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せたがや地域風景資産 No.3-10

旧小坂家別邸と崖線庭園

昭和12年に建築された、衆議院議員等を歴任した小坂順造の別邸。建物は2階建てで洋風の寝室棟・和風の主屋棟(座敷)、山小屋風の書斎棟で構成。各棟から国分寺崖線の緑を見渡すことができる。区の施設として、区民参加によるボランティアガイドやイベントなど施設活用も行われている。(紹介文の引用)

・場所 : 瀬田4-41-21
・登録団体など : 世田谷トラストまちづくり大学同窓会
・備考 : 区指定有形文化財

*** 旧小坂家別邸と崖線庭園の写真 ***

馬坂の写真
馬坂

坂の右側が小坂邸のある瀬田四丁目広場になります。

瀬田四丁目広場の写真
瀬田四丁目広場の入り口

坂の下からも入れますが、ここが正門になります。

旧小坂家住宅の外観の写真
紅葉時の小坂邸家屋前

建物の前に立派なモミジの木があります。

旧小坂家住宅の外観の写真
小坂邸家屋

屋根の上の小屋根が特徴です。

旧小坂家住宅の内部の写真
入側(縁側)

ガラス窓が多く使用されていて明るいです。

旧小坂家住宅の内部の写真
茶室

茶室に関しては普通でしょうか。

旧小坂家住宅の内部の写真
茶の間と居間

間の透かし欄間が特徴です。

旧小坂家住宅の内部の写真
内倉と冷蔵庫

大きな昭和を感じる冷蔵庫が置いてありました。

旧小坂家住宅の内部の写真
洋室(寝室)

調度品を含めて重厚な感じです。

旧小坂家住宅の内部の写真
洋室の窓辺

富士山などの眺望が楽しめるようになっています。

旧小坂家住宅の内部の写真
小坂氏の銅板

部屋に飾ってありました。

旧小坂家住宅の内部の写真
離れの書斎

黒壁で独特の造りをしています。

崖線庭園の写真
庭園への入り口

門をくぐって入ります。

崖線庭園の写真
坂に作られた道

崖の斜面に道があります。

崖線庭園の写真
湧き水

庭園内に湧き水が出ています。

崖線庭園の写真
崖下の道

竹林と湧き水の水路と雰囲気がいいです。

崖線庭園の写真
庭園内の木々

背の高い木も多くあります。

崖線庭園の写真
庚申塔

付近にあったものを移動してきたようです。

* 旧小坂家別邸と崖線庭園について *

旧大山道は瀬田の交差点の手前で2ルートに分かれていました。北側(西)を通るルートは崖線のところで慈眼寺や瀬田玉川神社の横を通り、下ると二子玉川商店街を通り、多摩川で再び南のルートと合流します。このルートは慈眼寺ルートと呼ばれ、慈眼寺や瀬田玉川神社のある急な坂は慈眼寺坂と呼ばれています。

その慈眼寺坂の一本北側(西)の坂は薄暗く、細く、まがった坂で、坂の途中にまむし沢という石碑が建っています。名前の通りまむしが多くいた地域でまむし坂、まむし沢坂などと呼ばれていました。更に北側の静嘉堂文庫前から上る坂は馬坂と呼ばれていて、馬でも登ったり下ったりできるように整備したのでその名前がついたそうです。この馬坂の脇に続く広大な緑地っぽい土地が「瀬田四丁目広場」で、敷地内に旧小坂家住宅があります。

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ちなみに馬坂の更に北側は仲代達夫の無名塾があったことから無名坂と呼ばれていて、今でも家の壁に無名塾のプレートがはめ込まれています。無名坂より北側はドミニコ学園があったり特に名がついた坂はありませんが、この辺りの坂はウルトラマンシリーズのロケに頻繁に使われています。旧小坂家住宅を訪れるついでにこれら個性的な坂をめぐってみるのも健康にいいかと思います。

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さて旧小坂家住宅ですが、長野生まれの小坂順造氏が居住していたお屋敷です。小坂氏は信濃銀行取締役、信濃毎日新聞社長を歴任し、後に衆議院議員、貴族院議員、枢密顧問官をも務めた人物です。この小坂氏が昭和12年に別邸として建てたのがこの建物となるのですが、当時は政財界の要人の別邸が区内の国分寺崖線沿いに多数存在していました。

せたがや百景にも出てくる高橋是清の別邸だった玉川幼稚園、そして静嘉堂文庫も三菱財閥の岩崎家の別邸や霊廟であり、またこの小坂邸入り口の斜め前にある多摩川テラスは日産財閥の創設者鮎川義介氏の邸宅跡地になります。こういった別邸はいずれも現在では取り壊されてしまい、唯一当時の場所で建物が現存しているのはこの小坂邸だけです。

そういった意味でも貴重な文化財で、平成11年に世田谷区の指定有形文化財に指定されています。ちなみに残っていない理由は老朽化で建て替えられたり、相続などといったそれぞれの家の事情が大半なのでしょうが、残っていてもわざわざ自分の家を公開したくないといったことで壊されて土地だけ売られたりしたそうです。別邸とはいえプライベートな事柄となるので、わざわざ世間一般に公開したくないというのもわかる気がします。

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小坂邸は瀬田四丁目広場の中にあります。この広場は小坂氏の敷地をそのまま利用したもので、1996年(平成8年)に世田谷区が緑地保護の公園用地として土地を購入し、建物の方は小坂家から寄贈されました。敷地が約千平方メートル(現在は約950平方メートル)、およそ300坪あるというから驚きます。ただ敷地は国分寺崖線の縁辺部にあたり、敷地の半分以上は斜面地と崖下の湧水と湿地になっています。

この斜面地を利用して回遊式の庭園が造られているのですが、樹木が多く、湧き水がありと国分寺崖線の特徴がよく残っていてとても落ち着く環境になっています。湧水が作り出す湿地帯には木製の歩道が設置されているなど、散策をするのにもやさしい設計になっているのも素晴らしいです。竹林となっている付近には昔は茶室があり、戦時中は日本画家の横山大観が空襲を避けるために三ヶ月ほどここに移り住んでいたそうです。残念ながらこの建物は寄贈される前に取り壊されてしまったそうです。

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邸宅の方を見ていくと、昭和12年に別邸として建築。棟札には「昭和12年10月2日上棟」とあり、設計・施工は清水建設の前身である清水組が行っています。施工記録も残っていて、それによると昭和12年7月に起工し、昭和13年9月竣工しているそうです。当時、小坂氏の本邸は東京都渋谷区にあったのですが、昭和20年の戦災で焼失してしまい、その後はこの別邸が本宅として使用され、昭和35年に死去するまでここで暮らしたそうです。

小坂氏の長男小坂善太郎は元外務大臣、三男小坂徳三郎は元運輸大臣、孫の小坂憲次は文部科学大臣を務め、現在でも長野で政治家をしているといった政治家一家です。三男小坂徳三郎氏は選挙区が世田谷なので、順三氏が亡くなった後は、彼が使用していたのでしょうか。それとも一族の別荘的に使用していたのでしょうか。どのように使用しされていたのかわかりませんが、平成8年に世田谷区に寄贈され、現在のように公開されるようになりました。

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主屋は建築面積322.2平方メートル、一部2階建てで、入母屋造、切妻造、桟瓦葺となり、平成11年には世田谷区指定有形文化財に指定されています。外から見て気になるのは屋根の上に煙突のように小さな屋根がついていることです。これは「気抜き」と呼ばれ、小坂氏の出身地長野ではよく見られる建築様式で、室内の保温の焚火や煙を換気するための煙突代わりの屋根です。特に明治になり宿場の町から養蚕の町に変わったときに多くの家で改装されたとか。もちろんこの家で蚕を飼育などしていなく、小坂氏が故郷を懐かしんで取り付けたそうです。

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内部は和洋折衷で主家棟は和風、離れを洋風と各棟で仕様を変え、別邸ならではの趣味的な色合いの濃い住宅になっています。まず玄関は土間となっていて、天井を見上げると吹き抜けとなっています。いわゆるよく古民家で見るような梁組で、小坂家の伝承に拠れば、梁材は奥多摩の名主屋敷のものが使われたとか。昔は材木の再利用は当たり前で、特に梁材はちゃんとした古民家のものを使用するのが丈夫でいいとされていました。

この土間部分の壁には格子の入った横長の障子窓があるのですが、これは茶室の窓です。あるいは入り口にも使用されたのかもしれません。この茶室は6畳で炉を切ったタイプで、床は略式の壁床(織部床)、天井は蒲簾が張られています。他の部屋に比べるとですが、茶室に関してはそこまでこだわってといった感じはないようです。

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玄関から上がると、まずは東西に伸びる畳廊下があり、その先に12畳半の居間と10畳の茶の間があります。居間は一間半の床の間と付書院を設け、天井は高価な薩摩杉が用いられ、数寄屋風のつくりとなっています。茶の間との境にある欄間には桐紋の透彫が入っているのも特徴の一つです。

この居間と茶の間には庭側の30cmぐらいが板敷になっている畳敷の入側がめぐっています。入側はすべてガラス窓になっているのでとても明るく、床も畳敷きとなっているのでくつろぐこともでき、とてもうらやましいというか、贅沢な空間です。

茶の間の東には3畳の和室、台所、6畳の女中部屋、納戸などがあり、廊下の角には懐かしいというか、昭和の風情のある電話室があります。よく宿場町の本陣や豪商宅でみかけるやつで、世田谷では珍しい存在かもしれません。こういった主体部の凝った建築は大正から昭和前期にかけて文化人の間で流行した民家風和風住宅の意匠です。

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茶室の先、主屋の北西に位置する書斎は入った瞬間にオッと感じるような独特の造りをしています。なんと壁が黒いのです。しかも無骨な感じの工法で造られているので、圧倒される感じがあります。更には壁の中央に取り付けられている暖炉。まあ暖炉自体はこのクラスの住居なら珍しくはないのでしょうが、暖炉の上のスペースには丸い金箔の張られたスペースがあり、異様な存在感を放っています。

これは仏像を安置するために造ったスペースで、実際に仏像が置かれていたそうです。このほか、柱は赤松の面皮柱、床は寄木板張、壁に張られた腰板には鉈目削りの装飾が施され、部屋自体が和洋折衷であり、また山小屋風でもあり、なんとも不思議な空間というか、独特な趣きのある部屋になっています。

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主体部の南東には南方向に延びる廊下があり、その途中には2階建の内倉があります。内倉には鉄製の防火扉が付けられ、収集していた美術品や調度品、家財道具が保管されていたそうです。この蔵の前にはかつてこの家で使用していた古い冷蔵庫がさりげなく置いてあるのですが、これがでかい。さすが大きなお屋敷といった感じであり、また昭和を感じるようなレトロなデザインは味があっていいオブジェになっています。

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この内倉の先に2階建の寝室棟があります。この建物は完全に洋風となっていて、寝室の手前には階段ホールと更衣室があり、2階は非公開となっていますが、令息室と書庫があります。メイン部の寝室はいかにも洋室といった部屋になっていて、飾りの暖炉があり、凝った照明器具があり、そして現在では暖炉の上の壁には小坂順造のレリーフが飾られています。

この寝室の西側には小さな窓辺の部屋が設置され、今は木が邪魔をしていますが、昔は富士山を望めるような景色を楽しめたそうです。ちなみにこの部屋には応接セットが置いてあるのですが、これもやっぱり高そうな代物です。以前は自由に座ってワンランク上の身分を味わうことができたのですが、段々と椅子が傷んできてしまい、今では座れないようになっています。

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とまあ小坂邸は立派なお屋敷と、広い庭があり、当時の政財界人の生活や文化意識を垣間見れる貴重遺構となっています。こういった文化財を維持したり保存したりするのは大変手間のかかることです。近年、建物の安全性が確保できないということで閉鎖され、耐震工事やバリアフリー化の工事が行われました。そして2012年1月から再び公開されるようになりました。

再開後は世田谷区より委託を受けた一般財団法人世田谷トラストまちづくりが公開管理にあたっています。開館時間は午前9時30分~午後4時30分まで(休園日:毎週月曜日、但し月曜が祝日の場合は次の平日。及び、年末年始)で、入場は無料です。おまけに待機しているボランティアの方の説明を受けることもできます。

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また文化財の建物と広大な敷地を擁する瀬田4丁目広場は、学び・遊び・活動の空間としての利活用の拡大を世田谷区が考えていて、様々なイベントが行われています。管理しているボランティアのサイト、「せたよんフィールドミュージアム」でイベントなどが確認できます。まだ始まったばかりの取り組みですが、今後は文化財の魅力だけではなく、地域の活動もプラスされた魅力ある場所になっていくのではないでしょうか。

<せたがや地域風景資産 No.3-10、旧小坂家別邸と崖線庭園 2014年6月初稿 - 2015年10月改訂>