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せたがや百景 No.99

田園調布のいちょう並木

田園調布駅に至るイチョウ並木はがっしりとたくましく、繁雑なバスの往来をものともしない。戦前の田園調布開発に際して植えられたものが成長した並木だが、良好な住宅地を形成するには長期的な計画が欠かせないことの一つの証左になっている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 玉川田園調布一丁目から大田区の田園調布駅にかけて
・備考 : 大部分が大田区

*** 田園調布のいちょう並木の写真 ***

田園調布のいちょう並木の写真
世田谷区から見たイチョウ並木(4月)

環八の交差点から少し入ったところです。

田園調布のいちょう並木の写真
緑の銀杏並木

狭めの2車線道路になっています。

田園調布のいちょう並木の写真
イチョウ並木を走るバス

バスが通るには狭いです。

田園調布のいちょう並木の写真
紅葉の始まり

日当たりのいい西側が先に紅葉していました。

田園調布のいちょう並木の写真
イチョウ並木の中

日の当たり加減でまばらな感じでした。

田園調布のいちょう並木の写真
並木道の途中で

 

* 田園調布のいちょう並木について *

う~ん、これってありなの?といった百景です。並木のほとんどは大田区のもの。世田谷区は2ブロックのしかも片側だけ。一応世田谷にも含まれているけど、これを世田谷の百景に選定してもいいのだろうか・・・と思ってしまいます。

そもそも田園調布って世田谷区なの?大田区なの?世田谷区と何の関係があるの?という人もいるのではないでしょうか。私も混同していたのですが、住所で言うと、「田園調布」と「玉川田園調布」があって、前者が大田区、後者が世田谷区です。そして前者が駅前付近の一等地に対して、後者は環八付近のごく一部だけ。おまけに玉川浄水池がドカってあったりします。なんとも紛らわしい限りです。

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田園調布は言わずと知れた日本を代表する高級住宅地です。しかも日本で最初の近代的都市計画、渋沢栄一氏によるイギリス式の郊外住宅地計画によって生まれました。これは都市と田園の長所を兼ね備えた住宅地を理想とした「田園都市構想」によるものでした。

大正7年に田園都市株式会社が設立され、宅地化計画が始まりました。そして現在の田園調布一帯の土地が買い上げられ、宅地造成が始まりました。その頃世田谷区を代表する高級住宅地成城はというと・・・まだ影も形もありませんでした。

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ただ成城と田園調布の共通点があって、それは鉄道が開通する前に町づくりが行われた事です。田園調布に目蒲線が開通したのが大正12年の事で、更には関東大震災も起きて宅地需要も高まり、一気に町並みが発展しました。田園調布の特徴は何といっても同心円放射状の街路で住宅地が構成されている事です。明らかにヨーロッパの町づくりを意識しているのがわかります。そういった雰囲気も高級住宅街として人気となった要因に違いありません。

ちなみに田園調布の由来に付いて書くと、元々この付近は調布村でした。調布という地名は全国的にありますが、これは「租庸調」という古代の税において調として特産の布を治めていた事から付いた地名です。それが大正15年に駅名が調布から田園都市と変わり、昭和7年に大森区の誕生とともに町の名が田園調布となりました。

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で、主題の百景に登場する銀杏並木ですが、これは当時の区画整備の際に植えられたものです。田園調布の特徴である同心円放射状の街路のうち駅から放射状に伸びている三本の比較的広い道沿いに植えられました。一応せたがや百景に選ばれている・・・というか、世田谷区の玉川田園調布にちょこっと含まれている並木は三本の中でも一番北側に位置し、通りとして環八へ続いているので並木が一番長く、交通量が多くなっています。

田園調布を特徴付ける3本のイチョウ並木として考えたなら・・・、一本の並木のしかも片側の2ブロックだけなので世田谷区の百景に含めてはまずいのでは・・・と、やっぱり違和感を感じてしまいます。

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ちなみに玉川田園調布は名前から想像できると思いますが、田園調布の成功を見て、これはもっと広げれば売れるぞ!とばかりに東急が調布村と玉川村の村境にあたる等々力の飛び地である六本松を中心に奥沢の土地を強引に買い占め、整地して、世田谷区成立の際に土地の名までもを玉川田園調布として売りだしたものです。

荒れていた土地とはいえ、その土地の名や由緒に何の思い入れや愛情を感じない企業のやる事ですから本当なら玉川も取って、大田区に編入させたかったのでしょうが、こればかりは行政区分が違うので何ともなりません。商品価値が少し下がるけど世田谷区玉川村という事でやむなく玉川を付けておこうといった感じでしょうか。こういった出来事も強盗慶太(東急の創始者五島慶太氏のあだ名)と呼ばれる由縁であるようです。

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最初に並木道を歩いてみたのは4月でした。緑の葉が大分生い茂ってきていて、並木道全体が若々しいというか、みずみずしいというか、新緑の季節だなといった感じでした。並木道の途中にはやたらと木の枝に注意といった看板が立てかけられていました。どうやら区内にある多くの桜並木と同じで、木の枝がバスや大型車両に当たって折れてしまうようです。

こんな細い道に並木を作り、バスを走らせたらしょうがないことですね。実際にバスが走っている様子を見ると、木の葉がぎりぎりを走っているというか、中には木の葉がバスの屋根をほうきのようにはいていたりしました。これは便利・・・じゃなくて木の枝も大変です。

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次に紅葉時分に訪れてみると、ちょっと早かったようで並木の片方しか紅葉をしていませんでした。って、片方って・・・、とても面白い光景でした。木の性格によるものなのか、日の当たりの加減が影響しているのかわかりませんが、西側の方の木々が先に色づくようです。

更に一週間後、再び訪れてみると、ほぼまんべんなく紅葉している状態でした。しかしながら並木道の中を歩いてみると、どうもまばらな感じがします。上を見上げると、緑の葉があれば、葉が散ってしまいつつある木もありました。周りの住宅街は低い建物ばかりなので、木々が近すぎることによりお互いの日当たりを悪くしてしまっているようです。

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そういった目で改めて並木道を見ると、道路の幅が2車線道路にしては狭い事に気がつきました。だからやたらとバスが枝に当たったり、紅葉が左右で極端に違ってくるんだな。もう少し間隔が開いていれば、葉が多くの光を受けることが出来たり、バスなどによって枝が折れることはないだろうに・・・。

田園調布のイチョウ並木といえば聞こえはいいけど、実際のところは木の悲痛な声が聞こえてくるような並木道です。せめて昔のように一車線道路にすればと思ってしまいますが、交通の便が悪くなるし、大田区と世田谷区にまたがっていては行政的にもあまり期待できそうにありませんね。

<せたがや百景 No.99 田園調布のいちょう並木 2008年6月初稿 - 2015年10月改訂>