世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.52

成城の桜並木

せたがや地域風景資産 #2-22

成城の桜並木といちょう並木

成城6、7丁目

桜のないまちの春はなにか物足りない。満開のときなど、まちに一斉に春が訪れたことを告げてくれる。花実の宴のにぎわいはないが、路上や家々の屋根に降る花びらは、閑静なこのまちに春の風流心を呼び起こす。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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1、成城の桜並木について

成城の桜並木
成城の桜並木1

成城学園前駅入り口交差点付近

桜並木の印象的な住宅地といったランキングを付けるなら、成城の名が上位に出てくるはずです。高級住宅地として抜群の知名度を持つ成城にあるということに加えて、森山直太朗氏の大ヒットした歌「さくら」のモデルとなったことで、桜並木のある町並みの代表格になってしまった感があります。

世田谷に暮らしていると、ここの桜並木が特別に凄い風景とか、成城らしい風景だとは感じませんが、そこはやっぱり全国的に知名度のある成城ってやつなのでしょう。桜の花見スポットを紹介する情報誌や情報サイトを見ると、世田谷の代表的な桜スポットとして、砧公園の桜とともに載っていることもあります。

成城の桜並木
成城の桜並木2

成城6丁目の奥の方。道の両脇に桜があると道が狭く感じます。

成城の町は新しくできた町で、大正14年(1925年)に成城学園がこの地に引っ越ししてきた事に始まります。

その当時、この地は北多摩郡砧村大字喜多見字東之原という地名で、農家が7軒ほどしかない小さな村でした。何もない閑散とした地域でしたが、既に小田急線の敷設計画が具体化されていたので、学園は学校用の土地の他に、駅周辺の土地を購入し、区画整理を行って、住宅地として分譲しました。

その際に、既存の高級住宅地、田園調布や新町(桜新町)、上北沢などをお手本にし、新町や上北沢からは桜並木を、田園調布からはイチョウ並木を取り入れました。

成城の桜並木
成城の桜並木3

成城6丁目の奥の方。この付近は道の片側だけです。

桜を植えて桜並木にしようと提案したのは、学校側だったそうです。保護者や住民と話し合った結果、あまり派手な景観は学園都市とてしてふさわしくない。ソメイヨシノでは少し派手になるのでは・・・。という意見が上がり、大島桜や里桜が選ばれました。そして、先生や生徒、そして保護者などが道路沿いに植樹していきました。

成城といえば、今では高級住宅地の代名詞的なイメージがありますが、このエピソードからもわかるように、初期の段階では全国に名が轟くような高級住宅地を目指しているわけではなく、落ち着いた感じの学園都市を目指していました。

実際、学園に通う父兄などにも分譲していて、戦前の転居理由では子どもが成城学園に入ったなど成城学園を理由として引っ越してきた人が多かったそうです。

でも、そういった方向性から逸脱し、成城が高級住宅地として有名になってしまったのは、成城の南に東宝の撮影所があったからです。

東宝スタジオ 7人の侍の壁画の写真
東宝撮影所の「7人の侍」の壁画

東宝、そして黒澤明監督の代表作です。この近辺でも撮影が行われました。

戦後、社会が落ち着くと、映画やテレビが娯楽の人気となり、多くの作品が東宝撮影所で制作されました。撮影所に近い成城には、多くの俳優が暮らすようになり、また、成城の町が映画やドラマ、特撮などの撮影にも使われることも多く、露出度が大きかったことで、人気の町となっていきました。その結果、地価が異常に上がり、高級住宅地となってしまったといった感じです。

本当のお金持ちというのは、目立つことを嫌います。一昔前は、古くからの高級住宅地に暮らす人たちから、「あんなミーハーな町が高級住宅地。一緒にしてくれるな。」と、鼻で笑われる事も多かったのですが、今では芸能人の派手な成城自慢も減り、高級住宅地の落ち着きや貫録も備わったのではないでしょうか。

ちなみに、東宝撮影所横の仙川沿いにも桜並木があり、開花時期には撮影所の照明器具を使ってライトアップしてくれます。こちらも人気の桜並木となっています。成城の桜並木と合わせて訪れるといいでしょう。(風景2-27 東宝横の仙川桜並木道

1940年代後半の成城付近の航空写真(国土地理院)
1940年代後半(戦後)の成城

国土地理院地図を書き込んで使用

成城の桜並木に話を戻すと、成城の町並みは計画的な区画整備を行っているので、縦横が整然とした碁盤の目のようになっています。その通り沿いに桜が植えられているのですが、全ての区画に桜が植えられているわけではありません。

成城学園前駅の北口から真っ直ぐ北に延びている道を進むと、成城学園前駅入口の交差点に出ます。この交差点を右折するとこの一つ前の項目である「成城学園前のイチョウ並木」があり、イチョウ並木の正面には成城学園の正門があります。この銀杏並木の道よりも北側が桜並木のある町並みとなっています。

ちなみに言うと、駅から見て、北側の右手、成城学園のある6丁目はイチョウと桜並木の町並みとなっていて、北側の左手の5丁目付近は高級感のある生垣の町並み、もっと左の4丁目は崖線のある町並み、南側は撮影所のある町並みと、成城は高級住宅地と一括りに表現するにはもったいないほど個性的な町並みとなっています。

成城の桜並木
成城の桜並木4(7丁目付近)

成城7丁目付近。この付近が一番きれいです。

先に書いたようにように、町が誕生した際に大島桜や里桜が植えられたのですが、それらの桜は今ではほとんど残っていません。実際に歩いてみるとわかりますが、老木と呼べるものはソメイヨシノばかりです。

実は、虫などの被害によって多くが枯れてしまったのです。で、戦後になって改めてソメイヨシノが植えられました。今あるソメイヨシノの老木は、この時に植えられたものです。

おそらく、「大島桜や里桜は失敗だった」「他の地域で植えているソメイヨシノの方が街路樹にふさわしかったようだ」「ソメイヨシノを植え直そう・・・」といった判断だったのだと思いますが、同じような時期に上北沢でもソメイヨシノの多くが枯れているので、昭和初期は桜にとって受難の時期だったのでしょう。あるいは、街路樹として管理の仕方がきちんと理解されていなかったのかもしれません。

しかしながら、ソメイヨシノは枝が横に広がり、寿命も短く、街路樹には向かない品種です。そのことは後にはっきりと認識され、今では別の品種への植え替えが進んでいます。

成城の桜並木
成城の桜並木5(7丁目付近)

成城7丁目付近。駅から見て一番奥の方です。

桜並木として一番のメイン通りとなっているのは、成城学園前駅入口交差点から北へ続く道で、この通り沿いに桜並木が続いています。

地図で確認するとだいたい600mぐらいでしょうか。更に、この通りと交差する細い路地やこの通りの東側の通りなどにも桜並木があり、この付近一帯に約300本の桜が植えられています。

歩いていて素晴らしいなと感じたのが、駅入口の交差点からひたすらまっすぐ行った奥の部分。住所でいうなら成城7丁目の辺りです。この辺りは日当たりもいいようで、明るい桜並木といった感じで、桜の木も伸び伸びとしていました。

駅から離れているこの付近は、成城の人気にあやかって後年に成城に合併された町域になります。後から分譲されたので、駅付近の木よりも若く、元気なのか、或いは桜の品種が少し違うのかもしれません。

成城の桜並木 横の路地に咲く桜
横の路地に咲く桜

南北に延びる道に比べると元気がなかったり、新しい木が多いです。

近年の成城の桜並木の話題といえば、やはり大ヒットした森山直太朗氏の「さくら」でしょうか。森山氏の母は、かの有名なフォークシンガーの森山良子さんなので、音楽一家の中で育ったようです。

「さくら」のゆったりとした歌い回しなどは、母譲りの感覚なのかなと思ってしまいましたが、制作に関する談話を読むと、もともとは母に歌ってもらおうと作った曲だったとか。母親の曲調に似ていて当たり前ですね。

その彼の学生時代は、小学校から大学まで全ての学校生活を成城学園で過ごしたようです。その時の思い出などを歌ったのが「さくら」になります。もちろんその「さくら」の歌詞に出てくる桜並木のモデルはこの成城の桜並木との事です。

この歌の大ヒットにより、成城の桜並木が更に脚光を浴びる事となり、また一段と成城の知名度が全国的に上がりました。きっと成城の町の形成に関わった人や桜並木を大事に守ってきた人たちはとてもうれしかったに違いありません。自分たちが頑張って維持してきた桜が若い人に受け継がれたと。

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2、成城さくらフェスティバル

成城さくらフェスティバル
成城さくらフェスティバル

期間中は成城学園前駅入り口の交差点から歩行者天国になります。

成城さくらフェスティバルの様子
成城さくらフェスティバルの様子

桜並木のある通りに出店やフリーマーケットが並びます。

成城さくらフェスティバル 企業の出店
企業の出店

この界隈はゆとりのある人が多いので、いいPRの場になりそうです・・・。

桜の開花時期の週末には、桜並木を歩行者天国にして成城さくらフェスティバルが行われます。通りにはフリーマーケットを中心に地元企業や店舗の出店などが並び、多くの人が訪れます。

成城の町は、喜多見と祖師谷から分裂してできた新しい町なので、あまり地域が協力して行うようなイベントがありません。秋祭りにしても、神社がないので行われなく、神輿が成城の町を練り歩くことはありません(*昔は喜多見の神輿が来ていたこともありました)。

地域行事のわずらわしさがなくていいのが、高級住宅地の利点といえるかもしれませんが、それはそれで地域の団結力が芽生えなく、防犯や火災、災害時などといった、いざという時に困るかもしれません。

そういった地域柄を持つ成城で行われるこの桜まつりは、地域を挙げた貴重なイベントといえるのではないでしょうか。ちなみに、夏には小規模ながら駅前で商店街主催の盆踊り大会も行われています。

3、地域風景資産と桜並木の今後

成城の桜並木
成城の桜並木6

新町(桜新町)、上北沢、成城の住宅地は、大正から昭和初期にかけて植えられた桜並木があり、高級住宅地として名が知られています。

昔は桜並木がある町並みは少なく、桜並木があると、そのまま高級住宅地といった認識だったのですが、今ではそれなりに桜並木のある住宅地があるので、桜並木があっても、そのまま高級とか、希少価値が高いといった感想にはならないでしょうか。

とはいえ、桜並木を設置するのには、それなりに道路の広さが必要になります。更には、ある程度間口の広い家が続いた場所でないと、車の出し入れで桜の木が邪魔になり、伐採ということになってしまいます。

土地が少なく、道の狭い23区内の住宅地という事情を考えると、結局、高級住宅地といった認識になってしまうでしょうか。

成城の桜並木 新緑の季節の桜並木
新緑の季節の桜並木

新緑の季節は緑が美しいです。夏は単なる緑の並木道になります・・・。

世田谷は他の地域に比べて住宅地に桜並木が多い町で、昭和に出来た町名にも桜の入ったものが4つあります。成城を筆頭に、世田谷は高級住宅地といった認識が世間に広まっているのも、桜のおかげなのかもしれませんね。

しかしながら、それは結果論であったりもします。世田谷は大正時代までは純粋な農村地域だったので、土地の開発がしやすかったのです。

開発がしやすかったとはいえ、何もなかった辺境の地だったので、話題性を作って地価を上げたり、土地の魅力を高めたりと、売主が色々とアイデアをひねり、その一つとして、街路樹に向かない桜を植えるといった奇策を実行したというのが、実際のところでしょうか。

旧・新町住宅地 桜並木を進むバスの写真
旧・新町住宅地の桜

ここはバス通りになっているので桜の根や枝が傷みやすいです。

桜、いわゆるソメイヨシノを日本で最初に住宅地に街路樹として植えたのは、新町(桜新町の現深沢地区)です。その成功(話題性や売れ行き)から上北沢にも広がり、そしてここ成城でも植えられるようになりました。

しかし、他の地域の住宅地で桜並木をあまり見かけないのは、桜が観賞用の樹木で街路樹に向いていないからです。

これは当時から言われていたことですが、背が低く、枝が横に広がるソメイヨシノは、空間的に場所をとるし、木の寿命が短いし、根が傷むと枯れやすく、また、春の花びらと、秋の落ち葉と2度清掃を行わなくてはなりません。

また根が大きくなることも問題で、道路のアスファルトや歩道を盛り上がてしまい、歩道に段差ができたり、道がでこぼこになってしまいます。ましてバス通りに桜があると、車道に伸びる枝をバサバサと切られ、根はバスに踏みつけられてと、桜にとって不幸でしかありません。

桜はきれいだし、情緒や高級感があっていいぞ・・・と、最初は積極的に取り入れられましたが、5年、10年と経ち、桜が成長し、問題点が顕著になると、積極的に街路樹として植えられることはなくなり、植えた所でも木が弱ったり、問題が生じると、他の種類の街路樹への植え替えが進みました。

成城の桜並木 現在の桜の並木の様子
現在の桜の並木の様子

幹をまかれて治療中の木や若い苗木を多く見かけます。

成城の桜並木は、住宅地にあり、車の往来は多くなく、バスも通りません。なので、桜新町よりも状態はいいものの、全体的には木が結構傷んでいるようでした。

南北に続くメイン通りはまだましなのですが、メイン通りと交わる細い路地に植えられている木は、無残な状態になっているものも多くありました。

成城の桜並木 傷んでいる木
傷んでいる木

南側の道の方へ枝を伸ばすものの、通行の邪魔ということで切られてしまいました。

東西に続く細い道なので、日が十分に当たらなかったり、手入れの問題、老齢化などの原因が挙げられますが、そもそもとして道が狭いので、枝が道の方へ伸びると車が通れません。

もちろん民家の方へ大きく伸びても困るので、枝を切ることになるのですが、枝を切り過ぎて、幹だけといった無残な状態になってしまっていました。こんな状態で、木が元気な状態であり続けるのは無理な話です。

人間の都合で植えられ、人間の都合で枝を切られたり、伐採される。ペットでも同じ言葉をよく耳にします。本来は桜を植えるべき場所ではなかったのですが、知らずに植えてしまったものはしょうがありません。

成城の桜並木 ちょっと痛々しい姿で咲く桜
痛々しい姿で咲く桜

近いうちに伐採されそうな感じです。

ソメイヨシノの寿命が60年とか、80年、或いは100年とか言われていますが、それは環境のいい場所にある木のこと。過酷な環境にある街路樹の場合は、もっと短いくなります。

成城の桜並木のほとんどが戦後に植樹されたもので、2000年を過ぎたあたりからぼちぼちと寿命を迎えています。近年では過酷な夏の暑さなどの影響もあるかもしれません。

管理している世田谷区は、枯れたら植え替えを進めていく方針とのことなので、成城から桜並木自体がなくなる事はなさそうです。ただ、ソメイヨシノ自体、今では苗木の販売はほぼ行われていないので、植えられるのは街路樹により適した小型の品種になります。

なので、現在の貫録のあるソメイヨシノの大木が花を咲かせる様子は、徐々に成城の町から消えようとしています。

成城の桜並木 秋の様子
秋の桜並木

秋も趣があります。でも落ち葉も大量に落ちます。

成城の町が形成される初期に植えられた桜とイチョウの並木。桜だけで300本あるとのことなので、春の花びら、秋の落ち葉の掃除だけでも大変なことです。そういった面倒があっても、ずっと住民に大切にされてきました。

落ち葉掃きなどの清掃活動は、長年の地域の恒例行事となっていて、今では区の協力を得て、成城自治会をはじめとする地域の人々や地元企業などによって、年3回の清掃活動が行われいます。

地域の努力によって守られている素晴らしい景観ということで、せたがや地域風景資産にも選定されています。手間や面倒があっても、百景の文章にある「桜のないまちの春はなにか物足りない」というのが、周辺住民にとっての本意なのでしょうね。

4、感想など

成城の桜並木
成城の桜並木

ぜひ積極的に成城を散策してみてください。

世田谷区内には、多くのソメイヨシノの桜並木があり、桜の時期の散策は選り取り見取りといった感じです。

そういった中でも、ここ成城の桜並木は、「憧れや人気の町である成城にあること」「ブランドや知名度のある成城にあること」「桜の歌詞になったという話題性があること」「駅に近いこと」などから、世田谷を代表する桜並木となっていて、開花時期はいつ訪れても多くの人が散策しています。

旅や散策で重要なのは話題性。「公園の桜が満開だから見に行こう」と誘っても気乗りしない人でも、「あの成城にある桜並木を見に行こう」とか、「森山直太朗の「さくら」のモデルとなった成城の桜並木を見に行こうよ」と誘ったら、行ってみようかなという人もいるはずです。

やはり「あの成城の!」といった週刊誌的なタイトルに日本人は弱いのかなと思ったりもします。実はこれ、あまりノル気ではない友人をツーリングに誘うときに私がよく使っている手です・・・笑。

で、結局、出かける前はあまり気乗りがしなかった人でも、出かけてしまえばなんだかんだで楽しんでいたりするものです。要は、行こうとするきっかけが必要なだけなのです。

成城には猪俣邸など散策スポットも多いので、桜だけではなく住宅地や崖線の散策も楽しむこともできます。ぜひ桜の時期に訪れて、春の成城を満喫してみてください。

せたがや百景 No.52
成城の桜並木
せたがや地域風景資産 #2-22
成城の桜並木といちょう並木
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所成城6、7丁目(成城学園前駅入口交差点より北側のエリア)
・アクセス最寄り駅は小田急線成城学園前駅。
・関連リンクーーー
・備考桜の開花時期の週末に成城さくらフェスティバルが行われます。
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