羽根木公園にある羽根木プレーパーク
羽根木公園内(代田4丁目)「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに1979年に日本で最初に開設されたプレーパーク。30年近く区と地域住民と世話人会の協力で維持・運営されてきています。(紹介文の引用)
1、プレーパークせたがやについて

世田谷区作成の案内図を書き込んで使用

羽根木公園の南東部分にあります。
せたがや百景にも選ばれ、春先にはせたがや梅まつりが行われる区立羽根木公園の東側の一画に、羽根木プレーパークと名付けられた子供の遊び場があります。
プレーパークという名前、そして木々に囲まれた斜面にあることから、フィールドアスレチックのような遊び場といった印象を受ける人が多いと思いますが、ここはそういった類の遊び場ではありませんし、普通の遊具が置いてあるような遊び場とも違います。

何が違うかというと、まず遊び場の趣旨が異なっていて、「自分の責任で自由に遊ぶ」というのが、基本方針(モットー)になっています。
ここでは焚火や木登り、水遊びなど普通の公園で禁止されているようなことでも、やることができます(火は管理者の立ち合いの元)。
しかし、「自由に遊べるけど、その結果として起きた事故やケガは自分の責任」ということになり、子供とはいえ、自分で行動の結果を考えて遊ばなければなりません。
もちろん、最低限のルールがあり、遊び場を見守る大人の管理者、プレーリーダーが常駐していて、安全の確認や指導を行っています。
そして、園内には公園のような遊具が置いていないので、自分たちで遊びを創造することになります。他の子供たちと遊びを考えたり、置いてある道具などから遊びを考えたり、ないものは造ったりと、遊びの種類が違います。
子供の遊びに対して過保護とも感じられる現在社会においては、少し特殊な存在となり、色々と考えさせられる遊び場ということができるでしょう。

手製で、楽しげな雰囲気です。
プレーパークの歴史について少し書くと、1970年代に自分の子供の遊ぶ様子を見て、「自分の子供の頃とずいぶん違う・・・」と、子どもの遊ぶ環境に疑問を抱いた親がいました。
その疑問から色々と調べていくと、欧州では冒険遊び場というものがあり、子供たちが自由に遊べる場を大人たちが提供していることを知りました。
感銘を受け、このことを周りの親、あるいは地域の人たちなどに紹介したところ、同じように考えている人が多くいました。
だったら、みんなで欧州の冒険遊び場みたいな遊び場を造ろうではないかとなり、1975年に「あそぼう会」が結成されました。これがプレーパークの始まりとなります。
この年と翌76年の夏休みの期間中、烏山川緑道の一角に自分たちの手で「経堂こども天国」という遊び場を開設しました。
更に、1977年には、子どもの遊びは日常のものという考えから、恒常的な遊び場の開園に挑戦し、約15ヶ月間にわたり「桜丘冒険遊び場」を設置しました。
近隣住民や保護者を中心としたボランティアだけで運営された遊び場は成功し、この実績が世田谷区を動かすことになります。

保護者などに見守られながら作業をしていました。
1979年、世田谷区は国際児童年の記念事業として冒険遊び場を設置することを決定し、住民と区との協働事業によって日本で初めての常設の冒険遊び場、「羽根木プレーパーク」が誕生しました。
その3年後の82年には、世田谷公園に「世田谷プレーパーク」、89年には駒沢緑泉公園の隣に「駒沢はらっぱプレーパーク」、更に2003年に「烏山プレーパーク」が設置され、現在4つのプレーパークが区内にあります。
プレーパーク創設の翌年の1980年には、少しスタイルは違いますが、上野毛に森の児童館という似たような趣旨の施設もできています。
この時期はバブル前の高度経済成長期にあたります。古くは純農村だった世田谷。戦後は爆発的に都市開発が行われてきましたが、鉄道の駅から離れた土地にはまだ農村風景がそれなりに残っていました。そういった畑や雑木林も次々と宅地化され、凄まじいスピードで土地開発が進んでいった時代でした。
そんな中、多くの親が子供の遊ぶ環境の変化に不安を持ち、このままでは子供の成長に必要な遊びの機会が失われていくのでは・・・と考えたことが伺えます。

出店のような感じです。
現在のプレーパークは、2005年2月に設立された「NPO法人(特定非営利活動法人)プレーパークせたがや」が、世田谷区からの直接委託を受け、維持、運営を行っています。
その中心は、地域のボランティアとプレーパークを管理する専属のプレーワーカーです。以前はプレーリーダーと呼ばれていましたが、名称が変わったようです。この常駐しているプレーワーカーは、プレーパークを特徴付ける存在となります。
彼らは専門的な研修を受けた「NPO法人プレーパークせたがや」の有給職員で、「子どもが自ら遊びたいなぁ~という気持ちにさせる」遊びのプロフェッショナルになります。
ちなみに、この羽根木プレーパークが日本で最初に専属のプレーワーカー(プレーリーダー)を常駐させたり、ボランティアではなく有給の職員にしたことで知られています。

色々と遊びの募集などが貼ってあり、楽しそうな雰囲気が伝わってきます。
プレーワーカーという存在について少し書くと、一言で言うなら「子どもの遊ぶ環境を整える重要な位置にいる人」という定義となるようです。
それは、ただ単に一緒に遊んでくれるだけの存在ではなく、当然、上から目線の「遊びの指導者」的な役割をしている人でもありません。
例えば、親や先生には話すことができないことを、思い切って話せるような存在であったり、くだらない話でも真剣に聞いてくれる包容力があったり、ワクワクするような遊び場をデザインしたり、遊びに使う素材や道具をそろえてくれるような頼りになる存在という事になります。
要は、親、或いは親代わりの立場を持つ人では果たせない役割を担う存在で、子どもから見れば特別な立場の人となります。単純に考えるなら体操のお兄さん、お姉さん的な存在となるでしょうか。
その上で、遊び場で起こる様々なトラブルや怪我に適切に対応したり、遊びに訪れる大人を含めた多くの人と人をつなぐ役割だったり、子どもに対する犯罪の抑止という点にも気をつけたり、イベントの企画や準備、更には会計や日々の日誌をつけることなどといった事務をこなしたりと、その役割は多岐にわたっています。

(*イラスト:ACworksさん 【イラストAC】)
どういった人がプレーワーカーになっているのでしょう。これはちゃんと確認していないので分かりませんが、子供が好きな人、自由な発想を持った人がなっています。
また、私と同じように世界を放浪していたような人や、海外青年協力隊に参加するようなアクティブな人も少なからずいました。現在はそういった若者が減っているので、どうかわかりませんが・・・。
自分の力で切り開きながら行動してきた人ほど様々な知識と経験を持っているし、海外での長い経験がある人は日本人特有の固定概念に縛られず、自由な発想を持っているので、こういう遊び場に向いているかと思います。子供だけではなく、親にとっても頼りがいがある存在になるのではないでしょうか。
なんていうか・・・、日常的に接するなら学校の先生のような几帳面な人がいいかと思いますが、遊ぶときだけは人生経験が豊富で、型にはまらない自由な発想を持った人に接してほしい・・・と思う親も多いと思います。

滑りが悪いので水を流して遊んでいました。心配そうに見守る親の姿も印象的でした。
常駐するプレーワーカーとは別に、世話人と呼ばれている地域のボランティアもいます。世話人は、それぞれの立場から子どもが生き生きと遊ぶことができるようお手伝いする存在です。
例えば、ここにある遊具は既製品ではありません。子どもの欲求に応じて、プレーワーカーや世話人が子供達と造るのですが、プレーワーカーのできることは限られるので、大がかりなものや複雑なものは、そういったスキルを持った世話人の出番となります。
大人の手伝いがあるとはいえ、自分たちで遊びたいと思ったものを自分たちで作って遊べるというのは、子供とってはとてもワクワクする事だと思います。
また、大小のイベントが季節を通じて行われますが、そういったイベントの準備や手伝いをしてくれているのも、世話人や地域のボランティアの方々です。様々な場面でプレーパークは地域のボランティアに支えられています。

急な坂を滑ったり登ったり、自由に遊べます。
こういった遊び場で遊ぶメリットは何でしょう。それは、子供が与えられたもので遊ぶだけではなく、自由な発想で遊ぶことができる事かと思います。
自分の思いついたアイデアを実行することで、それが安全に遊べるのか、面白く遊べるのか、他の人も喜ぶのか、或いは面白くなかった場合は、何が悪かったのか、どうしたらいいのかを学習することができます。
そういった遊びの探求心というか、自由な発想から生み出される子供の遊びへのパワーや好奇心というのは、とてつもないほど大きな力です。
やりたいことをやらせて子供の力を伸ばしてあげるというのは、一つの教育方法ですし、子供に実体験に基づいた経験を積ませる大切さは、それなりに人生を経験して親になった人なら、身に沁みて感じていることだと思います。
遊び、されども遊び。遊びから子供は様々なことを学ぶものです。こういった場で自立的な考えを促進させ、微力ながらも人間関係や社会の仕組み、自然や生活の知恵などといった様々な知識を吸収することも大切です。

結構な高さから飛び降りていました。
怪我なく遊べることに越したことはないのでしょうが、子供が奔放に遊べば、当然リスクが生じます。
子供なりにリスクを承知で行動していても、子供の考えるリスクですから、結果が想像の範疇を超えることが多々あるかと思います。
でも、そういった失敗から学ぶことも多いものです。次は怪我をしないようにしよう。周りをもっとよく見よう。面白そうに思えたけど、やってみたらつまらなかった。次はあれを改善しよう・・・などと、目を輝かせながら頭を働かせるという過程から、大きな発想が生まれるものです。
そう、小さな失敗の積み重ねは大きな成功への階段とも言えるのではないでしょうか。様々なことに挑戦して、どんどん失敗するべきです。

昔ながらの遊びなどもやっています。
しかしながら、近年では何かあれば他人に責任を擦り付けたり、失敗を必要以上に攻めるといった大人の風潮が、子供の自由な遊びを奪っています。
その結果、些細なことでも禁止となり、自由に遊べる場が少なくなってきてしまいました。そういう意味でも、「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットに掲げ、子どもがやりたいと思うことは極力やれるような遊び場があることは、子供たちにとってとても幸せな事かと思います。
ただ、それが一部の囲まれた場所にしかないというのが、大勢の人が密集して暮らしている都会の難しい現状でしょうか。

(*イラスト:AYAKOさん 【イラストAC】)
蛇足ながら旅人としての私なりの経験を少し書くと、「可愛い子には旅をさせろ」という有名な諺があります。
これは決して可愛い子と一緒に旅をしようといった趣旨ではありません。この言葉が意図しているのは、可愛い子供が心配でたまらないけど、一人で旅に出し、様々な経験をさせようといったことです。
子供を旅に出すと、子供の判断力では詐欺、誘拐、事故などといった危険も伴い、非常に心配です。でも、一人で旅をすることで、子供が多くの経験と失敗をして、立派になるかもしれません。子供のためになることは分かっているのだけど・・・、やっぱり不安。そういった相反する二つの気持ちに揺らぐ親の背中を押すための諺です。

(*イラスト:YUN21さん 【イラストAC】)
なぜ一人で旅をするといい経験ができるのか。それは自分で考え、判断して、行動をしなければならないからです。
自分一人で状況判断して行動することは、結果の責任を負うことです。正しい切符を買うとか、電車やバスを間違えないといったことは、誰でも当たり前にできそうですが、一人だとうっかり間違えてしまうこともあります。まして不慣れな地では大人でも地味に大変で、慎重さを求められたりします。
それに、世の中はなかなか順風満帆とはいきません。「転んでけがをした」「弁当の醤油をこぼしてベタベタになってしまった」「お腹が痛くなった」などなど、行動していれば小さな問題が降りかかってきます。
そういった事が起きた場合、何もしないでも親切な誰かが助けてくれることもありますが、基本的には自分で対処しなければなりません。知恵を絞ったり、耐えたり、他人を頼ったりと、解決へ向けて行動を起こさなければ、前に進むことができません。
そういった困難を乗り越えたときの経験は、「あの時はマジで困った・・・」とか、「あの時は恥ずかしい思いをした・・・」などと言いながらも、しっかりとその人の血と肉となるような体験となっているはずです。
同じことが日常の遊びでも言えるのではないでしょうか。子供の成長のためには多少の怪我などのリスクはしょうがない。何かをしようと挑戦して怪我をしたのなら、そこから学んでくれればいい。そのように考えてみるのもいいかと思います。
2、プレーパークのイベント
* 雑居祭り *

海賊船と海賊に扮した子供たちがパレードに参加していました。
プレーパーク内では、年間を通じて様々なイベントが行われています。ここは子供専用の遊び場なので、当然、ここで遊ぶ子供たちのための子供たちによるイベントが行われています。
イベントは、プレーワーカーが子供や親の意見を聞いて企画していて、シャボン玉で遊ぶ「シャボン玉あそび」を造ったり、野外映画会、流しそうめんなどといったことが行われています。
こういったイベントは、材料費等がかかる場合がありますが、普段家ではできない体験を思いっきりできそうです。
大きなイベントでは羽根木公園で行われる雑居まつりに山車を作って参加したりしています。みんなで集まって何かを製作したり、イベントを盛り上げたりすることは、大人になってもいい思い出として心に残ることでしょう。
こういったイベントでは、子供だけではなく、保護者の人も手伝いながら楽しめるようになっていて、親の交流も深まったりします。そういう意味では児童館的な役割も果たしているといえます。
* 30周年イベント *

プレーパークが原始村になっていました。本物っぽさににこだわっているのもここの特徴でしょうか。

駒沢のプレーパークで造られ、押されてきました。

当日は賑やかな感じになっていました。
2009年に行われた30周年のイベントでは、プレーパークがタイムスリップして原始村となりました。
プレーパーク内には竪穴式住居やマンモスまで設置され、大人でもこれは凄いと唸るような雰囲気満点の原始時代の集落が出来上がりました。やるとなったらとことんやる。さすがプレーパークといったところでしょうか。
このマンモスは駒沢緑泉公園横にある駒沢はらっぱプレーパークで製作したもので、ここまで山車のようにみんなで引っ張って持ってきたものです。
他のプレーパークとも協力し、イベントの当日は多くの人が訪れて原始村が大賑わいとなったようです。
* ガムラン演奏 *

プレーパークがインドネシアの雰囲気になります。
私個人的な意見になってしまいますが、ここでの一番魅力的なイベントといえば、毎年五月に行われるインドネシアの民俗楽器ガムランの演奏会です。
年によってイベント名が「バリ島のガムランと舞踊のコンサート」だったり、「音の森ガムランコンサート」だったりと違いますが、プレーパークに野外ステージが設置され、音の森ガムラン・スタジオによる演奏や舞踏が行われ、無料で見学することができます。
この日はインドネシアのカレーなどの屋台もでるし、独特の民族衣装に身を包んだ人が大勢いるので、プレーパーク内がインドネシアっぽい雰囲気となります。

舞台、演奏の構成など本格的です。

バリの祭りでは、前座で少女が踊っていることが多いです。
ガムランとはインドネシアの伝統的な銅鑼や鍵盤打楽器による合奏の民族音楽の総称のことで、独特の音色は異国情緒たっぷりです。日本で言うなら雅楽みたいなものでしょうか。
インドネシア、特にバリでは日本以上にお祭りが多く、そのときにヒンドゥー教寺院の境内に舞台が設置され、ガムランに合わせて舞踏や演劇が行われています。日本の神社の祭りによく似ていて、神楽とか巫女舞(稚児舞)とか、農村歌舞伎に似た演目が行われます。

インドネシアの踊りは腰の動きに特徴があります。
踊りは全身を使ってのコミカルな動きが印象的で、細かく見て欲しいのが、濃い化粧で強調されている目の動きです。女性踊りの腰の動きや使い方も特徴的で、艶めかしいといった表現がピッタリです。
踊り手はバリ舞踏教室の生徒さんが演じていますが、後ろでガムランなどを演奏している演奏者はインドネシア人が多い感じでした。舞台裏を通ると、インドネシア独特のタバコ、クレテックシガレット(ガラム)の甘い匂いがしてきたりします。
3、感想など

木々に囲まれた空間はとても雰囲気がいいです。
プレーパークは、木々と土に囲まれた環境と、遊びに対する寛容性を持った素晴らしい遊び場だと感じます。
でも 世の中には多くの子供がいます。遊び場で育つ子もいれば、図書館で育つ子、体育施設や音楽室などで育つ子もいるでしょう。それはその親の教育方針であったり、その子供の適正などにも拠ります。だから、プレーパークで遊べば、必ず子供にいい影響が起きるというものではありません。
それに、怪我のリスクを背負ってまで腕白に遊ばせる必要があるのかと感じる人もいるかもしれませんし、こういう施設の存在に疑問を持つ親もいるかと思います。
子供が様々なように、子供の成長に対して様々な考え方をしている親がいるのは当然ですし、こうでなければといった無理強いをしてもいい影響が出ると思えません。
遊びや育ての一つの選択肢として、こういった遊び場が世田谷にある。そういったことを広く知ってもらえれば、それで十分かと思います。
後は、こういった場所で子供を遊ばせたいとか、自分の子供はこういった場所で遊ぶのが向いていると思えるなら、ここで遊ばせてみるのもいいでしょう。少々傷ができるかもしれませんが・・・。
せたがや地域風景資産 #2-2羽根木公園にある羽根木プレーパーク 2025年2月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 代田4丁目38−52(羽根木公園内) |
---|---|
・アクセス | 最寄り駅は小田急線梅ヶ丘駅 |
・関連リンク | 認定NPO法人プレーパークせたがや |
・備考 | ーーー |