますし、全国の景勝地となっているような渓谷とはあまりにも景観が違いすぎます。

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渓谷はゴルフ橋から始まって途中に等々力不動の寺域(稚児大師や不動の滝付近)を挟んで矢川橋まで続いています。ただ不動の滝に架かる橋以降は明らかに人工的な護岸工事で固められていて、渓谷らしい趣はありません。

稚児大師の裏付近は近年拡張された区域で、平成17年に日本庭園や芝生広場といったものが開園しました。ここが日本庭園かと言われれば書院建物や石灯籠を置いただけといった感じもしますが、これはもともとあった個人の日本庭園を利用したものです。なぜかみかんの木が多いのが特徴です。所有者がみかん好きだったのでしょうか。

付随する芝生広場を含めてこの場所が渓谷内に相応しいかどうかは人それぞれだと思いますが、ここのモミジの紅葉はきれいです。またこの庭園の横には切り通しの小道があり、そこでは武蔵野台地のローム層の地層を見る事ができます。

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環八が通っている橋は玉沢橋と言い、橋の下にスプリンクラー完備の優れものです。そのすぐ横からも渓谷に降りる事ができるのですが、橋のすぐそばには3つの横穴が並んでいます。そのうちの第三号横穴は都指定史跡に指定されている古墳で、実際に中の様子を見る事ができます。

解説板によると、三号横穴は奥行き13mで徳利を縦半分に割ったような形の玄室(げんしつ)と羨道(せんどう)からなる墓室とこれに至る墓道とに分かれて、この間は凝灰岩で組まれた羨道で画されています。 母室内からは、男・女・子供の計三体以上の人骨が発見されていて、埋葬者は野毛の有力農民と言われています。

これらは古墳時代後期に造られたもので、それまでの土を盛って造る高塚古墳にかわって横穴式古墳が普及したようで、多摩川流域の崖線や支谷の急斜面に多くの横穴古墳が確認されています。実際にこの等々力渓谷内でもこの三つの横穴以外にも玉沢橋の下付近に横穴群の存在が確認されていますし、第三京浜の工事の際にも幾つか見つかっています。

*** 等々力不動の写真 ***

等々力不動の写真
春の山門付近

門前の桜が美しいです。

等々力不動の写真
秋の山門付近

色とりどりで鮮やかです。

等々力不動の写真
本堂

昭和28年に再建したものです。

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本堂の提灯

巨大で存在感があります。

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桜の時期の舞台

多くの人が訪れていました。

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等々力囃子

新年や節分の時に演奏されます。

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草木供養碑

いつも花が供えられています。

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紅葉時の手水舎

なかなか趣があります。

等々力不動の写真
雪が積もった滝の道
等々力不動の写真
滝の道の途中の祠など
等々力不動の写真
弁天堂と弁手池

舞台の下のほうにあります。

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地蔵堂

一番奥にあります。

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桜が咲く様子

かなり下った地蔵堂付近にあります。

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舞台下のモミジ

立派なモミジの木が何本かあります。

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不動の滝と祠など

等々力不動の象徴です。

等々力不動の写真
滝の横の石像

 

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滝の出口

龍の口から水が出ていました。

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滝上の不動様

滝を見下ろす番人といった感じです。

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瀧不動

滝の横の祠に祀られています。

等々力不動の写真
稚児大師の像

稚児大師とは弘法大師の幼い時の呼び名です。

等々力不動の写真
稚児大師前の霊水

御利益がありそうな雰囲気です。

* 境内の四季 *

等々力不動の写真

花祭り用に花が飾られます。

等々力不動の写真

緑が気持ちよく感じます。

等々力不動の写真

イチョウの落ち葉の絨毯となります。

等々力不動の写真

雪の日は寒いけど情緒があります。

* 新年 *

等々力不動の写真
夜の境内

年が明けると初詣の参拝客で賑わいます。

等々力不動の写真
昼の境内<

昼間もそこそこお参りする人が多いです。

等々力不動の写真
新春の書き始め

参道にドカッと置いてありました。

等々力不動の写真
ライトアップされた六大の松

満願寺縁の霊松になるようです。

* 節分 *

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舞台上からの豆まき

景品交換用の玉も投げられます。

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豆まきの様子

小さな子供用のエリアがあるので安心です。

* 花祭り *

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花祭りの境内

多くの信者が集まります。

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法要

僧侶の数も多いです。

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甘茶かけ

健やかな健康を願います。

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白象

日曜日に子供達に曳かれて練り歩きます。

* 等々力不動について *

等々力不動は満願寺の別院で、正式には滝轟山明王院という名前です。滝轟山は不動の滝が轟く様子から付けられたと言われていますが、現在ではそんな事が想像できないほど水量が少なくなっています。

とはいえ、この滝の水が等々力渓谷内で最も水量の多い湧水というのも事実で、根本的な問題として渓谷内の水量が地形や環境の変化といった要因により少なくなってしまった感じです。

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不動尊の起源について書くと、約千年前に和歌山県根来寺の興教大師が日頃信心する不動明王から「武蔵野國、調布の陵に結縁の地がおる。永くその地に留まり衆生を済度せん。」と神託を受け、この付近を探索し、そして夢と同じ霊場を見つけたそうです。

そして手に持っていた錫杖で岩を穿つと、そこから清らかな滝が溢れ、その水しぶきの中に金色に輝く三十六童子が現れた・・・とか。これは少々話がSFじみていますが、ここに持参した不動明王を安置するためのお堂を建てたのが不動尊の始まりだと言い伝えられています。

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実際はそれ以前(平安時代)からこの場所は霊場として関東一円に知れ渡り、各地から修行者も多く訪れていたそうです。すぐ近くに古墳文化の象徴のような野毛大塚古墳などの大きな古墳がごろごろあるような文化的地域だった事を考えれば、古くからこの滝が広く世間に知れ渡っていたというのも納得できます。

また、戦国時代には吉良氏の戦勝祈願所になっていたとも言われていますが、吉良氏は戦をした記録が一度しか残っていなく、戦争をしない大名だったのでは・・・と言われていますが、どうなのでしょう。

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山門はなかなか風情があるというか、年季を感じる門です。これは昭和44年に満願寺が改築された際に、それまで満願寺で使用していたものが移築されたものです。山門の前には桜の木があり、春には門と相成っていい風景になります。もちろん秋の紅葉時も美しいです。

山門から入って左側にある舞台は近年造られた新しいものです。元旦の破魔矢やお守りの売り場、節分祭の豆まきや菊まつりの菊を展示するのに使われています。一階部分から崖線や渓谷の一部が眺められるようになっているのですが、木が多すぎて絶景と言うにはちょっと・・・といった感じです。

春には下の参道にある桜が咲く様子も見られますが、これもピンク一色というわけではないので中途半端な感じです。開花時期には期間限定でライトアップもされているようですが、これは訪れていないのでどんな感じになるのか分かりません。桜の木だけが闇に浮かび上がっているのならきれいかもしれません。

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この舞台と山門の間には何時もきれいな花が供えられている草木供養碑があります。名前の通り草や木、花などを供養する為のもので、昭和47年に玉川造園組合によって奉納されたものです。

山門から入って右側には小さな堂があり、行事の時などにここで等々力囃子が演じられます。等々力囃子は伝統のある芸能で等々力囃子保存会によって受け継がれていて、同じく等々力にある玉川神社の例大祭などでも活躍しています。

その堂の横には横たわった松、六大の松があります。満願寺縁の霊松らしいのですが、詳しくはわかりません。大晦日の夜にはライトアップされていました。

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大きな提灯がぶら下がっている正面の本堂は昭和28年に再建されたものです。祈祷者、信者、近くの散歩人、等々力渓谷を訪れた観光客と何時も参拝客が絶えないといった感じで、拝んでいる人の姿をよく見かけます。とりわけ大きな護摩の日や花祭りの時などは多くの信者が集まり、熱心に祈りを捧げたり、祈祷を受けたりしています。

この本堂は実は拝殿として使われていて、奥にある奥之院に役の行者御作の秘仏不動明王が安置されているそうです。

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本堂の脇に社務所があり、お守りや護符などが売られています。その横から不動の滝や等々力渓谷へ降りる階段があります。階段を降りるにあたって気がつくのはここに手水舎がある事です。実はこちらが表参道となるのです。

階段を降りるとすぐに刀の石像が置かれた分岐点があります。真っ直ぐは不動の滝や稚児大師、左折は弁天堂や地蔵堂などがある参道になります。この参道の特徴は何といっても桜ともみじです。約150本ほどの桜が並んでいて春には桜の名勝として多くの人が訪れ、夜には夜桜見物ができるようにライトアップされます。

これらの桜は環八ができる前の道沿いに植えられていた桜並木の一部を移植したものです。古くからの地元の人には愛着のある桜の木という事になるのでしょうか。

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また舞台下はモミジが沢山植えられていて、秋になると紅葉の名勝になります。舞台から見下ろすのもいいですが、舞台の下から舞台を見上げるようにモミジを見る方がきれいで、絵になっていると思います。

参道の脇には弁天堂と弁天池があります。一種の水神なのでこれも湧水を利用した池に浮かぶような形で祀られています。参道の終点付近の等々力不動広場には地蔵堂があり、お地蔵様が等々力不動の方を眺めています。

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で、戻って真っ直ぐ滝の道を降りていくと、右手に役の行者を祀った洞窟のような神変窟があります。今でも修行やお経を唱える人が絶えないようで、たまに階段を歩いていると念仏が聞こえてくる事があります。

階段を下まで降りると左手に真言密教の瞑想の道場「宝珠閣」があり、その横では抹茶等の接待が受けられる茶屋があります。木々に囲まれた気持ちの良い環境でお茶や甘味などを楽しめる事から人気があるようです。

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そして右手に不動の滝と石像、祠群があります。数千年の間、如何なる早魃にも涸れることなく冷水が渓谷に轟く音から「とどろき」の地名が名付けられたとも言われている滝ですが、現在では二カ所の水流の口から水が噴き出す程度の水量しかありません。

季節などによって水量が変わるようで、以前訪れた時は水道の蛇口程度しか水が出ていなく、ビックリした事があります。もちろん今でも生きた滝、修験場であるので、年間一千人以上の方々が関東はもとより日本全国から訪れ、滝に打たれて修行しているそうです。

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滝の前に架かる利剣の橋を渡ると、渓谷の川沿いに続く道と合流します。この辺りはどこまでが等々力不動尊の敷地になるのかよく分かりませんが、稚児大師があるこの地域は等々力不動尊の社域だと思われます。案内板に沿って少し進むと稚児大師が祀られているお堂があります。中には女の子っぽい像が置いてありますが、稚児大師とは弘法大師の幼児期の姿です。

稚児大師の前には水盤が置いてあり、湧水がひかれています。この湧き水は霊水として汲む人が絶えないそうです。飲む時は必ず煮沸して下さいと書かれているのでそのまま飲まない方がいいかと思います。この辺りはモミジが多く植わっているので紅葉時はなかなかきれいです。

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年中行事としては、新年の元朝新春護摩、いわゆる初詣から始まり、2月3日の節分会、4月8日とその近くの日曜日に行われる花祭りが多く人で賑わう行事となっています。特に節分の時はビックリするぐらい多くの人が集まってきて、境内は大混雑します。ここの豆まきは子供用のスペースが設けられているし、平日に当たっても夕方の学校が終わった時間に豆まきが行われるので、子供の姿が多いです。

それから基本的にどこの不動様でも28日が不動様の日といった形で縁日となり、護摩が焚かれます。5月と10月の28日に行われる大祭、1月28日の初不動、12月28日の納めの不動は他の月よりも多くの人が訪れます。この他、12月13日に行われる大根焚きも変った行事です。

<せたがや百景 No.95 等々力渓谷と等々力不動 2009年11月初稿 - 2015年10月改訂>