* 成城学園前のいちょう並木について *

昔の切り絵と変らない感じで存在しています。
せたがや百景の成城七部作の第一弾といった感じで登場するのが成城学園前のいちょう並木です。
よくよくせたがや百景の項目を見ると、成城は昭和になって新しく形成された町だというのに成城に関する項目が多いような気がします。
やはりメディアなどの露出度が高く、知名度もあり、世田谷区を代表するような高級住宅地だからなのでしょうか。区内に住む人々でも成城への関心や憧れが高いということの表れなのでしょうか。
いや、これは高級住宅に住むお金持ちの策略なのかも。有り余る財力によって組織的な買収を行い浮動票を積み上げて・・・って、選挙じゃあるまいに。庶民の僻みを書いてみるものの、やはり虚しいだけですね。

中程の交差点からの様子です。
本題のイチョウ並木ですが、タイトルにあるように成城学園の正門から真っ直ぐ伸びた道の両脇にイチョウが植えられています。
長さにすると、成城学園から駅入り口の交差点までの2ブロック間、約120mの区間で、イチョウ並木としてはちょっと短かいかな・・・といった印象です。
でもこの並木は長さでの評価ではなく、百景の文章にあるように成城の町の形成と深く関わっている事が選定の重要なポイントとなっています。

道幅が狭いので圧迫感があります。
成城の項目では何度となく同じ文面を目にする事となりますが、成城の町は大正14年(1925年)、この地に引っ越ししてきた成城学園によって形成されていきました。
成城学園によって形成されたというのはどういうこと?そんな大袈裟な!と事情を知らないと思うことでしょう。
当時の成城は北多摩郡砧村大字喜多見字東之原という地名で、農家が7軒ほどしかない小さな村でした。
閑散とした場所でしたが、小田急線の敷設計画がすでに具体化されていたので、成城学園は学校用の土地の他に成城一帯の多くの土地を購入し、整地して住宅地として分譲しました。
その時既に田園調布を筆頭に新町(桜新町)、上北沢といった高級住宅地が出現していたので、それを手本に武蔵野にふさわしい学園都市をイメージして町づくりを進めていきました。

成城学園正門前からこの交差点で並木は終わります。
何年かに一度、枝をせん定するので、並木の様子も年によって違います。
住宅地を整備の際に当時の流行の桜並木と共に植えられたのがこのイチョウ並木です。きっと田園調布のイチョウ並木を参考にしたのでしょう。
植えたのは当時の成城学園の学生達だそうです。植えられた当時は小さな苗だったそうですが、今ではすっかり立派な大木となりました。
植えた生徒達も今では立派に・・・と言いたいところですが、さすがに少し月日が経ちすぎていますね。元気に暮らしているといいですが。

並木に隣接してここにも立派なイチョウの木があります。
並木に関しては、田園調布のイチョウ並木とよく似ていて、ぎりぎり二車線の道路にイチョウの木がちょっと窮屈そうに並んでいます。紅葉時などは密集した黄色のトンネルとなるので、並木を歩くと気分がいいです。
ただ、やはり田園調布と比べると規模というか、長さが短いので少々物足りない感は否めません。
でもこちらには並木部分と同じ通り沿いに保存樹木に指定されている大きなイチョウの大木が何本もあります。
特にとよしまクリニックにある木は立派な大木で、住宅地として整備される以前からこの地にあったものなのでしょう。結構な幹の太さがあります。
イチョウ並木もいいけど、こういったイチョウの大木が町の風景に溶け込んでいる様子もまた成城の良さではないでしょうか。

ガス灯のような街路灯がおしゃれで、さりげなくアクセントになっています。
ただ、この道は信号が多いです・・・
後は自治会が中心となって周辺住民による落ち葉掃きの清掃活動が行われているのもここの特徴で、桜並木とともに世田谷地域風景資産に選ばれています。
これは気分的なものかもしれませんが、そういった地元の人の努力や愛情が木に伝わり、雰囲気がよく、美しい並木が出来上がっているのかもしれませんね。
それから交通量が少なく、またバスが通らないのもここのいいところです。田園調布などでは木の枝がバスの屋根を掃除するホウキになっていましたから・・・。