* 駒沢オリンピック公園について *
目黒区との境界線付近、実際のところは少し境界線をまたいで立地しているのですが、駒沢通りを挟む形で広大な敷地の駒沢オリンピック公園があります。オリンピックと付いているのは東京オリンピックが開催された際に使用された事から名付けられていますが、普段地元の人がオリンピックという名称を付けて呼ぶ事はなく、駒沢公園という言い方が世田谷、目黒では一般的な感じがします。そのへんは芦花公園と同じ感じです。
私自身も公園近くで、「オリンピック公園ってこっちの方向であっていますか?」と尋ねられて、えっ、あっ、ん~、そっか駒沢公園の事かと戸惑った事があります。尋ねた人にとっては駒沢周辺で駒沢の名はあえて付けなくても分かると思ったのでしょうが、こちらとしては聞き覚えのない言い回しだったので戸惑ってしまいました。

私的にはこの公園は高校時代に部活で度々走りに来ていたし、高校の体育祭も学校の校庭が狭いのでここの補助競技場で行ったし、大学時代も・・・運動部じゃなかったけど、ここで発声練習とかさせられていましたし、花見もここに来ていました。
という事で、ある意味昔から知っているには知っているんだけど・・・、実際には詳しくは知らない公園でした。どうも練習ばかりであまりいい思い出がないというか、散策しているような余裕がないというか、詳しく知りたいといった気が起こらなかったというか、なんとなく付き合っていた公園でした。
その為、今回百景の製作のために改めて訪れてみて、新たな発見の連続でした。昔訪れていた時よりも施設が充実していたせいもありますが・・・。いや、単に気がつかなかっただけなのか・・・。

まず概要に付いて書くと、この駒沢オリンピック公園は都立の公園で、都の外郭団体である財団法人東京都スポーツ文化事業団が運営、管理を行っています。オリンピック東京大会時の会場跡地を利用した公園で、開園はオリンピックが行われたすぐ後の昭和39年12月1日です。公園面積は約41haで砧公園(39ha)より少し大きいです。
園内には120種類以上もの樹木が植えられていて、高木だけでもその数7300本も生えているそうです。芝生面積も1.4haあり、競技場や運動施設ばかりの運動公園ではなく、運動施設と緑とが調和した健康的で自然豊かな公園という事ができるのではないでしょうか。とりわけ駒沢公園通り沿いに並ぶイチョウ並木と園内にある桜並木、ケヤキ並木は春と秋の風物詩になっています。

主な園内の施設は、運動競技場施設として陸上競技場、補助競技場、第一球技場、第二球技場、屋内球技場、体育館、硬式野球場、軟式野球場、弓道場、プール、トレーニングセンター、テニスコートで、その他では4つの売店、2つのレストラン、3つの児童公園、サイクリングセンターとサイクリングコース、小さいながらバードウオッチングや梅林などといったエリアもあります。
近年では健康志向が高まりからジョギングが人気となり、公園外周を一回りするように走るジョギングコースは地元の人を中心に利用者が多くなっています。実際にコースを走ってみると(歩いても構わないのですが)分かるのですが、木々に囲まれた並木道を走る感覚なので、結構気持ちがいいものです。ただ、以前よりはだいぶんましになったもののやはり空気の悪い東京なので、空気の良い地方の田舎から引っ越してきていきなり走るといくら並木道がきれいだからといっても鼻や気管をおかしくする事もあるのでご注意を。って、私がそうでした・・・。

オリンピックやそれ以前に関して書くと、元々この場所は狸谷(まみがや)と呼ばれる地域で、周辺の深沢村を含めて雑木林や畑ばかりの寂しい土地でした。明治22年までは世田谷村の飛び地として管理され、明治天皇が兎狩りをされた場所でもあります。
大正2年になると東京ゴルフクラブの会員達が深沢村から土地を借りて駒沢ゴルフ場を造る事になりました。そして大正3年から工事が始まり、初めは9ホール、後に18ホールの巨大なゴルフ場が出来上がりました。地元としては紳士のスポーツという事でお金持ちが集まるゴルフ場により現金収入や雇用が増えてよかったようです。この辺の事情は同じようにゴルフ場があった等々力と一緒です。
ちなみに駒沢公園の北側にある駒澤大学はゴルフ場ができる少し前の大正二年に麻布から現在地に引っ越してきました。駒沢公園よりも先に大学があったことになります。

しかし昭和の初めになると土地代が高騰し、ゴルフ場の採算が合わなくなってきて、土地を引き払う事になりました。昭和七年頃には目蒲電鉄がその土地を購入。土地を造成して深沢や田園調布のような高級住宅を造ろうとしたのかどうか分かりませんが、使われることなく昭和11年になると第十二回オリンピックが東京で開催されることが決まりました。
その際にこの地に世界最大級の運動競技場を造ってオリンピックのメイン会場にしようではないかといった構想が生まれました。区内にある馬事公苑も同じようにオリンピック用の敷地として東隣に1万5千坪の敷地を追加で購入するなど、世田谷区内ではオリンピック開催に向けての動きがありました。
しかしながら日中事変などの政情により、昭和13年にはやむなくオリンピックの開催地を返上しています。それでもその後に東京都がこの土地を買い上げていますので、いずれオリンピックを開くための競技場を造る計画は消えなかったようです。

その後太平洋戦争が起き、主にこの土地は資材置き場として使われたようです。そして戦後の昭和28年に東急電鉄などが都から敷地を借りてプロ野球東急フライヤーズ(現在の北海道日本ハムファイターズ)の本拠地として、駒沢野球場を造りました(*昭和22年にチームを購入。29年からは子会社の東映に運営を委託し、東映フライヤーズと名称を変更)。奔放なプレースタイルから「駒沢の暴れん坊」の異名を取ったとか。世田谷区にプロ野球球団の本拠地があったというのは驚きです。

その後昭和37年になると再びオリンピックが東京で行われる事が決まります。残念ながら今回はメイン会場としてではなくサブ会場と指定されました。そのことによって野球場だった敷地は東京都に返還され、野球場は取り壊されオリンピック用の競技場が造られました。
そして昭和39年に開催された第18回オリンピック東京大会の期間中には第2会場として、レスリング、バレーボール、ホッケー、サッカーといった競技が行われました。とりわけ鬼の大松監督に率いられ金メダルをとった女子バレーボールが行われた場所というのがポイントの高い部分でしょうか。東洋の魔女の活躍を見るために連日室内競技場周辺は賑わったとか。

現在オリンピック関係のもので残っているのは、聖火台、オリンピック記念塔、そして体育館内にある東京オリンピックメモリアルギャラリーです。
オリンピック記念塔は高さが50mもある塔で、陸上競技場と体育館の間の中央広場にあります。目立つ場所にあり、それ自体が特異な存在なので、駒沢公園のシンボル的な存在となっていますが、オリンピック記念塔とは愛称で、実際は地上12階建ての管制塔です。よく見ると最上部にアンテナがあったり、最上階に管制室があります。
この記念塔の周りには池となっていて、その池の中にはさりげなく聖火台があります。もちろん大会期間中、オリンピックの象徴である聖火が灯されていました。
そして体育館の中にある東京オリンピックメモリアルギャラリーですが、ここでは東京オリンピックの事を中心にオリンピック全般や長野オリンピックについてなど展示してあります。展示物に関しては、内容よりも何でもかんでも記念に取っておこうというか、細かいチケットやパンフレット類がきれいに並べられている様子は几帳面な日本人的だなと感心してしまいました。入場料は無料なので一度は覗いてみるといいと思います。

現在の駒沢公園は、周辺住民やすぐ隣の駒澤大学、そして近くの日本体育大学の学生たち、近隣の高校、中学の部活動の学生や東京医療センターの入院患者などの憩いの場となっています。とりわけ敷地が狭い駒沢大学生にはキャンパスの延長上のような駒沢公園の存在はうれしいに違いありませんし、国立病院の入院患者の人にはすぐ隣に散歩コースがあるのは健康のため、或いはお見舞いに来てくれる人のためにもありがたい存在に違いありません。
また若者にとっても駒沢公園は特別な存在になるようで、とりわけスケートボード、バスケットボールに関しては古くから盛んです。昼夜問わず熱心に練習していたり、ゲームに汗を流す姿を見かけます。最近ではスケートや自転車用の練習用広場ができていて、トラブルや事故を回避する為の棲み分けができているようです。
棲み分けといえば、今まで全然気がつかなかったのですが、いつの間にかドッグランが設置されていました。住民の要望が高く、仮設置を経て設置されたものですが、見てみたら地面がコンクリートでした。コンクリートのドッグランって・・・、なんか不思議な感じです。

駒沢公園の魅力は多種多様のニーズに応えているところでしょうか。園内を快適に走れるジョギングコースやサイクリングコースといった存在がやはり駒沢公園の人気の要因かと思いますが、そういった事以前に公園として子供の遊び場やくつろげる場所が充実しているのも重要な事だと思います。
近年では住民の要望などによって駒沢公園は公園としてどんどん進化しているようですが、競技施設としてはいまいちパッとしない感じです。収容観客数が2万人という立派な陸上競技場があるにもかかわらず陸上などの大きな大会は国立競技場だし、オリンピック種目であったサッカーも今では全国高等学校サッカー選手権大会、全日本大学サッカー選手権大会といったものばかりで、ほぼアマチュア専用といった感じです。

しかしながらこれにはちょっと理由があるのです。すぐ隣が国立病院の東京医療センターなので、夜間照明の灯りや騒音といったものが入院患者の安眠を妨害する恐れがあることから、照明設備が設置されていません。といった訳なので照明設備が必要なJリーグが行われるという事はよほどの事がない限りありません。
野球場に関してもこちらはナイター設備はあるものの収容観客数が内野のみの1319人ともあって高校野球の都大会が行われる程度です。こういった事情がある為、大きな大会が頻繁に行われて混雑するといったような事はなく、住民としては気持ちの良い環境が維持されているといった訳です。
また近年では施設の老朽化や耐震補強のために次々と施設が新しくなっていて、訪れる度にどこかしら大掛かりな工事をしている感じです。もしかして今後開こうとしている東京オリンピックの会場にするつもりなのかなと思ったのですが、計画書を構想外となっていました。練習場としては使われるかもしれませんが・・・。

近年ではイベント会場としてのニーズも高まっています。オリンピック記念塔や体育館、陸上競技場に囲まれた広い広場では様々なイベントが行われています。何かのスポーツ大会に合わせたイベントだったり、企業などのPRブースのテントが並んでいたりとスポーツ関係のものが多いのかと思いますが、近年ではB級グルメなどの飲食関係のイベントが増えているのが区民として気になるところです。
特に多くの人が訪れるのが、東京ラーメンショー。会場は混雑し、人気のラーメンのブースには長蛇の列が出来上がっていました。こういったイベントに合わせて訪れることができるのも駒沢公園の魅力かと思います。