世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.44

北烏山の田園風景

北烏山7丁目付近

都会の緑の保全に都市農業が役立っていることが見直されている。田園風景などとっくに世田谷から消えたと思っている人も多いが、この一帯には生産緑地としての畑が残っている。田園風景の広がっていた世田谷の昔日が思い出される。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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1、北烏山の田園風景について

1940年頃の北烏山の航空写真(国土地理院)
1940年頃(戦前)の北烏山付近

国土地理院地図を書き込んで使用

烏山の北側、現在の甲州街道から三鷹市との境にかけては、街道からも鉄道の駅からも離れていたので、東京の人口が少なかった戦前までは暮らす人が少なく、一面、のどかな田園風景が広がっていました。

それは西隣の給田でも同じことで、給田から仙川にかけても広大な田園地帯が広がっていました。

戦後になると、ぼちぼちと人が暮らすようになり、1960~70年代に新しい甲州街道や中央自動車道ができると、この地域が一気に開けました。

せたがや百景の選定が行われたのが、昭和59年(1984年)。この頃にはもう住宅で埋め尽くされつつありましたが、まだ広い畑も多く残っていて、田園風景が広がっていた頃の面影を感じることができたようです。

北烏山の田園風景
北烏山の田園風景

ビニールハウスまで備えた畑もあります。

しかし、その後の東京への一極集中。バブル景気。更には烏山の人気などがあり、この地へ家を構える人が増え、どんどん畑が減っていきました。現在でもその流れは続いていて、探せば畑はそれなりに見つかるけど、田園風景を連想するほどではなくなってしまいました。

畑が減少した一番の原因は、地価の高騰。相続での代替わりをする際、そのまま農地として相続しない限り、多額の相続税を払わなければなりません。

今時、烏山で農業で生計を立てるのは難しく、農業を趣味でやれるぐらいの生活的な余裕がない限り、現実的な選択地ではありません。結果、相続の際、或いはこれから迎える相続を考え、農地を宅地として売却する人が増えています。

1960年代の北烏山の航空写真(国土地理院)
1960年代の北烏山

国土地理院地図を書き込んで使用

古い写真を見ていくと、まず1960年代。この時代には区内の他の地域では、既に駅の周辺を中心に宅地化が進んでいますが、ここではまだ一面に田畑が広がっていて、田園風景のままといった様子です。

北烏山の開発が進むのは、1970年代。4車線の新しい甲州街道や、中央自動車道ができると、一気にこの界隈の宅地化が進んでいきます。

1980年頃の北烏山の航空写真(国土地理院)
1980年頃の北烏山

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せたがや百景が選定された1980年頃の様子です。この頃は景気も良く、社会には勢いがあり、第一次ベビーブーマー世代が結婚し、マイホーム・マイカーブームも起きていました。その流れで、この地でも宅地化が一気に進んでいます。

でも、まだ畑も多く見られ、古くから農業をやっている地主さんの土地を中心に畑が連続した感じで広がっています。

特に目立つのが高速道路付近。多くの畑があります。この時代、車は環境問題(公害)の元凶で、社会問題になっていました。高速道路の傍は騒音や粉じんの影響を受けるので、難あり物件となり、あまり引き合いがなかったのでしょうか。実際、高井戸入り口は住民運動で今でも閉鎖されたままですし・・・。

2017年の北烏山の航空写真(国土地理院)
2017年の北烏山

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21世紀になると、都会には所せましととビルが乱立し、畑は空中に浮かんでいて・・・ということはなく、21世紀(2001年)になっても普通な世の中のままで、畑も地面に存在していました。

・・・なんて考え方をしてしまうのは、ドラえもんを見て育った第二次ベビーブーマー世代になるでしょうか(*今は22世紀のロボットという設定です)。ほんと、21世紀という言葉の響きには希望があふれていました・・・。って、まだ21世紀も始まって4分の1程度。まだまだ希望を捨ててはいけませんね。

話がそれてしまいましたが、2000年を過ぎ、2010年を越えると、一段と畑が少なくなったという印象です。この頃から千歳烏山駅界隈は暮らしやすい町という評判が立ち、番組でのランキングに登場したりしています。その影響で・・・というほど単純ではありませんが、理由の一つになるでしょうか。

おそらく、この頃に2回目の相続が起き、今まではじいちゃんが好きでやっていたけど、もう農業をやる人もいないし、手放してしまおう。今は烏山が人気になっていて、ちょうど相場が高い時だし・・・。税金も高いし・・・。となったのではないでしょうか。

広い農地を持っている人というのは、江戸時代から農家をやっているような人になります。戦後、世の中の景気はよくなったけど、みんなお金の話ばかり。そんな世の中に嫌悪し、土をいじっているほうが気が楽だと、農業を続けた人が多かったです。

その背中を見て育った息子が、相続や定年退職を機に農地を引き継ぎ、今まで趣味的な感じでやってきたけど、その次の代はまるで農業に興味や愛着がなく、畑仕舞いをしてしまった・・・。という話も聞きます。

北烏山九丁目屋敷林市民緑地
北烏山九丁目屋敷林市民緑地(2014年)

世田谷地域風景資産に選定されていて、烏山の代表的な農風景です。

実際にこの辺りを歩いてみると、駅から離れているので、ごちゃごちゃしていなく、比較的土地が平坦で、農業に向いた土地だと感じます。

所々に地主さんの土地らしい広い畑もあり、そういった畑がある場所では、田園風景といった雰囲気を感じようと思ったら感じることはできました。

畑のある古き良き日の農家といった風景なら、せたがや地域風景資産にも選ばれている北烏山九丁目屋敷林市民緑地がお勧めです。かつてこの界隈が農村だった頃の建物や、屋敷林、そして竹林や畑が残っています。

ただ、畑の方は・・・、少し前までは広い畑があり、この家の先祖が品種改良した下山千歳白菜が植えられていたのですが、相続があったのか、今では家庭菜園程度の畑しかなくなってしまいました。

2017年の北烏山の航空写真(国土地理院)
西沢つつじ園周辺の様子

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今でも田園風景を感じられる・・・とはいっても、部分的な風景ばかりなので、写真でうまく風景を切り取って、農業の風景だと表現することはできますが、ビデオカメラでぐるっと周囲を映すと、畑の傍に住宅が並んでいて、田園風景?都会の畑じゃない。ってな感じになってしまいます。

実際、大きな畑の隣接地には真新しい家が並んで居たりすることも多いです。最近、畑から住宅地になったんだろうなと容易に想像できたりします。

そして全体的に見るなら、畑あり、住宅地ありと、この付近はなんだか中途半端な虫食い状態な配置になっているような気がします。

といっても、こればかりは土地の持ち主の判断に拠るので、間に住宅地が入らないようにとか、畑の区画が続くようにといった事を部外者が期待してもしょうがないことですね。

周辺に暮らしている人にとっても、隣が畑だと土埃が立ったり、虫や鳥が多くなったり、肥料などの匂いがしたりして不快な思いをしていて、中途半端な状態ではなく、どっちかにしてくれと思っているかもしれません。

2017年の北烏山の航空写真(国土地理院)
百景に記載されている北烏山7-10付近の様子

国土地理院地図を書き込んで使用

などと、単純にそう思っていたのですが、実はそうでもなく、逆に住宅が密集しているよりも畑がある方が日当たりがよく、開放感があっていい。人口密度が低くていい。周辺住民とのトラブルが少なそう・・・。などと、それなりに人気となっていたりするみたいです。

まあ、住みたい場所の好みというのは、人それぞれですからね。というより、実際に暮らしてみないとわからないことは多いです。

しかしながら、近年の流れで言うなら、そういった畑もいずれは住宅地に変わってしまう可能性が高いです。後に環境が変わってしまい、横が畑だったからよかったのに・・・と、後悔することになるかもしれません。

畑と屋敷林
畑と屋敷林(三鷹市方面)

昔はこのような畑と屋敷林ばかりの風景だったのでしょう。

この界隈を散策していて気が付いたのですが、この項目は田園調布のイチョウ並木と一緒で、随分と区外の要素が入っているような気がします。選定時においても田園風景というのは烏山から三鷹市の方を眺めたものだったと思われるし、2009年に散策した時点では烏山地域の宅地化が進んで、より顕著にそれが現れているように感じました。

ただ、その後、外環道の工事が始まってみると、そういった畑の土地が道路用地に使用されたり、建物に変わったりしていて、必ずしも三鷹の方が畑が多いという状態でもなくなってきているような感じです。

それにしても・・・、この辺りの世田谷と三鷹市の境は凄まじくいびつな形をしていますね。何でこうなってしまったのでしょうか。利権がらみでしょうか。畑よりもその方が気になってしまいました。

生産緑地地区の案内板と無人販売所
生産緑地地区の案内板と無人販売所

畑の横には無人の野菜の販売所が設置されています。

世田谷区内にある畑には、生産緑地地区といった案内板が建てられています。そしてそういった畑の横には無人の野菜販売所が設けられていることがあり、「せたがや育ち」と書かれた幟が立っています。

この辺りを歩いていると、いくつもの無人野菜販売所がありました。この辺りに住んでいるのなら野菜には困らなさそうですね。きっと普段から生産しているところを目にしているでしょうから安心感があります。地元で育ったものを安心して食べられるのはいいことです。

2、感想など

せたがや育ちの野菜
せたがや育ちの野菜

いい写真がなかったので他の地域のものですが、販売所にはこの黄色い幟が立てられています。

この付近を散策したのが、2010年ころ。まだ畑もそれなりにありましたが、最近分譲されたんだろうなといった新しい住宅区画も多く、畑を求めて歩いているといつの間にか三鷹市の方に入っていました。そして気がつきました。こっちの方が畑が多く、広いような・・・。

境界付近に立った時、世田谷区の方に新しい住宅が多く見られるという事は、同じ住むなら世田谷区の方が・・・といった感じなのでしょう。世田谷区の土地の方を優先的に宅地化しているように感じます。

実際、グーグルマップの航空写真で見ても三鷹の方が畑が多く、現在ではその差は圧倒的になり、烏山の畑はほとんどなくなってきています。

あまり詳しく分かりませんが、行政サービスや、税金の良し悪し、学校関係とか、世田谷のネームブランドが関係しているのかもしれませんね。「世田谷育ち」よりも「世田谷暮らし」の方が人気があるのかも・・・。散策しながら思ってしまいました。

せたがや百景 No.44
北烏山の田園風景
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所北烏山一帯(百景に記載されているのは北烏山7-30付近)
・アクセス最寄り駅は京王線千歳烏山駅。井の頭線久我山駅。駅から少し離れています。
・関連リンクーーー
・備考ーーー
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