世田谷散策記 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.22

世田谷城址公園

初代吉良氏が南北朝のころ、関東管領足利基氏から戦の手柄により武蔵国世田谷領をもらいうけて、築城したのが始まりといわれる。平城で、三方を塀で囲んだ防備の堅固な城であったが、現在はわずかに小高い台地の中に枯山水風の谷や小川があり、緑の茂る公園となっている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 :豪徳寺2-14
・備考 :都指定旧跡、区立公園

***  このページの内容  ***

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* 世田谷城と吉良氏 *

世田谷城址公園 交差点からの様子
世田谷城址公園

公園前の交差点からの様子。秋にはとっても色彩豊かになります。

世田谷線の上町駅の北側、豪徳寺のすぐ近くに世田谷城の跡地を利用した世田谷城址公園があります。

烏山川の舌状台地に築かれた中世の城郭跡なのですが・・・、それにしても世田谷城って現在のイメージで考えるとなんとも響きのいい名前ですね。

現在の「世田谷=高級住宅地」といったイメージから連想するに、高級感漂うというか、下手をしたらドイツの古城なんて想像してしまいそうです。って、私のもの凄く勝手な妄想ですが・・・。

実際ところ、多くの人は世田谷に城があった事自体知らないのではないでしょうか。

世田谷区内には中世の城址跡がわかっている範囲内で6カ所あります。この数だけから考えると昔から栄えていたように感じますが、どれも小さな砦のような城址で、ほとんど遺構も残っていません。

そういった砦の中でも一番規模が大きく、かつ城マニアや歴史好きな人以外にもちょこっと名が知れているのが、世田谷の中心的存在であった世田谷城です。

城山通りから見た世田谷城址公園
城山通りから見た世田谷城址公園

通り沿いには遊具やトイレが置いてある広場もあります。

世田谷城は、世田谷周辺を支配していた吉良氏の居城でした。

正確な築城時期はわかっていませんが、室町時代の15世紀中頃には存在していたと考えられ、一説によると貞治4年頃(1365年)ではないかと言われています。

吉良氏に関しては他のせたがや百景にも頻繁に出てきますが、足利義継を祖とする高貴な家柄です。一時期はせたがや殿と賞されるほど地位があり、小田原の北条氏も一目を置く存在でした。

しかしながら群雄割拠の戦国時代になると、地位や身分よりも力がものをいう下克上の風潮が強まっていきました。

大きな力を持っていなかった吉良氏は、徐々に北条氏の支配下に組み込まれていき、最終的には北条家の配下となります。

その北条氏も天正18年(1590年)の小田原の役で豊臣秀吉によって滅亡させられ、世田谷城の当主だった吉良氏朝は抵抗もなく下総国に下ることになります。

関東に徳川家が入ると、世田谷城の重要性は薄くなり、城は廃城となりました。

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* 世田谷城址公園について *

世田谷城址公園 入り口付近の様子
世田谷城址公園の入り口付近

交差点にある入り口には石碑や案内板が設置されています。

世田谷城址公園は昭和15年に開園した世田谷区内唯一の「歴史公園」で、「東京都指定文化財」にもなっています。

現在ある世田谷城址公園は世田谷城の南東端の一部だったのではと言われています。

かつての世田谷城は北側に広がる広大な豪徳寺境内をも敷地に持っていて、豪徳寺のある部分が本郭部分だったのではと考えられていますが、その規模の程ははっきりと分かっていません。

吉良氏の権力を考えると大きかったような気もしますが、当時の世田谷の人口の少なさを考えると、そんなに立派なものではなかったような気もします。

世田谷城址公園 土塁の様子
土塁をの様子

石垣が整えられた城跡のように見えてしまいます。

現在城址公園で見ることができるのは、わずかな空堀と土塁の痕跡です。これらの遺構は16世紀前半に大改築された時のもののようです。

一応立派な石垣がのこっているではないか・・・と思ったら、よく見ると近代的な崩落防止用の石垣でした。

公園として整備するときに近年作ったもののようで、昔はあくまでも掻き揚げの土塁で囲まれた城だったそうです。

そう考えると石垣で整備してしまっては・・・といった画竜点睛のような公園化にも思えてしまいます。

奥の方にはフェンスが張り巡らされていて、その向こう側にも土塁が続いているようですが、そちらは入れないようになっていました。おそらくこの部分が手つかずのままの遺構となる様です。といっても素人目には木がぼうぼうの小山でしかなのですが・・・。

世田谷城址公園 上から見た土塁の様子
上から見た土塁の様子

起伏や障害物が多く、鬼ごっこやかくれんぼをするには最高です。

城山通り沿いのスペースに遊具やトイレが整備されていますが、それ以外は特に何があるわけでもなく、芝生でくつろぐといったスペースもなく、あまり訪れる人が多くない公園です。

ただ起伏があって、木々が多く、死角も多くできるし、人がほとんどいないので、鬼ごっこをするには絶好の公園です。よく子供が楽しそうに走り回っている光景を見かけます。

その他、遺構ではありませんが、上町の駅から城址公園の前を通り、世田谷八幡宮、経堂、祖師谷大蔵に抜ける道が城山通りだったり、豪徳寺の東にある小学校が城山小学校だったりと城にちなんだ名称が付けられています。

世田谷に「城山通り」などといかにも歴史がありそうな名前の通りがあるのも新たな発見でした。

* 感想など *

世田谷城址公園 紅葉の時期
紅葉の時期

紅葉の時期は彩り豊かな散歩道になります。

世田谷城址は作家である遠藤周作氏の縁の場所で、よくこの付近を散歩していたそうです。

そしてこの城を知ることによって中世の城郭に興味を持つきっかけになったとか。

そのことは短編集の「埋もれた古城(1971年著)」の「身近な城あと世田谷城」などに記されています。

「それは今、バスが通り、アパートが建っている場所に埋もれて往時を偲(しの)ぶ何ものもないかも知れぬが、しかしそこにはやはり歴史が生きているのである」

「けれども今日、この城の存在さえ世田谷の区民は知らぬであろう」などといった言葉は言い得て妙であり、現在でも状況は変わらないといったところでしょうか。

彼ほどの知識人ともなると、目に見えない部分から想像力や知識を駆使して多くのことが見えてしまうのですね・・・。

何も残っていないとぼやくよりも、遠藤氏のような感性で見学するのがこの世田谷城址の正しい見学方法なんだろうなと思ってしまいました。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所豪徳寺2-14
・アクセス最寄り駅は世田谷線上町駅
・関連リンク世田谷城址公園(世田谷区)

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<せたがや百景 No.22 世田谷城址公園 2009年3月初稿 - 2018年11月改訂>