世田谷散策記 せたがや百景のバーナー
せたがや百景の案内板の写真

せたがや百景 No.45

旧甲州街道の道筋

せたがや地域風景資産 No.1-34

「山本農機・山本善水商店」を中心とした旧甲州街道の街並

南烏山から給田へとつづく道はかつての甲州街道。昔の街道筋を偲ばせる風景はほとんど残っていないが、実はこの道筋そのものが街道だったことを忘れるわけにはいかない。道の由来を知れば、その時代、時代の道筋の風景を脳裏に浮かべることもできる。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 南烏山3丁目~給田3丁目
・地域風景資産の関連団体 : ーーー
・備考 : 毎年秋分の日に神輿パレード、10月後半の日曜日に芦花まつりが行われます。

*** 旧甲州街道の写真 ***

旧甲州街道の写真
旧道っぽさを感じる緩やかな道筋

道筋には旧道らしさが残っています。

旧甲州街道の写真
山本農機・山本善水商店付近

地域風景資産に選定されています。

旧甲州街道の写真
大橋場の跡と下山地蔵尊など

石像などが並んでいると旧道らしさを感じます。

旧甲州街道の写真
新一里塚の石碑

給田の方にあります。

旧甲州街道の写真
昭和の匂いがする丸美ストアー
旧甲州街道の写真
年季の入った丸美ストアーのアーケード

* 芦花まつり *

芦花まつりの様子を写した写真
旧甲州街道の歩行者天国

芦花公園駅付近から始まります。

芦花まつりの様子を写した写真
山本農機付近

街道沿いにフリーマーケットの店が並びます。

芦花まつりの様子を写した写真
開会のテープカット

 

芦花まつりの様子を写した写真
簡単なオープニングパレード

この年はあいにくの空模様でした。

* 神輿の連合渡御 *

甲州街道を進む神輿を写した写真
旧道の神輿渡御
甲州街道を進む神輿を写した写真
山本農機の建物の前を進む神輿
甲州街道を進む神輿を写した写真
旧道を進む連合渡御の様子
甲州街道を進む神輿を写した写真
子供達が活躍するお囃子も

* 旧甲州街道の道筋について *

甲州街道とは、ご存じの通り江戸から甲州、甲斐国(山梨県)へ通じている道で、江戸幕府によって整備された江戸五街道の1つです。残りは東海道、中山道、日光街道、奥州街道です。ルートは江戸(日本橋)から始まり、内藤新宿(新宿)、高井戸、八王子、大月、甲府を経て信濃国(長野県)の下諏訪宿で中山道と合流します。その道中には全部で38の宿場が置かれていました。

地図で見ると、かなり北を回る中山道よりも距離が短く、便利と思われるのですが、実際は道が険しく、街道の整備が遅れ、あまり大名行列などには使われなかったようです。しかしながらその分現在でも街道筋は比較的よく残っていて、近年ではウォーキングが盛んになり、休日に甲州街道をバイクなどで走っていると、リュックを背負ったウォーキングの集団によく出会います。

木曽路とかと違って観光化が進んでいるわけではないけど、逆に素朴と言った表現がふさわしい道なので、通な人達に人気のあるコースとなっているようです。ちなみに私が甲州街道で一番好きなのは大月近辺に残る鬼ヶ島伝説にまつわる事柄です。犬目宿、鳥沢宿、猿橋といった地名があり、鬼ヶ島はかつて島だったとされる岩殿山。あくまでも伝説ですがなかなか興味深い伝説なのでぜひ機会があれば訪れてみて下さい。

line

さて、その甲州街道の江戸から二つの目の宿場町が高井戸宿なのですが、高井戸宿は上高井戸宿、下高井戸宿と二つに分けられていました。これは往来が多く賑わっていたからではなく、逆に宿の需要があまり多くなかった為に付近の住民の負担を軽くするように上下の宿で交代制にしていたからです。

本陣が置かれていたのは下高井戸宿は桜上水駅の北側、現甲州街道沿いにある宗源寺の左隣、上高井戸宿は高井戸一丁目交差点(現甲州街道と環八通りの交差点)の北東角でした。現在の地図を見るとちょうどその付近は杉並区となっていて、しかも世田谷区とはかなりいびつな境界となっています。それはこの両宿が古くから杉並区の文化圏に属していたためで、高井戸宿が置かれていた地域の分だけ杉並区に大きく区境線が入り組んでいるといった感じです。世田谷の村々からも助郷に借り出されているので、杉並だけのものではないのですが、これはしょうがないですね。

line

その上高井戸の本陣があった交差点、つまり環八と甲州街道の交差点のすぐ西側から大通りを外れていく道があります。これがかつて甲州街道だった旧道であり、この項目の主題となります。しかしながら百景の文章に「昔の街道筋を偲ばせる風景はほとんど残っていない」とある通り、実際に歩いてみても周りの風景には期待するようなものはほとんどありません。昔ながらの緩やかな道筋が旧道だったんだなといったことを感覚的に感じさせてくれるぐらいでしょうか。

それでも幾つか面影として残っているものがあるので順番に見ていくと、芦花公園駅から旧道にでた交差点にはケヤキが活かされた烏山下宿広場があります。緑がこんもりとした公園といえばそうですが、背後に大きなビルが建っているので、なんか中途半端な印象を受ける公園となっています。その西隣には戦前期に建てられた鉄鋼所を活用した家具の工房兼ショールームがあります。

更に隣にはちょっと古めの建物の山本農機・山本善水商店があります。昭和17年に建設された農機具を扱う商家で、かつては街道沿いにあった老舗店なんだなと感じる雰囲気を持っています。建物の造りも独特で、外壁に中途半端な感じで石材が使われているのは防火のためだそうです。

一応せたがや地域風景資産に「山本農機・山本善水商店」を中心とした旧甲州街道の街並として選定されていますが、昭和期の建物の為にわざわざ文字数を多くしてまでタイトルに「山本農機・山本善水商店」を入れる必要があったのかは疑問です。というかちょっとタイトルが長すぎです・・・。とまあ一応この付近が関の宿の面影が色濃く残るということになるでしょうか。

line

更に西へ向かうと道が緩やかにカーブします。この辺りは左右にゆったりと蛇行している道筋で旧道だなと感じる事でしょう。そして大橋場跡といった橋の欄干を使ったのか、欄干のデザインにしたのかわかりませんが、そういったモニュメントが道端あります。かつてここに橋があった名残のようです。そのモニュメントの横には庚申塔や地蔵様が並んでいます。その横にいわれが書かれている石盤があるのですが、それによると地蔵様は下山地蔵尊といい、江戸時代にこの辺りで繁栄した下山一族が建立したものとのこと。

ここから更に西へ向かうと、烏山駅前の賑やかな地域となり、それを過ぎると給田の交差点で六郷田無道と交差します。そしてその先に新一里塚の碑が建っています。江戸時代に日本橋から一里ごとに建てられた一里塚はご存じだと思いますが、この新一里塚は明治時代に内藤新宿(新宿)から一里ごとに建てられた新一里塚です。これも普通の一里塚のように塚が造られ、その上にこの石碑が建てられていたようです。ちなみに上北沢駅の北側に旧一里塚の痕跡碑が建てられています。

line

正直あまりパッとした感じの道ではありませんが、この旧甲州街道が年に二度賑わう日があります。一つは9月23、24日に行われる烏山神社の例大祭で、9月23日の秋分の日には旧甲州街道を町会神輿が連合渡御します。烏山は古くから街道沿いに上宿、中宿、下宿と分けていて、それが現在の町会、上町、中町、下町となり、この三町会の神輿とお囃子車がパレードっぽい感じで芦花公園駅前の下町の御酒所から中町の烏山りんれい広場を経て烏山駅前の上町の御酒所まで連合で渡御します。

結構長い距離を渡御するので、担ぎ手には人気があり、東京の各地から担ぎ手が集まるようです。本来なら旧道には御神輿が似合うものですが、ここではそれなりに交通量が多く、また周りに古い建物が少ないので、あまり旧道の渡御といった感じがしないかもしれません。ちなみに昔は天皇陛下がいる京都の方向に向けて上中下となっていましたが、現在は皇居のある東京の中心に向けて1,2,3となっているので、ちょっと町会の順番に違和感を感じます。

line

それからもう一つは10月の後半の日曜日には芦花まつりが旧甲州街道を歩行者天国にして行われます。2010年で第25回目とそこそこ開催を積み重ねているだけあって、今では世田谷の中でも来客数の多いイベントの一つとなっています。この祭りの特徴は何といっても多くのフリーマーケットが街道沿いに並ぶ事でしょうか。それと共に蘆花氏縁の伊香保などからの物産展や地元の団体の露店もあり、安くいいものを求めて多くの人が集まるというわけです。なんていうか、甲州街道版のボロ市といった感じでしょうか。

<せたがや百景 No.45 旧甲州街道の道筋 2009年7月初稿 - 2015年10月改訂>
( せたがや地域風景資産 No.1-34 「山本農機・山本善水商店」を中心とした旧甲州街道の街並 )