世田谷散策記 ~せたがや地域風景資産~

せたがや地域風景資産 No.2-10

旧・新町住宅地の桜並木

1913年(大正2年)に分譲が始まった「新町」住宅地は、Y字型の骨格道路の両側に合計千余本のソメイヨシノが植えられました。後に「桜新町」と呼ばれるようになりました。(紹介文の引用)

・場所 :深沢7・8丁目、桜新町1丁目
・関連団体:深沢・桜新町さくらフォーラム
・備考 :ーーー

***  このページの内容  ***

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* 桜新町と旧・新町住宅地 *

長谷川町子美術館のサザエさん達の写真
長谷川町子美術館のサザエさん達

旧新町住宅地の一画にあります。原作に近いパネルが置いてあります。

桜新町といえば、サザエさんの町です。

原作者の長谷川町子美術館があったり、駅前商店街にサザエさんの像が置かれたり、商店街の店にパネルが設置されていたり、秋にはサザエさんの絵が描かれたネブタが運行されたりと、近年では町全体がサザエさん一色となっています。

過去に駅前に置かれたサザエさん一家の像で話題に上る事も多かったので、もう全国的に周知されたのではないでしょうか。ただ・・・、いたずらで波平さんの髪の毛が抜かれたり、高額の税金が請求されたりとイメージの悪い報道ばかりでしたが・・・。

桜新町がサザエさんの町となっているのは、サザエさんの生みの親である長谷川町子氏が暮らした町であり、サザエさんに描かれている日常の世界観に桜新町での生活体験が多く含まれているからです。

商店街での様子はアニメで見るとちょっとイメージが違って見えますが、人情味ある人間模様は今なお健在で、商店街のイベントの様子をみていると、とても地域や子供を大切にしているのを感じます。

長谷川町子氏には家族漫画を通じ戦後の日本社会に潤いと安らぎを与えたとして、国民栄誉賞が授与されています。

世田谷出身ではないものの、世田谷で根を下ろし、世田谷で活躍した長谷川町子氏は、世田谷が誇れる人物の一人ということができます。

桜新町サザエさん商店街の写真
サザエさん商店街

町の至るところにサザエさんがいます。

また桜新町は学生が多い町でもあります。周辺には駒沢大学付属高校、戸坂女子高校・中学校、都立桜町高校、都立深沢高校、都立園芸高校、日本体育大学、その他幾つかの専門学校もあり、生徒が個々の交通事情に合わせて桜新町の駅を利用しています。

渋谷から田園都市線に乗る場合、桜新町駅と次の用賀駅で値段が結構違うし、桜新町で急行の通過待ちがあるしと、実際は用賀駅の方が近くても桜新町を利用する生徒も多いようです。

桜新町駅界隈はサザエさんに登場するような古くからの人情味ある商店街でありながら、若者向けのカジュアルな部分もあり、バランスのいい商店街になっています。

旧新町住宅地の入り口 桜新町交番前交差点の写真
桜新町交番前の交差点

この交番の所に住宅地への入り口がありました。

そんなサザエさん精神が息づく商店街、通称サザエさん通りを駅から南に向かうと、国道246号の少し手前の交番で道がY字型に分かれています。

この二つに分かれた道は国道246号を越えると平行に続いていて、その道沿いには桜並木が続いています。

このY字の交差点から続いている桜並木が印象的な区画は、明治45年(1912年)から大正2年にかけて整備された「新町分譲地」の名残りになります。

旧・新町住宅地 信託住宅発祥の地の碑の写真
信託住宅発祥の地の碑

信託が開発した住宅としては最初になるようです。

この分譲地は関東で最初なのか、東京で最初なのか、日本で最初なのか、記述されている文献によって違いますが、日本で最初の分譲住宅地として知られているのは、明治43年(1910年)に大阪の箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)が開発した池田の室町分譲住宅地になるようです。

こういった分譲地は行政、鉄道会社、民間のどこが開発したのか、どういった階級の人を対象にしているか、近郊なのか、郊外なのか、鉄道の沿線沿いなのか、地方の避暑地的な分譲地なのか・・・、などで区別されるようで、文献によって何番目という言い方が微妙に食い違っているようです。

交番のあるY字の交差点のところにはかつては分譲地に入るゲートがありました。その名残というか、記念というか、交番の横の方に石碑が設置されています。

石碑に書かれているのは「信託住宅発祥の地」とのことなので、ここは信託が分譲した日本最初の住宅地となるようです。

旧・新町住宅地 深沢の杜緑地の写真
深沢の杜緑地

屋敷の庭を整備した緑地です。湧水を利用した池もあります。

この新町分譲地は玉川電気鉄道の株主でもあった東京信託(現日本不動産)が当時、山林だった駒沢村深沢と玉川村下野毛飛地(現深沢7・8丁目と桜新町1丁目の南半分)を鉄道沿線型、郊外型の高級分譲住宅地として開発したものです。

関東大震災以前の東京の郊外住宅地というのは、今でいう会社勤めの人が住むというよりも金持ちの別荘的な家といった使われ方をされていました。

週末にゴルフを楽しんだり、都内の喧騒や埃っぽさを離れて静養や余暇を過ごす為に、あるいはステータスのために別荘を建てるというのが当時の流行だったそうです。

当時は駒沢公園や等々力渓谷にゴルフ場があり、歓楽街のある二子玉川では多摩川で川遊びをしたりアユ料理を食べられたりと、世田谷は別荘地として人気がありました。

特に見晴らしのいい崖線付近は人気で、政財界の要人の別荘が並んでいました。

桜新町なら比較的都心に近く、通勤にまあ便利な立地と思ってしまいますが、それは地下に電車が走るようになってからです。

大正や昭和初期は鉄道といっても雨量が多いとすぐ冠水して運行できなくなってしまい、郊外から都心に電車で通うというのはあまり一般的ではなかったようです。

実際のところ戦前の桜新町周辺は三宿駐屯地などの兵隊さんが多く住んでいたという話です。

旧・新町住宅地 深沢高校清明亭の写真
深沢高校清明亭

とても凝った造りをしている茶室です。

新町分譲地に話を戻すと、現在の桜新町駅の南側、桜新町1丁目から深沢7・8丁目にかけての地域に造成されました。ちょうど呑川西側の高台にあたる部分です。

住宅地は高台に整備されましたが、この付近は呑川に流れ込む湧水が多く、ちょっとした渓谷っぽい雰囲気だったようです。

自然の山林と湧水を利用して良質のタケノコを生産していて、特に呑川付近で取れる深沢産のタケノコは市場でも高値で取引されたとか。そんなタケノコの産地のすぐそばにできたのがこの新町住宅街ということになります。

現在でも当時の面白い建物が残っていて、深沢高校には元わかもと製薬社長長尾鉄弥氏の広壮な京風の邸宅で使われていた茶室が残されています。

この茶室は離れとして使われていた建物ですが、なんと建物が崖にせり出して建てられています。

地上階の約半分が列柱により支えられた懸造りで造られていて、清水の舞台ならず、呑川の舞台。というのは大袈裟ですが、当時の人が呑川の渓谷的な風景を楽しんでいたことを感じられる貴重な建物となっています。

この建物は今では清明亭と命名されていて、時々茶道部などによってお茶会が催されたり、一般に公開されたりしています。(詳細は地域風景資産no.1-12

旧・新町住宅地 桜並木を進むバスの写真
桜並木を進むバス

バス通りになっているので桜の根や枝が傷みやすいです。

関東大震災を機に郊外の安全性が認識され、郊外の宅地開発が急ピッチに進んでいきました。そして交通網の整備が進み、郊外から都心へ通勤する人も増えていきました。

そういった時代の流れの中で新町住宅地も別荘地から徐々に本宅として利用する人が増え、閑静な高級住宅地に変化していきました。

ただ、その後の国道246号のバイパス化で新町住宅地は分断されてしまいます。

駅前を通らないようにバイパスが新町から二子玉川にかけて新町住宅地を横切るように整備され、東京オリンピック開催を機に道幅の拡張がされ、その後の高度経済成長期には頭上に首都高が設置されることになります。

更には住宅地の2つのメイン通りはバス通りになり、駒沢通りと246号の抜け道で車の通行が多く、学生の通学路でもありと、今では閑静な高級住宅地の趣きが薄くなってしまった感じです。

実際、新町分譲地が造成された頃からこの地で暮らしている住民はほとんどいないという話です。

とは言うものの、一般人からすると桜並木があって、雰囲気が良くて、敷地の大きな家が多くて、憧れるような高級住宅地には変わりないですが・・・。

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* 旧・新町住宅地の桜並木 *

旧・新町住宅地 桜並木の案内板の写真
桜並木の案内板

桜並木と昔の様子が写真入りで解説してあります。

この新町分譲地を有名にしているのは、分譲地の道沿いが桜並木になっていることです。

ここに並ぶ桜は分譲地を開発したときの記念として道の両側に4、5m間隔で千数百本植えられたもの・・・となっていますが、当時の写真を見ると3m弱ぐらいの間隔で植えられているような感じです。

本数も当時を知る人の話では実際は千本もなく、8~9百本ぐらいだったそうですが、それでも凄い数で、その規模の大きさに驚いてしまいます。

当然、これだけの桜並木が話題ならないはずもなく、桜の名所として広く知れ渡り、桜のある新町というから桜新町と呼ばれるようになっていきます。

昭和7年には玉川電気鉄道(後の東急玉川線)の駅名が新町から桜新町電停に改称され、後年の住所変更の際に住所名になりました。

深沢 旧・新町住宅地の桜並木1の写真
旧・新町住宅地の桜並木1

車道は一方通行になっています。意外とアップダウンのある道です。

深沢 旧・新町住宅地の桜並木2の写真
旧・新町住宅地の桜並木2

長い塀が続くお屋敷も多いです。

ずらっと並んだ桜が壮観だった桜並木でしたが、太平洋戦争前には電線施設が行われ、電柱が建てられる際に一本おきに伐採されました。

木が邪魔だったのは確かですが、桜が想像以上に大きくなり、ちょっと間隔が狭すぎたことに気が付いた・・・、というのもあるかもしれません。

その後、区画整理などで脇の道にも植えられたりもしましたが、広い敷地が分割されて分譲されると、車の出し入れに邪魔となるので伐採されたり、枯れてしまったりと、徐々に桜の本数が減ってきています。

深沢 旧・新町住宅地の桜並木3の写真
旧・新町住宅地の桜並木3

国道246付近です。この辺りは新興住宅地といった感じです。

深沢 旧・新町住宅地の桜並木4の写真
旧・新町住宅地の桜並木4

東西に延びる路地にも桜並木があります。

今では桜並木のある住宅地は珍しくありませんが、おそらくここの桜並木は日本で最初に大規模に住宅地に植樹された桜並木となるはずです。

ソメイヨシノが誕生したのが、江戸から明治初期のころ。新町住宅地を含め、区画整備した住宅地が登場するのが明治の終わり頃。新しいもの同士の組み合わせになります。

それに当時は桜、特に園芸品種として改良されたソメイヨシノは過酷な生育環境となる街路樹には向かないとされていました。

その常識を覆すような新しい試みをしたのがここ新町住宅地ということになり、この後に作られた上北沢の住宅地を始め、成城などの住宅地に広がっていくことになります。

深沢 旧・新町住宅地の桜並木5の写真
旧・新町住宅地の桜並木5

カーブミラーが木の陰にならないように建てられています。

深沢 旧・新町住宅地の桜並木6の写真
旧・新町住宅地の桜並木6

通学路になっているので学生も多いです。

ただ、一時期は見映えがいいとか、高級感があるとかで桜を植えることが流行りましたが、今では桜を植える住宅地はほとんどありません。

月日が経ってみると、やはり様々な面でソメイヨシノは街路樹に不向きというのが分かってきたからです。

まず何と言っても街路樹にするにはサイズが大きすぎます。全体のサイズ、幹の太さは言うまでもないのですが、一番厄介なのは横方向に太い枝が伸びることです。

余程広い場所でないと桜の見栄えが悪いです。何より枝が通行の邪魔になり、定期的に枝を切ったりと剪定などの管理が大変です。

そして根の張りがとても強いのも厄介で、根の部分のアスファルトや歩道のブロックなどが盛り上がってしまうこともあります。

深沢 旧・新町住宅地の桜並木7の写真
旧・新町住宅地の桜並木7

気の毒なほど枝が落とされている木も多いです。

それから、これは最初から言われていたことですが、園芸品種として改良されたので、過酷な生育環境には不向きで、車の通行の邪魔になるからと大きな枝を伐採したり、根を車に踏み続けられたりすると、とたんに樹勢が衰えます。

木の寿命が短いというのも厄介で、ソメイヨシノの場合はすべてクローンで作られているので、同じタイミングで花が咲くのはいいのですが、同じタイミングで一気に寿命を迎えてしまうといったこともあります。

現在では枯れた桜を植え替えるにしてもソメイヨシノではなく、より街路樹に向いた品種の桜を植えているのが一般的です。

旧・新町住宅地の桜並木 ムロを撒かれた桜の木の写真
コモを撒かれた桜の木

現在では初期に植えられた木は少なくなってきて、新しく植えた若木が増えてきました。

木や樹勢が衰えて何とか状態を維持している木やコモを撒かれた治療中の木も多く、そう遠くない先に一気に代替わりが行われそうな感じです。

* 感想など *

旧・新町住宅地の桜並木 交差点の老木の写真
交差点の老木

大きくなるまでこの場で見守り続けてくれるといいですね。

サザエさんの町、そして桜並木のある町と知られる桜新町。今では駅前の八重桜の並木の方がよく知られていますが、名前の由来は旧新町住宅地の桜並木になります。

「かつて雨が降っても傘がいらない」と言われるほど密に桜並木が続いていたというので、さぞ凄い光景だったに違いありません。

現在では桜の高齢化が進み、痛々しい姿で咲いている木も多く、都市化の進んだ都会で桜を街路樹にするというのは無理があるのかな・・・と考えてしまいます。

それでもここは恐らく日本で一番最初に桜を街路樹にしてみようといった試みが始まった場所です。新しい試みは成功することもあれば、失敗することもあります。

付近の住民の方が桜並木どう思っているのかわかりませんが、手間がかかる子ほど可愛い・・・といったように、もはやなくてはならない存在となっているのではないでしょうか。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所深沢7・8丁目、桜新町1丁目界隈
・アクセス最寄り駅は田園都市線桜新町駅
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