上北沢の桜並木
上北沢3丁目住宅街の道の両側に桜並木がつづいている。桜は毎年欠かさずこのまちに訪れる春を確かめてきた。地図の上で見ると、中央の通りからちょうど肋骨のように規則正しく斜めに、枝道が延びている。この道が肋骨通りと呼ばれる由縁だ。区画整理された際に桜の木が植えられたことが分かる。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、上北沢の桜並木について

*国土地理院地図を書き込んで使用
上北沢って・・・、どこ。下北沢はよく知っていましたが、田園都市線沿線に暮らす私には、上北沢は未知の土地でした。
しかも、下北沢のすぐ隣の地域ではなく、京王線の桜上水と八幡山の間。下北沢からは、乗り換えを含めて駅が6つも離れています。同じような地名なのに、なぜこんなに離れているのだろう。まず、そこに疑問が生じました。
で、少し調べてみると、世田谷には沢が多くあり、地名に奥沢とか、深沢などと、沢が付いている地名が多いです。そんな世田谷の北側にある沢ということで、北沢という地名ができ、それが上北沢と下北沢と分けられ、いつしか赤堤、代田などの村が独立してしまい、現在のように離ればなれな状態になってしまったのでは・・・、といった感じのようです。

駅付近の一区画のみ2車線道路です。

その先は1車線道路になります。
上北沢駅の東側にある踏切から、南西に250mほど真っすぐ延びた道沿いに桜並木が続いていて、この桜並木が百景に選ばれています。本数にすると50本程度。並木の長さや規模からいっても、他の百景に出てくる桜並木と比べると、迫力不足感は否めません。
区内には圧巻と感じるような桜並木が多くあり、そういったものを見慣れてしまうと、どうしてここが選ばれたの?他にも立派な桜並木があるのでは?といった疑問がわいてくるかと思います。でも、ここの凄いところは、本数とか、長さでは表せない見えない部分なのです。

*国土地理院地図を書き込んで使用
百景に選ばれた理由の一つが、この辺りの区画の独特さです。上北沢駅の南側では、桜並木のある道を中心にして、斜めに左右4本ずつの路地が配置された住宅区が形成されています。
言葉では表すのが難しいぐらい独特の構造をしているのですが、その路地の様子が肋骨に似ている事から、地元では「肋骨通り」と呼ばれているとか。私的には、もう少し形を整えて葉っぱの形にして欲しかったな・・・といった感じで、葉っぱの葉脈をイメージしてしまいました。

*国土地理院地図を書き込んで使用
このような独特な景観を持つ住宅地は、関東大震災後の復興事業として誕生しました。いわゆる郊外型住宅地の先駆け的な存在になります。
ここの上北沢の住宅地は、駅にほど近く、甲州街道にも近いといった、交通環境のいい場所に立地しています。そのことから、車や電車で通勤をする人を対象としていることが分かります。
とはいえ、一区画200坪といった単位での分譲なので、安月給のサラリーマンではなかなか難しい。アクティブな感じの中流階級よりも上の人々をメインターゲットにしていたようです。実際、それなりの地位の人が暮らしていました。
この事業を行ったのは、国や都などといった行政ではなく、当時、台湾土地建物会社社長をしていた木村泰治氏。土地を提供した地主の協力があってのことだが、個人的に行っています。
だからこそ柔軟なアイデアで、このような独創的な区画整備を行うことができたのでしょう。でも・・・、これはこれで面白いとは思いますが、やっぱり四角い碁盤目の方が利便性や土地の効率がいいような気がします。というより、平行に延びている路地と路地を結ぶ道がないのは、結構、不便なのではないでしょうか・・・。

*国土地理院地図を書き込んで使用
その区画整理が行われたときに(最初からなのか、一段落してからなのか分かりませんが)、街路樹として植えられたのが、この桜並木になります。現在では、桜は中心となっている通りにしかありませんが、当時は枝分かれした路地にも植えられていたそうです。
戦前の航空写真を見ると、脇の路地にも木があるように見えますが、各家庭の生垣や庭の樹木も多いので、はっきりとは確認できません。
しかし、この桜は戦後になると枯れたり、車の出入りに支障があって伐採されたりし、結局、全部撤去されてしまいました。


開花時期には散策を楽しむ人も多いです。
この当時の常識では、桜(ソメイヨシノ)は観賞用の木であって、街路樹には向かないものと考えられていました。
それを世田谷区内で初めて街路樹にしたのが、ここ・・・ではなく、桜新町(現・深沢地区)にある新町住宅地で、2番目がここになるようです。全国的に見ても、この時代に街路樹として植えていたといった話は聞かないので、指折り数えてといった感じではないでしょうか。
それに、新町住宅地は国道246号を通すときに土地が分断され、当時の区画を完全には残していません。大正時代の区画と桜並木(一部だけ)が程度よく残っているのは、ここ上北沢ということになります。そういった意味では貴重な地域になります。


この住宅地は、関東大震災後の翌年から分譲が始まったと言うことなので、かれこれ100年が経っているという事になります。
ソメイヨシノは、もともと観賞用というか、盆栽的な木です。ある程度間隔を開けて、きちんと日が当たるようにしなければ、きちんと育ちません。それに根が傷まないようにしないと、枯れてしまいます。それが街路樹にふさわしくないといわれる所以なのですが、ここの桜は比較的状態がいいように思えます。
それは、区内の他の街路樹となっている桜並木と比べると、根を痛める原因となる車の交通量が少ないというのが大きいのですが、きちんと手入れをしてきた人たちがいたからです。
現在では、上北沢桜並木会議の方々が、桜の治療や桜並木について色々と尽力を尽くしているようです。春になると、桜が咲くのは当たり前のように思っていましたが、そうでもないのですね。目から鱗が落ちる思いがしました。

ここの桜並木を歩くと、根や幹に胴巻きをしている木を目にすることでしょう。こういった木は治療中です。また、植え升と呼ばれる根元の土の部分には、花が植えられている箇所もあります。
この土の部分は、桜にとって水分や養分を吸収する大事な場所なのですが、人や車が入って土が硬くならないように、土が飛ばないように、或いはタバコやゴミのポイ捨てを防止するために、花が植えられたそうです。さすがに花の上にまでゴミを捨てる人は少ないですよね・・・。色々と努力されているようです。
このように地域の人々の努力によってきれいに咲き続けているからこそ、百景に選ばれ、また、近年でも独特の区画を持った景観と、桜保護の取り組みが認められ、せたがや地域風景資産にも選定されています。

ただ、初期に植えられたソメイヨシノは、徐々に消えていっています。で、新しくソメイヨシノが植えられて・・・、とはなりません。ソメイヨシノは道路沿いに植える街路樹としては、ふさわしくない点が多いと分かったからです。
特に、横に枝ばりが強く、通行の邪魔になってしまう部分が厄介で、新たに街路樹としてソメイヨシノが植えられることはありません。植え換えられるとしたら、少し小さめの改良品種(ジンダイアケボノなど)になります。
今の桜がいつまで健康を保てるのかわかりませんが、今ある景色を長く楽しむためにも、上北沢桜並木会議の方々には頑張ってもらいたいところです。
2、上北沢桜まつり

左側は上北沢桜並木会議のブースです。
上北沢の桜並木では、だいたい4月の第一週末に桜祭りが行われています。根本的に小さな桜並木なので、祭り自体も小規模なものとなっています。しかも主催しているのが上北沢町会って・・・、商店街でないところが、とってもローカルな感じを受けます。

企業や団体のブースやフリーマーケットが並びます。

秋祭りの余興のような雰囲気でした。
桜祭りは、駅付近の2車線道路で行われ、ステージは昭和信用金庫の駐車場に設けられます。通りには露店が並ぶというよりは、どちらかというと、各種団体が活動のPRを兼ねた店やフリーマーケットが多かったです。その分、値段的にはお手ごろな感じでした。
ステージも行われるのですが、秋祭りの余興といった状態でした。どちらかというと、付近の住民や関係団体の人たちで盛り上がりましょうといった桜祭りのようです。
3、感想など

根元には柵と花が植えられています。
桜並木としては短く、百景の文章にある町並みに関しても、桜並木を歩いている限りではそんなに特徴的に感じることができず、雰囲気はそこそこいいけど、そんなに凄くはないかな・・・。といった感想を持つ人が多いかと思います。
でも足元を見てください。頭上の桜を見て心和むものですが、ここでは足元を見てもほっこりと和めてしまいます。地元の人の愛情がこもった桜並木。ぜひ桜の開花時に足を運んでみてください。
せたがや百景 No.36上北沢の桜並木 せたがや地域風景資産 #1-33
上北沢の桜並木 2025年2月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 上北沢3丁目付近 |
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・アクセス | 最寄り駅は京王線上北沢駅 |
・関連リンク | 上北沢桜並木会議 |
・備考 | 桜の時期の週末には桜祭りが開催されます。(例年4月第1週) |