* 成城の桜並木について *
世間一般に桜並木のある住宅地のランキングを付けるなら成城の名が上位に出てくるはずです。成城という知名度に加えて、森山直太朗氏の大ヒットした歌「さくら」のモデルとなったことで、桜並木のある町並みの代表格になってしまった感があります。
春に発刊される桜のスポットや花見スポットの情報誌や情報サイトには砧公園の桜とともに世田谷の桜スポットとしてよく見かけます。ビックリするぐらい素晴らしい風景というわけではないのですが、やっぱり人気の町成城のなせる業なのかもしれません。
成城の町は成城学園によって形成されました。それは大正14年(1925年)に成城学園がこの地に引っ越ししてきた事に始まります。
その当時のこの地は北多摩郡砧村大字喜多見字東之原という地名で、農家が7軒ほどしかない小さな村でした。
何もない閑散とした地域でしたが既に小田急線の敷設計画が具体化されていたので、学園は学校用の土地の他に成城一帯の多くの土地を購入し、区画整理を行い住宅地として分譲しました。
その際に既存の高級住宅地、田園調布や新町(桜新町)、上北沢などをお手本にし、新町や上北沢からは桜並木を、田園調布からはイチョウ並木を取り入れました。
当時から桜は観賞用の樹木で街路樹には向かないとされていました。それを新町(桜新町の現深沢地区)は日本で最初に住宅地に桜並木を植え、その成功から上北沢にも広がり、そしてここ成城でも植えられるようになりました。
やがて桜並木は高級住宅地の代名詞となりましたが、今では住宅地の並木はともかく、川沿い、公園、学校などあちこちに桜が植えられ過ぎていて、桜が珍しい存在ではなくなってしまったように感じます。
とはいえ、百景の文章に「桜のないまちの春はなにか物足りない。」とあるように、周辺住民にとっては春の楽しみが増える事には違いありません。
成城の町並みは計画的な区画整備を行った事によって縦横が整然とした碁盤の目状になっています。その碁盤の目状になった通りに桜が植えられているのですが、全ての区画に桜が植えられているわけではありません。
成城学園前駅から真っ直ぐ北に延びている道を駅から北に向かうと、成城学園前駅入口の交差点に出ます。この交差点を右折するとこの一つ前の項目である「成城学園前のイチョウ並木」があり、イチョウ並木の正面には成城学園の正門があります。
この銀杏並木の道よりも北側が桜並木のある町並みとなっています。駅から見て右手の学園のある6丁目はイチョウと桜並木の町並みで、少し左手の5丁目付近は生垣の町並み、もっと左の4丁目は崖線のある町並みと、成城は高級住宅地と簡単に表現するにはもったいないほど個性的な町並みとなっています。
桜並木の一番メイン通りとなるのは駅入口の交差点から北へ続く道で、この通り沿いに桜並木が続いています。地図で確認するとだいたい600mぐらいでしょうか。更にこの通りと交差する細い路地やこの通りの東側の通りなどにも桜並木があり、この付近一帯が桜並木になっています。
歩いてみてこれは素晴らしいなと感じたのが、駅入口の交差点からひたすらまっすぐ行った奥の部分です。住所でいうなら成城7丁目の辺りです。この辺りは日当たりもいいようで、明るい桜並木といった感じで、桜の木も伸び伸びとしていました。駅から離れているのでもしかしたら後から分譲され、駅付近の木よりも若いのかもしれません。
こういった木々は成城学園が移転してきた後に、学生や地域の人々などにより、学校の前の通りにはイチョウを、学園周辺の住宅地には桜をといった感じで植えられたものです。
近年の成城の桜並木の話題といえば、やはり大ヒットした森山直太朗氏の「さくら」でしょうか。改めて調べてみると、森山氏の母はかの有名なフォークシンガーの森山良子さんとの事なので、音楽一家の中で育ったようです。
そう考えると「さくら」のゆったりとした歌い回しなどは母譲りなのかなと思ってしまいましたが、もともとは母に歌ってもらおうと作った曲だとか。母親の曲調に似ていて当たり前ですね。
その彼の学生時代は小学校から大学まで全ての学園生活を成城学園で過ごたようです。その時の思い出などを歌ったのが「さくら」になります。もちろんその「さくら」の歌詞に出てくる桜並木のモデルはこの成城の桜並木という事です。
この歌の大ヒットによって成城の桜並木が脚光を浴びる事となり、また一段と成城の知名度が全国的に上がりました。きっと成城の町の形成に関わった人や桜並木を大事に守ってきた人たちはとてもうれしかったに違いありません。自分たちが維持してきた桜が若い人に受け継がれたと。
* 成城さくらフェスティバル *
桜の開花時期の週末には桜並木を歩行者天国にして成城さくらフェスティバルが行われます。桜並木の通り沿いにはフリーマーケットを中心に地元企業や店舗の出店などが並び、多くの人が訪れていました。
成城は喜多見と祖師谷から分裂してできた新しい町なのであまり地域が協力して行うようなイベントがありません。秋祭りも神社がないので行われていません。そういった中で行われる桜まつりは結構貴重なイベントともいえるかもしれません。
* 地域風景資産と桜並木の今後 *
新町(桜新町)、上北沢、成城の桜並木は大正から昭和初期にかけて植えられた桜並木で、どこも高級住宅地として名が知られています。
今では普通の住宅地にも桜並木があり、世田谷は他の地域に比べて住宅地に桜並木が多い街だなと感じます。
桜のある街並みというのはおしゃれで、とてもいいように思えます。成城っぽくて高級感があるという人もいるかもしれません。でも、桜という木は街路樹に不向きなうえに、花弁や落ち葉の清掃が大変といった手入れの問題もあります。
他の地域の住宅地で桜並木をあまり見かけないのは、桜が街路樹に向いていないからです。背が低く、枝が横に広がる桜は場所をとるし、木の寿命も短く、根が傷むと枯れやすく、また花弁と落ち葉と2度清掃を行わなくてはなりません。
また根が大きくなることも問題で、道路のアスファルトや歩道を盛り上がてしまい、歩道に段差ができたり、道がでこぼこになってしまいます。頑張っても緑道の並木が精一杯かなと思います。ましてバス通りに桜があるのは枝をバサバサと切られ、根を踏みつけられ、桜にとって不幸でしかありません。
桜はきれいだし、情緒や高級感があっていいぞ・・・と最初は積極的に取り入れられましたが、問題点がわかってくると、積極的に街路樹として植えられることはなくなりました。それは郊外に新規で整備されたニュータウンでほとんど取り入れられていないことからもわかります。
全体的には木が結構傷んでいるようでした。南北に続くメイン通りはまだましなのですが、メイン通りと交わる細い路地に植えられている木などはダメになっているものが結構ありました。
東西に続く細い道なので日が十分に当たらなかったり、手入れの問題、根本的に老齢化などの原因が挙げられますが、根本的な問題として道が狭いので枝が道の方へ延びると車が通れません。しょうがないので、枝を切ると、とたんに木の元気がなくなってしまいます。
人間の都合で植えられ、人間の都合で枝を切られたり、伐採される。ペットで同じ言葉をよく耳にしますが、街路樹でも同じです。本来は桜を植えるべき場所ではなかったのですが、知らずに植えてしまったものはしょうがありません。
区としては植え替えを進めていくような方針なので、成城から桜並木自体がなくなる事はなさそうですが、ソメイヨシノ自体今では苗木の販売があまり行われていなく、街路樹により適した小型の品種への切り替えが一般的です。
ソメイヨシノの寿命が60年程度。成城の桜並木のほとんどが昭和の初めに植樹されたもので、ぼちぼちと寿命を迎えようかといったところです。現在のソメイヨシノが一斉に咲いている様子は徐々に成城の町から消えようとしています。
成城の町を形成している桜とイチョウの並木は住民に大切にされてきました。数が多いので春の花びら、秋の落ち葉の掃除だけでも大変なことです。
今では成城自治会をはじめとする地域の人々や企業などによって支えられていますし、区の協力を得て行われる年3回の清掃活動は地域の恒例行事となっています。
こういった地域の努力によって守られている素晴らしい景観ということでせたがや地域風景資産にも選定されています。
きっと森山直太朗さんの桜の歌もこういった人々の努力を見ながら成長した若者達の気持ちでもあり、素晴らしい桜並木の環境を守り続けてくれた感謝の気持ちでもあると思います。そして多くの人々の思いや努力が詰まった桜並木だからこそいい歌が作れたのではないでしょうか。
* 感想など *
区内には多くのソメイヨシノの桜並木があります。その中でもここ成城の桜並木は、人気の町、成城にあること、桜の歌詞になったこと、駅に近いことなどから、世田谷を代表する桜並木となっていて、開花時期はいつ訪れても多くの人が散策しています。
旅や散策で重要なのは話題性。「公園の桜が満開だから見に行こう」と誘っても気乗りしない人でも、「あの成城の桜並木を見に行こう」とか、「あの森山直太朗の「さくら」のモデルとなった桜並木を見に行こうよ」と誘ったら、行ってみようかなという人もいるはずです。
やはり「あの成城の!」といった週刊誌的なタイトルに日本人は弱いのかなと思ったりもします。実はこれ、あまりノル気ではない友人をツーリングに誘うときに私がよく使っている手です・・・笑。結局人間は出かけてしまえばなんだかんだで楽しんだりするものです。きっかけが必要なだけなのです。
成城には猪俣邸など散策スポットも多いので、桜だけではなく住宅地や崖線の散策も楽しむこともできます。ぜひ桜の時期に訪れて、春の成城を満喫してみてください。
せたがや百景No.52 成城の桜並木
ー 風の旅人 ー
2017年9月改訂