世田谷散策記 せたがや風景資産のバーナー
園芸高校の案内板の写真

せたがや地域風景資産 No.1-15

園芸高校の並木とみどり空間

日本で最初の園芸を冠した学校が深沢にあります。国宝級の盆栽や貴重なバラの原種などが栽培されている敷地は、昔と変わらない緑豊かで落ち着く環境となっています。

・場所 : 深沢5丁目38-1
・登録団体など : 都立園芸高校
・備考 : 都立園芸高校の敷地内です。見学は平日でも受付に頼むとできる模様。

*** 園芸高校の並木とみどり空間の写真 ***

園芸高校の校内の写真
園芸高校の校門

園芸高校らしく校門にも花があります。

園芸高校の校内の写真
校門から続く銀杏並木

晩秋には見事な紅葉となります。

園芸高校の校内の写真
新緑の季節の銀杏並木

新緑の季節も力がみなぎった感じがしていいものです。

園芸高校の校内の写真
紅葉の季節の銀杏並木

ほぼ同時に色づく感じです。

園芸高校の校内の写真
並木と人々

並木に人の姿が入るとよりいい風景になりますね。

園芸高校の校内の写真
校舎と木々

園芸高校らしく緑に囲まれています。

園芸高校の校内の写真
兎々呂城跡の石碑

校門前にも簡易的なものがあります。

園芸高校の校内の写真
三代将軍の松

ビックリするぐらい立派な松です。

園芸高校の校内の写真
園芸用の花壇

細かく管理されています。

園芸高校の校内の写真
実習用の畑

結構広い畑があります。

* バラ園 *

園芸高校のバラ園の写真
バラ園の様子1

広く、立派なバラ園です。

園芸高校のバラ園の写真
バラ園の様子2

多くの品種が植えられています。

園芸高校のバラ園の写真
バラ園の公開日

生徒が説明しながら案内してくれます。

園芸高校のバラ園の写真
鈴木省三氏の碑

この薔薇を愛す・・・と書かれていました。

* 園芸展 *

園芸高校の園芸展の写真
秋の園芸展

学校を上げてのイベントです。

園芸高校の園芸展の写真
ねずみの運動会

子供たちが楽しそうに見つめていました。

園芸高校の園芸展の写真
中庭での野菜や花の販売

安く売られているので人気です。

園芸高校の園芸展の写真
作業中の様子

作業着を着て園芸高校っぽい感じです。

* 園芸高校の並木とみどり空間について *

都立園芸高校というのはご存知でしょうか。大学と高校という差はありますが、同じ区内にあって東京農大についてはほとんどの人が知っているのに対して、園芸高校についてはあまり知っている人はいないように思います。園芸高校・・・園芸をやっている高校でしょ。そこまで珍しい存在なの?確かにそうですが、実はここの園芸高校は明治41年に日本で初の園芸専門の教育機関として設立され、初めて「園芸」という名を冠した学校という名誉と歴史ある学校だったりします。といってもやはり園芸の世界では有名でも一般的には・・・といった感じでしょうか。でもこの高校にはもっと凄い事が色々あるのです。

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園芸高校はその名の通り園芸に関わる学校です。1908年(明治41年)に東京府立園芸学校として開校しました。当時は全国的に農業学校が設立されていましたが、ここでは園芸の分野に限定した教育を行っていて、恐らくそういった教育を行っていたのはここだけだったようです。

現在の学科は園芸科、食品科、動物科の三課程に分かれていて、それぞれ2年生から専門課程として園芸科には園芸コースの「野菜専攻」と「果樹専攻」、園芸デザインコース の「ガーデニング専攻」と「フラワー専攻」があり、食品科には加工コース、調理コース、栄養コースがあり、動物科は2006年の学科改編で新しく新設された科で、動物愛護コースと動物環境コースがあります。

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昭和の始め頃は全国から生徒が集まってくるような専門的な農業学校だったようですが、現在は受験制度の変更もあり、近隣からの生徒ばかりです。ちなみに2010年現在の生徒数は418人で、園芸学校らしく女生徒が三分の二を占めています。また僅差ですが大田区から通う生徒が一番多く、続いて世田谷、そして品川区から通う生徒が多くなっています。すぐ近所の目黒区から通う生徒が少ないのはちょっと意外に感じました。地域性というやつでしょうか。

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園芸高校はその特殊な専門性から許可をもらえば構内を普段でも見学することができるとか聞きましたが、授業の邪魔になったりするのでは・・・とちゃんとした目的のない一般の人には少しハードルが高いかと思います。ということで園芸高校を見学するのに一般的なのは、5月の学校公開とバラ園の公開、11月の園芸展でしょうか。見所満載とまでは行かないのですが、ぜひ一度は見ておいても損はないかともいます。園芸高校の見所を挙げると、以下の通りです。

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園芸高校の自慢はまずなんと言っても徳川家光(第三代将軍)が遺愛したと言われる松(ゴヨウマツ)の盆栽2鉢で、三大将軍の松として知られています。園芸科の生徒が管理していて、生徒からは「三代さん」と呼ばれて親しまれているそうです。なんでも樹齢460年を越えるそうです。というか盆栽といったレベルの大きさではなく、盆栽に興味がなくともその立派さに感嘆してしまう事でしょう。よく分かりませんが、国宝級かも?しれません。かなり価値のあるものなのでこれを目当てに来る一般見学者も少なくはないそうです。

なぜこんな立派な松が園芸高校にあるのかというと、学校創立に際し、東京府が購入し、園芸高校に移管されたようです。ちなみに以前皇居の東御苑を訪れた際に同じものがありました。係りの人が解説しているのを横で聞いていると、なんでも皇居と園芸高校しかない松だとか言っていましたが、ちゃんと確認したわけではないのでどうなのでしょう。ただ聞いていた多くの人は高校生が管理していると言うことを聞いてビックリしていたのが印象に残っています。

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園芸高校の自慢第二弾はバラ園です。ここのバラ園は創立80周年記念行事の一環として、平成2年に開設されました。開園に当たっては、園芸高校出身で世界的に有名なバラの育種家鈴木省三氏が長年に渡って収集した約200種類のバラが寄贈され、栽培されています。中には貴重な原生種もあるので、管理、育成している生徒はいい勉強ができるはずです。

バラのシーズンにあたる毎年5月には、オープンキャンパスが行われ、その際にバラ園の一般公開が行われます。あまり一般的に情報が出回る公開ではありませんが、結構多くの人が訪れ、生徒が丁寧に解説して回ります。バラ園には主要な品種が系統的に植栽されているので、バラの品種改良の歴史を辿りながら鑑賞できるようになっていますが、花の知識がないと解説されてもちんぷんかんぷんでした・・・。

バラの一部は秋にも咲くので、11月の園芸展の際にも見学することができます。ちなみに鈴木省三氏は「ミスターローズ」の異名を持つほどのバラ作出家で、1938年に現在の奥沢付近に「とどろきばらえん」も開園しています(~1974)。バラ園の隅に石碑が建てられていて、「この薔薇を愛す」とだけ書かれているのが印象的でした。

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園芸高校の自慢第三弾はハナミズキの原木が2本あることです。ハナミズキといえばハナミズキの並木があったり、花みず木フェスティバルを行っている二子玉川が有名ですが、ここにはアメリカから送られたというハナミズキの原木が植えられています。

これについては、1912年に東京市長だった尾崎行雄氏が友好親善のためワシントンに3千本の桜を送り、その返礼として1916年に東京市に白花のハナミズキ40本送られたといういきさつがあり、このときに送られた木が日本におけるハナミズキの原木となります。

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なぜ園芸高校に原木が植えられているのかは、園芸高校の初代校長熊谷八十三氏の功績によるものといわれています。熊谷八十三氏はワシントンに送る桜の木を育成した方で、1962年にはワシントン市への桜育樹の功により米国政府より表彰されています。そういった縁で園芸高校に原木があるといわれています。

なお区内では二子玉川に後年に送られた第二の原木や第三の原木があったり、都立祖師谷公園にはワシントンで芽吹いた苗から育った里帰りの桜が植えられていたりと、色々とこの件については縁があったりします。

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園芸高校の自慢第四弾はイチョウ並木です。正門から本館までの100メートル続くイチョウ並木は、1912年(大正元年)頃に植えられたもので、樹齢はおよそ100年となります。もちろん成城のイチョウ並木よりも古く、おそらく世田谷で一番古いイチョウ並木となるのではないでしょうか。

車道になっていないので木々も元気で、春から秋にかけてはとてもすがすがしい緑の空間を造りだし、紅葉の時にはとても美しい黄色の空間を演出します。でもこれだけ立派な木による並木だとイチョウの落ち葉が・・・、清掃は生徒さんの役割でしょうか。

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また、園芸高校で生み出された梨も自慢のうちに入るでしょうか。1916年に在職中の菊池秋雄博士が日本梨の在来種を人工交配させ、数種の優良新品種を生み出しました。その中の菊水・八雲は、当時の梨栽培業者から歓迎されて、全国的に栽培されるようになりました。この品種は後に豊水・幸水・新水の元となり、現在ではこの三種類合わせて「三水」とも呼ばれています。そういった経緯で、梨の石碑が敷地内に設置されています。

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とまあ色々と国宝級の盆栽やいわれのある原木があったりしますが、でも本当の自慢は自分たちが丹精や愛情を込めて育てたり、作ったものではないでしょうか。秋に行われる園芸展では、園芸科の生徒が実習で生産した野菜、果樹、鉢花などといったものや、食品科の生徒が生産したジャム、シラップ漬け、味噌といったような加工品が販売されます。訪れる人に大人気で、というよりこれが目当てなので行列ができるほどです。

規模的には農大の収穫祭には及ばないものの、手軽な値段で花の苗が買えたりするのがここの良さでしょうか。それと一生懸命販売したり、実演してくれる生徒さんの初々しさも好感が持てる部分でしょうか。って、農大の人に失礼ですね。

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また、園芸高校があるのは深沢5丁目です。深沢といえば近年は閑静な高級住宅地となりつつありますが、学校が開校した明治41年ごろは林や畑ばかりの土地でした。だからこそ広い敷地を必要とする園芸高校がここに作られたわけですが、これは地元にも大いにメリットがあったようです。

学校が造られた事により電気が早く引かれたり、また大正二年には駒澤大学もでき、下宿や生徒相手に商売をすることができました。その後日本体育大学を始め、多くの学校がこの付近にでき、この付近が学園地域となったのも園芸高校があったからかもしれません。

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そして今では周辺の土地は区画整理が行われ、畑は住宅地に変わり、地価も高騰して閑静な住宅街となってしまいました。園芸高校は昔のまま変わらない存在でも、気がつけば周りの環境が変わってしまったといった感じです。学校の敷地は比較的大きな通りの駒沢通りに面していますが、正門は玉川郵便局がある側の狭い道にあるのも当時の名残となるでしょうか。

この道は等々力と駒沢方面を結んでいた江戸道の名残で、当時の幹線道路だったのです。そして更に時代を遡った話をすると、この園芸高校のあった土地には兎々呂城があったとされています。城主は小田原北条家の家臣南条右京亮重長だったとか。戦の功労でこの地を賜り、城の規模とかは不明ですが、掻上の簡単な城を造ったと言われています。そういった過去を持つので、校門の横と敷地内に兎々呂城跡の石碑が建てられています。

ちなみに兎々呂城は「トドロジョウ」と読みますが、「城」を「キ」と読めば「トドロキ」となるわけで、等々力の地名の由来には幾つかの説がありますが、この城の名が由来となっているのでは?というのも一つの有力な説となっていたりします。

<せたがや地域風景資産 No.1-15、園芸高校の並木とみどり空間 2011年5月初稿 - 2015年10月改訂>